死滅領域ネクロリバイブ 不良JKは幽霊同士のデスゲームで生き返りを願う 作:ここんぽ
死んだ誰もが天国や地獄に行けるわけではない。数え切れないほどの死者の中には、どこに行くことも許されない者がいる。
鉄条一歌にとってのそれは、車塚依子に出会った時点から始まる。
鉄条一歌は札付きの不良である。ひどく短気で喧嘩っ早く、気に入らない相手は誰だろうと殴る。男であろうと女であろうと、大人でも子供でも。鉄条一歌は紛うことなき人格破綻者だった。
ある日の午後、珍しく登校することにした一歌が教室に入ると、見知らぬ少女が目に入った。一歌の知らない間に来た、転校生である。
それが、車塚依子だった。
車塚依子は耳が一切聞こえない。重度の難聴だった。自動車のクラクションも認識することができない。しかし、依子が教室で浮いていた最も大きな理由はそれではない。
日本人離れした、硝子のような印象を抱かせる、妖精じみた美貌の少女だった。色素の薄い肌と髪、線の細い、庇護欲を誘う容姿。彼女は平凡とは程遠く、良くも悪くも周囲の目を引いた。
特に、嫉妬の念が深く鋭く、依子に突き刺さった。当時、女子生徒に人気のあった若い男性教師が依子に優しかったことも、良くなかった。
依子は数人の女子生徒に囲まれていた。数人、というのは、依子を「包囲」していたのが正確に何人なのか判然としないからだ。やや遠巻きに見ている女子の口元は悪辣な期待に歪んでいる。一歌はそんなことには気づかなかったが。
依子に話しかける彼女らは友達ではない。
「よりぃ、元気出しなってぇ〜」
「てかさ洗えばよくね? ね、こんぐらいさあ、全然大丈夫だよね」
彼女らは依子を慰めながら、コンビニのビニール袋に校内用シューズをしまうところだった。シューズの中には濡れた米粒が大量に付着し、甘い異臭を放っていた。握り飯とジュースで汚されゴミ箱に投棄されていたのを、偶然彼女らが発見したのだ。当然嘘であり、自作自演の白々しい慰めだった。
依子は代わりとして体育館シューズを履いていて、困ったような笑顔で彼女らに囲まれていた。
『ありがとう』
スマートフォンの画面に浮かんだ文字は依子の本心ではない。彼女も悪意に気づいている。誰がこれをしたのか、なんとなく察している。だが、そのことを告発したり、追及したりはしない。証拠がない。そして依子は耳が聞こえない。数で勝る相手に対し自分のために弁舌を振るい、勝つというのは、依子には不可能に近い。
だから、何もしないのだ。無抵抗で、気づかないふりをするしかない。
「ふんっ」
一歌はそんな事情は知らないが、彼女らの上っ面の態度から滲む悪意が鼻についたので、思い切り殴った。
「ごえっ」
がこんっ! という、骨の音がした。不意打ちで顎に目掛け拳を振り抜いた。それも、喧嘩慣れした一歌の厚い拳である。顎の骨が外れ、女子生徒は机と椅子を三つ押しのけて倒れた。倒れたあと、痛みで起き上がることができなかった。
「えっ」
「ふんっ」
依子を囲んでいた女子生徒らに、それぞれ一発ずつ。鼻面に、こめかみに、顎に、彼女らが呆気にとられている間にお構いなしに叩き込み、全員を悶絶させた。
「て、鉄条……」
周囲は湯が沸いたようにざわめいた。鉄条一歌が学校に来たのは実にひと月ぶりである。
「ムカつくなあ、ぶっ殺してやろうかな」
ごく当然のようにそれを為した一歌は依子に向き合うと、彼女にも舌打ちした。
「てめーもなんか言えよ。どう見てもバカにされてただろ。舐められたらぶん殴るんだよ普通は」
「鉄条……車塚は……」
「あ?」
「ひっ」
依子の耳について教えるべく恐る恐る一歌に話しかけた男子だったが、何気なく振り向いた彼女の放つ圧力に萎縮して二の句を継げなかった。不思議に思いながら依子に向き直った一歌の目の前に、端末の画面が差し出された。
『ありがとう。』
今度は本心だった。
「………………」
一歌は数秒、怪訝そうに画面を見つめたあと、はっとした顔で依子の目を見た。
依子は相変わらず困ったような曖昧な笑顔を浮かべていたが、その瞳には隠しきれない高揚の色があった。
それを見て、やがて一歌が口を開いた。
「……なんで文字で見せんだ! 口で言え口でェ!」
これが二人の出会いである。
二人は不思議と気が合った。片方は乱暴者で、片方は内気であったが、依子にとって身振り手振りが多く内容も単純な一歌の話は理解しやすかったし、一歌は依子が文字で話すのを急かすことなく自然と待つことができた。
一歌は薄い文庫本を一冊読み終えた。その感想を、本を貸してくれた本人にまくしたてるように手話で伝えた。いちいち文字を打つのがまどろっこしいと、簡単な会話ができる程度には覚えたのだ。
依子は生まれて初めて草野球をした。あの、人を寄せつけない空気を纏う一歌に、友達は意外なほど多くいた。息が切れるほどに走ったのは、久しぶりのことだった。大勢で遊ぶのはもっと、思い出せないほど久しぶりのことだった。
いつしか二人は行動を共にするようになっていた。並んで歩く、夕暮れの帰り道。あらゆる色彩が橙色の濃淡に置き換わる時間。影が濃く長く伸びていた。
一歌は父親と言い争った日の翌日で、依子は父への怒りを語る一歌が傷ついた子供のように見えた。
『うち金ねぇんだからさ、あたしも働かないとマジで工場潰れんぞって言うんだけど、大学行けって聞かねーんだよ。……俺みたいになるなって、言うんだ』
『ふふ、優しいお父さんだね』
ぱっ、ぱっ、と手指の形を変えながら、一歌自身の表情もコロコロ変わる。顔の方は無意識である。
『頑固なだけだよ。父娘二人で路頭に迷うわ、あのアホ親父』
『一歌ちゃん優しいからなー。俺みたいになるな、なんて言ってほしくないんだ』
「…………」
依子は時折、鋭いことをずばりと言う。一歌はそんなことは思っていなかったつもりだが、図星をつかれたような気分になった。依子の「話」が見えないよう、歩幅を広げた。
上り坂の上に、小さな踏切。一歌は依子から逃げるように少し前を歩いた。なんとなく、後ろで色々しているのがわかる。
「わぁあぁぁーっ」
依子はあまり声を出さない。特に一歌以外の誰かがいる場では。必然、彼女が声を出すのは一歌を呼びたい時になる。
それでも依子を引き離す一歌だったが、踏切の前で足を止めた。かん、かん、と警報が鳴っていた。電車が来る。
(遅いな)
なかなか遮断機が降りてこない。向こうの駅で何かあったのか。あるいは、列車のスピードが遅いのか。
そうしているうちに、依子が一歌に並んだ。あっさり追いつかれて、なんとなく気まずい。目を逸らした一歌を追い越して、依子は踏切の中まで入っていって振り向いた。暮れなずむ夕日の逆光が依子を影にして剣のように差した。絵画のようだった。
いたずらっぽい挑発的な笑みだ。一歌と知り合うまでは、誰にも見せることのなかったような。
「依子」
『照れ屋だね、一歌くん』
依子は耳が聞こえない。やっと一歌も気づいた。遮断機が故障している。警告灯も点っていない。警報が鳴っている、だけだ。
『でもやっぱり、優しいよ。私、思い出すんだ。一歌ちゃんが──』
慈しむように、鈴蘭のように笑った。左から凄まじい速度で鉄槌の如く電車が迫っている。けたたましくブレーキ音が鳴る。悲鳴のようだった。
「依子っ!」
一歌が飛び出してくるのを見て、依子は不思議そうな表情を浮かべた。異変に気づいた。レールが振動で震えていることに。真横を向く。眼前を埋め尽くす壁のように、死が質量を持って迫っていた。
飛び込むように、咄嗟に依子を突き飛ばす。
どん、と、一歌の手のひらに衝撃が伝わった。人間一人分と思えば軽い、依子の重さが。
記憶はそこで終わっている。
気がつけば、一歌は一人で踏切に立っていた。依子がいない。電車も、ない。
「………………え?」
ひどく静かだった。カラスの声も、何もない。さらさらと風が吹いている、それだけだった。
死んだ誰もが天国や地獄に行けるわけではない。数え切れないほどの死者の中には、どこに行くことも許されない者がいる。
鉄条一歌は取り残された。もう、どこにもたどり着くことはない。