■■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。   作:あばなたらたやた

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第一章:並び立つ者
一話:皇帝①


 

 

 俺はたまたまその場にいただけだった。

 トレーナーに力を見せる選抜レースが終わり、シンボリルドルフが「私は強さを示した。私と共に歩む者は名乗り出て欲しい」と静かに告げた。

 

 その瞬間、トレセン学園に微かな緊張が広がったような気がした。彼女の紫の瞳は凛として、焦げ茶のロングヘアーに落ちかかる三日月のような白いメッシュが、太陽の下でかすかに光を反射していた。

 

 皇帝——そう呼ばれる彼女の言葉は、重みがあった。重いというより、どこか静かで、まるで古い時計の針が一秒ずつ刻む音のように、ゆっくりと胸に響いてくる。

 

 周りのトレーナーたちは明らかに動揺していた。

 

 シンボリルドルフは強い。あまりにも強い。

それを勝たせられないと無能だと判定されるのではないか——そんな不安が、彼らの顔に薄く影を落としていた。

 

 誰もが彼女の隣に座るのを遠慮し、空席が目立つ。

 俺もその一人だったはずだ。ただ、興味本位で様子を見に来ただけ。特別な覚悟など、何も持っていなかった。ところが、彼女の視線が、ふと俺の方に向いた。

 

「君も、候補の一人か」

 

 彼女はそう言った。穏やかだが、迷いのない声で。

 俺は少し驚いた。

 スカウトするトレーナー候補? 俺が? たまたま見に来ただけなのに。まるで、通りすがりに古いレコード屋に入ったら、思いがけない一枚のジャズ盤が手元に残っていたような気分だった。

 ただ、その瞬間、俺はそこに立っていた。他のトレーナーたちは、次々に前に出た。

 

「強くする決意があります」

「共に歩む覚悟を、必ず示します」

 

 そんな言葉が並んだ。みんな真剣だった。

 彼ら彼女たちはベテランだったので、利口な頭でシンボリルドルフと歩む三年間の計画を練り、勝利のための戦略を頭の中で回しているのが、なんとなく伝わってきた。

 

 シンボリルドルフは静かに頷いた。

 

「ありがとう。では皆には三日後、なんらかの形にして示してほしい」

 

 彼女の声は、穏やかな湖の水面のように落ち着いていた。でも、その奥に、かすかな期待のようなものが混じっている気がした。

 その理由は、俺にはよくわからなかったが。

 

「……」

 

 俺は何も言わなかった。 ただ、そこに立って、彼女の紫の瞳をまっすぐに見つめていた。

皇帝として皆を導く彼女。

 

 完璧を求め、己を規範に据えながら、実は周囲の遠慮や空席を、内心で気にしているのかもしれない。

 そんな彼女が、俺のような何の準備もない男を、候補に含めた理由が、少しだけ気になった。

 

 二日目、夜。

 俺はまだ、何をどう示せばいいのか、よくわからなかった。

 強くする決意か。共に歩む覚悟か。 それとも、ただ彼女の横に、恐れずに座ることか。

 

 コーヒーを飲みながら、そんなことをぼんやり考えた。 外はまだ薄暗くて、朝の光がゆっくりと世界を染め始めていた。

 俺はカップの底に残ったコーヒーを飲み干して、立ち上がった。

 どうなるのかは、まだわからない。 でも、俺は、シンボリルドルフの隣にいることにした。 たまたま見に来ただけだったのに、なぜか、そうすることにした。

 

 シンボリルドルフの三日月のような白いメッシュが、頭の片隅に残っていた。

 俺は目的に向かって歩き始めた。 不完全なまま、彼女の言葉の意味を、少しずつ確かめながら。

 

 それが、今の俺にできる、たった一つのことのように思えたから。

 

「シンボリルドルフの心を射止めるものは何か——」

 

 俺はそれについて、ずいぶん長い間考えてきた。

 カフェのカウンターでコーヒーを飲みながら、または夜中にベッドに横になって天井を見つめながら、ぼんやりとそのことを思い浮かべていた。

 

 彼女の紫の瞳や、三日月のような白いメッシュが、ふと頭の片隅に浮かぶたび、胸の奥が少しだけざわつくような気がした。

 

 彼女は「皇帝」として頂点に立ちながら、決して独善的ではないよう努めている。現実は置いておいて、そうありたいという話だ。

 常に「己が正しい規範となる」ことを自らに課し、エゴイストではなく、ウマ娘全員が笑顔でいられる世界を本気で目指す理想主義者だ。 だから、彼女の心を動かすものは「強さ」でも「忠誠」でも「華やかな言葉」でもない。

 

 そんなものは、彼女の周りにいくらでも転がっている。みんなが彼女を畏れ、遠巻きに見つめ、拍手を送る。でも、それらは結局、彼女の孤独を深めるだけのように俺には見えた。

 

 彼女の心を射止める唯一のものは『彼女の夢を、自分の夢として本気で背負い、共に歩む覚悟を、言葉ではなく行動と存在そのもので示す者』だと俺は思う。

 

 具体的に言うと、以下の要素が揃ったとき、彼女の心は初めて大きく揺らぐと考えた。

 

【条件:1】

 

 彼女の孤独を、恐れずに受け止めること。

周囲が「凄い人だから」と遠慮して、空席ばかりになるのを彼女自身が一番気にしている。

食堂で彼女の隣に自然に座り、「一席空けて他の子も座れるように」とさりげなく配慮しながらも、決して引かない姿勢。

「皇帝だから」ではなく、「シンボリルドルフという一人のウマ娘として」接する——そんな当たり前のことが、意外と彼女の胸に深く刺さるんじゃないかと思った。

俺はただ、彼女の横に座って、静かにコーヒーを飲む。それだけで十分かもしれない。

 

【条件:2】

「ウマ娘達が笑顔でいられる世界」という遠い夢を、ただの美辞麗句ではなく、自分の生きる目的として共有すること。

他のトレーナーたちが提出した三年間のトレーニング計画や、レースに勝つための完璧な戦略は、確かに立派だろう。 でも彼女が本当に求めているのは、そういう「勝つための計画」ではない。

勝った先で、皆が本当に笑顔になれる世界をどう作るか——彼女と同じ地平線を、静かに、しかし本気で見つめている者が欲しいはずだ。

俺はそんな風に思った。夢を共有するというのは、結局のところ、夢について語り合いながら毎日を一緒に歩くことなんじゃないか。

 

【条件:3】

 

 完璧を求め続ける彼女に、完璧を強要せず、共に「足りない部分」を埋めていく覚悟を見せること。

 

彼女はいつも「完璧完全足らんと努力を惜しまない」。

だからこそ、彼女の心を射止める者は「私はあなたを完璧に仕上げます」などと上から言うのではなく、 「あなたが目指す理想に、私も全身全霊で足りない部分を埋めていく」と、対等なパートナーとして並び立つ姿勢を示す。

彼女が一人で背負ってきた重荷を共に背負う。不完全であることを前提に、完璧を目指す。

 そんな覚悟を、言葉じゃなく、ただそこにいることで伝える。

 

 要するに——彼女は「強いトレーナー」を求めているのではない。

 

 彼女は「自分と同じ夢を見て、同じ方向に全力で走ってくれる同志」を求めている。 そしてその同志が、彼女の皇帝としての威厳に怯まず、ただ一人のウマ娘として彼女の孤独に寄り添ってくれることを、心の底で切望している。

 

 だからこそ、三日後に提出された計画の中で、 「レースに勝つ」ことだけでなく、「シンボリルドルフと共に、ウマ娘全員が笑顔でいられる時代を創る」という明確な意志と、具体的な行動計画が書かれていた者が、 彼女の紫の瞳に、初めて「皇帝」ではなく「一人のウマ娘」としての光を灯すだろう。

 

……それが、シンボリルドルフの心を射止めるものだ。

 

 俺はそう想像しながら、窓の外に目をやった。 外はまだ薄暗くて、朝の光がゆっくりと世界を染め始めていた。

 コーヒーの残りがカップの底に少しだけ残っていた。

 俺はそれを飲み干して、立ち上がった。

 彼女の横に並んで歩く日が、いつか本当に来るのかどうか、まだわからない。 でも、俺は歩き続けようと思った。

 不完全なまま、彼女の夢を自分の夢として背負いながら。 それが、今の俺にできる、たった一つのことのように感じられたから。

 

 

 三日後。

 シンボリルドルフの前でのトレーナーとしての決意表明の日。

 俺は言う。

 

「シンボリルドルフ」

 

 伝える必要がある。俺の言葉と想いを。

 

「俺は『ウマ娘が笑える世界』というプランを用意してきた」

 

 しかし、そのプランをシンボリルドルフに伝える前に、はっきりさせておきたいことがある。

 

「このプランの、絶対的な前提であり、基本中の基本は——君、シンボリルドルフが笑えることだ。なぜなら、君はウマ娘なんだ。自分が心から笑えない人間が、どうやって他のウマ娘たちを本当の意味で笑顔にできるというんだ?」

 

 それは不可能だ。いや、可能だったとしても、それは理想の形とは程遠い暴君の管理社会に成り果てる。だからこれは「君が笑って、君が全力で頑張った結果、みんなが笑顔になれる」プランなんだ。

 

「正直に言う。 このプランはまだ不完全だ。いや、不完全と呼ぶのもおこがましいくらい、粗削りで穴だらけかもしれない。でも、それでいいと思ってる」

 

 不完全でも、未完成でも、未熟で、愚かでも。

 

「なぜなら、この不完全な理想世界創生プランをこれから俺と君、二人で磨き上げて、練り上げていくんだ。 不完全でありながらも、完全を目指し続ける」

 

 理不尽で不完全で歪むんだ世界の条理に完璧などあり得ないだからこそ、今より善い世界を目指して、世界のアップデートする行為に本気で立ち向かっていく。

 敗北することもだろう、悩むことも多いだろう。折れて、歪み、目指すべき方向を見失う可能性は存在する。でも、止まることはあり得ない。

 

「俺は君の相棒になりたい。 皇帝として皆を導く君の横に、対等に並んで走る存在として」

 

 君が一人で背負ってきた重荷を、半分、俺が肩代わりする。 君が笑える世界を、俺も本気で目指す。

 君が笑ったその先に、すべてのウマ娘が笑顔でいられる未来があると信じて。

 

「だから—— シンボリルドルフ。 俺と一緒に、この道を征こう」

 

 言葉を吐き出したあと、俺は少し息を整えた。ざわめきが遠くに聞こえるような気がした。彼女の紫の瞳が、静かに俺の顔を捉えていた。

 あの三日月のような白いメッシュが、わずかに揺れた気がした。俺の胸の奥で何かが小さく震えていた。

 

 彼女はいつも完璧を求め、己を規範に据え、周囲を遠ざけながらも、本当は誰もが笑顔でいられる世界を夢見ている。

 

 皇帝としてではなく、一人のウマ娘として、ただ笑いたいだけなのかもしれない。そんな彼女に、俺は不完全なままのプランを差し出した。

 

 不完全であることを認め、二人でそれを磨いていくしかないと告げた。

 それは少し危うい賭けのようにも思えた。ただ、俺はそう感じただけだ。彼女が笑えるかどうかが、すべての始まりだと思ったから。

 

「君が笑えないままでは、何も始まらない」

 

 そんな単純で、どこか切ない理屈を、俺は本気で信じていた。

 彼女が何と言うか、俺はまだ知らない。 ただ、紫の瞳の奥に、かすかな光のようなものが宿ったように見えた。

 いずれにせよ、俺ここに立っている。

 彼女の横に、相棒として並ぶために。

 それだけが、今の俺にできることだった。

 

「そうか……ありがとう。皆の言葉は私の胸を打ったよ。よく見させて欲しい。三人の努力を」

 

 トレーニングプラン、レースプラン、そして創生プランを見て、シンボリルドルフは私の前に来た。

 

「私は彼と歩もうと思う。同じ視座に立ち、私の理想の不完全や未熟さを見抜いた上で、共に立ち向かうと告げてくれた彼に」

 

 他のベテラントレーナーは祝福してくれた。彼らは自分にはない視点だったと、己の未熟を顧みる姿勢すらあった。

 

「さぁ、契約の時だ。トレーナーくん。私の名はシンボリルドルフ。皇帝として、ウマ娘に安寧をもたらす者となる。汝、我が覇道を共に歩む者か?」

「肯定する。俺達は天地開闢に至るもの。神を撃ち落とし、皇帝が敷く法を、世界の安定の玉座として支える者なり」

 

 こうして皇帝シンボリルドルフと俺の契約は成された。

 

 

 

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