■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
メジロラモーヌが、文字通り全てを置き去りにしてターフを駆け抜けた。
「満足」
戻ってきた彼女が零したその一言は、短くも絶対的な肯定だった。
一方的、かつ絶望的なまでの実力差。出走していたのはデビューを控えた優秀なウマ娘たちだったはずだが、彼女の前では路傍の石に等しかった。観客席から沸き起こる声は、称賛というよりは困惑と恐怖に近い。
「バカな、ありえない」
「修正が必要なレベルだ」
「あの子、やりすぎたわね……」
周囲のざわめきをよそに、ラモーヌが優雅な足取りで俺の元へ戻ってくる。俺は無言で右手を挙げた。
彼女は当然のように、勝利の熱を帯びた掌を俺のそれに打ち付けた。
「愛は示せたか?」
「ええ。でも、これは序章に過ぎないわ。私の心は、もっと激しく燃えているもの」
その瞳に宿る烈火を見て、俺は確信する。彼女に「加減」などという言葉は無用だ。
「そうか。なら、君がその愛をぶつけるに相応しい舞台と面子を揃えるのが、俺の仕事だな。練習メニューは君の好きにしろ。託された『データ』を使いこなせない君じゃない」
「貴方は私のトレーナーでしょう? 指導はしなくていいのかしら?」
「手続きは抜かりなくやるし、君が道を見失えば指摘もする。だが、一方的な蹂躙劇は君だって退屈だろう。雑魚狩りに、君の言う『愛』は宿らない」
ラモーヌは、今日一番の深い笑みを浮かべた。
「ええ、その通りよ。至高の愛には、等価値の試練が必要だわ」
彼女の納得を確認し、俺は次の布石を打ちに動くことにした。
◆翌日◆
目の前の信号が赤に変わる。それだけではない。視界に入る全ての信号が、まるで俺の行く手を阻むように赤に染まっていった。
ふと横を見ると、青ざめた顔で俯いている少女がいた。
「久しぶり、ライスシャワー」
声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「え、あ、あの時の……トレーナーさん」
「よく会うね。信号、全部赤になってて少し君が近くにいる気がした」
「……うん。ライスのせい。ごめんなさい」
彼女は消え入りそうな声で謝罪する。だが、俺が求めているのは彼女の謝罪ではない。むしらこれは幸運だと判断する。
「気にしなくていい。むしろ君に会えたのは幸運だ。少し喫茶店に寄らないか? 君にお願いしたいことがあるんだ」
喫茶店の隅の席。温かい飲み物を間に挟み、俺は切り出した。
ライスシャワー。
彼女は模擬レースに登録しながらも、一度も出走していない。その理由は手に取るように分かる。
「レースに出ると、みんなが不幸になる……そう思っているんだね?」
ライスシャワーは、見えない何かに怯えるように肩を震わせ、静かに頷いた。
「トレーナーさんは、ライスの心が読めるの?」
「いいや。ただ、君が何を『選び』、何に『納得』しようとしているかは、見ていれば分かる」
俺の信念はシンプルだ。人生において最も重要なのは、結果の良し悪しではない。
自分がその道を選んだという自覚と、その結果に対する納得があるかどうかだ。
「ライスはどうしたらいいと思う? もう、自分が分からないの」
縋るような瞳。俺は、彼女に甘い慰めを与えるつもりはなかった。それは彼女の人生を奪う行為に等しいからだ。
「極端でパワフルな解決策なら、一つある。君がそれを成せるかどうかは別だがね。……君が不幸を呼ぶのが避けられないなら、その不幸を上回るだけの幸運を、周囲に提供すればいい。不幸だけど、それを上回るほど幸せだった。そうやって無理やりバランスを取るんだ」
「そんなこと、できるのかな……」
「できるさ。人は物語(エピソード)に弱い。不幸な宿命を背負った少女が、血の滲むような努力で幸せを掴み取る。その過程を見せれば、中立な人々は皆、君を応援したくなる。それは戦略的なプロデュースが可能だ」
ライスの顔が、複雑に歪んだ。
これは彼女のアイデンティティに対する残酷な攻撃だ。彼女はこれまでも、不幸の中で必死に頑張ってきたはずだ。
そこに現れた余所者が「努力の方向を変えれば解決できる」などと言う。それは、彼女のこれまでの苦闘を否定することになりかねない。
俺が口にしたその言葉は、ライスにとっての救済であると同時に、彼女のこれまでの人生を根底から否定する「暴力」に等しいものだった。
自分で自分の言葉の鋭利さを自覚しながら、俺はその反応を冷徹に、そして痛切に観察していた。
努力の「無価値化」という恐怖。
ライスシャワーというウマ娘は、これまでずっと「不幸を振りまかないように」という、報われない努力に心血を注いできたはずだ。
周囲を傷つけないために自分を削り、一歩引いて、耐えて、耐えて……その「耐えること」こそが、彼女にとっての誠実さであり、アイデンティティだった。
そこに現れた俺が、「発想を変えればいい」と軽々しく言ってみせた。
それは彼女にとって、「今まで君が血を吐く思いで積み上げてきた『我慢』や『配慮』は、方向性が間違っていたから無意味だったんだよ」と宣告されたも同然なのだ。
彼女が握りしめてきた過去の慟哭を、俺は「戦略ミス」という一言で片付けてしまった。
更に「悲劇のヒロイン」としての消費。俺の提案は彼女の不幸すらも「プロデュースの材料」として利用しろ、という冷酷な現実主義に基づいている。
「人はエピソードに弱い」
——それは真実だが、当事者からすれば、自分がこれまで受けてきた本物の傷を「他人を感動させるための舞台装置」に変換しろと言われているわけだ。
『私の苦しみは、誰かを応援させるための道具なの?』
彼女の歪んだ表情には、そんな問いかけが含まれていたように思う。
自分の純粋な絶望が、俺というフィルターを通した瞬間に「効率的な物語」へと変質していく。
その薄気味悪さと、剥き出しの合理性に彼女は怯えているようだ。
俺は「納得」という名の地獄への招待にした。彼女に突きつけたのは、逃げ場のない選択だ。
『そのまま不幸な少女として、誰からも望まれずに消えていくか』あるいは『俺の手を取り、自分の不幸すら武器に変えて、世界を強引に黙らせる怪物になるか』
後者を選べば、彼女は二度と可哀想なライスシャワーではいられない。
不幸を振りまく自分を呪うことすら許されず、結果で全てを上書きし続ける地獄の行軍が始まる。
彼女が歪んだのは、その戦い続ける義務の重さを、彼女の繊細な感性が一瞬で察知したからだろう。
俺は、彼女に幸せになってほしいわけじゃない。ただ、彼女が自分の人生を不幸だから仕方がなかったと諦めるのではなく、不幸を背負ってこの道を選んだと納得してほしいだけだ。
そのためなら、彼女が今まで築き上げてきた柔らかな防壁を壊すことさえ厭わない。
たとえ、彼女の目に俺が救済者の仮面を被った悪魔として映ったとしても、俺は彼女が自らの意志で地獄の扉を叩くのを待っている。
「……これは、あくまで一つの選択肢だ。お勧めはしない。今の君を肯定してくれる別のトレーナーもいるだろう。俺の提案は、君にさらなる精神的な闘争を強いるものだ」
俺は時計を見て、席を立った。
「そろそろ行くよ。選ぶのは君だ。不幸を受け入れて静かに暮らすのか、それとも不幸という才能を抱えたまま、強引に幸せを掴み取るために戦うのか。その『権利』と『義務』が、君にはある」
沈黙するライスを残し、俺は店を出る。俺が提示できるのは、納得するための材料だけだ。
彼女が自分自身の足でどちらの道へ踏み出すのか。その選択の重さこそが、彼女をウマ娘として完成させるのだと、俺は信じている。
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