IS <インフィニット・ストラトス> ヘカトンケイルの名を持つ者 作:一ノ原曲利
―ガラガラガラ!!
リノリウムの病院の廊下を、車輪付きのストレッチャーが忙しなく走る。ストレッチャーに掛けられた白いシーツは膨大なアカで濡れ、患者の傷の深刻さを伝えていた。
―――患者の名前は織斑希空。当時中学2年生。
消失した左腕の付け根は、何重にも巻かれた包帯でも止血しきれなかった。傍らにいる看護師の手にはビニールに包まれ氷水に浸けられた左腕が抱えられている。右目も陥没した上を包帯とガーゼで押し当てようにも、脳に損傷が見られたため素手で処置するのは困難だった。
「患者Eye opening2!! Verbal response4!! Motor response1!!」
「血圧70/44!! 脈拍73!!」
「止血出来ません!! ガーゼ20枚!!」
「ルート確保!! セルシンワンショット!!」
「ドレナージセット頼む!」
「CTはまだか!?」
「左腕完全断裂をおこしている!! 接合手術の準備だ!」
「6時間以内にオペをしなければ危ないぞ!! 何時間経過している!?」
「約3時間だそうです!!!!」
サイドには数人の看護師達が、ストレッチャーに横たわる重傷患者に衝撃を与えないよう、しかし早く引いていく。その中で、1人看護師ではない少年が、重傷患者の右手を握っていた。
―――少年の名前は織斑一夏。当時中学1年生。
「希空兄!! 希空兄!!」
「……、…ちか……」
「死ぬな!! 死ぬんじゃねぇぞ希空兄!!」
「…そ、ね……一夏の…結婚式……まだ見て無いし……」
「お前こんな時に何言ってんだよ!?」
「……ね、ぇ……一夏に………頼みがあるん、け…ど……」
「…こんな時に馬鹿抜かすなよ?」
希空の意識を保たせようと、ぎゅっと残された右手を一夏は握った。小さく「痛いよ」と言いながら、涙目の一夏を見上げた。
「……日本に帰っ、ら…さ………リンリン…とか、…ランラ…ダン、ン……みんなに……言、て………」
「な…何てだよ……」
「……海外留学したって………」
「!?」
一夏は、自分の耳を疑った。
海外留学。確かに頭が良い希空なら、時期外れとはいえみんな信じるだろう。だが真実を知っている一夏には、最悪の言葉でしか無かった。外国へ行く、姿を眩ます、それはつまり希空は日本に帰って来れな―――
「ッッッッッざけんなっっっ!!!!!!」
病院だろうが知ったこっちゃない。一夏は血塗れの希空に激昂した。
「ふざけんなよ希空兄ィ!! 誰がンなこと言うかよ!! 日本には…希空兄を待ってる人が沢山いるんだぞ!!」
「……僕は、一夏だから………最高の弟の……一夏に頼んだ……だから………!!」
「!!」
―ピーッ!! ピーッ!!
「!? 出血、抑えられません!!」
「心肺弱まってます!!」
包帯に巻かれた右目からどろりと血が溢れた。ところどころに砕けた骨が入り交じり、看護師が懸命に摘出に取り組んでいる。
「……頼む………!!」
「ッッッ!! ……わかった、………伝えてやるよ…!」
「……あり、がと……」
「ただし!! 絶対日本に帰って来い!! そんでもって……自分で事情を話せ!! 特に鈴には絶対だ!!」
「………な、んで…そこでリンリ……?」
「いいから!!」
日本を出る前、空港のロビーで手を振っていた鈴の姿が脳裏を過る。一夏にはわかっていた、鈴は希空に何か特別な想いを寄せていると。その鈴に、希空が留学したなんてことを言ったら絶対泣くと。
「…………わか、た…」
「言ったな希空兄!! 約束だからな!!」
「緊急オペ室に入ります!!」
「オイ麻酔足んねぇぞこっちにも寄越してくれ!!」
「無理ですよ先程の事故で使ってしまってるんで…!!」
「キミ!! もう同行はここまでだ!!」
「あっ!?」
体を抑えられ、一夏は握っていた手を離した。離してしまった。視線の先で、希空の右手が虚空で揺れる。
「くそっ…!! 約束したからな希空兄!! 絶対守れよ!!」
看護師に押さえ付けられながら、一夏は遠ざかっていくストレッチャーに叫ぶ。オペ室に入る直前、希空の右手が小さく一夏に振っていた。そして力尽きたようにパタリと倒れると同時に、オペ室の扉が閉ざされた。
「希空兄いいいいぃぃぃ!!!!!!!!!!」
―これが、今からおよそ3年前の話である。
「(……あれからもう、3年も経つんだな……)」
雀の囀りが響き、カーテンの隙間から朝日が差し込む寮室で、一夏は目覚めた。
昨晩希空とあんな話をしからからこんな夢を見てしまったのだと思う。 ベッドの上で大きく伸びをした一夏。眠気を覚まし、ふと隣のベッドを見ると、規則正しく寝息を立てる相部屋の幼馴染み、箒がいた。起きている時には絶対見せない、無垢なあどけない寝顔を見た一夏は僅かに頬を緩ませた。
「(……守んなきゃな。箒も、セシリアも、鈴も、希空兄も、千冬姉も……みんなも)」
かつて己が招いた悲劇。あの頃は力が無かったが、いまは力がある。
ISという、力が。
改めて胸にその決意を刻んだ一夏は、朝日溢れるカーテンを開けた。さぁ、学校だ。
この数時間後、クラス対抗戦の相手が守る対象である鈴と決まり、
「きいいいいぃぃぃそおおぉぉぉぉらああああぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
「おごっ!?」
一夏、箒の2人と今度のクラス対抗戦のトーナメント表が掲示された液晶掲示板を眺めて呆けていた
まず、鈴が憤怒の形相で走って来る。
次に、自分達の数歩手前で右ストレートを振りかぶる鈴。
鈴の怒号に反応しかけた一夏の肩を希空が引っ掴み、自分と鈴の間に滑り込ませる。
鈴の右ストレートが
――以上が、3秒の間に起きた全貌である。
「いっ、一夏あああ!?」
「全く、朝から熱烈歓迎的挨拶だねーリンリン、おはよー」
「うっさい!! アンタ、昨日何したかわかってんの!?」
「えー? ……確かー知らない間にー僕の部屋に忍び込んでーそんでもって布団の中にくるまってたリンリンを通ほ――」
「ちょおおおおっと待てェェェェェ!?!?!? なっ、なっ、何でそこまで知ってんの!? てか何でそこばっかりワザとらしく大声で言うのよ!?」
「あ、そうだったんだー」
「……しまったー!!!!」
鈴がツインテールを振り回して唸ったが遅い。希空の天然成分配合の鎌掛けは以前以上に磨きが掛かっており、鈴は見事引っ掛かった。既に周囲には昨晩のことは知られてしまい、「うっそ、もうそこまで進展してるの!?」だの「やっぱり代表候補生は格が違うわ格が!!」だの「手をつけるの早いわね転校生!!」だのあられもない(一応事実)噂が飛び交う。
朝っぱらから出鼻を挫かれた鈴は混乱状態に陥るが、伊達に3年前まで希空といた訳では無い。希空とはかなりの時間付き合ってきた。従って希空が自分のペースに引き込もうという魂胆は目に見えてる。鈴は何度も自分の頬を叩き、目覚めた。
「ッッ……!! 賭けよ!! もしクラス対抗戦で一夏に勝ったらアンタが隠してること全部洗いざらい吐きなさい!!」
「却下」
「即答!?」
「一夏に勝ったらだって? ははは、冗談が過ぎるってー。仮にもリンリンは中国代表候補生、1年生のトーナメントくらい頂点に立って貰わないとねー」
「はあああぁぁ!?!?」
絶叫する鈴。ツインテールが感情を持ったようにバタバタ振れてるのがかわいいなぁーと場違いな感想を述べながら、希空は鈴の一撃から復活した一夏を一瞥する。
箒の肩を借りて立ち上がった一夏は、至極複雑そうな表情で希空達を見てる。
「そもそも一夏は今回はリンリンサイドらしいしね。万が一手加減でもされたらーってこともあるしー?」
「(チッ…読まれた…)」
流石は希空。
頭脳戦において右に出る者はいないんじゃないかと思う。
鈴の唯一の突破口は一夏。手加減をしてもらうつもりは無いが、それでも負ける気がしない。例え、希空の手解きを受けていようと。だから、ここで引き下がる訳にはいかない。
「……ふーん。そう言えば希空、一夏に『学園一になれ』とか言ったんだって?」
「……そうだけどー?」
「じゃあ、1年生大会くらいザラよね」
「そうだねー、まぁ1年生くらいは圧倒して貰わないと」
「(うわー…俺、話の中心なのに入り込めねぇ……)」
知略謀略当たり前、裏書き読み合い探り合いと激しい頭脳戦を前に、一夏と箒は入り込む余地さえ無かった。
「じゃあ別にいいじゃない。私が一夏に勝ったら教える、それでいいでしょ。そもそも出場する1年生の中で強いのって私だけでしょ?」
「4組に専用機持ちいるけどねー」
「………へぇ、それで?」
ピコン。
鈴のツインテールが鎌首をもたげたように跳ねた。キレかかっている証拠だ。
「その子、僕にISの開発を申し掛けてるんだけどねー。一夏とその子に勝ったらにしないー?」
「もしその子が私と戦う前に負けたらどうするのよ? って、そもそもその子のISが出来なきゃその賭け成り立たないわよね」
「出来るよ」
キッパリと、希空は断言した。その言葉に鈴は、一夏は、箒は思わずたじろいだ。自信――なんてものじゃない。虚勢でも無い。そこには、確固たる実力を備えた整備師がまっすぐな眼差しをしていた。
『ヘカトンケイル』。
希空がそう囁かれる力の、その片鱗を垣間見た気がした。
「……まぁ、まだ本人から正式に協力願い来てないんだけどねー」
「「「……え?」」」
「いや、だからまだ本人が僕とISを造るって意思表明出てないのさ。って訳だから、もしその子がIS作成の協力を申し出て、トーナメントも勝ち抜くんなら、一夏とその子に勝つこと。そしたら教えたげるよー」
「……言ったわね?」
ニヤリ、と鈴は口の端を歪めた。
少なくとも鈴からすれば希空が提示した初期条件よりは難易度が低い。初戦で一夏を倒せればセーフティ。更に勝ち上がった専用機持ちの子を倒せればクリア。そもそも、鈴には自分が誰かに負けるなんて、微塵も思っていないが。
「乗ったわ、その賭け」
「じゃーリンリンが負けたら1日僕のメイドさんねー」
「はぁ!?」
格好良く踵を返そうとした鈴がすっとんきょうな声を上げた。
え、何? 今希空何つった!? というような形相で。
「えー、だって僕だけなんてフェアじゃないじゃん。因みに授業中もメイド服だから。あ、別にチャイナドレスでもいーよー?」
「いーよー? じゃない!! ……まさかアンタ私にそんなプレイを……!?」
「……? で、どーする?」
「ぐぬぬぬぬ……!!」
勝てば希空の真相を掴める。
負ければ屈辱な1日メイド。
いや、別に後半はそこまで悪くも……と変な思考へ行きそうになる頭を鈴は引っ叩く。
「(希空め…なんて条件を突き出してくるのよ……!! いや…でも私が勝てればいいんだ。全て私が勝てば問題無いわ!!)」
「巻きますか? 巻きませんかー? ……じゃないか。やっぱりやめる? やめちゃいますー?」
「ハッ!! 冗談言わないでよね!! いいわよ、これで交渉成立……覚悟しなさい希空!!!! 一夏!!!!」
「オーケイオーケイ」
終始、鈴からの一方的な殺意の籠った視線に希空は肩を竦め、2人共互いに踵を返して別れた。
「………つか、俺の意思は関係無いのか……」
「………一夏」
「ん?」
2人の背中を見つめていた箒はポツリと呟く。
「………希空が隠していることとは、何のことだ?」
「…………あー…」
しまった、と思った時にはもう遅かった。