■■ウマ娘は『前の貴方と歩んだこと』を覚えている。 作:あばなたらたやた
ファン感謝祭を目前に控え、生徒会室の空気は限界まで張り詰めていた。多忙の極致にあった副会長のエアグルーヴが、ついに過労で倒れた。
彼女という巨大な支柱を失った衝撃は計り知れなかったが、立ち止まっている余裕はない。俺はすぐさま動き出し、パンクしかけたスケジュールを強引に組み直し、ルドルフが代役として動けるよう各部署との調整を分刻みで完遂させた。
「さすがに、骨が折れたな……」
デスクに深く身体を預け、ようやく一息ついた俺の元に、学園上層部から最終承認が下りたスケジュール表が届く。だが、画面をスクロールする俺の指が止まった。
並んでいる文字を目にした瞬間、思わず眉間に皺が寄る。
「……これはまた、随分とヤンチャをしてくれるじゃないか。シンボリルドルフ」
そこには、俺の把握していない彼女独自のパフォーマンス予定が、隙間もないほどびっしりと書き込まれていた。俺が引いた安全圏のラインを、彼女は独断で踏み越えていた。俺は迷わず端末を手に取り、彼女へ連絡を入れた。
「スケジュールに身に覚えのない項目が並んでいるんだが。君の独断か、それとも上層部からの圧力か」
スピーカー越しに返ってきたのは、ルドルフの、静かだが鋼のように頑なな声だった。
『私自ら入れたものだ。済まない、報告が遅くなってしまった』
「報告の有無もそうだが、問題は君の身体だ。どう見てもキャパシティを超えている。無理が過ぎるようにお見受けするが?」
『心配無用だ、トレーナー君。トレーニングのスケジュールも並行して調整してある。学園業務の増加分は、そこで相殺できるはずだ。負担にはなるまい』
「……俺が作成したトレーニングプランにまで、勝手に手を加えたというのか」
変更そのものが悪いと言いたいわけじゃない。状況に応じてプランを書き換えるのは当然のことだ。だが、相談もなく、独断で、まるで誰にも頼る必要がないと言わんばかりに突き進むその姿勢が危うかった。彼女の中にあるストッパーが、音を立てて壊れ始めているのを感じる。
「ルドルフ、最近一人で物事を動かしすぎている。なぜだ? なぜ俺に一言の相談もなかった」
『必要だと判断したからだ。君のプランを尊重した上で、今の私にできる最善の形に書き換えた。論理的な整合性は保たれているはずだ。問題はない』
彼女は、自分がどれほどの重荷を抱え込もうとしているのか、その自覚がまるでないようだった。報連相を疎かにし、独走することの先に待つ落とし穴に、本人が気づいていない。
「頼むから、ちゃんと対話をしてくれ。今ならまだ、ベターな着地地点を用意できる。ここが分水嶺なんだ、ルドルフ」
『……私は自分自身の限界を理解している。だから、私を信じてくれ』
その声の裏側に潜む焦燥を、俺ははっきりと看破していた。エアグルーヴが倒れた。その事実は、責任感の強い彼女に「自分の不甲斐なさが、周囲に過度な負担を強いた」という呪いをかけたのだ。だからこそ、彼女は圧倒的なパフォーマンスを見せつけることで、自分が依然として頼るに値する「皇帝」であることを、誰よりも自分自身に証明しようとしていた。
「……そうか。わかったよ」
俺は短く、静かに告げた。
「予言しよう、ルドルフ。君は近いうちに、大きな失敗をする。だが、今の君を止めるつもりはない。やりたいようにやってみてくれ。今の君には、自分が納得するまで突き進む経験が必要だと判断した」
『ありがとう、トレーナー君。大勢のファンの前で、醜態を見せるわけにはいかないからね。必ず、最高のステージを成功させてみせるよ』
彼女の声には、義務感と誇りに裏打ちされた、悲痛なほどの決意が宿っていた。俺の目には、その先の結末が透けて見えていた。独断、過密スケジュール、そして「完璧」への固執。それらが複雑に絡み合った果てに待つのは、論理的な帰結としての敗北だ。だが、ここで無理に彼女の手を引き、安全な場所へ連れ戻せば、彼女は「自らの意思で歩き、自らの責任で転ぶ」という最も重要な教訓を得る機会を失うことになる。
たとえそれが泥沼に向かう道だとしても、彼女が自らハンドルを握り続けることに、今は価値があるのだ。
「どんな結果になろうと、これは二人で決めたことだ。俺は君が自由に振る舞うことを許可した」
俺は念を押すように、言葉を重ねた。
「だから、これから起きることは二人の責任だ。この決断は、俺たちの共有物だ。それを忘れないでくれ」
『ああ、感謝するよ』
通信が切れる。その瞬間、彼女の暴走は、孤独な独走から俺との「共犯」へと変わった。もし彼女が転んで、すべてを失ったと感じたとき、「勝手にやって自滅した」という孤独な後悔に焼き尽くされないように。俺が隣で、その泥の半分を被るという契約を交わしたのだ。
部屋に、元の静寂が戻る。
彼女はきっと、手痛い失敗を喫するだろう。期待を裏切り、皇帝の座を揺るがすような失態を演じるかもしれない。だが、それでいい。すべてを失い、自らの限界という名の壁に叩きつけられたとき、彼女は初めて、本当の意味で他者の手を必要とするはずだ。
独裁者としての完璧な鎧が砕け散ったその先にこそ、真の「皇帝」への道が開けている。彼女は近いうちに、業務の山に埋もれて立ち往生するか、あるいは過信した肉体の悲鳴を聞くことになるだろう。
それでいいのだ。
すべてが順風満帆なだけの道に、魂の成長など存在しない。
俺は、彼女が転ぶであろうその場所をあらかじめ見定めるように、窓の外に広がる暗い夜景を眺めた。
「さて、最高の失敗をしようじゃないか。ルドルフ」
俺は密かに、その「終わりの始まり」を受け入れる準備を始めた。
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