■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
マンハッタンカフェは穏やかなウマ娘だった。
俺とジャーニーを部屋へ招き入れると、慣れた手つきでコーヒーを淹れてくれる。
部屋の中には見慣れない装飾品や古びた書物、何かの儀式に使いそうな道具が並んでいて、どこか現実から切り離されたような空気が漂っていた。
だが、不思議と居心地は悪くない。むしろ静かで落ち着く。
「ありがとうございます、マンハッタンカフェさん」
私と、その隣でジャーニーが丁寧に頭を下げる。
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。年齢的にも立場的にも、トレーナーさんの方が上ですから。ジャーニーさんも」
「そ、そうかな。なら崩させてもらうね」
「ありがとうございます」
俺がそう返すと、彼女は小さく微笑んだ。
その仕草ひとつ取っても不思議だった。
目の前にいるのは間違いなく学生のはずなのに、どこか数百年を生きた仙人と向き合っているような感覚がある。
精神の質が違う。
そう表現するのが一番しっくりきた。
俺は湯気の立つコーヒーを口に運びながら尋ねる。
「マンハッタンカフェはここで何をしているんだ?」
「アドバイザーです」
彼女は当たり前のように答えた。
「マンハッタンカフェ相談室。精神的に余裕がない皆さんと面談して、折り合いをつける。それが私の役割です」
「君がやるのか? 君自身のレースは」
「それはそれで勝てます。少なくとも今の私なら」
「凄い自信だな」
「事実です」
静かな声音だった。
威張るわけでもない。
誇示するわけでもない。
ただ事実を述べるだけの口調。
「もちろんレースは生き物ですから、勝ったり負けたりすることはあります。ですが、それも含めてそのウマ娘のスタンスですから」
「確かに」
「ふふ。珍しい部類なのは自覚しています」
そこで会話が一度途切れる。
アイスブレイクだったのだろう。
マンハッタンカフェは金色の瞳を静かに俺へ向けた。
「トレーナーさん」
「ん?」
「貴方は運命を信じますか?」
少しだけ考える。
答えは簡単ではなかった。
「……何とも言えないな」
俺は正直に答える。
「ただ、運命の車輪みたいなものはあると思う」
「ほう」
「人は生まれを選べないし、才能も環境も違う。どうにもならないことは確かにある。だけど、その中で何を選ぶかは本人次第だ。だから俺は、運命はある。でも変えることもできる。そんなスタンスだな」
マンハッタンカフェは静かに頷いた。
「ええ。概ねその認識で合っています」
そう言うと、彼女は窓の外へ視線を向ける。
部屋の暖かな光が長い黒髪を照らしていた。
「この世界は、運命に支配されています」
その言葉は重かった。
「ウマ娘の運命は、ある程度決められています。何を成し、何を失い、どこへ至るのか。大きな流れそのものを変えることはできません」
まるで天気予報を語るような口調だった。
「それでは救いがないように聞こえるな」
「そうですね」
彼女は否定しなかった。
「必死に勉強した受験生が不合格になるかもしれません。人生を賭けて絵を描いた画家が、死ぬまで評価されないかもしれません」
その言葉に俺は黙って耳を傾ける。
「ですが」
マンハッタンカフェは続けた。
「結果だけが人生ではありません」
静かな声だった。けれど、不思議と胸に響く。
「もし結果が運命によって定められているのなら、私たちが変えられるのは過程です」
彼女はコーヒーカップを指先でなぞる。
「死ぬまで売れなかった画家でも、自分の描きたいものを描き続けたのなら。その一筆一筆に自分の意志を込めたのなら。それは善い人生だったと言えるのではないでしょうか」
俺は自然と頷いていた。
その考え方は理解できる。むしろ俺自身の考え方に近かった。
成功や失敗。
勝利や敗北。
そんなものに絶対的な価値はない。意味を与えるのは本人だ。だからこそ、自分で選ぶことに価値がある。
「変えられない運命を受け入れる覚悟を持つ」
マンハッタンカフェは語る。
「ですが、その運命へ至るまでの人生は、自分の意志で良くすることができます」
それは諦めではなかった。むしろ逆だ。結果に執着しすぎることなく、自分ができることを最後までやり抜く。
そんな強さだった。
「だからウマ娘にとって大切なのは」
金色の瞳が俺を見つめる。
「運命が良かったか悪かったかではありません」
静かに。
優しく。
まるで答え合わせをするように。
「その運命の過程に納得できるかどうかです」
その瞬間、俺は腑に落ちた。
ああ、そういうことか。
結果が全てではない。
どんな結末になろうと、自分で選び、自分で歩き、自分で責任を持ったのなら。
その人生はきっと価値がある。
納得できる。
俺がトレーナーとしてウマ娘に求めているものも、結局はそこなのだろう。
勝てばいいわけじゃない。
負けなければいいわけでもない。
自分で選び、自分で走り切ること。そして最後に、自分の人生を肯定できること。
それこそが大切なのだ。
「なるほどな」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
少し苦い。だが嫌な苦さではない。
「俺はその考え方、好きだよ」
マンハッタンカフェは微笑む。
「そうですか」
「ああ」
変えられない運命があるとしても、そこへ至る道だけは、自分で選べる。その考え方は、不思議なくらい俺の胸にしっと収まっていた。
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