銀髪美少女お嬢様(ワケあり)のホグワーツ生活実践編 作:トリスメギストス3世
カティア・アシュリーは、ギルデロイ・ロックハートが大嫌いだった。
あのピクシー小妖精による悲惨な大騒動から二度と教室に生き物を持ち込まなくなったロックハートだが、代わりに始まったのは自身の著書をただ朗読するだけの退屈な授業だった。
しかもタチの悪いことに、彼は本の中の特に劇的な場面を生徒に演じさせたがった。これがまた吐き気がするほど不愉快なのだ。
「ハリー、もっと大きく吠えて――そう、そうだ!」ロックハートは楽しそうに声を張り上げた。
「――そして皆さん、信じられないかもしれないが、私は飛びかかった。――こんなふうに相手を床に叩きつけた。――こうしてな!」
ふと横を見ると、ロンが絶句していた。
「――片手でなんとか押さえつけ、もう一方の手で杖を喉元に突きつけた。――それから私は残った力を振り絞り、非常に複雑な『異形戻しの術』をかけたのだ。――敵は哀れな呻き声をあげ――ハリー、さあ呻いて! ――もっと高い声で――そう、いいぞ!」
「良くないわよ……」カティアは呟いた。
「――毛が抜け落ち、牙は縮み――そいつはついに、ただの男の姿に戻ったのだ。簡単だが効果的だ。――こうして、その村は満月のたびに狼男に襲われる恐怖から救われ、私は永久に英雄と称えられることになったわけです」
クラス全員の前に引っ張り出されて情けない狼男役をやらされているハリーに、カティアは心から同情した。
これでも、今回はマシな方なのだ。前回の授業は『吸血鬼』がテーマだったのだがロックハートに散々自分の種族を馬鹿にされ、その授業から三日間、カティアは大荒れだった。自分が半吸血鬼であることに案外誇りを抱いていることを自覚させられたほどだ。
やがて終業のベルがけたたましく鳴り響くと、ロックハートは満足げに立ち上がった。
「宿題! ワガワガの狼男が私に敗北したことについての詩を書くこと! 一番よく書けた生徒には、サイン入りの『私はマジックだ』を進呈!」
隣の席を見ると、ハーマイオニーが何が何でもそのサイン本を手に入れると言わんばかりの目でロックハートを見つめていた。
この態度こそが、カティアの最大の悩みの種だった。ハーマイオニーはいまだにロックハートを『世界を救う偉大な魔法使い』だと信じていて、ハリーやロンがどれほど辛辣にこき下ろそうとムキになって庇うのだ。これは全員うんざりしていた。
しかし、男の子たちは呆れ果てるだけで済むが、同性のカティアはそうもいかなかった。
まず最悪なのが、ハーマイオニー、ラベンダー、パーバティの三人が夜な夜なベッドの中で『ロックハート先生のどこが一番素敵か』を小声で語り合うことだった。カティアはこれには大弱りで、四柱ベッドの天蓋の隙間から漏れる囁き声はカティアの安眠を著しく阻害するのだ。しかし女子寮で完全に少数派のカティアはその会議に文句も言えず、『へえ、そうなんだ』と最低限の相槌を打ち続けなければならなかった。
昨日などはハーマイオニーが、ラベンダーの持ち込んだ謎の占いで自分とロックハートの名前のアルファベットを数字に置き換えた結果、二人が前世からの運命の相手だと判明したという怪しげな報告をしてきたのだ。あまりに苛ついたカティアはかなり本気で喧嘩にしてやろうかと思ったが、何とか耐えた。その夜、ベッドのカーテンをきっちり閉めてメイベルに抱き着き慰めてもらったことは言うまでもない。
そして本日最大の被害者、狼男役を果たしたハリーが教室の一番後ろに戻ってきた。
「散々だよ……」
カティアとロンがハリーの背中を慰めるように叩いた。
「さあ、みんないなくなるまで待つのよ」
一方で、ハーマイオニーは紙切れを握りしめてぴりぴりしていた。
生徒たちがぞろぞろと教室を出て行くのを待ち、最後の一人が廊下に消える。満を持してロックハートのデスクに近づくハーマイオニーを、カティアたちは教室の後方から見守った。
「あの――ロックハート先生?」ハーマイオニーは口ごもった。「私、あの――図書館からこの本を借りたいんです。参考に読むだけです」
差し出した紙を持つ指先が緊張でかすかに震えている。カティアはハラハラした。
「これが『禁書』の棚にあって、先生にサインをいただかないといけないんです。先生の『グールお化けとのクールな散策』に出てくる、ゆっくり効く毒薬を理解するのに、きっと役に立つと思います……」
「あぁ、『グールお化けとのクールな散策』ね!」ロックハートは紙を受け取り、ハーマイオニーに輝くような笑顔を向けた。「私の一番のお気に入りと言えるかもしれない本だ。おもしろかった?」
「はい、先生」ハーマイオニーが熱を込めて答えた。「本当にすばらしいです。先生が最後のグールを茶こしで引っ掛けるやり方なんて……」
「そうね、学年の最優秀生をちょっと応援してあげても、誰も文句は言わないでしょう」
概ね順調だ。筆頭ファンのハーマイオニーはロックハートのお気に入りでもある。ロックハートはとてつもなく大きい孔雀の羽根ペンを取り出した。
「これはいつもは本のサイン用なんですがね。で、ハリー――」
大きい丸文字でさらさらとサインをしながら、ロックハートがハリーに話しかけた。
「――明日はシーズン最初のクィディッチ試合だね? グリフィンドール対スリザリン。君はなかなか役に立つ選手だって聞いてるよ。私もシーカーだった。ナショナル・チームに入らないかと誘いも受けたのですがね――」
ハリーは喉から曖昧な音を出していた。
しかし何にしてもサイン入り許可証は手に入った。廊下に出てからカティアは呆れて首を振る。
「今度マクゴナガル先生に聞いてみましょうか。ロックハートが、学生時代にどんなクィディッチプレイヤーだったのかをね」
「まったくだ」ロンが同調した。「だけど、あいつってそもそもどこの寮出身なんだろうな」
「スリザリンでしょ」カティアとハリーが同時に言った。
「いいえ、レイブンクローよ。『バッチリ船旅』に書いてあったわ」
「じゃあレイブンクローの大恥だ」ロンがばっさりと切り捨てた。「あいつは大嘘つきだよ。クィディッチのナショナルチームに誘われたなんて絶対にデタラメだ。僕の持ってる蛙チョコのカードを全部賭けてもいい」
ハリーとカティアはもちろん同意したが、ハーマイオニーは何か言いたげに口をもごもごさせた。
それから図書館でひと悶着あった末に黴臭い古い本を手に入れた。マダム・ピンスが睨み付ける中ハーマイオニーがそれをカバンにしまったのを確認し、全員でその場を離れる。
カティアは後ろの図書館を振り返って言った。
「ロックハートがいる今年のうちに、禁書をたくさん読んでおこうかしら」
「いい案だよ」ハリーが言った。「だけど、やりすぎたらピンスがマクゴナガルに何か言うかもな……」
五分後、四人は『嘆きのマートル』のトイレに再び立てこもっていた。
ここに来るのもリンゴの杖造りの時に慣れてしまった。カティアが杖を一振りして大きなテーブルを出現させ、ハーマイオニーが「最も強力な魔法薬」を大切そうに開く。
そして全員で染みだらけのページを覗き込んだ。
「……これが『禁書』行きな理由はよく分かったよ」ロンが呻いた。
体の表裏を反転させる魔法薬のページでカティアは顔をしかめた。
どういう技術から出身してどういう進化をすれば、こんなグロテスクな薬に辿り着くのだろうか。カティアと同じように薄目でページを眺めながらロンが続けた。
「入学したての一年生が何も知らずにこれを読んだら、うっかりホグワーツをやめちゃうかもしれないからな」
みんなで陰険な魔法薬に呻いている間も、マートルは自分の個室でうるさく泣き喚いていた。
しかしカティアたちはマートルを無視することに慣れ始めていたし、マートルもこちらを無視した。
「……さあ、あったわ。これよ」
ハーマイオニーが興奮した顔で『ポリジュース薬』という題のついたページを指さした。
他人に変身していく途中のイラストがあり、その表情がいかにも痛そうだ。しかしどうやら本当に他人の姿に容姿を作り替えることが出来るらしい。
「他人への変身……」カティアは警戒した。「いくらでも悪用できそうなものだけれど……」
一方でハーマイオニーは材料のリストを指でたどりながら、すっかり別の世界に入り込んでいた。
「こんなに複雑な魔法薬は初めてお目にかかるわ」
「ハーマイオニー、君なら作れるの?」ハリーが聞いた。
一目見るだけで、手順の煩雑さがこれまで授業で扱ってきた魔法薬と桁違いと分かる。
カティアは決して魔法薬学が苦手な方ではないが、この難易度は手が付けられない。
「出来ると思うわ」しかしハーマイオニーは自信ありげだった。
「だけど材料の方が問題ね。いくつかは生徒用の棚で手に入るけれど……二角獣の角の粉末や毒ツルヘビの皮の千切りはどこで手に入れたらいいか……。それに当然だけど、変身したい相手の一部も必要だわ」
「なんだって?」ロンが鋭く聞いた。「クラッブの足の爪なんか入ってたら、絶対に飲まないからね」
ハーマイオニーは何も聞こえなかったかのように話し続けた。
「それにこれって人間用の薬だわ。つまり――」ハーマイオニーがちらりとカティアを見た。
「……あれっ? 私は飲めないってこと?」カティアがため息混じりに先を引き取った。
「……ええ、まあ、そういうことになるわね。逆に言えば、誰かがカティアに変身することも出来ないわ」
「だったら良かったとはならないわ」カティアは眉をひそめた。「え、どうするの? 私抜きであなたたちがスリザリン生に変身して、マルフォイから話を聞きだすってこと?」
ものすごく心配になってきた。
ハリーたちの嘘や話術の腕がそれほど高くないことは共に過ごした一年以上でよく分かっている。
特にハーマイオニーは心配だ。てっきり自分がスリザリン寮に忍び込むものだと思っていたのにこれでは話が違う。
「……私、とっても不安だわ。考え直さない? やっぱり『開心術』で――」
「ダメ」ハーマイオニーが即座に割り込んだ。「あなたもそんなに得意じゃないのでしょう? 危険だわ」
しかし『ポリジュース薬』作戦は、それ以上に危険に見える。
グレゴリー・ゴイルの姿になったロンが口を滑らせたり、パンジー・パーキンソンに変身したハーマイオニーが罪悪感や緊張で挙動不審になっている姿が目に浮かぶようだ。
そわそわとハリーとロンを見て同意を募っていると、ハリーはまた別の心配をしていた。
「ハーマイオニー、どんなにいろいろ盗まなきゃならないか本当に分かってる?」
「もちろんよ」ハーマイオニーはツンと澄まして言った。
「毒ツルヘビの皮の千切りなんて、生徒用の棚には絶対にないよ」ハリーも必死だ。「まさかスネイプの個人用の保管倉庫に盗みに行くなんて言わないよね……?」
ハーマイオニーは本をピシャッと閉じた。
カティアは思わず空を仰いだが、目に映るのは染みだらけで不潔な天井だったため余計に気が滅入った。
「そう。みんなが怖じ気づいて、やめるって言うなら結構よ」
向き直ってみると、ハーマイオニーの目にはもはや危険な情熱が宿っていた。
「私は規則を破りたくはない。わかってるでしょう? だけどマグル生まれの者を脅迫するなんて、ややこしい魔法薬を密造することよりずーっと悪いことだと思うの―――」
ハリーがカティアを見て諦めたように首を振る。
大きなため息をついたカティアは両目を閉じ、ハリーとロンに向けて首を小さく縦に振った。その間もハーマイオニーは熱に浮かされたように話し続けている。
「―――でも、みんながマルフォイがやってるのかどうか知りたくないっていうのなら……」
「分かった。分かったってばハーマイオニー」ロンが降参した。
「分かったよ。やるよ。だけど足の爪だけは勘弁してくれ。いいかい?」
「それで、造るのにどのぐらいかかるの?」ハリーが話題を変えた。
「そうね、満月草は満月のときに摘まなきゃならないし、クサカゲロウは二十一日間煎じる必要があるから……材料が全部手に入れば、だいたい一ヵ月でできあがると思うわ」
「一ヵ月も!」ロンが声を上げた。「マルフォイはその間に学校中のマグル生まれの半分を襲っちゃうよ!」
しかしハーマイオニーの目がまた吊り上がって険悪になってきたので、ロンは慌てて付け足した。
「でも、いまのところそれがベストの計画だな。全速前進だ!」
――――――
カティアはメイベルを見下ろして命令した。
「メイベル、伏せ」
黄金色の尻尾をぶんぶんと振るメイベルは大興奮だ。
しかし躾の成果か、メイベルもどうにか“伏せ”の姿勢を取ってくれた。身体をぴょこぴょこと動かすため全体的に落ち着きはないが、これなら十分合格点だろう。
「よしよし、良く出来ました、メイベル!」
そわそわと身を伏せたまま、メイベルは期待に満ちた目でこちらを見上げてきた。
世界で一番可愛い犬と至近距離で目を合わせ、カティアは明るく聞いてみる。
「私は今からクィディッチの試合を見に行くの。メイベルも一緒に行きたい?」
脚をぱたぱたさせながらメイベルは飛び上がり、元気よくお手をした。カティアは大満足で首輪にリードを繋いであげる。
そんな談話室はすでにお祭り騒ぎだ。
グリフィンドール対スリザリンの一戦ということもあり、談話室の熱気は半端じゃない。あちこちで赤と金のマフラーが翻っていたし、上級生は大きなグリフィンドールの旗を担いで肖像画の穴を通ろうとしていた。壁際ではラベンダーとパーバティが顔にライオンの絵を描き合っている。
「賢くなったなあ!」傍で見ていたロンがメイベルを見て感心した。
それを聞いたメイベルは耳をぴんと立てて尻尾をいっそう激しく振る。
しゃがむロンにたくさん撫でてもらってはしゃぐメイベルが愛らしくて、カティアは目を細めた。まだまだ子犬の心を持つメイベルだが、人懐っこくて優しい彼女はすっかり自慢の愛犬だ。
「もう半年もしたら、スキャバーズとも遊ばせられると思うわ」カティアは言った。
「そりゃいいや。だけどその時までこいつが生きてるかな……」
ロンはこんもりと膨らんだローブのポケットを上から撫でて苦笑いした。
いよいよごった返す廊下に出ると、クィディッチ競技場へ向かう生徒の波に飲み込まれた。
赤と金、緑と銀の応援グッズが入り乱れ、どちらの寮の生徒も興奮気味に話し合っていた。メイベルは大勢の人間と足音と歓声に大興奮で、リードをぴんと張りながらカティアを前へ前へと引っ張って歩いていく。
「それで、さっきの伏せとかお手とかは全部君が教えたのかい?」ロンが聞いた。
「まあね」カティアは少し考えてから肯定した。「……最初はなかなか大変だったけれど」
同室で苦労を知るハーマイオニーがくすくすと笑う。最初は犬を飼うということ自体にも苦労したのだ。
そもそもメイベルはひどい寂しがり屋で一匹だけ取り残されるとパニックを起こしてしまう性格だ。しかしカティアには学校生活があるためずっと一緒というわけにもいかない。
もっと幼い子犬だった時は談話室にいる上級生へ世話を頼んだりして解決していたが、ある程度大きくなると毎日のようにお願いするのも難しいため別の手段を考えなければならなかった。
そこでカティアが思いついたのが、自分の枕をゴールデンレトリバーへと変身させる方法だった。
こうして生まれた魔法のレトリバー、通称『コットン』にメイベルの遊び相手になってもらうことにしたのだが、これがかなり上手くいった。
「私の『コットン』をロンは見たことがないんだっけ……?」カティアは何ともなしに聞いた。
「綿?」ロンが首を傾げた。「なんだい? ベッドの傍で綿花でも栽培しているのか?」
「そういうわけじゃなくて―――」
魔法のレトリバーがメイベルと留守番してくれるだけでも、カティアは相当楽になった。
更に、コットンはメイベルのお手本にもなってくれた。犬のルールは犬に教わった方が習得は早いものだが、強く噛みつけばきちんと叱ってくれるコットンはまさにその役割も果たしてくれた。
そんなコットンの説明をロンにしているうちに、あっという間にクィディッチ競技場へ辿り着いた。
成長してすっかり大きくなったメイベルを抱き上げて急な階段を登り、グリフィンドールの観客席で場所を確保する。ハーマイオニーとロンに挟まれてベンチに腰を下ろすと、ようやく一息ついた。
周囲の熱気に当てられたのか、メイベルは腕の中でそわそわと身をよじらせている。
眼下には楕円形の競技場が広がり、見上げれば見事な曇り空だ。カティアは日光に弱いため晴天よりずっとありがたいが、今にも雨が降り出しそうな空模様はそれはそれで心配だった。
「それで、ニンバス2001はそんなに速いの?」ハーマイオニーがスリザリンの席を横目で見ながら切り出した。
「速い」ロンは苦々しい声で答えた。「ニンバス2000の後継だ。しかもスリザリンチーム全員が乗ってる……」
「でも勝てるわよね? ハリーだもの!」
そう言いながらも、ハーマイオニーはかなり心配そうだった。
普段はクィディッチに興味のないハーマイオニーも、実際の試合となれば話は別だ。散歩がてらクィディッチの練習を見学しに行くことも多いカティアはなおさらで、ハリーがどれほどの努力を重ねてきたかを知っている以上、何が何でも報われてほしい。そもそもマルフォイにクィディッチで負かされるなど、想像するだけで腸が煮えくり返りそうだ。
「もちろんさ、ハリーなら楽勝だ!」ロンは元気よく言った。「要は、ハリーがさっさとスニッチを捕まえてくれれば済む話なんだ。点差なんて関係ない!」
裏を返せば、クアッフルによる純粋な点の取り合いには期待できないということでもある。
ニンバス2001が七本というのはそれほど圧倒的だ。全員が最速の箒に乗るスリザリンに押し切られる前に、ハリーがスニッチを捕まえるしか勝ち筋はない。選手もマクゴナガルも含めたグリフィンドール陣営の全員が同じことを考えているはずだ。
「マルフォイってどれぐらい飛べるのかしら……」
「どうせ大したことないよ」ロンがそうあってほしいと言わんばかりに即答した。
はるか向こうの入場口から選手たちが姿を現した。
赤のローブが列をなして競技場の中心へ進み出る。最後尾近く、小柄なハリーの姿は広大な競技場の中でなおさら小さく見えた。
「頑張れ、ハリー!」ハーマイオニーが大声を出した。
あちこちから声援が飛ぶ一方、緑の観客席からは盛大なブーイングが巻き起こる。
歓声と野次が渦を巻き、競技場全体が震えるような熱気に包まれていく中、審判の笛が鋭く鳴り響いた。十四本の箒が一斉に空へと飛び立ち、競技場を揺るがすほどの歓声が轟く。
しかし試合が動き出して一分も経たないうちに、ニンバス2001がいかに恐ろしい箒かをカティアたちは思い知らされた。グリフィンドールの選手は防衛的な布陣を引いて精一杯に時間を稼いでいたが、健闘虚しくスリザリンのチェイサーたちが着々と得点を重ねていく。
「ハリー、早く、早く……」あまりの惨状にロンが呻いた。
焦るカティアはメイベルに抱き着いたまま上空のハリーを目で追い続けた。
しかしそこでカティアは、クアッフルの心配をしている場合ではないことに気がついた。
「ねえ」ハーマイオニーも気が付いた。「あのブラッジャーはどうしちゃったのかしら?」
二つある黒い球の片方が、ハリーだけを執拗に追い回している。
フレッドとジョージが何とか引き離そうとするが、何度遠ざけても他の選手などお構いなしにハリーへと向かっていくのを見てカティアは絶句した。
「いや、そんなはずはない」ロンが青ざめた顔で言った。「ブラッジャーは一番近い選手を無差別に攻撃するはずだ。あんな動き方は――」
「―――誰かに攻撃されている?」
ブラッジャーがハリーを撃墜しかけるのを見ながらカティアは両手を組んだ。
「また去年みたいなことが起きているの?」
「はやく試合を中止にしないと!」ロンもカティアと同じくらい焦っていた。
ハーマイオニーは恐怖に染まった顔で、壊れたブラッジャーに猛追されるハリーを見上げている。
そこへ雨が降り出した。ふさふさのメイベルがあっという間にびしょびしょだ。雨は瞬く間に豪雨へと変わり、競技場が霞んで試合の全貌が見えなくなった。そんな中、解説者のリー・ジョーダンの声だけが容赦なく響いた。
「スリザリン、リードです。六〇対〇」
スネイプが小細工でもしたのかと、カティアは一瞬疑った。
しかし教員席を見ると、ちょうどマクゴナガルが猛烈な勢いでスネイプに掴みかかっているところだった。スネイプではないらしい。
そこから先は更に滅茶苦茶だった。
豪雨で視界はほぼ利かず、上空で何が起きているのかもほとんど分からない。カティアはかなり本気で問題のブラッジャーを直接破壊することを考え始めていたが、こういうのは本来審判の仕事のはずで、カティアが勝手に動けば試合そのものが無効になりかねない。しかし躊躇っている間に事態は刻一刻と悪化していく。
見えない空を睨みつけていると、ふわりと甘い薔薇の香りが漂った。
「何を見ているの?」
甘い声。振り返る間もなく気がつけば、カティアの真後ろに“それ”はいた。
両肩に手が置かれた瞬間、まるで金縛り術でも掛けられたかのように全身が動かなくなる。首を回そうとしても回らない。立ち上がろうとしても立ち上がれない。指一本すら、カティアの思い通りに動かせなかった。
眼球だけを必死に動かすと、両隣のハーマイオニーとロンが蒼白な顔で試合を見上げているのが分かった。
二人とも隣でカティアが凍り付いていることに全く気が付いてない。豪雨と歓声の中で、カティアの世界だけが切り取られたように沈静化していく。
「愛しいカチューシャ。魔法使いのお友達が出来たのね」
“それ”はカティアの耳元でそっと囁いた。
後ろを振り返れなくても、カティアはこの声を知っていた。蕩けるように甘くて、ガラス細工のように繊細で、それでいて木漏れ日のようなこの声は——。
「今夜はね、この栗色の髪の女の子から目を離したらダメよ。分かった?」
次の瞬間、何千人もの大歓声と豪雨の轟音が一気に戻ってきた。
始まりも唐突だったが終わりも大概だった。肩に置かれた手の感覚が消える。カティアは弾かれるように立ち上がって後ろを振り返るが、そこにいるのはよく知らないグリフィンドールの男子上級生だ。
完全にクィディッチの興奮に完全に熱中していて、今しがたカティアの背後に何かがいたことにすら気がついていない。
雨が顔を叩く。腕の中のメイベルは試合の熱気で大はしゃぎだった。
「……………お母様……?」
震える声は豪雨に呑まれて、誰にも届かなかった。
周りにたくさん人はいるのに、カティアはずっとひとりぼっちだった。
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