■■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
俺はトレーナーとして、シンボリルドルフのすぐ後ろについてエアグルーヴの病室に駆けつけた。
会長が静かに扉を開けると、エアグルーヴはベッドに体を起こした状態でこちらを見上げた。
疲労で青白い顔に、無理やり微笑みを浮かべている。その表情を見た瞬間、俺の胸にもざわつきが走った。
「申し訳ありません。ただの過労です。問題ありません」
彼女の声は丁寧だが、明らかに力がない。それでも最後まで
「問題ありません」
と言おうとする姿勢が、エアグルーヴらしかった。
シンボリルドルフはベッド脇の椅子に腰を下ろし、ゆっくり息を吐いた。
俺はその斜め後ろに立ち、静かに二人の様子を窺う。
「悪いのは私だ」
会長の声は低く、重かった。エアグルーヴが少し目を見開く。
「過労は会長の責任。そうならないように管理するのが仕事なのだから。申し訳ない。不甲斐ないから君にも、みんなも迷惑をかけている。だから去年以上に生徒会の為に粉骨砕身することを誓おう」
俺は内心で息を飲んだ。シンボリルドルフはまた全部を自分一人で背負おうとしている。
皇帝として、絶対的な責任を負うのが当然だという、揺るぎない信念が言葉の端々に滲み出ていた。しかしエアグルーヴの反応は違った。
「それでは貴方のレースに支障が出ます。圧倒的な力を示すために皇帝になるのでしょう?」
彼女の声がわずかに強くなった。ここから病室の空気が、明らかに変わり始めた。温度が上がるような、張りつめた緊張感が漂う。
会長は首を振った。
「問題ない。これまで両立してきた。少し増えても問題ない」
「しかし皇帝の道を歩む会長にこれ以上の負担は……」
「皆を守れない皇帝に何の価値がある。エアグルーヴにも夢があるだろう。ウマ娘としての夢が。なのに道半ばで倒れては本末転倒だ。生徒会業務は君の夢に先立たない。あとは私に任せてほしい」
会長の言葉は真っ直ぐで、一切の迷いがない。俺は彼の横顔を見ながら思った——会長にとって「守る」ということは、自分が全てを犠牲にしても構わないという覚悟に繋がっている。
頂点に立つ者としての孤独を当然のものとして受け入れ、皆をその背中で覆おうとしている。だがエアグルーヴの目が鋭く細められた。頰にわずかな赤みが差し、声に熱がこもる。
「侮るな。我々は貴方が守るべき夢の一つ。それだけですか!?」
その瞬間、二人の視線が正面からぶつかった。会長は守る側として、絶対的な保護者であろうとする。
エアグルーヴは同じ高さで並び、互いに支え合う対等な仲間であろうとする。二人の想いはどちらも純粋で、どちらも本気だ。ただ、その形が根本的に違う。俺は後ろで拳を軽く握りしめた。
(この溝は簡単には埋まらない……)
会長の保護者的な愛情は確かに温かいが、エアグルーヴにとっては「守られるだけ」の関係に感じられてしまう。
一方、エアグルーヴの主張は会長の負担を増やし、彼の皇帝としての道を危うくする可能性もある。
二人とも相手を思いやっているのに、思いやりの形が噛み合わない。この対話が続けば続くほど、二人の距離はむしろ開いていくように俺には見えた。
エアグルーヴの息が少し荒くなり、俺はそろそろ会話を止めるべきかと考え始める。
俺はトレーナーとして、部屋の少し後ろから二人のやり取りをじっと見つめていた。
「侮るな。我々は貴方が守るべき夢の一つ。それだけですか!?」
エアグルーヴの声は、疲労で掠れながらも鋭く、感情が爆発したように響いた。彼女の瞳には苛立ちと、どこか悲しげな光が混じっていた。
ついに、核心を突いたな。
俺は息を潜めてそう思った。エアグルーヴにとって、これは単なる責任の押しつけ合いではない。
彼女は今、ずっと胸に溜めていた本音を吐き出している。会長に「守られる」だけの存在として扱われることに、強い抵抗と寂しさを感じていたのだ。
彼女は自分を、会長の夢を支える対等な戦友として見てほしい。同じウマ娘として、並んで苦労を分け合い、互いに高め合える関係を求めている。
それなのに、会長の言葉はいつも「私が守る」「任せてほしい」で終わってしまう。
それが彼女の誇りを傷つけ、苛立たせていた。エアグルーヴはさらに言葉を続けた。
「貴方は謝罪するなと仰る、それら全ては自分の責任なのだから、と。しかしそれでは私達は親に守られる幼子と変わらない。貴方のやり方は間違っている」
その一言は、病室に重く落ちた。彼女の声は静かだったが、芯の通った怒りと訴えが込められていた。守られるだけの子供扱いされることが、彼女のプライドをどれだけ削っていたか。
エアグルーヴは強い女性だ。
自分も頂点を目指し、会長の隣で堂々と立つ覚悟がある。それを「守られる側」に固定されることが、彼女にとっては最大の屈辱であり、悲しみでもあったのだろう
皇帝であり会長——シンボリルドルフは、言葉に詰まった。
俺は彼女の背中越しに、肩がわずかに強張るのを見た。普段は絶対的な自信と威厳を纏う彼女が、珍しく返答に窮している。
胸の内で激しく葛藤しているのが、俺には伝わってきた。会長は皆を絶対的に守るべき存在だと信じている。
皇帝として頂点に立ち、誰もが不安なく走れる「絶対の安全地帯」を作ること。
それが彼女の役割であり、生きる意味でもあった。
守る側と守られる側。
その線を明確に引くことでこそ、皆を幸せにできると本気で思っている。だからこそ責任を一人で背負い、過労すら自分の不甲斐なさのせいにする。
エアグルーヴに倒れられた今も、「私が悪かった」と自分を責め、もっと頑張ると誓う。
それが彼女なりの、最大限の愛情の表現だった。しかし今、エアグルーヴに「そのやり方は間違っている」と言われ、会長の心に深い棘が刺さったはずだ。
守りたいのに、その守り方が彼女を傷つけ、拒絶されている。
自分の信念が、仲間を遠ざけている可能性を初めて突きつけられたような顔をしていた。
守りたいという純粋な想いと、皇帝としての絶対的な責任感。
それが今、彼女の言葉によって揺さぶられている。会長は何か言い返そうと口を開きかけたが、エアグルーヴの顔色が再び悪化したのを見て、言葉を飲み込んだ。
「……もう、いいです。今日はこれで」
エアグルーヴはそう言って目を閉じ、疲れ果てたように体を横たえた。
会話はそこで強制的に途切れた。会長は静かに立ち上がり、俺に目で合図をして部屋を出た。
扉を閉める音が、廊下に重く響いた。廊下を歩きながら、会長の横顔はいつもより暗く、俺は彼の心の重さを痛いほど感じた。
シンボリルドルフはまだ「守る」ことを手放せないだろう。それが彼女のアイデンティティそのものだ。
一方、エアグルーヴは「並ぶ」ことを諦めない。二人とも相手を深く想っているからこそ、この対立は簡単には解けない。俺はトレーナーとして、この溝をどう埋めていくべきか、改めて考え始めていた。
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