灰冠と香路の年代記   作:MOZIO

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第十二章 水を分ける者

ナフル川は、国境を知らない。

 

山岳地帯の雪解け水を集め、赤い岩の峡谷を抜け、砂漠を裂き、泥の平野へ広がる。

 

上流では細く速い。

 

中流では石を削る。

 

下流では何本もの水路へ分かれ、小麦、豆、葦、果樹園を育てる。

 

最後には蒼環海へ注ぐ。

 

川は王の名を知らない。

 

神学論争も知らない。

 

税率も、軍令も、交易契約も知らない。

 

人間がどれほど争っても、水は低い場所へ流れる。

 

だから人間は、水より高い場所から命令を出そうとする。

 

堰を築く。

 

門を閉じる。

 

水路を掘る。

 

帳簿へ数字を書く。

 

この村へ三割。

 

あの村へ一割。

 

軍営へ二割。

 

王都へ。

 

港へ。

 

外国輸出用の小麦畑へ。

 

川は平等に流れる。

 

人間は平等に分けられない。

 

---

 

## 一

 

ナディア・ビント・ユーヌスは、三百七十二の村名を前にしていた。

 

水利庁南部支局。

 

泥煉瓦の壁。

 

窓は細い。

 

昼の熱を防ぐため、外光はほとんど入らない。

 

室内には、三つの大地図。

 

ナフル川本流。

 

東灌漑区。

 

西灌漑区。

 

水路は青い線。

 

堰は黒。

 

村は赤い点。

 

救済対象は緑。

 

制限対象は黄。

 

給水停止予定は灰。

 

地図の半分が灰色だった。

 

「もう一度、読み上げます」

 

若い書記サミールが言った。

 

声がかすれている。

 

朝から同じ作業。

 

「第一級優先。飲料水および最低限の種子用水を保証。百二十一村」

 

「続けて」

 

「第二級優先。飲料水を保証。農業用水は平年の三割。百五十六村」

 

「第三級」

 

サミールは一瞬、紙を見たまま黙った。

 

「飲料水のみ、週二回配水。農業用水停止。九十五村」

 

九十五。

 

人口合計、八万七千人。

 

家畜十二万頭以上。

 

小麦畑。

 

豆畑。

 

果樹園。

 

今年の収穫を失う。

 

来年の種も減る。

 

「第三級のうち、代替井戸がある村は」

 

「二十七」

 

「枯れた井戸は」

 

「十九」

 

「残る四十九は」

 

「給水車を送る必要があります」

 

「何台」

 

「毎日、最低百四十台」

 

「支局保有は」

 

「三十二」

 

「軍から借りられるのは」

 

「昨日の返答では十六」

 

「合計四十八」

 

「はい」

 

必要百四十。

 

用意できる四十八。

 

数字は正直だった。

 

だから残酷だった。

 

「給水車を三日に一度へ」

 

ナディアが言った。

 

サミールが顔を上げる。

 

「飲料水が」

 

「村ごとに貯水壺を準備させる」

 

「壺を買えない家が」

 

「共同貯水所」

 

「日中の蒸発が」

 

「覆いを」

 

「布が不足」

 

「葦」

 

「家畜飼料に使っています」

 

一つを選べば別が減る。

 

水だけではない。

 

壺。

 

布。

 

葦。

 

荷車。

 

牛。

 

人。

 

「計算します」

 

サミールが言った。

 

「三日に一度なら、百四十四台相当を四十八台で回せます」

 

「街道が使えれば」

 

「はい」

 

「盗賊と軍の徴発がなければ」

 

「はい」

 

「車輪が壊れなければ」

 

「はい」

 

帳簿の上では届く。

 

現実には届かない。

 

「給水車ごとに村側の責任者を決めてください」

 

ナディアは言った。

 

「誰が受け取ったか。量。到着時刻。欠損。すべて記録」

 

「記録すれば水が増えますか」

 

サミールの声には疲労があった。

 

反抗ではない。

 

絶望。

 

ナディアは彼を責めなかった。

 

「増えません」

 

「では」

 

「消えた水が、どこへ行ったか分かります」

 

「分かっても戻らない」

 

「次の車を止められます」

 

「止められた村は」

 

「別の村へ行きます」

 

サミールは視線を落とした。

 

誰かの盗みを見つける。

 

その罰として、次の水を止める。

 

盗んだのが村長でも、渇くのは子供。

 

「第三級の一覧を、今日中に各村へ送ります」

 

ナディアが言った。

 

「村人が支局へ押しかけます」

 

「でしょうね」

 

「兵を呼びますか」

 

「呼びません」

 

「暴動になれば」

 

「水を求めて来た人へ槍を向ければ、暴動になります」

 

「では警備は」

 

「扉を開けます」

 

サミールが彼女を見る。

 

「全員と話すのですか」

 

「代表だけ」

 

「九十五村」

 

「日程を分ける」

 

「時間がありません」

 

「水もありません」

 

ナディアは地図へ手を置いた。

 

「だから、秘密にしない」

 

救われる村。

 

見捨てられる村。

 

先に知らされる。

 

怒りは来る。

 

だが、知らされないまま水門が閉じられるよりは。

 

「アブドゥル・ラーマンの村は」

 

サミールが尋ねた。

 

ナディアの手が止まる。

 

水利組合長。

 

老人。

 

父の古い友人。

 

南灌漑区の村カスル・アイン。

 

「第一級です」

 

「隣のアル=ハディド村は第三級」

 

「はい」

 

「水路は同じです」

 

「上流で分岐します」

 

「カスル・アインを第一級へすれば、アル=ハディドは」

 

「さらに減る」

 

「アブドゥル・ラーマンが殿下の知人だからと」

 

サミールは言い終える前に口を閉じた。

 

殿下ではない。

 

ナディアは王族ではない。

 

だが水利庁官僚として、村人からは支配者に近く見える。

 

「続きを」

 

「失礼しました」

 

「言ってください」

 

「縁故だと疑われます」

 

「疑われるでしょう」

 

「実際は」

 

「カスル・アインには、南部最大の共同井戸と種子倉庫がある。周辺五村へ種を供給できる」

 

「アル=ハディドには」

 

「軍用街道の石橋」

 

「なら軍事優先で第二級では」

 

「橋は水を飲みません」

 

「兵は」

 

「軍営用水は本流から別に取る」

 

「軍が村の井戸を使えば」

 

「命令で禁止」

 

サミールが苦い顔をする。

 

命令で兵士の喉は乾かない。

 

「一覧に理由を書きます」

 

ナディアが言った。

 

「各村ごと?」

 

「短く」

 

「百九十五以上」

 

「三百七十二すべて」

 

「救う村にも?」

 

「はい」

 

救われる理由。

 

見捨てられる理由。

 

どちらも記録する。

 

「私の署名で出してください」

 

責任者。

 

水を分けた者の名。

 

隠さない。

 

---

 

## 二

 

ナフル王都サハラームでは、スルタン・バイバルス三世が反乱計画を読んでいた。

 

計画書の表紙には、反乱という言葉はない。

 

《王国救済軍再編案》

 

総指揮候補。

 

カリム・イブン=サリーム将軍。

 

バイバルスの幼なじみ。

 

若い頃、同じ軍学校。

 

同じ戦場。

 

一度、バイバルスの命を救った。

 

一度、バイバルスがカリムの弟を救えなかった。

 

友情と負債が、長く残っている。

 

計画書の内容。

 

王都の穀物輸出停止。

 

外国商人の倉庫接収。

 

水利庁の軍管理。

 

王族会議の解散。

 

スルタンの退位ではない。

 

《非常時の休養》

 

代わって救済軍評議会が統治。

 

カリムが議長。

 

「反乱ではないと?」

 

バイバルスが尋ねた。

 

前に立つ情報官。

 

「本人は、陛下を守るためと」

 

「皆そう言う」

 

軍務卿。

 

副提督。

 

王のため。

 

国のため。

 

人間は王を倒す前に、王を守ると宣言する。

 

「支持者は」

 

「首都守備軍の四割。穀物局の一部。南部騎兵軍団。宗教法官七名」

 

「水利庁は」

 

「中央庁幹部二名」

 

「ナディアは」

 

「関与なし」

 

「確認は」

 

「彼女の書簡と帳簿を監視」

 

バイバルスの目が細くなる。

 

「誰の命令で」

 

情報官は答えに詰まる。

 

「反乱調査の一環です」

 

「私の許可なく官僚の私信を?」

 

「緊急権限で」

 

「誰の緊急権限だ」

 

「情報局長」

 

「情報局長は、救済軍案へ署名している」

 

部屋の空気が冷える。

 

情報局そのものが割れている。

 

いま報告している男も、どちら側か分からない。

 

「退出しろ」

 

情報官が去る。

 

扉が閉まる。

 

室内に残るのは、バイバルスと宰相ハリール。

 

老いた文官。

 

若い頃から王家へ仕えた。

 

「陛下」

 

「カリムを呼ぶ」

 

「王宮へ?」

 

「一人で」

 

「来ません」

 

「来させる」

 

「拘束を」

 

「しない」

 

「反乱計画です」

 

「本人の口から聞く」

 

「その間に兵が」

 

「拘束すれば今夜動く」

 

「呼び出しても」

 

「来れば、まだ話す気がある」

 

「来なければ」

 

「反乱だ」

 

宰相は計画書をめくる。

 

「水利庁の軍管理」

 

「カリムは、水を兵站としか見ない」

 

「水がなければ軍も民も」

 

「だから軍が優先すると考える」

 

「陛下は」

 

「違うと考えたい」

 

「実際は」

 

バイバルスは窓の外を見る。

 

王都の噴水は止められている。

 

宮殿庭園も。

 

水不足を示すため。

 

だが王宮地下には貯水槽。

 

一般市民より安全。

 

「軍へ水を与えなければ、反乱が起きる」

 

「与えれば村が渇く」

 

「輸出を止めれば、アウレリアとオルシャが飢える」

 

「続ければ国内が」

 

すべてを救えない。

 

王の仕事。

 

決める。

 

責任。

 

「灰冠会議の提案は」

 

宰相が別の文書を出す。

 

《ナフル水利再建債券》

 

利率。

 

返済期間。

 

担保。

 

将来の灌漑税。

 

港湾小麦輸出税。

 

水門管理権の一部。

 

出資者。

 

セレスタ銀行連合。

 

黒帳商会。

 

複数の慈善基金。

 

灰冠関連名義も。

 

「資金で、上流貯水池と給水車を増やせる」

 

宰相が言う。

 

「いつ完成」

 

「第一期一年」

 

「今年の水は」

 

「給水車二百台を即時購入」

 

「どこから」

 

「アウレリア、セレスタ」

 

「戦争中の海路で」

 

「護衛込み」

 

「護衛費も借金」

 

「はい」

 

「担保は水門」

 

「管理権の一部です」

 

「十五年」

 

「はい」

 

バイバルスは笑わなかった。

 

ヴァルネリアの軍港。

 

オルシャの港。

 

同じ。

 

今度は水。

 

「断る」

 

「代案は」

 

「王家財宝を売る」

 

「足りません」

 

「寺院寄進を借りる」

 

「宗教反発」

 

「穀物輸出税を前倒し」

 

「輸出量が減る」

 

「では何がある」

 

宰相は答えない。

 

灰冠の提案は、必要だから強い。

 

悪い条件。

 

だが、ほかに金がない。

 

「債券を完全には断れません」

 

ハリールが言った。

 

「言ったばかりだ」

 

「陛下は断ると。私は不可能と」

 

「なら受けろと?」

 

「条件を変える」

 

「相手が受けるか」

 

「複数へ分ける。水門管理権は渡さない。税収担保も上限を。帳簿公開」

 

「利率が上がる」

 

「自由の値段です」

 

バイバルスは文書を見る。

 

自由。

 

借金。

 

飢え。

 

「カリムは、これを口実にする」

 

「外国商人へ水を売るスルタンと」

 

「実際、売ることになる」

 

「だから公開して売る」

 

宰相が言う。

 

「隠して売るよりは」

 

世界中が同じ答えへ。

 

遅く。

 

公開。

 

監視。

 

だがナフルの喉は、議論を待たない。

 

---

 

## 三

 

カスル・アイン村では、アブドゥル・ラーマンが井戸の水面を見ていた。

 

去年より腕二本分低い。

 

共同井戸は深い。

 

古代王朝の石組み。

 

百人で掘ったと伝えられる。

 

実際には、何世代もかけて深くした。

 

水面の下降は、村の老人には年月の減少に見えた。

 

「第一級です」

 

水利庁の使者が言った。

 

「飲料水と種子用水を保証」

 

村人から安堵。

 

すぐ隣で、アル=ハディド村の代表が紙を破った。

 

「我々は第三級だ!」

 

「決定理由は書かれています」

 

使者が言う。

 

「理由で喉が潤うか!」

 

「週二回の給水車を」

 

「三日に一度だ!」

 

「変更されました」

 

「百四十台必要なのに四十八台。届くと思うか!」

 

情報が早い。

 

支局内の数字が村へ漏れている。

 

漏れたのか。

 

公開されたのか。

 

区別はない。

 

「カスル・アインはなぜ第一級だ!」

 

アル=ハディド代表がアブドゥル・ラーマンへ向く。

 

「ナディアと知り合いだからか!」

 

村人がざわめく。

 

老人は使者の紙を受け取る。

 

理由。

 

《共同井戸、種子倉庫、周辺配給拠点として維持》

 

「書いてある」

 

「お前たちの種を守るため、我々の畑を殺す?」

 

「種は周辺へ」

 

「来年、我々へ本当に渡すか!」

 

「渡す」

 

「お前が死んだら?」

 

アブドゥル・ラーマンは答えに詰まる。

 

自分の約束。

 

制度ではない。

 

「水利庁の封印で記録を」

 

使者が言う。

 

「水利庁が来年まで残れば」

 

灰冠。

 

反乱。

 

軍。

 

何も確実ではない。

 

アル=ハディドの若者が叫ぶ。

 

「水路を開ける!」

 

「やめろ」

 

アブドゥル・ラーマンが止める。

 

「上流門は閉じられた」

 

「壊す」

 

「兵が来る」

 

「水なしで死ぬか、兵に殺されるか」

 

「水路を壊せば、カスル・アインも」

 

「だから分けろ!」

 

「分ければ両方足りない」

 

老人の言葉。

 

水利庁と同じ。

 

数字。

 

村人は怒る。

 

「お前は役人になったのか!」

 

アブドゥル・ラーマンは、ナディアへ配水記録を送った。

 

村を救う案へ協力した。

 

その結果、隣村が第三級。

 

自分も水を分けた者の一人。

 

「共同井戸を開く」

 

老人は言った。

 

カスル・アイン村人が驚く。

 

「他村へ?」

 

「飲料水だけ」

 

「我々の井戸が枯れる!」

 

「一日一人壺一つ」

 

「何人来る」

 

「アル=ハディドから、まず子供と老人」

 

「水利庁の割当を超えます」

 

使者が言う。

 

「村の井戸は村のものだ」

 

「第一級指定は種子用水を維持する条件で」

 

「種を守って人が死ぬのか」

 

「人を救って種が死ねば来年」

 

「分かっている!」

 

老人が怒鳴る。

 

静かになる。

 

彼も分かっている。

 

今日の水。

 

来年の種。

 

どちらも命。

 

「井戸を開く」

 

もう一度。

 

「ただし記録する。誰が何壺。カスル・アインの分も減らす」

 

「村人が反対します」

 

「いま反対している」

 

若者たち。

 

家族。

 

井戸。

 

「多数決を」

 

誰かが言う。

 

老人は首を振る。

 

「水を持つ側だけで決めれば、持たない側は必ず負ける」

 

「では誰が」

 

「私が決める」

 

権力。

 

責任。

 

一人の老人。

 

ナディアを批判しながら、同じことをする。

 

「間違っていたら」

 

アル=ハディド代表が尋ねる。

 

「私の名を覚えろ」

 

「水は戻らない」

 

「戻らない」

 

「それで終わりか」

 

「終わらない」

 

老人は井戸を見る。

 

「来年まで生きて、私を責めろ」

 

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## 四

 

カリム将軍は、王宮へ来た。

 

一人ではなかった。

 

護衛百。

 

王宮外へ待機。

 

本人だけが入る。

 

「反乱者が、よく来た」

 

バイバルスが言った。

 

謁見室。

 

玉座は使わない。

 

若い頃に二人で地図を広げた軍議室。

 

昔と同じ机。

 

違うのは、片方がスルタンになったこと。

 

カリムは髭に白いもの。

 

右脚を引きずる。

 

北方戦争の傷。

 

「反乱ではない」

 

「書類にそう書いてある」

 

「陛下を退位させない」

 

「休養させる?」

 

「一時的に」

 

「私の許可なく」

 

「陛下は決められない」

 

「何を」

 

「水。穀物。輸出。軍。全部、会議と監査」

 

「それが統治だ」

 

「遅い」

 

「早く決めると?」

 

「穀物輸出停止。軍用水優先。外国倉庫接収。灰冠債務拒否」

 

「明快だ」

 

「必要だ」

 

「その結果、オルシャとアウレリアは」

 

「我が民ではない」

 

「彼らが飢えれば、兵が南へ」

 

「国境で止める」

 

「軍へ水を与え、村を枯らし、その村人を徴兵する?」

 

「国が残れば再建できる」

 

「村人が残らなければ」

 

カリムが机へ拳。

 

「陛下は外国人の腹を気にしすぎる!」

 

「ナフルの小麦で、外国の銀を得ている」

 

「今年は売るな」

 

「来年、種と鉄と船具を何で買う」

 

「王家財宝」

 

「一年分もない」

 

「寺院」

 

「内乱になる」

 

「すでに内乱寸前だ!」

 

二人の声。

 

昔の軍議。

 

同じように争った。

 

当時は最後に上官が決めた。

 

いま上官はいない。

 

「お前の計画に、灰冠の資金が入っている」

 

バイバルスが言った。

 

カリムの顔が変わる。

 

「何を」

 

「救済軍の給金。南部騎兵団へ、黒帳経由の銀」

 

「寄付だ」

 

「誰から」

 

「国内商人」

 

「名義は《緑月兵士遺族会》」

 

「遺族会は昔から」

 

「オルシャの保険金受取口座と同じ」

 

カリムは沈黙。

 

「知らなかった?」

 

「軍人遺族へ金を」

 

「だから受け取った」

 

「遺族を飢えさせろと?」

 

「私も同じ債券を受けようとしている」

 

将軍がスルタンを見る。

 

「では陛下も」

 

「違いは公開することだけかもしれない」

 

「それで清くなる?」

 

「ならない」

 

「では何が」

 

「誰が金を出し、何を担保にするか、民が知る」

 

「民が理解するか」

 

「理解できないから隠す?」

 

「水利債券の条項を農民が読むのか」

 

「読める者が読む。朗読する。反対できる」

 

「反対して水が増える?」

 

同じ問い。

 

「増えない」

 

「なら軍が決める」

 

「軍も水を増やせない」

 

「奪える」

 

「誰から」

 

「商人。外国倉庫。大地主」

 

「次に村から」

 

「必要なら」

 

「それが反乱の答えか」

 

「国を救う」

 

カリムの目は本気だった。

 

権力欲だけではない。

 

軍人として、崩壊を恐れている。

 

「お前の弟を救えなかった」

 

バイバルスが言った。

 

突然。

 

カリムの顔が硬くなる。

 

「いま話すことか」

 

「あのとき、私は後衛を捨てて本隊を救った」

 

弟は後衛。

 

死んだ。

 

「正しい判断だった」

 

カリムが言う。

 

「お前はそう言った」

 

「今も」

 

「だから、村を捨てるのか」

 

「軍を残せば国を救える」

 

「弟を捨てた私の判断を、国の制度にする?」

 

カリムが立ち上がる。

 

「陛下は、私の弟を盾にするのか!」

 

「違う!」

 

バイバルスも。

 

「私は、あの判断を毎晩思い出す! お前は正しかったと言う。私は分からない!」

 

「将軍は分からなくても決める!」

 

「王もだ!」

 

二人の間に、若い日の戦場。

 

砂。

 

敗走。

 

弟。

 

「だから、私一人で決めない」

 

バイバルスが言った。

 

「臆病だ」

 

「そうかもしれない」

 

「民は強い王を求める」

 

「強い将軍も」

 

「私は冠を望まない」

 

「水門を握れば、冠より強い」

 

カリムは息を整える。

 

「陛下。三日ください」

 

「何のため」

 

「南部軍を王都へ入れない。代わりに、穀物輸出を七日停止。軍用水を確保。水利債券を拒否」

 

「三つ全部は」

 

「拒めば」

 

「反乱する?」

 

「軍を止められない」

 

「自分の軍を?」

 

「兵は家族が渇いている」

 

脅迫。

 

同時に真実。

 

「七日停止」

 

バイバルスが言う。

 

「穀物輸出を?」

 

「半量」

 

「全部」

 

「半量。国内市場へ残り半量」

 

「軍用水」

 

「現在割当を維持。追加なし」

 

「債券」

 

「三日間、署名しない。条件を公開交渉」

 

カリムが首を振る。

 

「足りない」

 

「私も足りない」

 

「陛下」

 

「お前を拘束しない。お前も兵を動かすな」

 

「三日」

 

「三日」

 

灰冠が好む期限。

 

それでも、戦争を避けるための三日にもできる。

 

「裏切れば」

 

カリムが言う。

 

「お互いに?」

 

「はい」

 

「昔から変わらないな」

 

「昔は、上官がいた」

 

「今は」

 

「川だけだ」

 

二人は合意書へ署名した。

 

スルタン。

 

将軍。

 

互いに信用しない。

 

だから書く。

 

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## 五

 

水利庁南部支局の扉は、夜明け前から叩かれていた。

 

村代表。

 

九十五村。

 

一日では入れない。

 

ナディアは一村二名と決めた。

 

それでも百九十人。

 

支局の中庭。

 

日除け布。

 

水壺。

 

配る水も制限。

 

怒りを聞く場で、水を配りすぎれば別の村の分が減る。

 

最初はアル=ハディド村。

 

代表二名。

 

一人は若い農民サーレフ。

 

もう一人は老婆ファーティマ。

 

「第三級を取り消せ」

 

サーレフが言った。

 

「できません」

 

「話を聞く前に?」

 

「数字は変わっていません」

 

「では、なぜ呼んだ」

 

「理由を説明し、代案を聞くため」

 

「第一級にしろ」

 

「それは代案ではありません」

 

「我々にとっては」

 

ファーティマが口を開く。

 

「水利官殿」

 

「ナディアでよいです」

 

「私は六十年、同じ畑を耕した」

 

「はい」

 

「今年、水がない。畑は死ぬ」

 

「はい」

 

「息子二人は軍。孫は五人」

 

「記録にあります」

 

「記録で孫へ水を?」

 

「できません」

 

「では、何を聞きたい」

 

ナディアは地図を広げる。

 

「アル=ハディドの東に、旧井戸があります」

 

「塩水だ」

 

「深く掘れば淡水層へ届く可能性」

 

「誰が掘る」

 

「水利庁から技師二名。村から労働百人」

 

「道具は」

 

「支給」

 

「いつ」

 

「十日後」

 

「十日、水なしで?」

 

「カスル・アイン井戸を共同利用」

 

二人の顔が変わる。

 

「アブドゥル・ラーマンが?」

 

「開放を決めました」

 

「水利庁命令?」

 

「村の決定です」

 

「見返りは」

 

「来年の種子を共同管理」

 

「我々の土地を取る?」

 

「違います」

 

「書面に」

 

「作ります」

 

ファーティマがナディアを見る。

 

「我々は第三級のまま?」

 

「はい」

 

「でも水は」

 

「最低限」

 

「一覧は変えない?」

 

「変えません」

 

「なぜ」

 

「井戸が掘れる保証はないから」

 

正直。

 

希望を確約しない。

 

老婆は怒らなかった。

 

疲れた顔。

 

「孫の一人を、技師の手伝いへ」

 

「名を」

 

「ヤシン」

 

「記録します」

 

次の村。

 

次。

 

次。

 

怒鳴る者。

 

泣く者。

 

賄賂を置く者。

 

脅す者。

 

膝をつく者。

 

「娘を差し上げます」

 

一人の村長が言った。

 

ナディアの顔が硬くなる。

 

「連れて帰ってください」

 

「では銀を」

 

「帰って」

 

「村が死ぬ!」

 

「だから娘を売る?」

 

「生きれば」

 

「その娘は」

 

村長が泣く。

 

自分でも分かっている。

 

「賄賂の申し出も記録します」

 

ナディアが言う。

 

男が顔を上げる。

 

「罪に?」

 

「処罰は求めません」

 

「ではなぜ」

 

「次に、あなたが水を買ったと誰かが言わないため」

 

記録は罰ではない。

 

保護にもなる。

 

だが男の恥も残る。

 

「娘の名は書かない」

 

ナディアは付け加えた。

 

男は深く頭を下げた。

 

---

 

夕方。

 

アブドゥル・ラーマンが支局へ来た。

 

老人の衣は井戸水で濡れている。

 

「開けたそうですね」

 

ナディアが言う。

 

「飲料水だけ」

 

「第一級条件に違反します」

 

「知っている」

 

「種子倉庫が危険です」

 

「人が先だ」

 

「来年、周辺五村が」

 

「分かっている」

 

「なら」

 

「お前も分かっているだろう」

 

二人。

 

父娘のような関係。

 

実際には違う。

 

「私が第一級へしたため、あなたが隣村へ水を」

 

「そうだ」

 

「なら、私の計画は」

 

「間違いではない」

 

「でも条件を壊した」

 

「正しい計画が、人を殺すこともある」

 

「では何を」

 

「修正する」

 

「水は増えません」

 

「井戸を掘ると聞いた」

 

「成功する保証は」

 

「ない」

 

「種子を減らし、井戸も出なければ」

 

「皆で飢える」

 

「それを選んだ?」

 

「一人で決めた」

 

老人が苦く笑う。

 

「お前を責めていたのに、同じことをした」

 

「村人は」

 

「半分が怒っている」

 

「罷免を」

 

「求めている」

 

「辞める?」

 

「井戸を掘り終えるまでは」

 

「権力へしがみつくと言われます」

 

「言わせろ」

 

ナディアは老人を見る。

 

「あなたの名を計画へ入れます」

 

「何の」

 

「共同井戸開放の責任者」

 

「英雄のように?」

 

「違反者としても」

 

老人が笑う。

 

「それでよい」

 

---

 

## 六

 

灰冠会議の水利債券交渉は、王都中央市場の公開壇で行われた。

 

異例。

 

通常、国家融資は宮殿の密室。

 

今回は市場。

 

傍聴。

 

書記。

 

宗教法官。

 

商人。

 

水利技師。

 

軍代表。

 

農村代表。

 

灰冠側の代理人は、黒帳商会の南方代理人イスハーク・ベン=ダウド。

 

刻印民。

 

四十代。

 

丁寧な声。

 

灰色の外套は着ていない。

 

「私は灰冠会議の構成員ではありません」

 

最初に言った。

 

「債券販売の仲介人です」

 

「違いは」

 

市場から声。

 

「帳簿で証明します」

 

黒帳商会自身も疑われている。

 

だから帳簿を持参。

 

融資元。

 

セレスタ銀行六行。

 

アウレリア商会二つ。

 

聖座慈善基金。

 

ナフル国内商人。

 

灰冠関連と確認済みの資金は全体の二割。

 

「二割を除け」

 

バイバルスが言った。

 

壇上。

 

王冠なし。

 

軍衣。

 

「除けば給水車は百二十台から八十台へ」

 

「それでよい」

 

「一部村へ届きません」

 

「灰冠の水門管理権は渡さない」

 

イスハークが書類を開く。

 

「管理権条項は削除できます」

 

市場がざわめく。

 

簡単に。

 

「代わりに利率を一・五倍」

 

宰相が顔をしかめる。

 

「高すぎる」

 

「担保が減るためです」

 

「港湾小麦税の上限を」

 

「年間収入の三割」

 

「一割」

 

「二割五分」

 

「一割五分」

 

交渉。

 

数字。

 

市場の民衆には退屈。

 

だが自分たちの未来。

 

「十五年」

 

バイバルスが言う。

 

「二十年」

 

「十二年」

 

「十八年」

 

「十五年」

 

「利率を」

 

「現行の一・二倍」

 

「一・四」

 

「一・二五」

 

「一・三」

 

「一・二五、支払遅延時のみ一・三」

 

イスハークが考える。

 

「受けます」

 

早い。

 

「なぜ」

 

バイバルスが尋ねる。

 

「公開市場では、信用が利益になります」

 

「灰冠の利益にも」

 

「はい」

 

正直。

 

「我々がこの債券を売れば、灰冠関連資金も利子を得る」

 

「二割除外と」

 

「名義を変えて入る可能性」

 

「完全には防げません」

 

「では」

 

「毎月、実所有者一覧を公開。違反が見つかれば、その債券を無利子国債へ転換」

 

「投資家が嫌がる」

 

「だから実体を隠さない者だけ残る」

 

イスハークが少し笑う。

 

「陛下は、借りる側でありながら条件が厳しい」

 

「水門を取られるよりは」

 

軍代表が手を上げる。

 

カリムの副官。

 

「給水車の配分は誰が決める」

 

「水利庁」

 

「軍管理では」

 

「しない」

 

「軍営が優先されなければ国境が」

 

「軍用水は別枠」

 

「足りない」

 

「民間水を奪わない」

 

「兵が渇けば」

 

「井戸を掘れ」

 

「時間が」

 

「だから給水車八十台のうち十五台を軍へ」

 

「三十」

 

「二十」

 

「二十五」

 

ナディアの代理人が立つ。

 

「軍へ二十。残り六十を第三級村へ」

 

「王都は」

 

都市代表。

 

「王都配水は既存車で」

 

「故障が多い」

 

「修理費を別債券へ」

 

市場から笑い。

 

借金が借金を生む。

 

イスハークは笑わない。

 

「可能です」

 

「冗談だ!」

 

誰かが叫ぶ。

 

「商人は冗談も利子にする!」

 

騒ぎ。

 

バイバルスが手を上げる。

 

「給水車債券は一回限り。追加借款は三者同意」

 

「三者?」

 

「王室、水利庁、公開傍聴団から選ばれた監査評議会」

 

「民衆が国家債務へ」

 

宗教法官が反発。

 

「返すのは民だ」

 

バイバルスが言う。

 

「なら見る権利がある」

 

カリム派から不満。

 

商人から不満。

 

王族から不満。

 

だから、ある程度公平なのかもしれない。

 

債券は承認された。

 

全員が満足しない形で。

 

---

 

## 七

 

公開交渉の夜、王都南門で火が上がった。

 

軍用給水車の集積所。

 

新規購入前。

 

既存車四十八台のうち、二十台が置かれている。

 

火矢。

 

油。

 

一台。

 

二台。

 

三台。

 

乾いた木。

 

火が速い。

 

守備兵が消火。

 

同時に、南部騎兵軍団が王都へ進軍しているとの報告。

 

三日の停戦合意。

 

まだ一日目。

 

「カリムが破った?」

 

宰相が言う。

 

バイバルスは軍装を着る。

 

「本人へ使者」

 

「時間が」

 

「兵は門を閉じる」

 

「閉じれば反乱軍と」

 

「閉じなければ王宮へ」

 

情報が錯綜。

 

南門守備隊から。

 

進軍騎兵は二千。

 

旗は救済軍。

 

しかし先頭にカリムはいない。

 

副将ファリド。

 

カリムの部下。

 

「命令書は」

 

「カリム将軍印」

 

「本物か」

 

「不明」

 

灰冠。

 

偽造。

 

あるいは本物。

 

バイバルスは南門へ。

 

王が門へ立つ。

 

群衆。

 

火。

 

軍。

 

「門を閉じろ!」

 

鉄門。

 

南部騎兵が外へ到着。

 

ファリド副将が叫ぶ。

 

「王都の水を外国商人へ売ったスルタンを拘束する!」

 

「カリムの命令か!」

 

バイバルスが城壁上から問う。

 

「救済軍評議会の命令!」

 

「将軍本人は」

 

「総意だ!」

 

カリムを飛び越えた。

 

将軍が兵を完全には支配していない。

 

あるいは、裏から命じた。

 

「三日合意を破るのか」

 

「陛下が灰冠債券へ署名した!」

 

「公開条件で」

 

「売国に公開も秘密もない!」

 

騎兵から歓声。

 

城壁上の王都守備兵も、同意する者がいる。

 

家族。

 

水。

 

外国債務。

 

「給水車を燃やしたのは」

 

「灰冠の仕業だ!」

 

「お前たちの火矢が」

 

「我々が来る前だ!」

 

本当かもしれない。

 

火災は進軍より早い。

 

誰かが給水車を燃やし、救済軍へ罪を着せる。

 

同時に進軍を促す。

 

灰冠の典型。

 

「カリム将軍本人を呼べ!」

 

「将軍は拘束された!」

 

城壁上がざわめく。

 

「誰に」

 

「スルタンの刺客に!」

 

バイバルスの顔が変わる。

 

「命じていない!」

 

「誰が信じる!」

 

カリムが行方不明。

 

王都情報局。

 

軍内強硬派。

 

灰冠。

 

誰が。

 

「南門を開けろ!」

 

ファリドが命じる。

 

「王都を救う!」

 

「開けない!」

 

「なら攻める!」

 

弓兵。

 

城壁。

 

内戦。

 

その瞬間、騎兵隊の後方から一騎。

 

白い布。

 

馬が倒れそう。

 

乗り手。

 

カリム。

 

血。

 

肩に矢。

 

「止めろ!」

 

将軍が叫ぶ。

 

自軍へ。

 

「攻撃するな!」

 

ファリドが振り返る。

 

「将軍!」

 

「誰が進軍を命じた!」

 

「将軍印の命令書!」

 

「私は出していない!」

 

偽造。

 

カリムは馬から落ちる。

 

兵が支える。

 

「陛下!」

 

城壁へ。

 

「私の幕舎が襲われた! 情報局の兵だ!」

 

バイバルスは門を開けるか迷う。

 

カリム本人。

 

負傷。

 

罠。

 

「小門だけ」

 

宰相が言う。

 

「将軍一人」

 

「兵が反発」

 

「だから」

 

小門。

 

カリムと医師二名。

 

ファリドは外に残る。

 

「将軍を人質に!」

 

兵が叫ぶ。

 

カリムが振り返る。

 

「命令だ! 弓を下ろせ!」

 

兵が従う。

 

完全ではない。

 

それでも。

 

城内。

 

医師。

 

矢を抜く。

 

命に別状なし。

 

「誰が」

 

バイバルスが尋ねる。

 

「情報局長」

 

「やはり」

 

「救済軍案へ署名した男だ」

 

「お前の仲間」

 

「灰冠の金を受けていた」

 

「証拠は」

 

カリムが血まみれの帳面を出す。

 

情報局長の秘密口座。

 

進軍命令の準備。

 

給水車火災。

 

王都守備兵買収。

 

「私を殺し、殉教者にするつもりだった」

 

「お前の名で反乱」

 

「成功すれば、将軍は死んでいる方が扱いやすい」

 

軍務卿暗殺と同じ。

 

和解しかけた者を殺し、支持者を戦争へ。

 

「三日合意は」

 

バイバルスが尋ねる。

 

カリムは苦しそうに笑う。

 

「まだ二日ある」

 

「続ける?」

 

「兵を門外へ置いたまま?」

 

「戻せば、私が売ったと思われる」

 

「入れれば王都が」

 

「共同宿営地を」

 

宰相が言う。

 

「門外の河原。王都守備と南部軍を同数。水は別配給。武器は陣地内」

 

「監視し合う」

 

「はい」

 

カリムが頷く。

 

「ファリドを入れない」

 

「なぜ」

 

「進軍した」

 

「偽命令で」

 

「それでも、確認せず動いた」

 

「処罰は」

 

「軍法会議」

 

「即時では」

 

「即時処刑すれば、兵が立つ」

 

遅くする。

 

また。

 

---

 

## 八

 

給水車火災で、十二台が全焼した。

 

四台が修理不能。

 

残る四台は車輪損傷。

 

実働三十二台から十六台へ。

 

債券で購入する八十台は、最短でも二十日後。

 

第三級村への給水計画は初日から崩れた。

 

ナディアは、新しい一覧を作らなければならない。

 

「給水頻度を五日に一度」

 

サミールが言う。

 

「死者が出ます」

 

「三日に一度は不可能」

 

「軍の二十台を回す」

 

「王都から許可が」

 

「求める」

 

「カリム派が反対」

 

「求める」

 

「それでも十六台足りない」

 

「民間荷車へ水槽を」

 

「漏れます」

 

「内側に瀝青」

 

「西港火災で瀝青価格が」

 

世界がつながる。

 

ヴァルネリアの港火災。

 

船具不足。

 

瀝青価格。

 

ナフルの給水車改造費。

 

遠い戦争が、水を運ぶ樽へ影響する。

 

「陶器の大壺」

 

ナディアが言う。

 

「重い」

 

「荷車一台に四つ」

 

「輸送量が半分」

 

「漏れるより」

 

「陶工街の生産は」

 

「王都へ照会」

 

サミールは筆を動かす。

 

「救済村をさらに減らしますか」

 

ナディアは地図を見る。

 

灰色の点。

 

増やす。

 

どの村。

 

「第二級から三村を第三級へ」

 

「どこ」

 

喉が詰まる。

 

「東灌漑区のハラーム、ビルケト、サファ」

 

「人口合計一万二千」

 

「井戸がある」

 

「二つは塩化が進んでいます」

 

「それでも」

 

「カスル・アインを第二級へ下げれば」

 

サミールが言う。

 

「第一級を一つ減らせる」

 

アブドゥル・ラーマンの村。

 

共同井戸を開けた。

 

種子用水が減っている。

 

第一級条件を守れない。

 

「第二級へ」

 

ナディアは決めた。

 

「理由は」

 

「共同井戸の周辺開放により、種子用水保証が不可能」

 

「彼を罰するように見えます」

 

「実際、結果として減る」

 

「隣村へ水を渡したため」

 

「はい」

 

「それでよいのですか」

 

ナディアは答えられない。

 

善意へ罰。

 

だが第一級の水を維持できない。

 

別の村を救うため。

 

「一覧に、共同井戸開放を評価すると書きます」

 

「評価しながら格下げ?」

 

「事実です」

 

サミールが苦い顔。

 

「人は理解しません」

 

「私も理解できません」

 

それでも署名。

 

---

 

## 九

 

新しい指定書がカスル・アインへ届いたとき、村人はアブドゥル・ラーマンを責めた。

 

「井戸を開けたからだ!」

 

「隣村を助けて、我々が」

 

「種子用水がなくなる!」

 

老人は逃げなかった。

 

村の広場。

 

「私が決めた」

 

「辞めろ!」

 

「辞める」

 

皆が一瞬静かになる。

 

「今日で水利組合長を辞める」

 

「井戸は」

 

「共同開放を続けるか、次の組合長が決めろ」

 

「お前が始めた!」

 

「だから責任を」

 

「辞めるのが責任か!」

 

若者が怒鳴る。

 

正しい。

 

役職を捨てれば、結果から逃げるとも見える。

 

「井戸掘りの現場には残る」

 

「権限なしで?」

 

「労働者として」

 

「次の組合長は誰が」

 

「選べ」

 

「今この時に?」

 

「水は待たない」

 

村人が口々。

 

誰もなりたくない。

 

決めれば恨まれる。

 

「アル=ハディドから選ぶ」

 

アブドゥル・ラーマンが言う。

 

カスル・アイン側が反発。

 

「他村に我々の井戸を!」

 

「共同で使うなら、共同で決める」

 

「人数が」

 

「両村同数の委員」

 

「偶数では決まらない」

 

「決まらなければ水門を動かさない」

 

「遅い!」

 

「だから争え」

 

老人は笑わない。

 

「私一人が決めた結果を見たろう」

 

新しい共同水利委員会。

 

カスル・アイン五名。

 

アル=ハディド五名。

 

決定には七名。

 

面倒。

 

遅い。

 

だが相手の水を自分だけで決められない。

 

「お前も委員に」

 

村人が言う。

 

「なら辞めた意味が」

 

「経験がいる」

 

「権力へしがみつくな!」

 

別の者。

 

矛盾。

 

残れ。

 

辞めろ。

 

「顧問として。票なし」

 

老人が提案。

 

完全には消えない。

 

完全には決めない。

 

「それでよい」

 

ファーティマ老婆が言った。

 

アル=ハディド代表。

 

「井戸掘りは、明日から」

 

「今日からだ」

 

アブドゥル・ラーマンが答える。

 

---

 

## 十

 

灰冠水利債券の第一回入札には、予想以上の金が集まった。

 

理由。

 

高利率ではない。

 

公開監査。

 

違反時の無利子転換。

 

投資家の一部は、それを安全と見た。

 

灰冠関連を避けたい商人。

 

自分の名を清い資金として示したい銀行。

 

宗教基金。

 

小口投資。

 

王都職人組合。

 

農村水利組合まで。

 

一方、匿名資金は排除。

 

不足すると思われた。

 

逆に、公開されることで参加者が増えた。

 

「灰冠の金なしでも、給水車七十六台分」

 

宰相が報告した。

 

「八十には届かない」

 

バイバルスが言う。

 

「四台は王家厩舎の馬車を改造」

 

「王家用を?」

 

「庭園用給水車も」

 

「宮殿庭園は枯れます」

 

「すでに止めた」

 

「樹木が」

 

「民が先」

 

象徴。

 

同時に実用。

 

王宮の古い果樹が枯れる。

 

歴代王。

 

それでも。

 

「カリム将軍は」

 

「南門外の共同宿営地。軍法会議準備」

 

「反乱計画について」

 

「自ら公開尋問を受けると」

 

「本気か」

 

「兵の前で」

 

「私も出る」

 

「危険です」

 

「お互い同じだ」

 

公開尋問。

 

反乱者と王。

 

どちらも自分の秘密を出す。

 

---

 

## 十一

 

南門外の河原で、カリム将軍の軍法会議が開かれた。

 

軍法会議と呼びながら、裁判官は軍人だけではない。

 

宗教法官。

 

王室判事。

 

兵士代表。

 

農村代表。

 

水利庁。

 

公開。

 

罪状。

 

王国救済軍計画。

 

無許可の政治介入。

 

外国資金の受領。

 

反乱準備。

 

カリムは否定しなかった。

 

「計画を作った」

 

「スルタンを休養させる意図は」

 

「はい」

 

「強制的に」

 

「必要なら」

 

「反乱では」

 

「法上は」

 

法官が言う。

 

「反乱です」

 

「では反乱だ」

 

兵士がざわめく。

 

将軍が認めた。

 

「なぜ実行しなかった」

 

「三日合意」

 

「スルタンへの忠誠?」

 

「王国への利益」

 

「違いは」

 

「ある」

 

カリムはバイバルスを見る。

 

「陛下が誤れば止める」

 

「誰が、誤りと」

 

「私が」

 

軍務卿と同じ。

 

「それが反乱です」

 

法官。

 

「理解している」

 

「悔いているか」

 

カリムは長く黙る。

 

「計画を作ったことは、悔いていない」

 

騒ぎ。

 

「灰冠資金を知らず受けたこと。兵を十分統制できなかったこと。ファリドが偽命令で動ける状態にしたことは、私の責任」

 

「処罰を」

 

「受ける」

 

「将軍職剥奪」

 

兵士が怒号。

 

「国境が!」

 

「カリム将軍を!」

 

バイバルスが手を上げる。

 

「判決は、私が決めない」

 

軍法会議。

 

「王が決めろ!」

 

兵士。

 

「王の友人だから甘くすると思うだろう」

 

「厳しくするかもしれない」

 

「だから決めない」

 

裁判官が協議。

 

即日ではない。

 

三日。

 

証拠確認。

 

また三日。

 

灰冠の期限とは違う。

 

殺すためでなく、考えるため。

 

その間、カリムは指揮権停止。

 

南部軍は三人の共同指揮。

 

王室軍人。

 

南部軍代表。

 

水利兵站官。

 

水利兵站官は、ナディアが指名した女性技師ライラ。

 

軍人が反発。

 

「女が軍へ」

 

「水を運ぶ者です」

 

ナディアの書簡。

 

《兵士が飲む水を決める者は、すでに軍を指揮している》

 

ライラは剣を持たない。

 

給水表。

 

井戸地図。

 

兵士は不満。

 

だが喉が渇けば、彼女の命令を聞く。

 

---

 

## 十二

 

三日後。

 

カリムへの判決。

 

将軍職停止六十日。

 

救済軍評議会解散。

 

外国資金受領について、私財没収の一部。

 

反乱計画については、正式実行前であり、スルタンとの合意を守ろうとした点を考慮し、死刑なし。

 

軍内から甘いとの声。

 

宮廷から危険との声。

 

カリム本人は笑った。

 

「六十日後、戻れる?」

 

裁判長。

 

「再任審査」

 

「兵が必要なら」

 

「必要だけで法を曲げない」

 

「戦争中でも?」

 

「そのための六十日です」

 

判決が遅い。

 

罰も中間。

 

誰も満足しない。

 

だが内戦は起きなかった。

 

ファリド副将は、偽命令を確認せず進軍した罪で降格。

 

情報局長は逃亡。

 

灰冠会議の連絡船で北へ向かったとの報告。

 

追跡。

 

---

 

## 十三

 

二十日後、最初の新型給水車が南部支局へ届いた。

 

八十台ではない。

 

十二台。

 

残りは海上。

 

遅延。

 

海賊。

 

港検査。

 

一台は車輪が規格外。

 

二台は水槽に漏れ。

 

実働九台。

 

帳簿では十二。

 

現実では九。

 

ナディアは受領書へ、九台と書いた。

 

商会代理人が反発。

 

「十二台納品しました」

 

「動くのは九」

 

「修理可能」

 

「修理後に三を記録」

 

「契約違反になります」

 

「あなたが」

 

「輸送中の損傷です」

 

「保険は」

 

「別契約」

 

「誰と」

 

代理人が黙る。

 

海燕共同事業体の関連保険。

 

灰冠。

 

「三台分を支払わない」

 

「訴訟を」

 

「公開法廷で」

 

「給水車を止めます」

 

「止めれば、債券違反として全契約を無利子転換」

 

代理人の顔が変わる。

 

公開条項。

 

初めて機能。

 

「修理します」

 

「いつ」

 

「三日」

 

「一日」

 

「不可能」

 

「二日」

 

「部品が」

 

「水利工房を使う」

 

「費用は」

 

「あなた」

 

交渉。

 

水。

 

小さな勝利。

 

---

 

給水車は、最初にアル=ハディド村へ向かった。

 

政治的配慮ではない。

 

最も危険。

 

暴動寸前。

 

同時に象徴。

 

アブドゥル・ラーマンの共同井戸開放で耐えている。

 

車輪。

 

砂。

 

道。

 

村人が待つ。

 

一台あたり大壺四つ。

 

水。

 

誰が先。

 

子供。

 

老人。

 

病人。

 

委員会が名簿を作る。

 

ファーティマ老婆が壺を持つ。

 

最初の一杯を、自分ではなく隣の少女へ。

 

美しい場面。

 

年代記はそう書くかもしれない。

 

実際には、その直後、男二人が順番をめぐって殴り合った。

 

壺が割れた。

 

水が地面へ。

 

人々が泥へ手を入れる。

 

兵が止める。

 

誰かが泣く。

 

救済は、整った物語にならない。

 

ナディアは現場へ来ていた。

 

殴り合った男へ処罰を求めなかった。

 

次回配水の最後へ回す。

 

罰。

 

家族も待つ。

 

「重すぎる」

 

ファーティマが言う。

 

「何が」

 

「男の子供も最後になる」

 

「本人だけ」

 

「壺は家族で使う」

 

正しい。

 

「では共同作業一日」

 

「水路掘り?」

 

「はい」

 

「罰が村の利益になる」

 

ナディアは記録へ修正。

 

法は現場で変わる。

 

---

 

## 十四

 

旧井戸の掘削は、十二日目に水へ当たった。

 

最初は泥。

 

次に塩。

 

さらに掘る。

 

淡水。

 

少量。

 

歓声。

 

井戸一本で村全体は救えない。

 

だが給水車の回数を減らせる。

 

種子用水には足りない。

 

飲料水。

 

それだけ。

 

アブドゥル・ラーマンは井戸縁に座った。

 

手は血まみれ。

 

票を持たない顧問。

 

実際には皆が意見を求める。

 

「組合長へ戻れ」

 

村人が言う。

 

「戻らない」

 

「なぜ」

 

「一度辞めた」

 

「水が出た」

 

「私が出したのではない」

 

「お前が決めた」

 

「ナディアが技師を。皆が掘った」

 

「誰か一人の名が必要だ」

 

老人は笑う。

 

「必要ない」

 

だが歴史は一人を選ぶ。

 

アブドゥル・ラーマンの井戸。

 

そう呼ばれるかもしれない。

 

彼は反対した。

 

「《二村井戸》と」

 

「長い」

 

「覚えろ」

 

---

 

## 十五

 

ナフルの穀物輸出は、七日間、半量へ減らされた。

 

オルシャ。

 

アウレリア。

 

価格上昇。

 

アウレリア三帝は抗議。

 

同時に、ナフル国内事情を知り、全量要求を取り下げた。

 

代わりに、アウレリアから井戸掘削技師と水車部品を送る提案。

 

小麦との交換。

 

借金ではない。

 

物々交換。

 

灰冠金融網を通さない。

 

輸送保険は必要。

 

セレスタの公開保険組合。

 

新しい仕組み。

 

ルチアーノの改革派が提案。

 

戦争が市場を作る。

 

同時に、公開市場も作られる。

 

完全な善ではない。

 

利益は出る。

 

だが誰が得るか見える。

 

ナフルは、オルシャへも小麦を送った。

 

量は少ない。

 

マリアムから返礼。

 

港門技師。

 

古代水路図の写し。

 

聖地の鍵守と、砂漠の水利官僚。

 

まだ会ったことはない。

 

書簡だけ。

 

《水門を一人へ預けない制度について、経験を共有したい》

 

ナディアは読んだ。

 

自分の支局でも、水門管理を一人から複数委員へ変える案を作り始めている。

 

だが緊急時。

 

遅い。

 

どこでも同じ問題。

 

---

 

## 十六

 

灰冠会議は、ナフル計画を失敗とは記さなかった。

 

マルケル・セヴェロスの船室。

 

報告。

 

《水利債券》

 

《水門管理権取得、失敗》

 

《港湾税担保、限定》

 

《公開監査条項、導入》

 

《資金流入、予測以上》

 

《灰冠関連匿名資金、排除》

 

《ナフル内乱、回避》

 

《軍・王権対立、継続》

 

《農村間水争い、制度化》

 

若い会計官が尋ねる。

 

「利益は減りました」

 

「はい」

 

「公開債券が成功すれば、我々の秘密融資が」

 

「だから買う」

 

「公開債券を?」

 

「一部」

 

「実所有者一覧で見つかります」

 

「見つかる名で買う」

 

「灰冠と知られます」

 

「灰冠ではない商会として」

 

「名義変更は違反」

 

「違反しない。新しい組織を作る」

 

「公開制度に適応する?」

 

マルケルは頷く。

 

「制度は敵ではない。市場だ」

 

「彼らが監視を増やせば」

 

「監視する者へ給金が必要になる」

 

「我々が貸す?」

 

「あるいは、監査人を育てる学校へ寄付する」

 

若い会計官が戸惑う。

 

「敵を強くするのですか」

 

「強くなった制度ほど、維持費がかかる」

 

「すべてを利益へ」

 

「利益へできないものもある」

 

老人は、ナフルの井戸報告を見る。

 

《二村井戸》

 

公開帳簿。

 

共同委員会。

 

「村人が自分で掘った井戸は」

 

若い男が言う。

 

「貸付なしです」

 

「そうだ」

 

「利益にならない」

 

「だから危険だ」

 

マルケルは小さく呟いた。

 

金を通さず、人間が協力する。

 

灰冠会議が最も入りにくい場所。

 

「次は」

 

会計官が尋ねる。

 

老人は地図を見る。

 

アウレリア。

 

ナフル。

 

オルシャ。

 

サルグァ。

 

ヴァルネリア。

 

それぞれが秘密を開き、共同制度を作り始めている。

 

遅い。

 

不完全。

 

だが網がつながれば、灰冠の帳簿も見える。

 

「彼らを互いに疑わせる」

 

「すでに疑っています」

 

「疑いながら協力している」

 

「では」

 

「協力の費用を上げる」

 

「どうやって」

 

「宗教だ」

 

水。

 

穀物。

 

金。

 

次は信仰。

 

神聖エーレン帝国。

 

民衆語で聖典を読む改革運動。

 

聖座の調査使節。

 

教会財産。

 

諸侯。

 

農民。

 

ヨハンという説教師。

 

「真実を公開すれば、皆が同じ真実を受け入れると思っている」

 

マルケルは言った。

 

「実際は?」

 

「同じ言葉を読んで、違う神を見つける」

 

---

 

## 十七

 

夏の終わり。

 

ナフル川の水位は、さらに指二本分下がった。

 

雨は来ない。

 

給水車は六十八台まで増えた。

 

八十には届かない。

 

旧井戸は三本成功。

 

五本失敗。

 

二本で作業事故。

 

死者七名。

 

カスル・アインの種子倉庫は、予定の八割を維持。

 

アル=ハディドの畑は、ほぼ全滅。

 

飲料水は確保。

 

誰が救われたか。

 

誰が見捨てられたか。

 

簡単には言えない。

 

ナディアは最終報告へ署名した。

 

《救済計画第一期》

 

《飲料水不足による推定死者、当初予測より六割減》

 

《農作物損失、平年比四十五パーセント》

 

《家畜損失、三十一パーセント》

 

《第三級村からの移住者、二万一千》

 

《水争いによる死者、百三十二》

 

《水利兵による殺害、十八》

 

《給水盗難、記録済み七十六件》

 

《不明、推定多数》

 

数字。

 

その下に、村名。

 

死者名。

 

分からない者。

 

《給水車到着前に死亡した少女、推定七歳、サファ村》

 

《旧井戸崩落、男性三名、うち一名名不明》

 

《水路争い、カスル・アイン側二名、アル=ハディド側一名》

 

同じ記録。

 

勝利報告ではない。

 

失敗報告だけでもない。

 

「あなたは多くを救った」

 

サミールが言った。

 

最初より顔が痩せている。

 

「多くを失いました」

 

「当初予測より」

 

「予測は人間ではありません」

 

「でも」

 

「数字を否定しているのではありません」

 

ナディアは報告書を閉じる。

 

「数字がなければ、もっと死んだ」

 

「なら」

 

「正しかった部分と、間違った部分がある」

 

「どこが」

 

「まだ分かりません」

 

「水位は待ちません」

 

「だから次を作る」

 

疲労。

 

終わらない。

 

「辞めたいですか」

 

サミールが尋ねた。

 

ナディアは考えた。

 

毎日。

 

「はい」

 

「辞める?」

 

「いいえ」

 

アブドゥル・ラーマンと逆。

 

彼は辞め、顧問として残った。

 

彼女は役職に残る。

 

どちらが責任か。

 

分からない。

 

---

 

## 十八

 

王都では、バイバルスとカリムが再び同じ机を囲んだ。

 

将軍職停止中。

 

軍衣なし。

 

杖。

 

肩の傷。

 

「水利債券は動いている」

 

カリムが言う。

 

「はい」

 

「灰冠の金も入った可能性」

 

「ある」

 

「では負けた」

 

「給水車は来た」

 

「利子も」

 

「払う」

 

「十五年」

 

「短くできるかもしれない」

 

「できなければ」

 

「次の王が払う」

 

「陛下も先王と同じだ」

 

秘密債務を未来へ。

 

「違いは公開だけ?」

 

バイバルスが尋ねる。

 

「そうかもしれない」

 

「公開で民が納得する?」

 

「しない」

 

「では」

 

「少なくとも、次の王は知らなかったと言えない」

 

カリムは笑う。

 

「嫌な遺産だ」

 

「冠も同じだ」

 

「私を再任する気は」

 

「審査が決める」

 

「陛下ではなく」

 

「はい」

 

「不便な王になった」

 

「お前のせいだ」

 

アドリアンとシャルル。

 

別の国で、同じ言葉。

 

「国境軍は、私を求めている」

 

「知っている」

 

「反乱防止にも」

 

「だからこそ簡単に戻せない」

 

「私を恐れている?」

 

「はい」

 

バイバルスは正直に言った。

 

「友人としても、将軍としても」

 

カリムは黙る。

 

「お前も私を恐れろ」

 

「昔から」

 

二人は水を飲む。

 

王宮の杯。

 

量は制限。

 

同じ壺から。

 

「次の雨まで」

 

カリムが言う。

 

「国は持つか」

 

「持たせる」

 

「強い言葉」

 

「王だから」

 

「一人で決めない王が?」

 

「決めないことも決める」

 

「詭弁だ」

 

「知っている」

 

---

 

## 十九

 

ナフル川沿いの夜。

 

新しい共同井戸のそばで、二つの村の子供が水を汲んでいた。

 

最初は別々の列。

 

カスル・アイン。

 

アル=ハディド。

 

壺の形も印も違う。

 

委員会は、一人二壺と決めた。

 

監視役。

 

記録板。

 

水位線。

 

子供の一人が、壺を落とした。

 

割れる。

 

泣く。

 

規則では、その日の分は再配給しない。

 

不正防止。

 

別の子供が、自分の壺から半分を注いだ。

 

「規則違反だ」

 

監視役が言う。

 

子供は答えた。

 

「僕の水だ」

 

「一人二壺」

 

「二壺もらった」

 

「他人へ渡すのは」

 

規則に書いていない。

 

委員会が集まる。

 

議論。

 

遅い。

 

子供たちは待たない。

 

半分を渡す。

 

水は一人から一人へ。

 

利子なし。

 

契約なし。

 

担保なし。

 

記録だけ。

 

監視役は板へ書いた。

 

《個人配水後の譲渡、一件》

 

罰は空欄。

 

翌日、委員会は個人配水後の譲渡を認めた。

 

ただし売買は禁止。

 

すぐに別の問題。

 

水とパンの交換は売買か。

 

病人へ多く渡すのは。

 

家族人数が違う。

 

議論は続く。

 

共同制度は完成しない。

 

人間が生きている限り、例外が増える。

 

それでも井戸は使われた。

 

---

 

ナフル川は、その夜も低い場所へ流れた。

 

王の命令を知らず。

 

将軍の反乱を知らず。

 

灰冠の利率を知らず。

 

ナディアの署名も。

 

アブドゥル・ラーマンの辞任も。

 

子供が半分の水を渡したことも知らない。

 

川はただ流れる。

 

だが、人間がどのように分けたかは残る。

 

土へ。

 

畑へ。

 

墓へ。

 

帳簿へ。

 

記憶へ。

 

後世の年代記は、灰暦八百七十二年のナフル渇水を《大乾き》と呼ぶ。

 

スルタン・バイバルスの公開債券。

 

カリム将軍の未遂反乱。

 

ナディアの三段階配水計画。

 

二村井戸。

 

それらを改革の始まりと評価する者もいる。

 

別の学者は、国家が村を数値で見捨てる制度を完成させた年と批判した。

 

どちらも正しい。

 

水を分けるとは、命を分けることだった。

 

誰かを救った手は、別の誰かから水を取っている。

 

だからナディアは、報告書の最後へ一行を加えた。

 

《本計画によって救われた人数を、実施者の功績として数えてはならない》

 

《同時に、本計画によって失われた全員を、天候の責任としてはならない》

 

その一行は、財務官から削除を求められた。

 

責任の所在が曖昧になる。

 

ナディアは拒否した。

 

責任は曖昧ではない。

 

複数にある。

 

天候。

 

王。

 

将軍。

 

水利庁。

 

村長。

 

商人。

 

灰冠。

 

自分。

 

全員。

 

誰か一人へ押しつければ、残りはまた同じことをする。

 

---

 

夏の終わり。

 

最初の雲が南の地平へ現れた。

 

雨雲ではない。

 

砂嵐。

 

黄色い壁。

 

川の上流からではなく、西方砂漠から来る。

 

村人は空を見る。

 

雨を期待していた者は、黙る。

 

砂嵐は水路を埋める。

 

井戸へ砂を入れる。

 

給水街道を止める。

 

さらに悪い知らせ。

 

だが砂嵐の向こうを、一人の騎手が走っていた。

 

神聖エーレン帝国から来た使者。

 

灰衣修道会の印。

 

鞍袋に、一冊の民衆語聖典。

 

そして一枚の処刑命令。

 

改革説教師ヨハン・アイゼンを、異端として火刑に処す。

 

署名は聖座ルミナの使節。

 

だが命令書の紙には、薄い灰色の冠の透かしがあった。

 

マルケル・セヴェロスが次に選んだもの。

 

水ではなく、言葉。

 

人間は水を分ければ争う。

 

神の言葉を分ければ、さらに深く争う。

 

砂嵐がナフルの空を覆う頃、北方では最初の民衆語聖典が印刷所から運び出されていた。

 

一冊の本。

 

一本の火刑柱。

 

そして、同じ神を信じる者同士の戦争。

 

王冠たちの夏は、信仰の秋へ向かっていた。

 

書き溜めていた分のストックがほぼ尽きてきましたので… 更新頻度についてアンケートをさせていただきたいと思います。 以降の更新頻度はどの程度がよいでしょうか?

  • 死ぬ気でがんばれ
  • 可能な範囲でがんばれ
  • そんなに急ぐこたーないぞ
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