奇跡を起こす魔法   作:あう餅

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不可能を可能にする魔法

 北の果ての空は、白かった。

 

 雪はもう降っていない。ただ、大気そのものが淡く光っているような不思議な明るさが、地平の先まで続いている。大陸最北端(エンデ)の、そのまた最奥。地図の上では、もう進む場所の残っていない土地。

 

「なあフリーレン、あとどれくらいだ?」

「さあ。でも近いよ。さっきから、空気に混じる魔力の質が変わってる」

「その言葉、三日前にも聞いたぞ……」

 

 シュタルクが白い息を吐きながら、背中の斧を揺すり上げた。

 

「言っておくけど、着いたからって温かいご飯が出るわけじゃないからね」

「わかってるよ。わかってるけどさぁ……なんだよ、死者の魂が集まる場所って。俺、会ったこともない人に何て挨拶すりゃいいんだ」

「シュタルク様はアイゼン様のお話をすればいいと思います。ヒンメル様は、仲間の弟子が来たら喜ぶような方だったと聞いています」

「そういうもんかなぁ」

 

 フェルンはそう言ってから、少しだけ黙って、それから小さな声で続けた。

 

「……ハイター様にも、お会いできるでしょうか」

「会えるよ」

 

 フリーレンは前を向いたまま、あっさりと答えた。

 

「文句の一つも言ってやるといい。あの生臭坊主、大事なことを何も言わずに逝ったから」

「言いませんよ。……いえ、少しだけ言うかもしれません」

 

 雪原の起伏を一つ越える。風から、冷たさが抜け始めていた。

 

「フリーレン様は、決めているのですか。ヒンメル様と会って、最初に何を話すか」

「決めてない」

 

 即答だった。フェルンが呆れたように眉を下げる。

 

「あんなに時間があったのに」

「あっても間に合わなかったから、ここまで来たんだよ。だから今回は決めない。会ってから考える」

 

 それは開き直りのようで、フリーレンなりの答えなのだろう。フェルンはそれ以上聞かなかった。

 

「……そういえば」

 

 ふと、フェルンが思い出したように言った。

 

「あの森の魔女との約束は、いいのですか。南の勇者様の、子供の頃のお話」

「帰りに寄るよ。約束したから」

「おいおい、魔族との約束だろ? 大丈夫なのかよ、それ」

「大丈夫。あれは約束を破ったら、勝手に死ぬような魔族だから」

 

 フリーレンは事もなげに言ったが、その視線は一瞬だけ、遠くの空へと流れた。あの雪の日、棚の奥へ隠された魔導書。何を企んでるかと聞いた時の、はぐらかすような笑み。

 帰りに寄る。そう決めている。それなのに、なぜだろう。もう約束は果たせない気がした。

 

「フリーレン様?」

「ん。何でもない」

 

 三人はまた、白い大地を歩き出した。他愛のない話をしながら。魔導書の話、宝箱の話、昨晩の食事の話。いままでの旅路の間、数え切れないほど繰り返してきた、いつも通りの会話を。

 

 そして。

 

 不意に、世界の光の質が変わった。

 

 ◆

 

 境目を越えた、という感覚だけがあった。

 

 目の前に、静かな土地が広がっていた。空は淡い金色で、風は暖かく、どこまでも続く緩やかな丘に、見たこともない花がまばらに揺れている。

 

 そこかしこに、人影があった。

 

 談笑する声。笑い合う声。穏やかに歩く者、座り込んで何かを語り合う者。

 その中に──角を持つ影が、混ざっていた。

 

「っ……!」

 

 シュタルクの手が斧にかかり、フェルンの杖が半分まで持ち上がる。長い旅で骨の髄まで染み込んだそれは反射だった。

 

 魔族が、人と、談笑している。

 人が、魔族の言葉に、声を上げて笑っている。

 

「はいはい、落ち着いて。ここでは誰も傷つけられないよ」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

 丘の手前から、ゆっくりと歩いてくる者がいた。角を隠しもしない、見覚えのある魔女。あの森の小屋で、約束をした魔族。

 

「やあ、いらっしゃい。そして長旅お疲れさま」

「…………」

 

 フリーレンは、珍しく言葉を失っていた。たっぷり数秒は固まってから、ようやくそれだけを絞り出した。

 

「なんで、お前がここにいるの」

「それは私が聞きたいくらいだね」

 

 ウンメーリアは肩をすくめた。

 

「安心しな。この場の誰よりも、()()一番驚いてる」

「……死んだの?」

「死んだよ。ちゃんとね。命も魂も、全部まとめて対価にしたつもりだった。……でも、一つだけ誤算があってさ」

 

 魔女は自分の胸の辺りを、指先で軽く叩いた。

 

「数百年も人の心と一緒に暮らしてると、魂の方まで、いつの間にか人のかたちになってたらしい。あの魔法で消せたのは、対価としての心と魔族としての魂だけ。……なのに、どういうわけかね。少なくとも、人として生きた分の記憶は、ここに残ってた」

 

 吐き捨てるように魔女は呟く。

 

「まったく、自分の(おこ)した奇跡に巻き込まれるなんて、まるで奇跡だ」

 

 フリーレンは何も言わず、魔女の後ろに広がる光景を眺めた。

 

 二振りの剣を背負った精悍な男が、長髪の魔族と何か言い合って、それから二人同時に噴き出すのが見えた。あの魔族の顔を、フリーレンは知っている。生きている間には、ついぞ見ることのなかった表情だ。

 

 その中に、あの魔王の姿は、ない。

 

「……奇跡は、過去には届かないんだ」

 

 視線に気づいたウンメーリアが、静かに言った。

 

「ここにいるのは、あの日より後に逝った者たちだけ。それが、私の魔法の限界だよ」

「…………そう」

 

 フリーレンは短くそう答えた。長命種同士の、それで足りる相槌だった。

 

「あ……」

 

 その時、フェルンが小さく声を漏らした。丘の中腹、穏やかに座り込む人影の輪の中に、見覚えのある僧衣を見つけたのだ。

 

「行っておいで」

 

 ウンメーリアが目で促すと、フェルンは一礼して、駆け出していった。その足取りが途中から歩きになり、また駆け足に戻るのを、シュタルクが所在なさげに見送る。

 

「な、なあ。あの人……あの魔族、何者なんだ?」

「……奇跡を起こす、魔法使いです」

 

 フェルンが振り返り、それだけ言ってまた駆け出した。

 

「ウンメーリア。また案内を放り出して喋り込んでるだろ」

 

 声と一緒に、二振りの剣を背負った男が丘を下りてきた。

 

「おや、口うるさいのは相変わらずだね。私は君に育てられた覚えはないよ」

「僕は育てられたから言ってるんだ」

 

 気安い応酬だった。数百年を生きた魔女と、最強と呼ばれた勇者の、ただの親子の掛け合いだった。

 

 男はフリーレンに向き直ると、少しだけ目を細めた。

 

「あの言葉を信じてくれてありがとう。……ね、彼女は人類の敵じゃなかったろう?」

「……うん。そうだね」

 

 フリーレンが頷くと、ウンメーリアはぱちりと手を叩いた。

 

「そうだ、フリーレン。約束の自慢話をしてあげよう。なにせ本人付きだ。この子はね、小さい頃、初めて自分で木剣を削ったんだけど、これがもう不格好でね。柄の方が刃より太くて──」

「その話はいいだろ……!」

 

 男は顔をしかめ、誤魔化すように背中の剣の柄へ手をかけると、虚空を見つめた。

 

「もう、その奇跡は期限切れだよ」

 男はその言葉にはっとすると、所在なさげに視線が泳がした。

 

 果たせないと思っていた約束は、思いもよらない場所で果たされ始めていた。

 

 一人残されたシュタルクは、伝説の勇者に挨拶する度胸もなく、ぼんやりと丘を見回していた。会ったこともない人だらけの、死者の国。さまよっていたその目が──不意に、止まった。

 

 人だかりの向こうで、よく知った顔が、こちらを見て笑っていた。

 

「……嘘だろ」

 言葉なんて、一つも浮かばなかった。それでも足は、反射的に駆け出していた。

 

 その背中を見送って、男はふと、丘の向こうへ目をやった。ウンメーリアと短く視線を交わし、片手を挙げて、人の輪へと戻っていく。

 

 丘の上には、フリーレンとウンメーリアだけが残った。

 

 ◆

 

「さて」

 

 ウンメーリアはぱんと手を打つと、フリーレンの肩越しに、丘の向こうへ声を投げた。

 

「いつまでそこで突っ立ってるんだい。ほら──久々の再会だろう? あんまり女性を待たせるものじゃないよ、勇者様」

 

 光の奥から、誰かが歩いてくる。

 

 フリーレンは、動けなかった。

 会ってから考える。そう言ったくせに、いざとなると何ひとつ浮かんでこない。あれほどの年月をかけて、ここまで歩いてきたのに。

 

 ウンメーリアが半歩下がって、道を空けた。透き通った風が、丘の花を揺らして通り過ぎた。

 輪郭は、淡い光に溶けて定かではない。ただ、青い色彩と、聞き間違えようのない声だけが、まっすぐに届いた。

 

「やあ、フリーレン。久しぶり」




これで完結です。

やりたいことはやれたんじゃないかとおもいます。
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