ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
病室の重い空気を残したまま廊下を進むシンボリルドルフの背中は、いつもよりどこか小さく見えた。
俺はトレーナーとして、シンボリルドルフのすぐ後ろについてエアグルーヴの病室に駆けつけた。
会長が静かに扉を開けると、エアグルーヴはベッドに体を起こした状態でこちらを見上げた。疲労で青白い顔に、無理やり微笑みを浮かべている。その痛々しい表情を見た瞬間、俺の胸にもざわつきが走った。
「申し訳ありません。ただの過労です。問題ありません」
彼女の声は丁寧だが、明らかに力がない。それでも最後まで「問題ありません」と言い切ろうとする姿勢が、あまりにもエアグルーヴらしかった。
シンボリルドルフはベッド脇の椅子に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。俺はその斜め後ろに立ち、静かに二人の様子を窺う。
「……悪いのは私だ」
会長の声は低く、重かった。エアグルーヴが少し目を見開く。
「過労は会長の責任。そうならないように管理するのが私の仕事なのだから。申し訳ない。私の不甲斐なさのせいで、君にも、みんなにも迷惑をかけている。だから……去年以上に生徒会のために粉骨砕身することを誓おう」
俺は内心で息を飲んだ。シンボリルドルフはまた、全てを自分一人で背負おうとしている。
皇帝として絶対的な責任を負うのが当然だという、揺るぎない信念が言葉の端々に滲み出ていた。しかし、エアグルーヴの反応は違った。
「……それでは、貴方のレースに支障が出ます」
エアグルーヴの声がわずかに強くなった。ここから病室の空気が明らかに変わり始める。温度が上がるような、張りつめた緊張感が漂い出す。
「圧倒的な力を示すために『皇帝』になるのでしょう?」
「問題ない。これまでも両立してきた。少し負担が増えても、私なら問題ない」
「しかし! 皇帝の道を歩む会長に、これ以上の負担をかけるわけには……!」
「皆を守れない皇帝に、一体何の価値があるというんだ」
会長の言葉は真っ直ぐで、一切の迷いがない。俺は横顔を見ながら思った——会長にとって「守る」ということは、自分がどれほど擦り減ろうと構わないという覚悟に繋がっているのだと。
「エアグルーヴにも夢があるだろう。ウマ娘としての、譲れない夢が。なのに道半ばで倒れてしまっては本末転倒だ。生徒会業務が君の夢に先立つことはない。あとは私に任せて、君は休んでほしい」
頂点に立つ者としての孤独を当然のものとして受け入れ、皆をその背中で覆おうとする皇帝。だが、エアグルーヴの目が鋭く細められた。頬に怒りと悲しみの混ざった赤みが差し、声に強い熱がこもる。
「……侮るな。我々は、貴方が守るべき『夢』の一つ……それだけですか!?」
その瞬間、二人の視線が正面から激しくぶつかり合った。
会長は保護者として、絶対的な安全地帯を作る者であろうとする。
エアグルーヴは同じ高さで並び、苦楽を分かち合う対等な仲間であろうとする。二人とも相手を深く思いやっているのに、その背負い方の形が根本的に違っていた。俺は後ろで拳を軽く握りしめた。
この溝は簡単には埋まらないな。
「貴方は謝罪するなと仰る。それら全ては自分の責任なのだから、と。……しかし! それでは私達は、親に保護される幼子と変わらないではないか! 貴方のやり方は……間違っている!」
その一言は、冷たい病室に重く落ちた。
守られるだけの存在として扱われることが、どれほど彼らの誇りを削っていたか。自分も頂点を目指し、会長の隣で堂々と立ちたいと願う強いプライドが、悲痛な叫びとなって弾けていた。
「……ッ」
絶対的な威厳を纏うシンボリルドルフが、息を呑み、言葉に詰まった。
背中越しに彼女の肩が小さく強張るのが見える。守りたいという純粋な愛情が、相手を傷つけ、拒絶されている。自分の貫いてきた信念が、最も信頼する仲間を遠ざけていたのかもしれないという恐怖が、皇帝の胸を深く刺したようだった。
シンボリルドルフは会長として何か言い返そうと口を開きかけたが、限界を迎えたエアグルーヴの青ざめた顔色を見て、絞り出すように言葉を飲み込んだ。
「……もう、いいです。今日は……これで」
エアグルーヴは短く吐き捨てるように言うと目を閉じ、疲れ果てた様子で体を横たえた。
会話はそこで強制的に途切れた。
「……行こう、トレーナーくん」
会長は静かに立ち上がり、俺に声をかけて病室を後にした。パタンと閉まった扉の音が、無機質な廊下に重く響く。
歩き出すシンボリルドルフの横顔は、いつになく暗く沈んでいた。
「守る」ことを諦められない皇帝と、「並ぶ」ことを譲らない副会長。二人の想いが不器用に交差する中で、俺は彼女の相棒として、この溝をどう埋めていくべきか、静かに思索を巡らせていた。
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