ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。   作:あばなたらたやた

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23話:水族館②

 

 小型展示エリアを抜ける。

 通路の先。

 壁一面が青く染まっていた。

 大水槽だ。水の向こう側には巨大な海が広がっている。

 魚の群れ。

 大型魚。

 ゆっくりと泳ぐサメ。光を反射しながら進むイワシの群れ。

 その全てが一つの世界を作っていた。

 

「綺麗ですね」

 

 カフェが呟く。

 俺も頷く。確かに綺麗だった。小型展示とは違う。

 こちらは生命の迫力そのものだ。巨大な水槽の前に立つと、自分が小さくなったような気分になる。

 そして、その時だった。

 

「……」

「……」

 

 俺とカフェは同時にある生き物を見る。

 エイだった。

 正面からこちらを向いている。

 下から見る顔。黒い目。妙に人間臭い口元。絶妙に不機嫌そうな表情。

 

「怖いな」

 

 思わず言った。

 カフェも頷く。

 

「怖いですね」

 

 エイがこちらへ近付いてくる。

 ゆっくり悠然と。まるで水槽の主のように。さらに怖い顔になる。

 

「なんだろう」

 

 俺は考える。

 

「怒ってるように見える」

「見えます」

「でも説明を見る限り普通に泳いでるだけなんだよな」

「はい」

 

 カフェも説明文を読む。

 

『温厚な性格で人を襲うことはほとんどありません』

 

 温厚……らしい。

 見た目と真逆だった。俺は思わず笑った。

 

「人間みたいだな」

「人間?」

「怖そうだから危険とは限らない。優しそうだから安全とも限らない」

 

 カフェが少し考える。そして頷いた。

 

「確かに。外見は分かりやすい情報です。だから頼りたくなる。でも本質じゃない」

 

 エイは相変わらず怖い顔をしていた。だが実際はは温厚。

 見た目と中身が一致していない。

 

「人は」

 

 カフェが言う。

 

「見たいものを見る生き物です」

 

 金色の瞳が水槽を映している。

 

「怖い顔を見ると危険だと思う。優しい顔を見ると安心する。ですが」

 

 少し間を置く。

 

「実際には何も分かっていません」

 

 その言葉は妙に重かった。

 俺はエイを見る。

 そして思う。

 確かにそうだ。

 人間やウマ娘は思い込みで世界を認識する。

 だから誤解するし、だから失敗する。

 そこが面白い。

 

「わぁ」

 

 大きな影が頭上を通った。

 サメだった。巨大な身体。鋭い歯。圧倒的な存在感。近くを泳ぐ魚たちが小さく見える。

 

「やっぱり格好いいな」

 

 俺は素直に言った。サメには不思議な魅力がある。単純な強さ。それを象徴しているように見える。

 カフェもサメを見上げる。

 

「強そうです」

「実際強いんだろう」

「でも」

 

 カフェが言う。

 

「不思議です」

「何が?」

「強さに憧れる人は多いのに」

 

 サメを見る。

 

「サメになりたい人はいません」

 

 俺は少し考える。

 確かに。言われてみればそうだった。

 強さには憧れる。だが強さそのものにはなりたくない。

 

「たぶん」

 

 俺は答える。

 

「強さは手段だからだ」

「手段」

「守るためだったり、進むためだったり、叶えるためだったり」

 

 サメを見る。

 

「強くなりたいんじゃない。やりたいことをやるために強くなりたいんだ」

 

 カフェが静かに頷いた。

 

「なるほど」

 

 そして少しだけ笑う。

 

「それはライスさんにも言えそうです」

「そうだな」

 

 ライスは強さに憧れているわけじゃない。自分の望む自分になるために強くなろうとしている。だから力に溺れず、前へ進める。

 

 魚の群れが通り過ぎる。

 何百匹もの魚が一つの意志を持つように動いている。

 右へ。

 左へ。

 一斉に方向を変える。その光景は美しかった。

 

「群れですか」

 

 カフェが呟く。

 

「社会みたいですね」

「そうかもな」

「皆が同じ方向を向いています。安心だからでしょうか」

 

 俺はしばらく考える。

 魚たちを見る。確かに群れは強い。安全だ。効率的だ。

 だが。

 

「群れは大事だと思う」

 

 俺は言った。

 

「でも、群れだけじゃ駄目だ」

 

 カフェがこちらを見る。

 

「どうしてですか?」

「群れは方向を教えてくれる。けど」

 

 魚の群れを見ながら続ける。

 

「人生を決めてくれるわけじゃない」

 

 群れが右へ行く。だから右へ行く。

 それは楽だ。安全だ。間違いも少ない。だがそれだけでは自分の人生にならない。

 

「最後は自分で決めるしかない」

 

 俺は言う。

 

「群れにいてもいい。流されてもいい。でも、その末路に納得できるように自分で決めるべきだ」

 

 カフェは少し黙った。そして静かに微笑む。

 

「トレーナーさんらしいですね」

 

 その言葉に俺は苦笑する。

 今日だけで何度目だろう。だが悪い気はしなかった。

 巨大な海を眺めながら。

 俺たちはしばらく言葉を交わさなかった。

 青い光。

 揺れる水。

 魚たちの群れ。

 隣にいるマンハッタンカフェ。

 不思議な静けさだった。沈黙なのに心地良い。まるで深海の底にいるみたいだった。大水槽を後にした俺たちは、順路に従って歩いていた。

 

 次はお土産コーナーらしい。

 特に急ぐ理由もない。カフェは相変わらず静かだし、俺も静かな時間は嫌いじゃない。

 

「何か買いますか?」

「せっかくだし」

「お友達へのお土産もありますし」

「ああ」

 

 ライスとか喜びそうだな。

 チンアナゴのぬいぐるみとか。そんなことを考えながら歩いていた。

 その時だった。

 

 ぞわり。

 背筋を冷たいものが走った。反射的に立ち止まる。

 カフェも同時だった。

 

「……」

「……」

 

 視線が合う。

 言葉は要らなかった。

 お互い感じている。何かがおかしい。空気が変わった。音が遠くなる。館内放送。人の話し声。足音。全てが急激に遠ざかる。

 水の中へ沈んだような感覚。

 

「トレーナーさん」

「ああ」

 

 俺は短く答える。

 

「感じるか」

「はい」

 

 カフェの金色の瞳が細くなる。

 警戒している。そして次の瞬間だった。引っ張られた。何かに腕でも肩でもない。

 もっと曖昧な場所。

 存在そのものを掴まれたような感覚。

 

「っ!」

 

 足が前へ出る。いや出された。

 俺の意思じゃない。

 カフェも同じだった様子だ。黒髪が揺れる。身体が前へ流れる。

 

「これは」

「かなり強いですね」

 

 妙に冷静だった。

 カフェだからだろう。普通の人間やウマ娘なら悲鳴を上げている。俺も少し驚いていた。だが恐怖はない。

 ただ驚いている。

 本当に突然だったから。

 いきなり殴られた時に似ている。

 理解が追い付かない。そして気付けば見覚えのない扉の前に立っていた。

 

「……こんな部屋あったか?」

「記憶にはありません」

 

 カフェが即答する。

 つまり、なかったのだろう。少なくとも正常な順路には扉が開く。

 独りでに。

 ぎぃ、と。

 古い蝶番の音が響く。そして俺たちは中へ押し込まれた。

 

 ばたん。

 

 扉が閉まる。

 静寂。

 完全な静寂だった。

 

「……」

「……」

 

 数秒の沈黙。

 俺は周囲を見る。小さな部屋だった。窓はない。照明だけが白く光っている。机が一つ。椅子が二つ。

 

 それだけだ。意味が分からない。何一つ分からない。

 

「閉じ込められたな」

「そうですね」

 

 カフェが扉に触れる。

 開かない。鍵もない。だが開かない。

 

 理不尽だった。極めて理不尽だった。

 数秒後、カフェがこちらを見る。

 

「トレーナーさん」

「なんだ」

「これは超常特異現象です」

「そうだな」

「かなり上位です」

「だろうな」

 

 そこで俺たちは顔を見合わせた。そして同時にため息を吐いた。

 

「水族館で発生する内容じゃない」

「その通りです」

 

 カフェが真顔で頷く。

 

「一般的には迷子になる程度です」

「閉じ込められはしない、と?」

「はい」

「まして空間転移もしない」

「はい」

 

 妙な会話だった。だが落ち着く。慌てても意味がない。

 まず状況確認。それが基本である。

 カフェは部屋を見回している。

 その表情は真剣だ。だがほんの少しだけ安心も混じっていた。

 俺には分かった。恐怖がないわけではない。だが一人じゃない。

 それが大きい。そして俺も同じだった。

 

 もしここに閉じ込められたのがライスなら、まず落ち着かせる必要があった。

 ジャーニーなら現象分析が始まる。

 ラモーヌなら楽しみ始める。

 だがカフェは違う。超常現象を前にしても会話が成立する。

 それは地味にありがたい。

 

「さて」

 

 俺は椅子へ腰掛ける。

 

「どうする?」

「調査です」

 

 即答だった。

 

「原因を探します。脱出方法もできれば両方」

 

 俺は笑う。

 

「了解」

 

 その瞬間だった。

 机の上に何もなかったはずの場所に一冊のノートが現れた。

 音もなく。

 前触れもなく。

 突然。

 

「……」

「……」

 

 再び沈黙。そして、俺たちは同時に言った。

 

「かなり上位だな」

「かなり上位ですね」

 

 どうやら。

 この超常特異現象にはまだ続きがあるらしかった。

 

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