灰冠と香路の年代記   作:MOZIO

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第十章 燃える三つの港

ヴァルネリア西岸には、三つの港がある。

 

西港サン=ヴァレは、海峡交易の玄関口だった。

 

深い泊地と長い防波堤を持ち、アルビオン、セレスタ、ノルハイムの大型商船が入る。王国西部の毛織物と葡萄酒は、主にそこから海へ出た。

 

中央港ベルメールは、軍港だった。

 

王国海軍の小型艦隊。

 

沿岸警備船。

 

石造りの造船所。

 

港口には鎖塔があり、両岸から巨大な鉄鎖を引き上げれば、敵船の侵入を防ぐことができる。

 

東港グランセルは、三港の中で最も小さい。

 

漁船。

 

塩田。

 

干魚工房。

 

浅い入り江。

 

大型船は満潮時でも岸へ近づけない。

 

王国の戦略地図では、グランセルの横に小さく記されていた。

 

《防衛優先度、低》

 

地図上では一行。

 

だが、そこには七千人が暮らしていた。

 

漁師。

 

塩焼き人。

 

荷運び人。

 

パン職人。

 

宿屋の女主人。

 

老人。

 

子供。

 

王国が守るべき土地の優先順位を決めるとき、人間は町の名前ではなく、港の深さと倉庫の量を数える。

 

敵も同じように数える。

 

そして最も守りの薄い場所へ、人間がいることを知っている。

 

灰暦八百七十二年、夏の第三日。

 

三つの港は、ほぼ同時に燃え始めた。

 

---

 

## 一

 

中央港ベルメールの城壁上で、アルベリク・フォン・ライナーは最初の斉射を見送った。

 

王国軍の大型弩から放たれた黒い矢が、海面の上を低く飛ぶ。

 

一本は敵艦の舷側へ。

 

一本は盾へ。

 

一本は帆柱へ。

 

残りは海へ落ちた。

 

距離がまだ遠い。

 

命中率は低い。

 

だが射撃の目的は、敵を沈めることではない。

 

これ以上近づけば反撃する。

 

そう示すためだった。

 

敵艦から、すぐに返礼が来る。

 

アルビオン式長弓。

 

空が一瞬暗くなるほどの矢。

 

「盾!」

 

王国兵が盾を重ねる。

 

矢が石壁へ。

 

木盾へ。

 

人間へ。

 

アルベリクの左側にいた若い兵が、喉を押さえて倒れた。

 

矢尻は首当ての隙間から入っていた。

 

声は出ない。

 

口から血。

 

衛生兵が運ぶ。

 

戦死者帳には、まだ名前を書いていない。

 

戦闘前に全兵士名簿を作る時間がなかった。

 

兵籍が不完全な沿岸秘密軍。

 

公爵家から来た兵。

 

王都正規軍。

 

三つの帳簿。

 

同じ名前が二度ある者。

 

どこにもない者。

 

「第二射!」

 

アルベリクが命じる。

 

今度は距離が近い。

 

大型弩。

 

投石機。

 

石弾が海へ弧を描く。

 

先頭艦の船首楼を砕く。

 

木片。

 

人影。

 

灰冠旗の下で兵士が倒れる。

 

その隣には、アルビオン海王国旗。

 

二つの旗。

 

「どちらへ撃っているのでしょう」

 

王国軍副官リュックが言った。

 

「同じ船です」

 

「アルビオンへ宣戦したことになりますか」

 

「相手が決めるでしょう」

 

「我々ではなく?」

 

「戦争の名前を決めるのは、戦闘が終わったあとです」

 

港口の外。

 

敵艦十五隻。

 

大型艦六。

 

輸送船五。

 

小型護衛船四。

 

すべてが正規海軍の隊列ではない。

 

前衛が突出。

 

輸送船が中央。

 

後衛は間隔を空けすぎている。

 

王国海軍の航海官は言った。

 

「艦隊指揮官が一人ではありません」

 

「根拠は」

 

「帆の合図が統一されていない。先頭艦は灰色の三角旗。後衛はアルビオン海軍の青白旗を見ている」

 

同じ艦隊の中に、二つの命令系統。

 

灰冠派。

 

アルビオン王家派。

 

あるいは、秘密を知らされている者と、知らされていない者。

 

「分裂させられますか」

 

リュックが尋ねる。

 

「すでに分裂しています」

 

「では、そこを突く?」

 

「どうやって」

 

「王家旗だけを狙わない」

 

「灰冠旗の隣にあります」

 

「旗手だけを」

 

「射手が見分けられる距離ではありません」

 

アルベリクは敵艦を見る。

 

戦場では、敵を単純にする方が指揮しやすい。

 

全員が敵。

 

全員へ射て。

 

だが敵の中に、戦争を望んでいない者がいる可能性。

 

命令を誤解している者。

 

条約履行だと信じている者。

 

王命に従っていると思っている者。

 

その区別を無視すれば、灰冠が望む国家間戦争になる。

 

区別しようとすれば、味方が死ぬ。

 

「信号塔へ」

 

アルベリクは命じた。

 

「アルビオン王家旗を掲げる艦へ、個別に停戦信号」

 

「敵艦隊へ王家旗を?」

 

「白旗と並べろ」

 

「灰冠派も利用します」

 

「それでも送る」

 

信号塔に、白布とアルビオンの金獅子旗が上がる。

 

《女王陛下の正式命令を確認するまで、攻撃を停止せよ》

 

敵艦から返答はない。

 

代わりに、先頭艦が速度を上げた。

 

中央港の鎖塔へ向かう。

 

「鎖を上げろ!」

 

巨大な巻き上げ機。

 

兵士と港湾労働者が綱を引く。

 

海面下から鉄鎖が持ち上がる。

 

水。

 

海藻。

 

錆。

 

鎖は太い。

 

一つの輪が人間の胴ほどある。

 

だが完全には上がらない。

 

途中で止まった。

 

「何が起きた!」

 

鎖塔から伝令。

 

「西側巻き上げ機の歯が欠けています!」

 

「昨日の点検では」

 

「正常でした!」

 

破壊工作。

 

内部。

 

アルベリクは舌打ちしなかった。

 

怒りを使う時間はない。

 

「鎖を斜めで固定! 敵艦の船底へ絡ませろ!」

 

「封鎖できません!」

 

「沈める必要はない。速度を落とせ!」

 

港湾労働者が鎖へ木栓を打つ。

 

敵先頭艦が近づく。

 

船首に灰色の冠。

 

その下に名。

 

《王の慈悲》

 

王国の港へ侵入する船として、悪い冗談だった。

 

---

 

## 二

 

アルビオン農民弓兵トーマス・ヘイルは、東港へ向かう輸送船の甲板にいた。

 

生まれた村は、海から遠い。

 

湿地。

 

燕麦。

 

羊。

 

父は小作農。

 

母は領主館の洗濯女。

 

トーマスが長弓を持ったのは、村の法律で毎週練習を命じられていたからだ。

 

戦争へ行きたいと思ったことはない。

 

弓が上手かった。

 

それだけだった。

 

「矢を濡らすな!」

 

百人隊長ウィル・ブラッグが怒鳴る。

 

海水が甲板へ上がる。

 

トーマスは矢筒へ油布をかけた。

 

隣の兵士ネッドが吐いている。

 

「上陸したら治る」

 

トーマスが言う。

 

「死ねばもっと治る」

 

ネッドが答えた。

 

船は浅い東港へ入れない。

 

沖で小舟へ乗り換える。

 

五百人。

 

弓兵。

 

槍兵。

 

海兵。

 

灰色の外套を着た十数人。

 

彼らだけ、アルビオン軍の徽章をつけていない。

 

それでも士官より強い権限を持っている。

 

上陸前の命令を読み上げたのも、灰色の男だった。

 

「ヴァルネリア王国は先王協定を破棄し、正統なる秩序を脅かした」

 

男は言った。

 

「我々は征服者ではない。三港を一時保護し、住民、財産、信仰を守る」

 

トーマスは、正しい戦争だと思いたかった。

 

保護。

 

協定。

 

秩序。

 

村を出た兵士にとって、戦争の理由は自分で確かめられない。

 

だから言葉を信じる。

 

「略奪は禁止」

 

灰色の男が続けた。

 

「民家へ入るな。住民へ危害を加えるな。王国倉庫と港湾施設だけを確保する」

 

その命令には安堵した。

 

ネッドも。

 

百人隊長ウィルは、鼻で笑った。

 

「保護する相手が矢を射てば?」

 

灰色の男が答える。

 

「抵抗者は反乱者として処分する」

 

「女でも」

 

「武器を持てば兵士だ」

 

「子供でも」

 

灰色の男はウィルを見た。

 

「子供に武器を持たせる者を恨め」

 

責任は、いつも別の場所へ置かれる。

 

小舟が海岸へ近づく。

 

東港グランセル。

 

煙。

 

住民が倉庫から荷を運び出している。

 

兵士。

 

荷車。

 

子供。

 

「避難している」

 

トーマスが言う。

 

「我々を見て逃げてる」

 

ネッドが答える。

 

「保護されるのが嫌らしい」

 

砂浜に杭。

 

漁網。

 

逆茂木。

 

粗末な防御。

 

正式な城壁はない。

 

浜の奥に、若い貴族が立っていた。

 

銀百合ではなく、紫地に白鷹。

 

ヴァルネ公爵家。

 

ジュリアン・ド・ヴァルネ。

 

トーマスは名を知らない。

 

ただ、鎧が新しいことに気づいた。

 

自分と同じ。

 

初めての戦争。

 

灰色の男が手を上げる。

 

「弓兵、制圧射撃!」

 

トーマスは弓を構えた。

 

住民がまだ浜にいる。

 

「兵だけを狙え!」

 

ウィルが部下へ叫ぶ。

 

灰色の男が振り返る。

 

「港湾施設全体へ射て。避難を止めろ」

 

「最初の命令では住民を」

 

「命令が変わった」

 

「誰の命令だ」

 

「副提督だ」

 

「女王陛下の?」

 

男は答えなかった。

 

トーマスは弓を引いた。

 

標的。

 

盾を持つ兵。

 

その後ろに荷車。

 

荷車の上に老人。

 

狙いを少し右へ。

 

放つ。

 

矢は兵の盾へ。

 

別の弓兵の矢が、荷車を引く馬へ刺さった。

 

馬が暴れる。

 

荷車が横倒し。

 

老人が落ちる。

 

「射続けろ!」

 

命令。

 

トーマスは二本目を取った。

 

胸の中で、何かが狭くなった。

 

保護。

 

その言葉が、矢を放つたび別の意味へ変わっていく。

 

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## 三

 

東港グランセルでは、避難用の荷車が足りなかった。

 

ジュリアンが必要数を尋ねると、港役人は百二十台と答えた。

 

実際に集まったのは六十三台。

 

そのうち十四台は車輪が傷んでいる。

 

十台は商人が鍵をかけて使わせない。

 

残りは、王国軍が兵糧輸送に使っている。

 

「軍の荷車を出せ」

 

ジュリアンは命じた。

 

公爵家兵站官が反対する。

 

「矢と食糧を運べなくなります」

 

「住民を運ぶ」

 

「戦闘が続けば、我々が飢えます」

 

「半分」

 

「半分でも」

 

「公爵家の荷物を下ろせ」

 

ジュリアンの個人天幕。

 

予備鎧。

 

銀食器。

 

寝具。

 

従者用の酒。

 

すべて地面へ。

 

「公子殿の荷を?」

 

「私の荷車が最初だ」

 

貴族の荷を捨てる。

 

見せるための行動。

 

同時に必要。

 

それでも住民は動かない。

 

漁師は船を置けない。

 

商人は倉庫を離れない。

 

塩職人は、今年分の塩を敵へ渡すくらいなら燃やすと言う。

 

「丘陵へ避難してください!」

 

ジュリアンが叫ぶ。

 

「敵軍が上陸します!」

 

一人の老婆が返す。

 

「見れば分かる!」

 

「なら急いで」

 

「何を持っていける!」

 

「一人一袋」

 

「一袋で冬を越せるか!」

 

「命があれば」

 

「命だけで腹は膨れない!」

 

以前のジュリアンなら、命令へ従わせようとしたかもしれない。

 

王国軍。

 

公爵家。

 

権限。

 

だがアルベリクから、武器を持って説得しろと言われた。

 

殺すな。

 

強制するな。

 

「港が残れば戻れます」

 

「残らなければ?」

 

老婆が尋ねる。

 

答えられない。

 

「戻れないかもしれません」

 

正直に言った。

 

人々の顔が変わる。

 

「だから、持てるものを選んでください」

 

「公子様が選べ」

 

漁師の男が言った。

 

「家か、網か、父親の骨か。どれを置いていけばいい」

 

ジュリアンは答えられなかった。

 

そのとき、敵の最初の矢が飛んだ。

 

荷車の馬へ刺さる。

 

悲鳴。

 

住民が走る。

 

避難が始まる。

 

秩序ではない。

 

恐慌。

 

「列を作れ!」

 

誰も聞かない。

 

「子供と負傷者を先に!」

 

男たちは家へ戻る。

 

女は子供を探す。

 

兵士が道を塞ぐ。

 

荷車が衝突。

 

ジュリアンは馬へ乗ろうとした。

 

高い位置から指揮するため。

 

足を鐙へ。

 

アルベリクの言葉を思い出す。

 

馬上の領主は、人々から遠い。

 

サン・ルシアンで国王が石段へ立った話も。

 

ジュリアンは乗らなかった。

 

兜を脱ぐ。

 

声を通す。

 

「港の者、聞け!」

 

矢が近くへ刺さる。

 

怖い。

 

兜をかぶりたい。

 

「南街道は軍が守る! 荷車は一列! 歩ける者は荷を持つな!」

 

「持つなだと!」

 

「共同倉庫へ集める!」

 

「敵が来る!」

 

「残った兵が守る!」

 

「信用できるか!」

 

ジュリアンは自分の剣を抜いた。

 

一瞬、人々が黙る。

 

脅すと思った。

 

彼は剣を地面へ刺した。

 

「私も残る!」

 

言ったあと、後悔した。

 

公爵家後継者。

 

死ねば母の政治が崩れる。

 

アルベリクなら、そんな約束をするなと言う。

 

だが言葉は戻らない。

 

「最後の荷車が出るまで、私は港にいる!」

 

群衆の中で、誰かが叫ぶ。

 

「貴族は馬で逃げる!」

 

「私の馬を荷車へ繋げ!」

 

従者が驚く。

 

「公子殿!」

 

「やれ!」

 

軍馬は荷車向きではない。

 

暴れる。

 

それでも繋ぐ。

 

公爵家の白い軍馬が、老人と子供を載せた荷車を引き始める。

 

人々の動きが少し変わった。

 

完全な信用ではない。

 

だが公子が逃げ道を一つ失った。

 

それだけで、彼の命令を聞く理由が生まれた。

 

「塩田の水門を開けられますか」

 

港の女親方が近づいた。

 

マルタ・ルノー。

 

五十代。

 

塩焼き組合長。

 

「何のために」

 

「浜の北側を沈める」

 

「満潮は」

 

「半刻後」

 

「敵も小舟で」

 

「上陸したあとに開けば、戻れなくなる」

 

「我々も」

 

「南道は高い」

 

ジュリアンは地図を求めた。

 

マルタが地面へ指で描く。

 

塩田。

 

水路。

 

砂州。

 

敵上陸地点。

 

「北水門と東水門を同時に」

 

「人手は」

 

「組合員がいる」

 

「避難させるべきです」

 

「港を守る兵より、水門を知っている」

 

ジュリアンは彼女を見る。

 

民間人。

 

女。

 

五十代。

 

戦闘員ではない。

 

だが今、彼女を避難させれば水門は使えない。

 

「残れば死ぬかもしれません」

 

「公子様も」

 

自分が残ると言った。

 

他人へだけ逃げろとは言えない。

 

「水門班を二十人。護衛十人」

 

ジュリアンは命じた。

 

「北と東。合図まで開けない」

 

「合図は」

 

「教会鐘を三度」

 

「敵も聞く」

 

「意味は知らない」

 

オルシャと同じ。

 

鐘。

 

水。

 

異なる場所で、同じものが戦争を決める。

 

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## 四

 

西港サン=ヴァレでは、敵艦の姿が見えなかった。

 

だから守備隊長は、中央港から援軍を求められたとき、兵の半数を送ろうとした。

 

その決定を止めたのは、時計職人の弟子から届いた書状だった。

 

《軍務局命令を持つ船舶に注意》

 

《聖オルバン修道院名義の小麦八百樽、海上へ流出》

 

《海燕共同事業体との関連あり》

 

書状の署名はマティアス・コルヴァン。

 

文字は右手。

 

普段より歪んでいる。

 

腕を負傷したためだと、追記にあった。

 

西港監査官エリーズ・マルシャンは、書状を三度読んだ。

 

四十歳。

 

港湾秤組合の出身。

 

船の荷を量り、税を計算する役人。

 

軍人ではない。

 

だがサン・ルシアン協約後、都市側監査人として西港へ派遣された。

 

軍務局士官は、彼女を嫌っている。

 

「敵がいないのに兵を残すのですか」

 

守備隊長ギー・ロベルが言った。

 

「見えないからです」

 

「中央港は攻撃中」

 

「西港を空にすれば、ここへ来ます」

 

「艦隊は中央に十五隻」

 

「すべてですか」

 

「灯台報告では」

 

「霧の向こうを数えた?」

 

隊長は黙る。

 

「兵の半数ではなく、三分の一」

 

エリーズが言う。

 

「監査官に軍の指揮権はない」

 

「荷役人と倉庫鍵は都市の管轄です」

 

「兵だけで行く」

 

「矢と食糧なしで?」

 

互いに権限を持つ部分が違う。

 

だから協力しなければ動けない。

 

面倒。

 

遅い。

 

軍務卿が嫌った仕組み。

 

「三分の一」

 

隊長が折れた。

 

兵が出発した直後、港外に一隻の商船が現れた。

 

白い帆。

 

アルビオン商人旗。

 

船名。

 

《聖オルバンの慈悲》

 

修道院名。

 

偶然ではない。

 

「入港許可を求めています」

 

港役人が報告する。

 

「積荷は」

 

「避難民と小麦」

 

「どこから」

 

「中央港沖。戦闘を避けて西へ」

 

甲板に人影。

 

女。

 

子供。

 

老人。

 

少なくとも遠目には。

 

「入れるな」

 

エリーズが言った。

 

守備隊長が見る。

 

「避難民です」

 

「確認していない」

 

「沖へ置けば攻撃される」

 

「小舟を出して名簿確認」

 

「時間が」

 

「だから灰冠は避難民を使う」

 

「本当に避難民なら」

 

「助けます。船ごと入れないだけです」

 

守備隊長は迷った。

 

人道。

 

安全。

 

どちらを選んでも責められる。

 

「小舟二艘」

 

彼は命じた。

 

「医師と書記を」

 

小舟が近づく。

 

商船から縄梯子。

 

最初に降りてきたのは、泣いている女。

 

幼児。

 

次に老人。

 

本物に見える。

 

三人目の男。

 

漁師服。

 

手。

 

弓指の硬い皮。

 

エリーズは望遠鏡を持たない。

 

それでも動きに違和感。

 

避難民は船から下りたがる。

 

男たちは周囲を見る。

 

港の塔。

 

鎖。

 

兵数。

 

「戻せ!」

 

彼女が叫んだ。

 

遅い。

 

商船の側面が開いた。

 

隠し扉。

 

中から弩兵。

 

小舟へ射撃。

 

港役人が海へ落ちる。

 

商船は帆を下ろし、櫂を出した。

 

貨物船ではない。

 

改造軍船。

 

港口へ突入。

 

甲板の避難民たちが悲鳴。

 

人質。

 

本物の住民を盾にしている。

 

「鎖を上げろ!」

 

西港の鎖塔。

 

巻き上げ。

 

今度は正常。

 

鉄鎖が海面へ。

 

商船は止まらない。

 

「人質がいる!」

 

兵士が言う。

 

「鎖は船を沈める!」

 

「上げろ!」

 

エリーズが命じた。

 

「監査官!」

 

「港へ入れば何千人が危険になる!」

 

自分の口から出た言葉。

 

人数。

 

計算。

 

アルベリクと同じ。

 

船上の幼児が見える。

 

一人。

 

港の住民。

 

何千。

 

正しい。

 

そう言い聞かせる。

 

鎖が上がる。

 

商船の船首が乗り上げる。

 

速度。

 

船体が傾く。

 

人が海へ落ちる。

 

兵士も。

 

避難民も。

 

エリーズの胃が縮む。

 

「救助船!」

 

「敵が射ます!」

 

「盾をつけろ! 避難民だけでなく、落ちた全員を拾え!」

 

「敵兵も?」

 

「海で溺れる者を見分けられるか!」

 

港の小舟が出る。

 

商船から火矢。

 

狙いは救助船ではない。

 

港内の樽倉庫。

 

油。

 

瀝青。

 

火矢が屋根へ。

 

炎。

 

一つ。

 

二つ。

 

西港も燃え始めた。

 

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## 五

 

中央港へ突入した敵先頭艦《王の慈悲》は、半ば上がった鎖へ船底を擦らせた。

 

船体が大きく揺れる。

 

速度が落ちる。

 

王国軍の投石機が石弾を放つ。

 

船首楼へ。

 

一発。

 

二発目は外れる。

 

三発目が櫂手席を砕く。

 

それでも船は止まらない。

 

港壁へ接近。

 

鉤縄。

 

上陸橋。

 

「敵上陸!」

 

アルベリクは予備隊を下げていた。

 

城壁上に全兵を置けば、敵が別の地点へ上がったとき対応できない。

 

だが兵士には、後方に置かれることが臆病に見える。

 

「予備隊前進!」

 

待っていた沿岸軍。

 

兵籍確認を終えたばかり。

 

多くが、軍務卿の秘密軍から正規軍へ移された者。

 

昨日まで、国王に存在を知られていなかった。

 

今日、王国を守る。

 

指揮官は若い百人長アラン・フェーヴル。

 

軍務局の閉鎖を支持していた。

 

いまもシャルルを尊敬している。

 

「参謀殿」

 

アランが言う。

 

「軍務卿は本当に王を裏切ったのですか」

 

敵船が近づく中で尋ねる質問ではない。

 

だが兵士にとっては必要。

 

自分が誰のために戦うか。

 

「王命を拒みました」

 

アルベリクは答える。

 

「王国を守るために」

 

「はい」

 

「では、裏切りですか」

 

「裁判が決めます」

 

「今、我々が命を預ける答えではありません」

 

正しい。

 

兵士は曖昧な法哲学のために槍を構えられない。

 

「軍務卿は、王国を守ろうとした」

 

アルベリクは言った。

 

「方法を誤った。あなたたちは、その軍を正しい方法で使う」

 

アランは少し考えた。

 

「それなら戦えます」

 

「上陸橋を落とせ」

 

敵兵が橋を渡る。

 

灰色外套。

 

アルビオン海兵。

 

混在。

 

王国兵が槍で押す。

 

橋上。

 

逃げ場なし。

 

最初の男が胸を突かれる。

 

後ろの兵が押す。

 

死体が落ちない。

 

人間の壁。

 

アルビオン長弓兵が味方の頭越しに射る。

 

王国兵が倒れる。

 

アランが盾を掲げ、橋へ入る。

 

「押せ!」

 

敵と味方。

 

盾。

 

槍。

 

唾。

 

血。

 

橋の下は海。

 

落ちた者が鎧の重さで沈む。

 

アルベリクは城壁上から全体を見る。

 

個人の戦いへ入らない。

 

入れば、一人を救えるかもしれない。

 

同時に百人を見失う。

 

「第二敵艦、港口東へ!」

 

「鎖塔を狙っています!」

 

灰冠派は鎖塔を破壊し、後続艦を入れるつもり。

 

「火船を出せ」

 

王国軍副官が驚く。

 

「港内で?」

 

「敵先頭艦の後ろへ」

 

「味方の上陸戦が」

 

「船を焼くのではない。煙を作る」

 

湿った藁。

 

魚油。

 

生木。

 

小舟へ積み、火をつける。

 

黒い煙。

 

風は海から陸。

 

煙が敵後続艦へ流れる。

 

視界を奪う。

 

同時に港壁の王国兵も咳き込む。

 

「我々も見えません!」

 

「鎖塔の位置は知っている!」

 

敵は知らない。

 

煙の中、二隻目が進路を誤る。

 

浅瀬の杭へ。

 

船底が裂けるほどではない。

 

だが速度が落ちる。

 

鎖塔の大型弩が至近距離から射る。

 

太い矢が船腹を貫く。

 

「敵後衛、動きが変わりました!」

 

信号兵が叫ぶ。

 

霧と煙の向こう。

 

アルビオン王家旗だけを掲げる三隻が、帆を畳んでいる。

 

攻撃停止。

 

白旗。

 

一隻の小型高速艇が中央港へ向かう。

 

先頭に金獅子旗。

 

灰冠旗なし。

 

「罠か」

 

リュックが言う。

 

「射るな」

 

「敵船です」

 

「白旗だ」

 

「先ほど白旗の使者が攻撃を」

 

「だから白旗を無視すれば、次は誰も使わない」

 

高速艇の船首に女が立っている。

 

白い外套。

 

金獅子の首飾り。

 

片手に封印文書。

 

矢が飛ぶ。

 

王国側からではない。

 

灰冠先頭艦。

 

白旗艇へ。

 

「敵が自分の使者を撃った!」

 

二本。

 

三本。

 

艇の漕ぎ手が倒れる。

 

進路が乱れる。

 

灰冠艦が、小型艇を沈めようとしている。

 

「大型弩、灰冠艦へ集中!」

 

アルベリクが命じる。

 

「使者艇を守れ!」

 

今度は明確。

 

同じアルビオン旗の船同士が敵対した。

 

国ではない。

 

内部の戦争が、港の前で姿を現した。

 

---

 

## 六

 

東港へ上陸したアルビオン軍は、三つに分かれた。

 

第一隊は浜の守備兵。

 

第二隊は倉庫。

 

第三隊は塩田水門。

 

敵も地形を知っている。

 

誰かが図面を渡した。

 

「水門が狙われています!」

 

伝令が叫ぶ。

 

ジュリアンは教会鐘を見た。

 

合図を出すには早い。

 

満潮まで、あとわずか。

 

早く開けば水量が足りず、敵を止められない。

 

遅ければ水門を奪われる。

 

「水門班へ援軍!」

 

「何人」

 

兵は限られる。

 

浜。

 

避難路。

 

水門。

 

どこへ。

 

アルベリクなら数字を尋ねる。

 

敵数。

 

距離。

 

地形。

 

ジュリアンも尋ねた。

 

「北水門まで何歩」

 

「八百」

 

「敵は」

 

「約六十」

 

「守備」

 

「組合員二十、兵十」

 

「東水門」

 

「敵四十。守備十二」

 

「浜」

 

「敵主力三百以上」

 

「避難民」

 

「最後の荷車がまだ市場!」

 

すべて守れない。

 

「北水門へ四十」

 

「東は」

 

「開ける前に壊されれば」

 

「北だけでも浜の半分が沈む」

 

マルタが言った。

 

塩田組合長。

 

腕に傷。

 

「東を捨てる?」

 

ジュリアンが尋ねる。

 

「東は手動で壊せる」

 

「どういう意味です」

 

「堤を切る」

 

「戻せなくなる」

 

「来年の塩田が死ぬ」

 

「では」

 

「町が死ぬよりましだ」

 

彼女にとって塩田は人生。

 

組合員の仕事。

 

冬の収入。

 

それを壊す判断。

 

ジュリアンが命じるのではない。

 

彼女が提案している。

 

「堤を切ってください」

 

口にする。

 

来年の飢え。

 

失業。

 

税収。

 

すべて後に来る。

 

今日の命を取る。

 

正しいか。

 

分からない。

 

北水門へ援軍。

 

東水門では組合員が堤へつるはしを入れる。

 

敵弓兵が射る。

 

一人が倒れる。

 

別の者がつるはしを取る。

 

アルビオン側でも長弓兵が浜へ展開した。

 

トーマスは、倉庫方向へ走る味方を見た。

 

灰色の士官が油壺を配っている。

 

「倉庫を確保するのでは」

 

トーマスが百人隊長ウィルへ言う。

 

「見れば分かる」

 

「燃やす?」

 

「命令が変わったらしい」

 

「保護は」

 

ウィルが唾を吐く。

 

「保護する価値をなくせば、占領しやすい」

 

「女王陛下の命令ですか」

 

「女王の名前を使えば、何でも王命になる」

 

灰色の士官セドリック・ヴォーンが近づいた。

 

「弓兵隊、倉庫街へ火矢!」

 

ウィルが答えない。

 

「聞こえなかったか」

 

「中に住民がいます」

 

「避難は終わった」

 

「子供を見た」

 

「敵兵だ」

 

「五歳の敵兵か」

 

セドリックの顔が冷たくなる。

 

「百人隊長。命令拒否は反逆だ」

 

「誰への」

 

「アルビオン王冠へ」

 

「灰色の王冠か、金の王冠か」

 

周囲の兵が聞いている。

 

危険な問い。

 

セドリックは短剣を抜いた。

 

「拘束しろ」

 

灰色兵二人がウィルへ。

 

トーマスは動けなかった。

 

上官を助ければ反逆。

 

見捨てれば、倉庫へ火矢。

 

ネッドが小声で言う。

 

「下を向け」

 

兵士が生き延びる方法。

 

命令を見るな。

 

上官を見るな。

 

自分の足だけ。

 

だがトーマスの視界の端に、倒れた荷車がある。

 

矢を受けた馬。

 

老人は地面を這っている。

 

ヴァルネリア兵が老人を担ごうとして、こちらへ背を向けている。

 

撃てば倒せる。

 

正しい標的。

 

敵兵。

 

だが老人を救っている。

 

セドリックが火矢を受け取る。

 

「お前たちが撃たないなら、私が」

 

トーマスは弓を上げた。

 

セドリックが満足そうに見る。

 

トーマスは火矢ではなく、普通の矢をつがえた。

 

放つ。

 

矢はセドリックの手から火矢を弾いた。

 

男の指を裂く。

 

全員が止まる。

 

「何をした」

 

「誤射です」

 

トーマスは言った。

 

誰も信じない。

 

「捕らえろ!」

 

灰色兵が向かう。

 

ウィルが一人へ頭突き。

 

「弓兵隊!」

 

百人隊長が叫ぶ。

 

「金獅子へ忠誠を持つ者は、灰色の犬を止めろ!」

 

半分が動かなかった。

 

四分の一が灰色兵へ武器を向けた。

 

残りは混乱。

 

ネッドはトーマスの隣へ。

 

「お前のせいだ」

 

「誤射だ」

 

「次は上手く外せ」

 

アルビオン軍の内部で、最初の矢が味方へ向いた。

 

---

 

## 七

 

白旗の高速艇は、中央港の防波堤へ衝突するように到着した。

 

漕ぎ手の半数が死傷。

 

船首に立っていた女も、腕へ矢を受けている。

 

それでも封印文書を離さなかった。

 

「名を」

 

王国兵が槍を向ける。

 

「アルビオン女王陛下付き書記官、エレノア・グレイヴ」

 

ヴァルネリアの公爵夫人と同じ名。

 

アルベリクは一瞬だけ奇妙に感じた。

 

名前は国境を越える。

 

人間を区別するためのものが、別の場所では重なる。

 

「目的は」

 

「女王アデライン一世の命令を、副提督ローワン・ハーコートへ伝える」

 

「内容」

 

「艦隊を海峡西方へ戻し、ヴァルネリアへの介入を中止せよ」

 

王国側がざわめく。

 

「女王は侵攻を命じていない?」

 

「海務評議会の一部が、先王協定を根拠に出動を承認しました。女王陛下は承認していない」

 

「副提督は」

 

「評議会命令が王権に優先すると主張しています」

 

アルビオン内部の法争い。

 

女王。

 

海務評議会。

 

古い協定。

 

副提督。

 

灰冠。

 

それぞれが正統性を持つ。

 

「灰冠旗について」

 

アルベリクが尋ねる。

 

書記官の顔に怒り。

 

「女王陛下は、その存在を今月まで知りませんでした」

 

「海務評議会は」

 

「一部は知っている」

 

「どの議員が」

 

「名簿を持っています」

 

封印文書とは別の小冊子。

 

「そのため撃たれた?」

 

「おそらく」

 

アルベリクはリュックへ渡す。

 

写しを作る。

 

すぐ。

 

原本が失われても残るように。

 

「女王命令を敵艦へ」

 

「近づけません」

 

書記官が海を見る。

 

灰冠艦が白旗艇を射た。

 

「信号文へ変えます」

 

アルベリクが言った。

 

「正式暗号は」

 

「ここに」

 

アルビオン海軍信号表。

 

女王専用符号。

 

信号塔へ。

 

金獅子旗。

 

青白の縦旗。

 

三つの角灯。

 

昼の煙。

 

《アデライン女王の命令》

 

《ハーコート副提督は即時攻撃停止》

 

《従わぬ者は王冠への反逆者》

 

敵艦隊が見る。

 

最初に反応したのは後衛三隻。

 

灰冠旗を下ろす。

 

次にアルビオン海軍旗を半分下げる。

 

停戦。

 

先頭艦《王の慈悲》は、両旗を上げたまま。

 

返答信号。

 

《命令の真正性を認めず》

 

《女王はヴァルネリアの人質》

 

アルベリクが書記官を見る。

 

「女王はどこに」

 

「アルビオン王都です」

 

「人質ではない?」

 

「政治的には、海務評議会が王宮を封鎖しています」

 

完全な嘘ではない。

 

女王は自由。

 

同時に、評議会の圧力下。

 

「ハーコートは、どちらを信じても戦える形を作っている」

 

アルベリクが言う。

 

エレノア書記官が答える。

 

「彼は信じているのではありません」

 

「何を」

 

「勝てば正しかったことになると考えている」

 

戦場でよくある信仰。

 

「後衛三隻へ」

 

アルベリクは信号を送る。

 

《港外へ退避すれば攻撃しない》

 

王国兵が反発する。

 

「敵を逃がすのですか」

 

「停戦した者を攻撃すれば、残る艦も止まらない」

 

「あとで再び」

 

「そのとき戦う」

 

「甘い」

 

「一隻でも減れば、今日の死者が減る」

 

三隻がゆっくり後退する。

 

灰冠艦から矢。

 

味方だった船へ。

 

後衛艦も反撃。

 

アルビオン人同士の海戦。

 

二つの王冠。

 

同じ旗。

 

王国という言葉が、船ごとに違う意味を持ち始める。

 

---

 

## 八

 

東港の教会鐘が一度鳴った。

 

誤り。

 

三度が合図。

 

ジュリアンが塔を見る。

 

鐘守が落ちたのか。

 

敵が鳴らしたのか。

 

二度目。

 

間が長い。

 

三度目。

 

合図。

 

「水門を開けろ!」

 

北塩田。

 

組合員が巻き上げ棒を回す。

 

海水が水路へ。

 

最初は細い。

 

次に濁流。

 

東塩田では、堤が切られる。

 

塩水が低地へ広がる。

 

敵上陸兵の足元。

 

膝。

 

腰。

 

アルビオン兵は重い鎧ではない。

 

それでも流れと泥で動けなくなる。

 

小舟へ戻ろうとする。

 

浜と船の間に、新しい浅瀬と流れ。

 

「矢を!」

 

ヴァルネリア兵が射る。

 

ジュリアンが止めた。

 

「逃げる者へ射るな!」

 

「再編します!」

 

「武器を捨てた者だけだ!」

 

敵の一部は弓を持ったまま。

 

そこへは射る。

 

武器を投げた者には射ない。

 

戦場で見分ける。

 

難しい。

 

一人の兵が、武器を捨てるふりをして短剣を投げた。

 

王国兵の顔へ。

 

倒れる。

 

「だから撃つべきです!」

 

副官が叫ぶ。

 

「全員を撃てば、誰も降伏しない!」

 

ジュリアンは言い返した。

 

正しいか。

 

自信はない。

 

灰色兵とアルビオン弓兵の内部戦闘。

 

トーマスたちは倉庫街の前で、セドリックの部下と争っていた。

 

「女王命令だ!」

 

ウィルが叫ぶ。

 

証拠はない。

 

中央港の信号は東港から見えない。

 

ただ灰色旗への疑い。

 

「百人隊長は買収された!」

 

セドリックが叫ぶ。

 

傷ついた手。

 

怒り。

 

「ヴァルネリアへ寝返った!」

 

灰色兵が弩を構える。

 

トーマスが先に射る。

 

男の肩。

 

二本目。

 

足。

 

殺すつもりはなかった。

 

だが三本目は喉へ入った。

 

相手が動いた。

 

血。

 

トーマスは自分が同じ国の兵士を殺したと理解する。

 

身体が冷える。

 

ネッドが肩を叩く。

 

「あとで吐け!」

 

いまは射る。

 

倉庫の屋根に火。

 

セドリックの放った油壺。

 

乾いた木。

 

炎が広がる。

 

住民はまだ中。

 

「消火!」

 

ジュリアンは兵を分けようとした。

 

副官が止める。

 

「敵が目の前です!」

 

「倉庫に人が」

 

「戦列を薄くすれば突破されます!」

 

また選ぶ。

 

戦闘。

 

火災。

 

逃げ遅れ。

 

「港湾労働者へ消火を!」

 

「避難中です!」

 

「動ける者を戻す!」

 

「民間人を戦場へ?」

 

「中にも民間人がいる!」

 

命令が重なる。

 

伝令が走る。

 

誰かが聞き間違える。

 

一隊が消火ではなく、燃えていない倉庫へ火をつけた。

 

焦土命令と誤解。

 

「止めろ!」

 

ジュリアンが走る。

 

公子自ら。

 

敵の矢。

 

盾を持つ兵が前へ。

 

矢が盾へ刺さる。

 

「命令は消火だ!」

 

「敵へ渡す前に焼けと!」

 

「誰が」

 

「公子殿が!」

 

言葉が途中で変わった。

 

倉庫を敵へ渡すな。

 

必要なら焼く。

 

消火。

 

混乱の中で、最も単純な部分だけが残る。

 

焼け。

 

「火を止めろ!」

 

ジュリアンは倉庫前の油壺を蹴り倒す。

 

一つが割れる。

 

靴へ油。

 

炎が近い。

 

兵士が外套で消す。

 

「伝令は命令を復唱しろ!」

 

アルベリクに教えられた基本。

 

だが自分は、急いで省略した。

 

「公子殿、敵側から白布!」

 

トーマスたち。

 

アルビオン弓兵の一部が白布を掲げている。

 

灰色兵と戦いながら。

 

敵の中の敵。

 

ジュリアンは状況を理解できない。

 

「罠か」

 

副官が言う。

 

「分かりません」

 

「射ますか」

 

「白布へは射ない!」

 

「近づけば」

 

「弓を地面へ置かせろ!」

 

ヴァルネリア語は通じない。

 

ジュリアンはアルビオン語を少し学んでいた。

 

貴族教育。

 

詩。

 

外交。

 

戦場で使うとは思わなかった。

 

「弓を置け!」

 

発音が悪い。

 

トーマスは聞き取った。

 

弓を地面へ。

 

ウィルも。

 

ネッドも。

 

二十人ほど。

 

灰色兵が後ろから射る。

 

ネッドの背へ矢。

 

胸から出る。

 

彼は倒れた。

 

トーマスが振り返る。

 

ネッド。

 

泥。

 

血。

 

「走れ!」

 

ウィルが叫ぶ。

 

武器を置いたまま、ヴァルネリア側へ。

 

王国兵が槍を向ける。

 

「捕虜として受け入れろ!」

 

ジュリアンが命じた。

 

「さっきまで我々を射ていた!」

 

「だから捕虜だ!」

 

トーマスは泥へ膝をついた。

 

両手を上げる。

 

自分の国の兵から射られ、敵国へ降伏する。

 

正しい王冠を選んだのか。

 

生き延びたいだけなのか。

 

分からない。

 

隣でウィルが言った。

 

「頭を下げろ、農夫」

 

「女王へ反逆したことになりますか」

 

「女王がどっち側か、あとで聞け」

 

---

 

## 九

 

西港の炎は、倉庫から帆布工房へ移った。

 

風は陸から海。

 

港全体へは広がりにくい。

 

だが火矢を放った工作員は、風向きを知っていた。

 

最初に瀝青倉庫。

 

次に乾燥麻。

 

最後に船具庫。

 

火災が防波堤沿いに帯のように伸びる。

 

守備隊は救助、消火、工作員との戦闘へ分かれた。

 

商船《聖オルバンの慈悲》は鎖へ乗り上げ、港口を半分塞いでいる。

 

中から灰色兵が上陸橋を伸ばそうとする。

 

船上には避難民。

 

戦闘員と混在。

 

「大型弩で船腹を」

 

守備隊長ギーが言う。

 

エリーズは首を振った。

 

「人質がいる」

 

「港へ入れれば被害が増える」

 

「鎖で止まっています」

 

「工作員が鎖塔へ向かっている」

 

見る。

 

海へ飛び込んだ灰色兵が、鎖を伝って塔へ。

 

「弓兵!」

 

射る。

 

一人が落ちる。

 

二人目。

 

三人目は鎖の裏へ隠れる。

 

「塔の兵へ」

 

伝令が走る。

 

途中で火。

 

道が塞がる。

 

「私が行きます」

 

エリーズが言った。

 

「監査官が?」

 

「塔の予備鍵を持っています」

 

「渡せ」

 

「あなたが死ねば誰が指揮する」

 

「あなたが死んでも監査はできる」

 

「港の秤は誰が正しくする」

 

「今、秤の話か!」

 

「軍人は分からないことを命令で埋める」

 

マティアスと同じ言葉。

 

エリーズは煙の中へ走った。

 

護衛五人。

 

火。

 

倒れた樽。

 

逃げる住民。

 

一人の子供が母を探している。

 

止まりたい。

 

塔が先。

 

人数。

 

港。

 

子供。

 

選択。

 

「この子を!」

 

近くの荷役人へ押しつける。

 

「母親を探せ!」

 

自分は行く。

 

鎖塔の下。

 

灰色兵二人が扉へ。

 

守備兵は死んでいる。

 

一人の工作員が鍵穴へ工具。

 

エリーズは弩を持っていない。

 

腰の短剣。

 

使ったことはない。

 

護衛が戦う。

 

一人倒れる。

 

工作員が塔へ入る。

 

「予備鍵!」

 

エリーズが内側の鉄扉へ。

 

正規の鍵。

 

灰色兵は巻き上げ室。

 

鎖を下ろそうとしている。

 

巨大な歯車。

 

一度動けば、商船が港へ入る。

 

エリーズは鍵を抜き、巻き上げ機の歯車へ投げ込んだ。

 

金属音。

 

歯車が噛む。

 

鍵が折れる。

 

機構が止まる。

 

「何をした!」

 

灰色兵が彼女へ向かう。

 

「港を閉じました」

 

「開けられなくなるぞ!」

 

「あなたにも」

 

男が短剣。

 

エリーズは逃げる場所がない。

 

巻き上げ棒を両手で持つ。

 

重い木。

 

振る。

 

男の肩へ。

 

遅い。

 

短剣が脇腹を掠める。

 

痛み。

 

もう一度。

 

今度は膝。

 

男が崩れる。

 

護衛が追いつき、押さえる。

 

「殺すな!」

 

エリーズが叫ぶ。

 

「生け捕りに!」

 

「なぜ」

 

「誰が小麦を運ばせたか聞く!」

 

火災の中でも帳簿。

 

誰が。

 

どの命令。

 

どの金。

 

戦争を終わらせるには、倒すだけでは足りない。

 

港口では、避難民を乗せた小舟が戻ってくる。

 

一艘目。

 

二艘目。

 

敵兵も一緒。

 

武器を捨てた者。

 

鎖へ乗り上げた商船から、煙。

 

船内に火。

 

誰がつけた。

 

工作員。

 

避難民。

 

事故。

 

分からない。

 

「船が燃えます!」

 

「残る人を全部下ろせ!」

 

「敵兵が抵抗!」

 

「抵抗する者だけ拘束!」

 

灰色兵の一人が船倉へ走る。

 

小麦袋。

 

油壺。

 

「止めろ!」

 

弓。

 

矢。

 

男が倒れる。

 

油壺は落ちたが割れない。

 

小麦八百樽。

 

軍務局から消えた一部。

 

船倉にある。

 

灰冠は、小麦を運び出しただけではない。

 

西港へ持ち戻し、攻撃者の補給に使おうとしていた。

 

王国の小麦で、王国の港を奪う。

 

「積荷を確保!」

 

エリーズは脇腹を押さえた。

 

血は少ない。

 

まだ立てる。

 

「一袋ずつ数えろ!」

 

守備隊長が叫ぶ。

 

「今、数えるのか!」

 

「監査官の命令だ!」

 

エリーズは言っていない。

 

だが悪くない。

 

燃える港で、小麦を数える。

 

失われたものを、もう一度帳簿へ戻す。

 

---

 

## 十

 

中央港の戦闘は、敵艦隊の分裂によって終わらなかった。

 

むしろ激しくなった。

 

ハーコート副提督は、停戦した三隻を裏切りと判断した。

 

灰冠派艦へ命令。

 

王家派船への攻撃。

 

ヴァルネリア港への突入。

 

両方。

 

戦線が崩れる。

 

敵と敵。

 

敵と味方。

 

港の煙。

 

信号旗。

 

誰が誰へ射ているか分からない。

 

「王家派船へ識別布を送れ!」

 

「どうやって」

 

「青白旗の上に白布!」

 

「灰冠派も真似ます!」

 

「なら信号順を変える!」

 

アルビオン書記官エレノアが暗号を選ぶ。

 

女王専用。

 

三本の旗。

 

短い煙。

 

角笛。

 

王家派三隻が応じる。

 

四隻目。

 

迷っている。

 

灰冠旗はない。

 

アルビオン旗だけ。

 

だが攻撃を続けている。

 

「どちらです」

 

リュックが尋ねる。

 

「本人たちも分かっていない」

 

アルベリクが答える。

 

命令が届かない。

 

副提督の命令が正式だと信じる。

 

女王命令は偽造だと聞かされる。

 

戦闘中に法的正統性を判断しろと言われても、兵士には不可能。

 

「第四艦へ矢文」

 

《女王書記官が港内にいる》

 

《代表を送れ》

 

矢文が届く。

 

返答はない。

 

代わりに船が少し進路を変える。

 

攻撃角度から外れる。

 

完全停戦ではない。

 

迷い。

 

それで十分。

 

「《王の慈悲》、上陸橋が崩れます!」

 

予備隊アランの部隊が押し返している。

 

橋上の死体。

 

敵兵。

 

王国兵。

 

足場が血で滑る。

 

橋の支えが投石で割れる。

 

「後退しろ!」

 

アランが叫ぶ。

 

敵ではなく味方へ。

 

橋が落ちる。

 

撤退。

 

数人が間に合わない。

 

敵船側へ取り残される。

 

一人がこちらへ跳ぶ。

 

届かない。

 

海。

 

アルベリクは見た。

 

名前は分からない。

 

戦死者帳へ、あとで。

 

「火を!」

 

誰かが叫ぶ。

 

王国兵が敵船へ油壺を投げようとしている。

 

「止めろ!」

 

アルベリクが命じる。

 

「なぜ!」

 

「取り残された味方がいる!」

 

「数人です!」

 

兵士が言った。

 

「敵は数百!」

 

人数。

 

合理。

 

いつも自分が使う言葉。

 

「捕虜になります!」

 

「敵船が港内に残れば、後続が入る!」

 

正しい。

 

火をつければ船を止められる。

 

味方数人。

 

敵数百。

 

港数千。

 

アルベリクは決めなければならない。

 

「油壺を投げろ」

 

命令。

 

取り残された王国兵が、こちらを見た。

 

聞こえたか。

 

一人が敵兵へ剣を向ける。

 

一人は海へ飛ぶ。

 

残る者は手を上げた。

 

降伏。

 

油壺が飛ぶ。

 

敵船甲板へ。

 

火。

 

灰色旗が燃える。

 

アルビオン旗も。

 

取り残された王国兵の姿は煙に消える。

 

「記録を」

 

アルベリクが言う。

 

リュックが答えない。

 

「橋に残った兵の名を」

 

「あとで確認します」

 

声が硬い。

 

「私の命令で油を投げたと書け」

 

副官が彼を見る。

 

「必要ですか」

 

「必要です」

 

敵船が炎の中で後退しようとする。

 

鎖へ船底。

 

動けない。

 

ハーコート副提督は旗艦から別の小型船へ移ろうとしている。

 

「副提督が逃げます!」

 

「生け捕りに」

 

「港外へ出ます」

 

「王家派船へ遮断を求めろ」

 

金獅子信号。

 

王家派の一隻が進路を変える。

 

ハーコートの小舟へ向かう。

 

副提督は味方船へ矢を放たせた。

 

完全な決裂。

 

王家派船も反撃。

 

小舟の漕ぎ手が倒れる。

 

ハーコートが海へ。

 

鎧を脱ぐ。

 

泳ぐ。

 

灰冠の小型艦が救助へ。

 

王国大型弩が狙う。

 

「射ますか」

 

「船へ」

 

「副提督は」

 

「生きている方がよい」

 

弩矢が小型艦の櫂を砕く。

 

王家派船から小舟。

 

ハーコートを先に拾う。

 

アルビオン人の手で拘束。

 

灰冠派艦隊の指揮が崩れた。

 

---

 

## 十一

 

東港で堤が切れたあと、戦場は海と陸の間になった。

 

塩水。

 

泥。

 

燃える倉庫。

 

逃げる住民。

 

降伏したアルビオン弓兵。

 

なお戦う灰色兵。

 

ジュリアンは、捕虜を後方へ送る余裕がなかった。

 

「武器を集め、教会へ!」

 

「教会は避難民で満員です!」

 

「では魚市場!」

 

「燃えています!」

 

「塩倉庫!」

 

「敵が近い!」

 

場所がない。

 

捕虜二十。

 

負傷者。

 

敵味方。

 

「ここで座らせろ!」

 

泥の上。

 

王国兵を周囲へ。

 

トーマスが両手を上げたまま言う。

 

「灰色の兵は北水門を爆破する」

 

ジュリアンはアルビオン語を聞き取る。

 

「何を」

 

「水門を壊し、町全体へ海を入れる」

 

「なぜ」

 

「撤退路を作る。船を内側へ」

 

「北水門は開いている」

 

「外門を壊せば、満潮の海が直接入る」

 

塩田用の制御水門と、海側の防潮門。

 

違う。

 

マルタが青ざめる。

 

「町の低地が沈む」

 

「どれほど」

 

「市場から教会下まで」

 

避難民。

 

まだいる。

 

「敵数は」

 

トーマスが答える。

 

「灰色の外套、三十。油壺と樹脂筒」

 

火薬ではない。

 

圧縮樹脂。

 

破裂。

 

水門の木枠を壊すには十分。

 

「なぜ教える」

 

ジュリアンが尋ねる。

 

トーマスはネッドの死体を見る。

 

泥の中。

 

「女王のためです」

 

「女王命令を見ていない」

 

「だから確認するまで、港を沈める側には立たない」

 

百人隊長ウィルが笑う。

 

「農夫にしては長い答えだ」

 

「百人隊長は」

 

「給金のためだ」

 

「どちらの?」

 

「生きて払う方」

 

正義だけではない。

 

それでも情報は必要。

 

「捕虜を案内役に?」

 

公爵家副官が反対する。

 

「罠です」

 

「本当なら、避難民が死ぬ」

 

「嘘なら我々が」

 

「私が行きます」

 

ジュリアンが言う。

 

副官の顔が歪む。

 

「公子殿は港に残ると約束しました。前線へ行くとは」

 

「水門も港です」

 

「後継者が」

 

「母上の話は今するな」

 

アルベリクなら、指揮官が前へ出すぎるなと言う。

 

だが水門の位置を知る者。

 

マルタ。

 

トーマス。

 

少数。

 

「兵五十。マルタ殿。捕虜二名」

 

「誰を」

 

トーマスとウィル。

 

「弓は渡せない」

 

「短剣も」

 

「分かっている」

 

「逃げれば」

 

「海へ逃げる」

 

ウィルが言った。

 

「泳げますか」

 

「無理だ」

 

「では安心です」

 

敵味方の奇妙な隊が水門へ。

 

道中、燃える家。

 

住民が荷物を運ぶ。

 

ジュリアンは止まれない。

 

助けたい。

 

だが水門が壊れれば全員。

 

人数。

 

また。

 

「公子様!」

 

老婆。

 

先ほど家と網と父の骨のどれを置くか尋ねた女。

 

腕に箱。

 

「丘へ!」

 

「息子が戻らない!」

 

「名前は」

 

「ポール!」

 

「兵へ伝える!」

 

「公子様が探せ!」

 

「行けません!」

 

女の顔に失望。

 

怒り。

 

「残ると言った!」

 

「港に残っています!」

 

「ここも港だ!」

 

言い返せない。

 

水門へ進む。

 

背中に罵声。

 

指揮官の約束は、聞く者ごとに意味が違う。

 

北水門。

 

灰色兵が樹脂筒を木枠へ。

 

火。

 

「射手!」

 

王国兵が弩を構える。

 

距離。

 

敵も。

 

矢。

 

最初の王国兵が倒れる。

 

トーマスは弓を持っていない。

 

足元に、死んだ灰色兵の短弓。

 

拾えば、逃亡と見られる。

 

「使え」

 

ジュリアンが言った。

 

副官が驚く。

 

「公子殿!」

 

「水門の樹脂筒を狙え」

 

「私を信用する?」

 

トーマスが尋ねる。

 

「しない」

 

ジュリアンは答えた。

 

「外せば、隣の兵があなたを射る」

 

「分かりやすい」

 

トーマスが弓を取る。

 

短弓は慣れない。

 

長弓より軽い。

 

狙い。

 

樹脂筒の導火紐。

 

一本目。

 

外れる。

 

王国兵が彼へ弩を向ける。

 

「次」

 

ジュリアンが言う。

 

二本目。

 

紐を固定する木栓へ。

 

当たる。

 

樹脂筒が水へ落ちる。

 

火が消える。

 

三本目。

 

別の筒を持つ灰色兵の手。

 

男が落とす。

 

王国兵が前進。

 

盾。

 

泥。

 

近接戦。

 

ウィルは武器を持たないまま、倒れた兵の盾を拾う。

 

「武器ではない!」

 

誰へ言う。

 

王国兵か。

 

自分か。

 

盾で灰色兵を押す。

 

ジュリアンも剣。

 

最初の敵。

 

斬る。

 

肩。

 

血。

 

男が倒れる。

 

殺したか。

 

確認する時間はない。

 

水門木枠に火。

 

マルタが海水を桶で。

 

「消えない!」

 

油。

 

「砂!」

 

塩。

 

湿った泥。

 

投げる。

 

炎を覆う。

 

灰色兵の隊長セドリック・ヴォーンが、水門上へ立っていた。

 

手に傷。

 

トーマスの矢。

 

「裏切り者!」

 

彼はトーマスへ弩を向ける。

 

ジュリアンが間へ。

 

矢が新しい鎧へ。

 

胸。

 

衝撃。

 

倒れる。

 

「公子殿!」

 

鎧を貫いていない。

 

息ができない。

 

トーマスが射る。

 

セドリックの脚。

 

男が膝をつく。

 

ウィルが盾で殴り、落とす。

 

海水。

 

セドリックが流れへ。

 

手を伸ばす。

 

トーマスと目が合う。

 

助けるか。

 

敵。

 

同国人。

 

灰色の命令者。

 

トーマスは弓を置き、手を伸ばした。

 

「何を!」

 

ウィルが叫ぶ。

 

「生きて話させる!」

 

ジュリアンと同じ言葉。

 

セドリックの腕を掴む。

 

男は短剣を抜こうとする。

 

トーマスが手首を蹴る。

 

王国兵も引く。

 

捕縛。

 

灰冠の指揮官。

 

生きている。

 

水門は守られた。

 

だが東港の倉庫街は燃えていた。

 

塩田の半分は海へ沈み、来年の生産は望めない。

 

避難民の最後の列は、丘陵へ届いた。

 

全員ではない。

 

市場に残った者。

 

家へ戻った者。

 

矢に倒れた者。

 

ポールという男も、まだ見つからない。

 

ジュリアンは胸を押さえて立った。

 

鎧に矢。

 

新しい銀板へ傷。

 

もう古く見せる必要はない。

 

---

 

## 十二

 

中央港の戦闘が終わったのは、正午を過ぎた頃だった。

 

灰冠派艦隊。

 

沈没二。

 

拿捕四。

 

座礁一。

 

逃走二。

 

王家派へ転じた艦四。

 

所在不明二。

 

数が合わない。

 

霧の中へ消えた船。

 

東港。

 

西港。

 

あるいは外海。

 

王国側。

 

沿岸警備船三隻沈没。

 

鎖塔損傷。

 

造船所の一部炎上。

 

死者。

 

数え切れていない。

 

ハーコート副提督は、アルビオン王家派の艦内で拘束された。

 

ヴァルネリアへの引き渡しを、アルビオン書記官エレノアは拒んだ。

 

「女王陛下の臣下です」

 

「我が国の港を攻撃した」

 

アルベリクが言う。

 

「アルビオン法廷で裁く」

 

「灰冠の帳簿を持っています」

 

「共同尋問を」

 

「身柄は」

 

「アルビオンが保持」

 

互いに譲らない。

 

戦闘直後。

 

まだ弓が届く距離。

 

「逃がす可能性」

 

アルベリクが言う。

 

「ヴァルネリアが拷問する可能性」

 

「否定しません」

 

「正直ですね」

 

「死なせません」

 

「我々も」

 

信用できない。

 

だから手順。

 

「拘束室の鍵を三つ」

 

アルベリクが提案する。

 

「アルビオン王家代表。ヴァルネリア代表。オルシャ共同調査団が到着後、第三鍵」

 

「到着まで」

 

「二鍵で開かない箱へ」

 

「人間を箱に?」

 

「扉です」

 

書記官は少し笑った。

 

「鍵守の影響ですか」

 

「世界中が、同じ問題へ同じ答えを探しています」

 

一人に預けない。

 

遅くする。

 

監視し合う。

 

ハーコートは王家派艦の船倉へ。

 

扉に二つの錠。

 

三つ目の穴を空ける。

 

オルシャ調査団が来るまで開かない仕組みでは、食事もできない。

 

だから内側に小窓。

 

監視二名。

 

完全ではない。

 

それでも一人の命令では消せない。

 

「副提督の最初の供述を」

 

アルベリクが求める。

 

エレノア書記官が紙を渡す。

 

一行。

 

《私はアルビオン王国の利益のため行動した》

 

灰冠の名は出さない。

 

「利益とは」

 

「三港の確保。ヴァルネリア内戦の防止。海峡秩序」

 

「内戦は起きていない」

 

「軍務局が王命を拒否した」

 

「解決しました」

 

「艦隊出港時には」

 

「だから攻撃を続けた?」

 

書記官は答えない。

 

ハーコートが本当に灰冠へ忠誠を持つのか。

 

アルビオンの強国化を望んだだけか。

 

灰冠から金を受け、同時に愛国者である可能性。

 

人間は、売国と忠国を同時に行える。

 

自分の国に利益を与えるため、国の法を壊す。

 

軍務卿シャルルと似ている。

 

違いは、どちらの王冠を守ろうとしたかだけかもしれない。

 

---

 

## 十三

 

三港の報告が集まったのは、夕暮れだった。

 

### 中央港ベルメール

 

防衛成功。

 

敵主力撃退。

 

港湾鎖、大破。

 

王国造船所、三分の一焼失。

 

軍民死者、暫定四百十二。

 

敵死者、不明。

 

捕虜六百以上。

 

### 東港グランセル

 

住民避難、おおむね成功。

 

敵上陸隊撃退。

 

北水門防衛。

 

東塩田堤防、破壊。

 

倉庫街、七割焼失。

 

死者、暫定二百八十一。

 

行方不明、百三十以上。

 

捕虜、アルビオン正規兵百七十。灰冠契約兵六十三。

 

### 西港サン=ヴァレ

 

港口防衛。

 

工作船拿捕。

 

小麦七百四十六樽を回収。

 

残りは焼失または海没。

 

瀝青倉庫、帆布工房、船具庫焼失。

 

死者、暫定百九十九。

 

避難民の死者を含む。

 

三港合計。

 

千人近い死者。

 

戦闘一日。

 

正式な宣戦布告なし。

 

「勝利です」

 

王国軍副官リュックが言った。

 

アルベリクは報告書を見る。

 

三港を守った。

 

敵艦隊を分裂させた。

 

捕虜。

 

証拠。

 

戦略上、勝利。

 

「はい」

 

答える。

 

兵士は勝利の言葉を必要とする。

 

家族へ。

 

王都へ。

 

敵へ。

 

「ただし」

 

アルベリクは続けた。

 

「明日から食糧不足が始まる」

 

東港倉庫。

 

西港船具。

 

中央造船所。

 

塩田。

 

港を守った。

 

港の機能は傷ついた。

 

敵は三港を占領できなかった。

 

それでも交易は止まる。

 

灰冠会議の目的。

 

戦争で勝たなくても、価格を動かせる。

 

「小麦七百四十六樽を三港へ」

 

「西港が回収した物です」

 

「王国軍から盗まれた小麦です」

 

「軍の備蓄へ戻すべきでは」

 

「民間配給と半分」

 

「沿岸軍が」

 

「兵も民間市場から買う」

 

「価格が上がります」

 

「統制する」

 

「商人が隠す」

 

「監査人を」

 

リュックが苦い顔。

 

「戦闘より面倒ですね」

 

「戦争は、戦闘のあとが長い」

 

アルベリクは戦死者帳を開いた。

 

中央港。

 

上陸橋に残った兵。

 

名簿照合。

 

五人。

 

ピエール・ラコスト。

 

ジャン・バルネ。

 

オットー・メル。

 

サミュエル・クライン。

 

一人、不明。

 

秘密軍の兵籍にない。

 

服の内側に、妻らしき女の名。

 

《アニエスへ》

 

本人の名はない。

 

「不明兵一名」

 

書こうとして止める。

 

特徴。

 

年齢。

 

髪。

 

傷。

 

装備。

 

《沿岸軍所属と推定。左前腕に錨の刺青。上陸橋に取り残され、指揮官命令による火攻めの後、所在不明》

 

指揮官。

 

自分。

 

記録する。

 

許されるためではない。

 

次に同じ判断をするとき、自分が何をしたか忘れないため。

 

---

 

## 十四

 

東港の丘で、ジュリアンは避難民の名簿を読み上げていた。

 

生存者。

 

負傷者。

 

行方不明者。

 

一人ずつ。

 

住民が答える。

 

「いる」

 

「施療所」

 

「死んだ」

 

「分からない」

 

ポール・ルノー。

 

返事なし。

 

先ほどの老婆が前にいる。

 

息子。

 

見つからない。

 

「捜索を続けています」

 

ジュリアンが言う。

 

「公子様は探すと言った」

 

「兵へ伝えました」

 

「自分で探すとは言わなかった?」

 

言っていない。

 

だが女には、そう聞こえたのかもしれない。

 

「申し訳ありません」

 

公爵家後継者が老婆へ頭を下げる。

 

周囲が静かになる。

 

「謝れば帰るか」

 

「帰りません」

 

「なら謝るな」

 

「それでも、探せなかったことは」

 

「お前は何人救った」

 

老婆が尋ねる。

 

ジュリアンは答えられない。

 

避難者数。

 

五千以上。

 

自分一人の功績ではない。

 

「分かりません」

 

「何人捨てた」

 

「分かりません」

 

「それを分からないまま、勝ったと言うのか」

 

「言いません」

 

遠くで、兵士が勝利の歓声を上げている。

 

灰冠兵を捕らえた。

 

水門を守った。

 

「港は守りました」

 

ジュリアンは言った。

 

「私の家は燃えた」

 

「はい」

 

「塩田も」

 

「はい」

 

「何を守った」

 

問い。

 

地図上の港。

 

港湾権。

 

水門。

 

住民。

 

すべて同じではない。

 

「人を」

 

「ポールはいない」

 

「全員は守れませんでした」

 

老婆は彼を長く見た。

 

「次は、全員守れ」

 

不可能な命令。

 

「努力します」

 

「約束しろ」

 

アルベリクなら、守れない約束をするなと言う。

 

ギヨームも。

 

だが女は約束を求める。

 

理屈ではなく。

 

息子を失った可能性の前で。

 

「約束できません」

 

ジュリアンは答えた。

 

女の顔に怒り。

 

「ただ、探すことは約束します」

 

「いつまで」

 

「見つかるまで」

 

生存でも。

 

死体でも。

 

記録でも。

 

女は何も言わず去った。

 

夜。

 

捜索隊が、崩れた魚市場で男を見つけた。

 

生きていた。

 

梁の下。

 

脚を折っている。

 

名はポール。

 

報告を受けたジュリアンは、自分で老婆の天幕へ行こうとした。

 

途中で止まる。

 

英雄のように知らせたいのか。

 

自分が救ったわけではない。

 

捜索隊の兵が見つけた。

 

「見つけた兵士本人に知らせさせてください」

 

ジュリアンは言った。

 

副官が少し笑った。

 

「公子殿らしくありません」

 

「どういう意味です」

 

「三日前なら、自分で行ったでしょう」

 

「悪いことですか」

 

「分かりません」

 

ジュリアンも。

 

変わったことが成長とは限らない。

 

ただ、誰の功績かを考えるようになった。

 

---

 

## 十五

 

捕虜となったトーマス・ヘイルは、東港の塩倉庫に座っていた。

 

周囲にアルビオン兵。

 

灰色兵とは分けられている。

 

百人隊長ウィル。

 

負傷。

 

腕を吊る。

 

ネッドの姿はない。

 

死んだ。

 

遺体は戦場。

 

「女王命令は本物だった」

 

ジュリアンが入ってきた。

 

アルビオン語。

 

ぎこちない。

 

手に写し。

 

アデライン女王の攻撃停止命令。

 

トーマスは読む。

 

文字は少し。

 

封印は分かる。

 

金獅子。

 

本物だと、ウィルが言う。

 

「我々は反逆者ですか」

 

トーマスが尋ねる。

 

ジュリアンは答えに困る。

 

「途中まで、副提督命令へ従いました」

 

「女王命令を知らなかった」

 

「知ったあと、灰色兵へ反抗した」

 

「だから?」

 

「アルビオンの法が決める」

 

「あなたは決めない?」

 

「私は捕虜として扱う」

 

「敵ですか」

 

「今日、私を射ました」

 

「あなたも私の仲間を」

 

「はい」

 

二人の間に沈黙。

 

敵。

 

味方。

 

女王派。

 

灰冠派。

 

捕虜。

 

協力者。

 

一人に複数の名前。

 

「水門を守った功績を記録します」

 

ジュリアンが言う。

 

トーマスが笑った。

 

「捕虜の功績?」

 

「事実です」

 

「帰国したら、裏切りの証拠になります」

 

「では書かない?」

 

トーマスは考える。

 

ネッド。

 

灰色兵に背を射られた。

 

彼は最後まで金獅子へ忠誠を持っていたのか。

 

ただトーマスについてきただけか。

 

記録されなければ、反逆兵として終わるかもしれない。

 

「書いてください」

 

「名を」

 

「トーマス・ヘイル。フェン湿地、ロウ村」

 

「百人隊長」

 

「ウィル・ブラッグ」

 

「亡くなった兵」

 

トーマスはネッドの正式名を思い出そうとする。

 

ネッド。

 

皆がそう呼んだ。

 

「エドワード・プライス」

 

「故郷は」

 

「分かりません」

 

「特徴を」

 

左耳が欠けていた。

 

羊に噛まれたと言っていた。

 

本当かは知らない。

 

笑うと前歯が見えた。

 

海でずっと吐いていた。

 

「左耳の上が欠けています」

 

ジュリアンの書記が記す。

 

敵兵。

 

同じ大きさの文字。

 

「あなた方の女王使節が、中央港にいます」

 

ジュリアンが言う。

 

「身柄について交渉します」

 

「帰れますか」

 

「分かりません」

 

「処刑は」

 

「しません」

 

「約束できますか」

 

今度はジュリアンが問われる。

 

「私の指揮下では」

 

限定。

 

守れる範囲。

 

「それで十分です」

 

トーマスは答えた。

 

完全な約束より、範囲のある約束。

 

戦争の一日で、彼も少し変わっていた。

 

---

 

## 十六

 

三港会議は、戦闘翌日に中央港の焼けた造船所で開かれた。

 

屋根の半分がない。

 

海が見える。

 

焦げた木。

 

血の跡。

 

出席者。

 

アルベリク。

 

ジュリアン。

 

西港監査官エリーズ。

 

アルビオン女王書記官エレノア。

 

王家派艦長二名。

 

王国軍。

 

公爵家。

 

都市代表。

 

捕虜代表としてウィル・ブラッグ。

 

灰冠兵は別。

 

セドリック・ヴォーン。

 

ハーコート副提督。

 

共同尋問まで口を閉ざしている。

 

「これは戦争か」

 

最初の議題ではない。

 

だが誰もが知りたい。

 

アルビオン書記官が答えた。

 

「女王陛下は、ヴァルネリア王国と交戦状態にないと宣言します」

 

王国軍副官が言う。

 

「アルビオン艦が我々を攻撃した」

 

「副提督と海務評議会の一部による違法行動です」

 

「国家の艦と兵を使っている」

 

「王命ではない」

 

アルベリクが尋ねる。

 

「海務評議会に出動権は」

 

「沿岸防衛と条約保護の権限があります」

 

「なら完全な違法ではない」

 

「女王命令へ従わなかった時点で反逆です」

 

「女王命令が届く前は」

 

「法廷で争われます」

 

ヴァルネリア側が求める単純な答え。

 

敵国か。

 

違う。

 

だが艦隊は合法的権限の一部を持っていた。

 

灰冠は、法の隙間へ軍を入れた。

 

「ヴァルネリア王国は」

 

アルベリクが言う。

 

「アルビオン海王国全体への報復を行わない。ただし、三港攻撃へ参加した個人と組織へ賠償を求める」

 

「王国政府が拒めば」

 

「攻撃者を庇うと見なす」

 

書記官が頷く。

 

「女王陛下は共同調査を受け入れるでしょう」

 

「海務評議会は」

 

「分かりません」

 

「では、次の艦隊が来る」

 

「可能性はあります」

 

勝利の翌日。

 

次の攻撃。

 

「王家派艦を、港へ残します」

 

アルビオン艦長が言う。

 

王国側が警戒。

 

「人質か」

 

「共同防衛です」

 

「昨日まで同じ艦隊に」

 

「だから次の動きを知る」

 

「港内の情報も知る」

 

信用できない。

 

必要。

 

「港外へ停泊」

 

アルベリクが提案する。

 

「補給は王国監査下。信号表を共有。攻撃命令は双方代表の同意」

 

「緊急時に遅い」

 

アルビオン艦長が言う。

 

「遅くします」

 

マリアムと同じ答え。

 

「命令が遅れて港が落ちれば」

 

「一人の命令で再び攻撃されるよりよい」

 

完全には納得しない。

 

それでも受け入れる。

 

次に食糧。

 

三港の配給。

 

回収小麦七百四十六樽。

 

軍と民間。

 

避難民。

 

捕虜。

 

「捕虜へ同量は無理です」

 

西港守備隊長が言う。

 

「敵兵です」

 

「食べさせなければ死ぬ」

 

エリーズが答える。

 

「我々の住民が先」

 

「先です。ゼロにはしない」

 

「灰冠兵も?」

 

「尋問前に飢えさせれば、聞きたい嘘を話す」

 

ファハドの考えが遠くから広がる。

 

「配給量を」

 

アルベリクは決める。

 

王国住民。

 

兵。

 

避難民。

 

捕虜。

 

仕事量。

 

負傷。

 

完全な平等ではない。

 

必要に応じる。

 

だが必要を誰が決める。

 

医師。

 

監査人。

 

軍。

 

また会議。

 

「戦闘中より遅い」

 

ジュリアンが呟く。

 

エリーズが聞いた。

 

「戦闘中は、間違ってもすぐ死ぬだけです」

 

「会議では」

 

「間違いが冬まで残る」

 

三港の戦いは一日。

 

復旧は何年。

 

---

 

## 十七

 

王都へ勝利報告が届いたとき、国王アドリアンは三身会議の場にいた。

 

報告。

 

三港防衛成功。

 

灰冠派副提督拘束。

 

アルビオン女王命令確認。

 

被害。

 

死者。

 

軍務卿シャルルは自宅軟禁。

 

同じ報告の写しを読む。

 

「勝った」

 

彼の妻が言った。

 

「はい」

 

「あなたの軍が」

 

「私の軍ではない」

 

「陛下の」

 

「その軍を、私は王に知らせず作った」

 

勝利。

 

秘密軍の兵が戦った。

 

沿岸倉庫。

 

武器。

 

すべてがなければ、中央港は落ちたかもしれない。

 

同時に灰冠へ利用され、物資を抜かれた。

 

「あなたは正しかったのですか」

 

妻が尋ねる。

 

「分からない」

 

「裁判では」

 

「正しかったと主張する」

 

「いま分からないのに」

 

「国を守ろうとしたことは」

 

「方法は」

 

「間違えた」

 

「では」

 

「両方だ」

 

人間は、自分の行為を一つの判決へまとめたがる。

 

英雄。

 

反逆者。

 

正しい。

 

間違い。

 

だがシャルルの秘密軍は、王国を危険にし、同時に救った。

 

「陛下は、私を処刑しにくくなる」

 

「喜ぶべきでは」

 

「処刑より難しい罰になる」

 

生きて、自分がしたことを説明する。

 

戦死者の家族。

 

秘密軍の兵。

 

王。

 

裁判。

 

「三港の死者名簿を取り寄せてください」

 

シャルルは言った。

 

「何のため」

 

「私の軍で死んだ者を知る」

 

「全員?」

 

「できるだけ」

 

アルベリクと同じ。

 

敵であり、師でもあった男の影響を受けているのか。

 

あるいは、同じ責任へ別の道から着いたのか。

 

---

 

## 十八

 

三つの港から上がった煙は、海峡の向こうからも見えた。

 

アルビオン海王国。

 

白い崖。

 

監視塔。

 

王都カエルウィック。

 

若き女王アデライン一世は、王宮の海見塔で煙を見ていた。

 

海務評議会の議員たちが背後にいる。

 

「副提督は先王協定に従った」

 

老議員が言う。

 

「私の停止命令へ従わなかった」

 

「停止命令は、ヴァルネリアの使者が王都へ入ったあとに」

 

「だから?」

 

「女王陛下が外国の圧力を受けたと、艦隊は判断した」

 

「私の命令を、私より理解していると?」

 

誰も答えない。

 

「灰色の冠旗を、誰が許可した」

 

「民間支援組織です」

 

「武装艦隊を持つ民間組織?」

 

「私掠契約です」

 

「誰が署名した」

 

評議会議員の一人が書類を出す。

 

十二名。

 

海務評議会。

 

銀行。

 

造船商。

 

王族の遠縁。

 

灰冠会議。

 

「全員を拘束します」

 

女王が言った。

 

「陛下」

 

「反対?」

 

「評議会の半数です」

 

「だから?」

 

「海軍予算が止まる」

 

「止めればよい」

 

「ノルハイムが北海へ。ヴァルネリアが海峡へ」

 

「灰冠艦隊が我が国旗で隣国を攻撃した」

 

「三港を確保できれば、海峡は我が国のものになった」

 

本音。

 

灰冠だけではない。

 

アルビオンの利益。

 

「あなた方は灰冠へ利用されたのではない」

 

アデラインは言った。

 

「灰冠を利用できると思った」

 

老議員が答える。

 

「国家とは、そのようなものです」

 

「国民へ言えますか」

 

「戦争に勝てば」

 

ハーコートと同じ。

 

勝てば正しい。

 

女王は窓から煙を見る。

 

「勝っていません」

 

「次があります」

 

その言葉。

 

灰冠会議の命令と同じ。

 

局地工作から公開戦争へ。

 

「次はありません」

 

女王が言う。

 

だが評議会の顔は、従っていない。

 

王宮近衛兵へ命じれば、内乱になる可能性。

 

ヴァルネリアへの戦争を止めるため、アルビオン国内で戦争。

 

王冠たちの夏。

 

どの国も、外敵より先に自分の内部へ敵を見つけ始めていた。

 

---

 

## 十九

 

三港の火が消えたのは、三日後だった。

 

完全には消えていない。

 

灰の下。

 

梁の内部。

 

瀝青の地面。

 

小さな火。

 

見えなくても残る。

 

戦争も同じだった。

 

中央港では、捕虜交換と共同調査の準備。

 

東港では、焼けた家の数。

 

塩田の損失。

 

行方不明者捜索。

 

西港では、回収小麦の再計量。

 

船倉の底から、灰色の帳面が見つかった。

 

水を吸っている。

 

読める頁。

 

《三港計画》

 

《中央――王国主力拘束》

 

《東――避難混乱および塩生産破壊》

 

《西――備蓄回収、港湾鎖確保》

 

三港を占領する必要はなかった。

 

中央で軍を縛る。

 

東で食糧保存に必要な塩を失わせる。

 

西で小麦と船具を燃やす。

 

王国は勝っても、冬へ向けて弱る。

 

最後の頁。

 

《アルビオン王家と海務評議会の対立を顕在化》

 

《ヴァルネリア王権と諸侯共同軍を恒常化》

 

《双方の軍事支出増大を確認後、第二次融資段階へ》

 

敵は戦闘の勝敗を、最初から目的にしていない。

 

双方が軍を増やす。

 

借金をする。

 

港を修復する。

 

船を建造する。

 

武器を買う。

 

灰冠関連の銀行と商会へ金が流れる。

 

「負けても利益」

 

エリーズが言った。

 

帳面を読む。

 

「我々が港を守ったことで、修復費が必要になる」

 

アルベリクが答える。

 

「落とされれば、占領費と奪還費」

 

「どちらでも」

 

「だから帳簿を公開する」

 

ジュリアンが言う。

 

以前なら軍事機密を守る側だったかもしれない。

 

「修復契約を、灰冠関連へ渡さない」

 

「別名義を使う」

 

エリーズが答える。

 

「実所有者を調べる」

 

「時間がかかる」

 

「遅くします」

 

三人が同じ言葉を使った。

 

遅さ。

 

面倒。

 

監査。

 

それが灰冠へ対抗する武器。

 

剣ほど美しくない。

 

歌にもなりにくい。

 

だが、灰冠は速い決断と秘密契約を利用する。

 

なら、遅くし、見せる。

 

完全には止められない。

 

それでも利益を減らす。

 

---

 

夜。

 

アルベリクは中央港の城壁へ立った。

 

海。

 

沈んだ船の帆柱。

 

王家派アルビオン艦。

 

港外へ停泊。

 

互いに見張る。

 

ジュリアンが隣へ来た。

 

胸の鎧は外している。

 

矢が当たった場所に、大きな青痣。

 

「東港の報告を」

 

「読みました」

 

「命令を誤りました」

 

「どれを」

 

「消火命令が焦土命令へ変わった」

 

「復唱をさせなかった」

 

「はい」

 

「次から」

 

「させます」

 

「水門では」

 

「捕虜へ弓を渡しました」

 

「必要でしたか」

 

「はい」

 

「なら記録を」

 

「しました」

 

ジュリアンは海を見る。

 

「母上へ、何と報告します」

 

「自分で」

 

「あなたからも」

 

「公子は避難を成功させ、水門を守った」

 

「倉庫を燃やした」

 

「一部は敵。一部は誤命令」

 

「私の責任です」

 

「はい」

 

ジュリアンは少し黙る。

 

「褒めてから刺しますね」

 

「両方が事実です」

 

「母上に似ています」

 

「最大の侮辱でしょうか」

 

公子が笑った。

 

疲れた笑い。

 

「アルベリク殿」

 

初めて、参謀殿ではなく名。

 

「父君の城から報告です」

 

書状を渡す。

 

ハンス。

 

《灰色外套の使者を捕縛》

 

《使者はライナー辺境伯へ、アルビオン上陸と同時に包囲軍を攻撃するよう提案》

 

《辺境伯は拒否》

 

アルベリクは文字を読む。

 

もう一度。

 

父は灰冠の提案を拒んだ。

 

王国へ忠誠を戻したわけではない。

 

息子を許したわけでもない。

 

ただ外国介入へ乗らなかった。

 

「喜んでよいのでは」

 

ジュリアンが言う。

 

「なぜ」

 

「父君は敵と組まなかった」

 

「父は、自分以外の者へ命じられるのが嫌いなだけかもしれません」

 

「それでも結果は同じ」

 

「結果だけなら」

 

「動機を気にするのですね」

 

「人は動機を気にします」

 

「あなたは人数だけだと思っていました」

 

「私もです」

 

父の手紙。

 

《王の犬》

 

それでも灰冠を拒んだ。

 

人間は一つの側へ固定されない。

 

父。

 

軍務卿。

 

ハーコート。

 

トーマス。

 

自分。

 

「包囲は」

 

ジュリアンが尋ねる。

 

「続けます」

 

「戻らない?」

 

「沿岸復旧が先です」

 

「本当は」

 

前に聞かれた。

 

戻りたい。

 

「戻りたい」

 

アルベリクは答えた。

 

「でも戻らない」

 

今度は、口にしても以前ほど苦しくなかった。

 

痛みが減ったのではない。

 

言葉にしたため、隠す必要がなくなった。

 

---

 

三港の海岸では、死者の埋葬が始まった。

 

ヴァルネリア兵。

 

アルビオン兵。

 

灰冠契約兵。

 

港湾労働者。

 

避難民。

 

同じ墓地ではない。

 

宗教。

 

国籍。

 

家族の希望。

 

それでも名簿は一つにまとめられた。

 

中央港の不明兵。

 

東港のエドワード・プライス。

 

西港の避難民。

 

名前の分からない者。

 

特徴。

 

衣服。

 

傷。

 

持ち物。

 

ジュリアンはポールの名の横へ《生存》と記した。

 

トーマスは捕虜名簿のネッドの欄へ、故郷不明と書かれているのを見た。

 

あとで思い出す。

 

村の名。

 

ネッドは、北のチョーク丘陵出身だと言っていた。

 

本当かもしれない。

 

嘘かもしれない。

 

それでも記録へ加える。

 

《チョーク丘陵、ハロウ村と本人は語った》

 

断定しない。

 

消さない。

 

マティアスのやり方。

 

マリアムのやり方。

 

世界の別々の場所で、人々は同じ記録の仕方を学び始めていた。

 

---

 

三港を守った知らせは、王都で鐘によって伝えられた。

 

十二度。

 

勝利の鐘。

 

だが十三度目は鳴らなかった。

 

ヴァルネリアに十三番目の鐘はない。

 

代わりに、王都職人組合の工房で、左腕を包帯に包んだマティアスが、小さな鐘を一つ机へ置いた。

 

軍務局の古い壁時計から外した鐘。

 

ピエールが尋ねる。

 

「何に使うんです」

 

「監査会議の開始」

 

「鐘は必要ですか」

 

「皆、話が長い」

 

「十三回鳴らす?」

 

マティアスは考えた。

 

「一回で十分です」

 

「オルシャと違う」

 

「同じである必要はない」

 

鐘を鳴らす。

 

小さな音。

 

工房に集まった書記、職人、軍務官が黙る。

 

議題。

 

三港修復契約。

 

沿岸秘密軍の債務。

 

回収小麦の配分。

 

アルビオンとの共同調査。

 

戦死者家族への補償。

 

戦争のあとに残る、退屈で重い仕事。

 

「始めます」

 

マティアスは右手で筆を持った。

 

左手はまだ動かない。

 

文字は以前より遅い。

 

だから、一字ずつ確かめる。

 

---

 

灰冠会議は、三港占領に失敗した。

 

だが帳面には、作戦失敗とは記されなかった。

 

《三港計画》

 

《領土確保、失敗》

 

《塩生産破壊、成功》

 

《港湾修復需要創出、成功》

 

《アルビオン王権分裂、成功》

 

《ヴァルネリア共同軍恒常化、成功》

 

《双方の戦時債務需要、予測以上》

 

最後の一行。

 

《第二段階へ》

 

灰冠会議にとって、敗北とは損失が利益を上回ったときだけだった。

 

人間の死。

 

町の焼失。

 

王の恥。

 

兵士の反逆。

 

それらは費用であり、同時に商品。

 

帳面を書いた者は、三港の死者名を一人も知らない。

 

知る必要もないと思っている。

 

だが、世界の別の場所では、死者名簿が少しずつ増えていた。

 

マリアム。

 

アルベリク。

 

ナディア。

 

オルジェイ。

 

マティアス。

 

互いを知らない者たちが、人間を数字へ変える力に対し、数字へ名前を戻そうとしている。

 

まだ小さい。

 

遅い。

 

戦争を止めるには足りない。

 

それでも、灰冠会議が最も恐れるものは、王の大軍だけではなかった。

 

帳簿と帳簿が照合されること。

 

秘密が、別の秘密とつながること。

 

消したはずの名前が、別の場所で記録されること。

 

燃える三つの港の灰の中から、次の戦争だけでなく、灰冠を追う最初の網も生まれ始めていた。

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