■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
休日の午後。
トレーナー室の窓から差し込む陽射しの中で、俺は一冊のファッション雑誌をめくっていた。
表紙には『今年のトレンド』だの『ウマ娘コーデ特集』だの、見慣れない言葉が並んでいる。
「……さっぱりわからないな」
思わず独り言が漏れた。
「何が、ですか……?」
柔らかな声と共に、マンハッタンカフェが隣へやってくる。
「いや、服について調べていてね。担当の誕生日とか、買い物に付き合う機会もあるだろう、とね。だから多少は知っておこうと思ってさ」
雑誌を軽く持ち上げる。
「でも、この服の何が流行なのかもわからないし、何を選べば無難なのかもわからない」
そう言うと、カフェは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと微笑んだ。
「でしたら……少し、お話ししましょうか」
そう言って、俺のすぐ隣へ腰掛ける。
……近い。
肩が触れそうなくらい近い。以前なら緊張して距離を取っていた彼女が、今ではごく自然に隣へ寄ってくる。
その変化が少し嬉しい。
カフェは雑誌のページへ、その白い指を伸ばした。
「まず、流行というのは……毎年少しずつ変わります。色や形、丈の長さなどが変わるので、『今年らしい』というだけで選ばれる服もあります」
「なるほど」
「ですが……流行が必ずしも、その人に似合うとは限りません」
「え?」
俺は思わず聞き返した。
カフェは別のページを開く。
「例えば、この服は肩幅が広い方ですと、さらに大きく見えてしまいます」
ページをめくる。
「こちらは逆に、背が高い方が着ると、とても映えます」
「えぇ……」
「こちらは脚が長い方が似合いますし、この形は胸元の印象が変わります」
「そんなに違うのか」
「はい」
カフェは静かに頷いた。
「洋服は……服だけで完成するものではありません。その人の体格や雰囲気も含めて、一つの装いになります」
「……」
俺は雑誌を見つめる。そんな発想、一度もしたことがなかった。
カフェはさらに説明を続ける。
「髪型や靴、色の組み合わせも印象を左右します。同じ服でも、小物が違うだけで雰囲気は変わります」
「奥が深いな……」
「はい。だから『人気だから買う』より、『自分に合うから選ぶ』方が長く着られます」
なるほど。だから店員さんが「こちらも合わせてみませんか」と勧めてくるのか。
全部意味があったんだ。俺は感心しながらページをめくる。
「……じゃあさ」
「はい」
「好きな服があっても、自分には似合わないこともあるのか?」
カフェは少しだけ寂しそうに笑った。
「あります」
「……」
「着たい服と、似合う服は……一致しないことがあります」
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。
「そういうこと、あるのか……」
「はい」
「好きなのに?」
「好きでも、です」
「そんなことある?」
「あります」
あまりにも当然のように返される。
俺の常識が音を立てて崩れていく。
「逆に……自分ではあまり好みではない服なのに、『とても似合っていますね』と言われることもあります」
「えぇぇ……」
それはそれで困る。
「じゃあ、『似合う』と『好き』は別なのか」
「別ですね」
「なんという世界だ……」
服って、サイズが合えばいいくらいに思っていた。ところが実際は、体格、色、髪型、雰囲気、流行、季節、小物。考えることが山ほどある。
まるで別の学問じゃないか。
俺が頭を抱えていると、カフェがくすりと笑った。
「難しく考えなくても大丈夫ですよ」
「そう?」
「はい。まずは『清潔感』と『サイズが合っていること』を意識すれば、それだけでも十分印象は良くなります」
「男性も女性もそこは定番か」
「それに……」
カフェは少しだけこちらへ身体を寄せる。
「わからないことがあれば、私もご一緒します」
優しく微笑むその横顔を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
「その時は頼りにさせてもらうよ」
「……はい」
彼女は嬉しそうに頷くと、また雑誌へ目を落とした。
俺もページをめくりながら思う。服のことはまだ何もわからない。でも、隣で静かに教えてくれる先生がいるなら、少しずつ覚えていける気がした。
雑誌を閉じようとして、ふと手が止まった。
「……そういえば、一つ気になってたことがあるんだけど」
俺が言うと、マンハッタンカフェは静かにこちらを向く。
「何でしょう……?」
「女性って、服をたくさん持ってるイメージがあるんだ」
雑誌のページを軽く叩く。
「流行もあるし、綺麗な服も多い。でも、その分だけ買う頻度も多いように見えるんだ。正直、どうやってやりくりしてるのか全然想像がつかない」
男物の服なら、俺は数着を着回して終わりだ。
季節ごとに少し買い足す程度。それで困ったことはほとんどない。しかし、女性向けの売り場を通るたびに思う。
あまりにも種類が多い。色も形も、生地も、靴も、鞄も、帽子も、アクセサリーも。
全部違う。
「全部買ってたら、お金がいくらあっても足りなくないか?」
率直な疑問だった。
カフェは少し考えるように目を伏せてから答えた。
「……全ての方が、毎月たくさん購入しているわけではありません」
「まぁ、うん。それそうだよね」
「例えば、一年間を通して着られる『定番』のお洋服を持っている方は多いと思います」
「定番?」
「白いシャツや、黒いスカート、落ち着いた色のカーディガン……流行や時期、状況に左右されにくいものです」
「なるほど」
「そうしたものは何年も着ることがあります。そして、その年の流行に合わせたお洋服を一、二着ほど追加して楽しむ方もいます」
全部買い替えているわけじゃないのか。
「だから、『今年の流行』と紹介されていても、全身を流行で揃える必要はありません」
「それなら現実的だな」
カフェは頷く。
「もちろん、お洋服が本当にお好きな方でしたら、毎月何着も購入される方もいます」
「趣味みたいなものか」
「はい。読書がお好きな方が本を買われるように、お洋服がお好きな方もいらっしゃいます」
「なるほど」
それなら納得できる。
趣味にお金を使う感覚なら、俺にもわかる。
「それと……女性のお洋服は、一着だけで終わらないこともあります」
「どういうこと?」
「例えば、このブラウスを購入したとします」
カフェは雑誌を開き、モデルの写真を指差す。
「すると、『合わせるスカートはどうしましょう』『靴は』『鞄は』『アクセサリーは』と考えることがあります」
「……ああ」
言われて気づいた。確かに写真のモデルは服だけじゃない。靴も、鞄も、帽子も、髪飾りも全部まとまっている。
「全体の調和を考える方は多いですね」
「服を一着買ったら終わりじゃないのか……」
「ええ」
俺は思わず頭を抱えた。
「想像以上に大変だな」
「ですが、その分だけ楽しいことでもあります」
カフェは穏やかに微笑む。
「今日はどの組み合わせにしましょうか、と考える時間がお好きな方も多いです」
「毎日違う服を着る人もいるし、それに興味が無ければ無難で固めれば良いというわけか」
「季節や気温、その日の予定でも変わりますから」
「……そう考えると、女性の朝って結構忙しい?」
「そうですね……悩む日は、少し時間がかかるかもしれません」
「なるほどなぁ」
俺は腕を組んだ。今まで『服が多いな』くらいにしか思っていなかった。だが実際には、流行だけではない。
体格に合うか。自分の好みに合うか。他の服と組み合えられるか。季節に合うか。予定に合うか。財布と相談できるか。
考えることが山ほどある。
「大変だ。努力している」
思わず漏れた本音に、カフェは少しだけ首を横に振った。
「大変なこともありますが……」
彼女は雑誌のモデルを眺めながら、小さく笑う。
「『今日はこれを着たい』と選べる楽しさも、同じくらいあります」
その言葉に、俺はゆっくり頷いた。俺から見れば「服を買う」という一言で済む話だったでも彼女たちにとっては、自分らしさを表現する楽しみでもあり、悩みでもある。
だから洋服屋には、あれほど多くの服が並び、多くの人が時間をかけて選んでいるのだと、ようやく理解できた。
「女性の買い物が長い、と言われていたり『どっちが似合うか?』という質問で、本当は答えが決まっている、などはどう答えるのが正解なんだ?」
「正解、ですか」
マンハッタンカフェは少し考えてから、静かに笑う。
「正解を答えるのは難しいですね。『どっちが似合う?』という質問には、実は色々な意味が込められていることがあります」
カフェは雑誌をめくりながら説明を続ける。
「純粋に客観的な意見を聞きたい場合もありますし……」
「うん」
「『背中を押してほしい』という意味だったり、『一緒に選ぶ時間を楽しみたい』という意味だったりします」
「まぁ、そうだろう」
俺は腕を組んだ。
「ネットなんかだとさ、『本当は答えが決まってる』『正解はない』とか聞くことがあるんだよ」
「そういうお話もありますね……」
「でも俺は、それって少し違う気がしてる」
「どう違うのでしょう?」
「例えば俺なら、『俺はこっちが好きかな』とは答える。でも、その後に『カフェはどっちを着たいと思ってる?』って聞く」
カフェは静かに俺を見る。
「俺の好みを聞かれているが、着るのは本人だ」
「……はい」
「だから俺の好みは伝える。でも、最後は本人が何を着たいのかを聞きたい」
カフェは少し目を細めた。
「その理由は……?」
「デート……というか誰かとともに遊ぶ時、そういう時に服を見るのは決めることが目的じゃないと思うんだ」
「……」
「会話することが目的なんじゃないか?」
俺は笑った。
「『俺はこっちかな』『でも私はこっちが好き』『何で?』『この形が好きなんです』『なるほど』って、そういうラリー自体が楽しいんじゃないかと思う」
カフェは小さく頷く。
「確かに……」
「もし相手が『実は私もこっちが着たかった』って言うなら、それでいいし。」
「『でも、似合うのはもう片方ですよね……』と悩まれる方もいらっしゃるかもしれません」
「その時はまた話せばいい」
「話す……ですか?」
「ああ」
俺は雑誌を指差した。
「『今日は好きな方を選ぼう』でもいいし、『今日は相手が似合うと言ってくれた服にしよう』でもいい。」
「……」
「話しているうちに、『もう片方は今度買おう』って話になるかもしれない。」
俺は肩をすくめる。
「答えを出すことより、一緒に考えることの方が楽しい気がするんだよ」
カフェはしばらく黙っていた。そして、ふっと優しく微笑んだ。
「……トレーナーさんらしいですね」
「そうか?」
「はい。」
彼女は雑誌を閉じる。
「きっと、『どちらが似合いますか?』と聞かれても、一着だけ見て終わる方ではありません」
「多分」
「『どうしてその服を選んだのですか?』と聞いてくださる方だと思います」
その言葉に、俺は少し照れくさく笑った。
「その人が何を好きなのかは知りたいからな」
「……ええ」
カフェは小さく頷く。
「女性は、自分の好みを理解してもらえることを嬉しく思う方も少なくありません。だから、『どっちが似合う?』という質問に、必ずしも一つの正解があるわけではないんです」
「そうか」
「そうですね……」
カフェは俺の横顔を見ながら、穏やかに続けた。
「あとは『私はこちらが好きです』『私はこう思います』と、お互いの考えを話し合える関係。その時間そのものを、大切に思う方もいらっしゃいます」
俺は頷く。
「じゃあ、もしカフェに聞かれたら、まずは俺の好みを答えるよ」
「……はい」
「その代わり、カフェにも聞く。どっちを着たい?』って」
その一言に、カフェは少しだけ頬を緩めた。
「その質問でしたら……きっと、答える時間も楽しくなりますね」
俺は雑誌を閉じて、大きく息を吐いた。
「……いや、本当に勉強になるな」
ここまで話を聞いて、ようやくわかった。俺と女性では、服に対する考え方そのものが違う。
「俺は」
頭を掻きながら苦笑する。
「男物なら、そこまで考えない」
「そう、なのですか……?」
「ああ。もちろん、サイズは合わせるし、清潔感も気にする。だからこそ低予算の服を頻繁に買い替える。でも、それくらいだ」
俺は自分のシャツを軽く摘まんだ。
「無地のシャツに、落ち着いた色のズボン。それだけで大体外さない」
黒。紺。白。灰色。奇抜な色を避けて、サイズだけ合わせれば、それなりにまとまる。
「それに、もしコンセプトを決めるとしてもさ」
例えばアウトドア。
例えばジャケットスタイル。
例えば少しカジュアル。
「方向性さえ決めて、体にフィットしていれば『そういう服装なんだな』って印象になる」
「……」
「だから俺は、『好きな服』『似合う服』『流行』『体格』『靴』『鞄』『アクセサリー』って、ここまで考える世界があること自体が衝撃だった」
本当に別世界だ。
服一枚の話をしているはずなのに、聞けば聞くほど奥深い。
カフェは俺の言葉に静かに頷いた。
「女性は……装飾によって印象が変わりやすいですから」
俺は感心してしまう。
「男は引き算でも成立するけど、女性は足し算も含めて考える感じなのか」
「そう表現される方もいらっしゃいますね……」
なるほど。だから洋服売り場の広さが違う。だからアクセサリーも、靴も、鞄も、化粧品も一緒に並んでいる。
全部が繋がっているんだ。
俺が一人で納得していると、不意に肩へ柔らかな感触が伝わった。
いつの間にか、マンハッタンカフェがさらに身体を寄せてきていた。肩が触れ合い、腕も自然と寄り添う。二人で一冊の雑誌を覗き込むには、この距離が一番見やすいのだろう。
……いや?
見やすいのは確かだが、近い。かなり近いよ? それでも彼女は気にした様子もなく、ページをめくっている。
「こちらはですね……」
白い指が雑誌を滑る。
「同じワンピースでも、ベルトの位置が違うだけで脚が長く見えたり——」
「へぇ……」
俺も自然と覗き込む。
顔の距離も近い。コーヒーのような落ち着いた香りがふわりと漂う。以前ならここまで近付かれると、お互いどこかぎこちなかっただろう。でも今は違う。
この距離が、ごく自然になっていた。
「……おやおや」
突然、聞き慣れた声が割って入った。
「随分と仲睦まじい光景ですね」
俺とカフェが同時に顔を上げる。そこには腕を組み、どこか呆れたような、それでいて愉快そうな笑みを浮かべたドリームジャーニーが立っていた。
「トレーナーさん」
視線が俺とカフェの肩へ向く。
「洋服の勉強ですか。それとも、密着する口実ですか?」
「違う違う」
思わず否定する。
「本当に服の話をしてただけだ。」
「ええ、もちろん」
ドリームジャーニーは即答した。
「私は何も疑っておりません。」
そう言いながら、口元は笑っている。
絶対に面白がっている。
「……ジャーニーさん」
マンハッタンカフェが静かに抗議する。
「私がお話をしていただけです。」
「ええ、見ればわかります。」
ドリームジャーニーはにこやかに頷く。
「肩が触れるほど寄り添って、一冊の雑誌を二人で眺めながら、穏やかに語り合う」
一拍置く。
「青春ですね。」
「だから違うって」
「そういうことにしておきましょう。」
彼女はくすくすと笑う。
「ですが、お二人とも」
そう言って雑誌を覗き込む。
「女性のお洋服のお話でしたら、私も少々口を挟ませていただいても?」
その瞳は、いかにも「面白そうな話を見つけた」と言わんばかりに輝いていた。
好きなウマ娘は?
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