■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。   作:あばなたらたやた

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九話:喰らう者達

 

 メジロ家の広大な敷地に足を踏み入れると、隣に並ぶライスシャワーの肩が目に見えて震え始めた。

 

 歴史の重みが物理的な質量となって押し寄せてくるような、圧倒的な威圧感。だが、その源泉は屋敷の巨大さではなく、その奥底に鎮座する一人の女であることを、俺の細胞が警鐘のように鳴らし続けていた。

 

 アトリエとして使われている一室。

 キャンバスに向かうメジロラモーヌは、振り返ることさえせず、背中で語っていた。その静謐な佇まいそのものが、完成された芸術作品のようだ。

 

「その子が、例の?」

 

 冷徹な、しかし甘美な響きを持つ声が室内に満ちる。

 俺はライスを庇うように一歩前に出た。

 

「ああ」

「素養がある。けど未熟ね」

「ああ」

 

 彼女の眼差しは、物理的な肉体を通り越し、ライスの魂に刻まれた「運命」の深淵までも見透かしているようだった。ラモーヌは筆を置くと、ようやくこちらを向いた。その瞳には、新参者への慈悲など微塵もなく、ただ冷厳な評価だけがある。

 

「でも良いわ。育て上げてみなさい。私が愛するレースの一翼を担えるように。その子の担当を認めるわ。……下がって良いわよ」

 

 あまりにも呆気ない承認だった。

 興味を失ったかのように再び背を向ける彼女の傲慢さに、俺は沈黙を保つ。だが、隣で震えていたはずのライスが、強張った体を引きずるようにして、ラモーヌの真正面へと歩み出た。

 

「メジロ家っていうのは……無礼なのが売りなのかな?」

 

 絞り出すような声。

 ライスの足は、今にも崩れそうなほど震えている。しかし、その瞳には「逆襲」の火が灯っていた。

 

「ラモーヌさんは、綺麗で、強くて……。きっと、ウィニングライブも貴方を見るためのお客さんで、いっぱいなんだよね。……だから。ライスが勝って、ライスのファンが見やすいようにしてあげる」

 

 それは、あまりにも無謀で、しかしこれ以上ないほど純粋な宣戦布告だった。絶望的な実力差を前にして、逃げずに吠えた。

 メジロラモーヌの口元が、ゆっくりと、愉悦に歪むのを俺は見逃さなかった。

 

「ふふっ、いいわ。私が蒔いた種だもの、刈り取ってあげる」

 

 ライスを別室に預け、俺はメジロ家のドリンクルームでラモーヌと対峙していた。重厚なソファに深く腰掛けた彼女は、もはや練習メニューを手渡した時の冷淡な姿ではない。

 立ち上る独占欲のオーラが、部屋の酸素を奪っていく。

 

「いいの? これで」

「良いわ。レースは一人では成立しない。全員が本気で競うからこそ、愛を示す世界が生まれる」

「……そうか。なら、俺は好きにやらせてもらうよ」

 

 あくまでビジネスライクに、冷静な現実主義者として返答したつもりだった。だが、次の瞬間、視界が劇的に反転した。

 

「ッ……!」

 

 強靭な指先が俺の腕を掴み、抵抗する間もなくソファへと引き倒される。

 目の前には、至近距離でこちらを見下ろすメジロラモーヌ。その瞳はギラリと猛禽類のように輝き、ドロドロとした熱い欲望が渦巻いていた。

 

「もちろん、私のために頑張るのは見過ごすわ。だけど……それが本気になった瞬間、私は何をするかわからない。その可能性を忘れないで」

 

 耳元で囁かれる吐息が、首筋を粟立たせる。理性が、本能が、生存本能が「逃げろ」と叫んでいる。

 これこそがメジロラモーヌという女の真髄だ。

 

 強い敵を求め、自らを脅かす可能性を愛でる一方で、その可能性を育てる「俺」という存在を、彼女は欠片も手放すつもりがない。

 

「……恐ろしい人だ。強い敵も欲しい、それを育てるのは許容する。だけど、育てた相手に俺がのめり込む瞬間に、俺の首が飛ぶのか」

「だからこそ、示す必要があるわ。貴方は……私のものだと言う事を」

 

 逃げ場はなかった。

 ラモーヌが、俺の首筋に鋭い牙を立てた。

ウマ娘の圧倒的な膂力。皮膚が裂け、灼熱のような痛みが脳を突き抜ける。呻き声を上げることすら許されないほど、彼女の愛は重く、そして暴力的だった。

 

 顔を上げた彼女の唇は、俺の鮮血で紅く濡れていた。まるで、獲物を仕留めたばかりの獣が、誇らしげに口紅を引いたかのような、異様なまでの艶めかしさ。

 

「貴方は……私のものよ」

 

 紅潮した顔で微笑む彼女に、俺は戦慄を覚えずにはいられなかった。恐怖。間違いなく、俺は彼女に恐怖している。いつ食い殺されてもおかしくない猛獣を、俺は担当しているのだ。だが、その一方で、この絶望的なまでの独占欲に包まれることに、歪んだ悦びを感じている自分もいた。

 

 首筋を伝う血の温かさを感じながら、俺は悟った。ライスシャワーという「可能性」を育てる一方で、俺はこの狂おしいまでの「女王の愛」という毒に、一歩ずつ蝕まれていくのを感じた。

 

「……ああ、わかっているよ、ラモーヌ」

 

 俺は、自分自身の破滅の予感を、静かな納得と共に飲み込んだ。この女の隣に立つということは、愛という名の処刑台に上り続けることと同義なのだから。

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