『血と香料の戦争』― 灰燼の回廊 ―   作:MOZIO

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第4編「崩壊前夜」

【1】静かな膨張

 

王都リュミエールは、膨張していた。

 

人口ではない。

空気が、だ。

 

目に見えない圧力が、街の至る所に満ちている。

 

市場では値段が毎日変わる。

パン一つの価格が、昨日の倍になる。

それでも人は買う。

 

いや、買うしかない。

 

「明日はもっと高い」

 

その一言が、すべてを正当化する。

 

商人は笑わない。

客も怒鳴らない。

 

ただ、互いに理解している。

 

「終わっている」

 

だが、それでも続く。

 

【2】民衆

 

トビアスは列に並んでいた。

 

配給の列だ。

 

かつての戦場と同じ光景。

 

違うのは――敵が見えないことだけ。

 

「おい、減ってるぞ」

 

前の男が言う。

 

「昨日より少ねぇ」

 

「仕方ねぇだろ」

 

後ろの女が返す。

 

「戦争なんだから」

 

その言葉に、誰も反論しない。

 

だが、納得もしていない。

 

沈黙が広がる。

 

「……戦争って何だよ」

 

小さな呟き。

 

誰も答えない。

 

【3】流言

 

噂が流れている。

 

「貴族が食糧を溜め込んでる」

 

「商人が値段を釣り上げてる」

 

「教会が全部持っていった」

 

どれも真実であり、嘘でもある。

 

重要なのは――

 

「信じられていること」

 

それだけで十分だった。

 

【4】火の粉

 

最初の暴力は、小さかった。

 

市場の一角。

 

パンを奪おうとした男が殴られる。

 

それだけのはずだった。

 

だが――

 

「返せ!」

 

「泥棒が!」

 

周囲が加わる。

 

殴る。

蹴る。

 

誰がどちら側か、分からない。

 

気づけば一人が動かなくなっている。

 

沈黙。

 

そして――

 

誰も責任を取らない。

 

【5】拡大

 

翌日。

 

同じことが別の場所で起きる。

 

三日後。

 

複数箇所で同時に。

 

「抑えきれません」

 

報告が上がる。

 

「兵を出せ」

 

貴族が命じる。

 

だが――

 

兵は足りない。

 

戦場に送られているからだ。

 

王都を守る者は、もういない。

 

【6】宗教の炎

 

大聖堂。

 

ベネディクトゥスは群衆を前にしていた。

 

「これは罰である」

 

声が響く。

 

「信仰を失った者への」

 

群衆がざわめく。

 

「ではどうすればいい」

 

誰かが叫ぶ。

 

司祭は両手を広げる。

 

「捧げよ」

 

「何を」

 

「すべてを」

 

沈黙。

 

その言葉の意味を、誰もが理解した。

 

【7】商人の論理

 

リーゼロッテは数字を見ていた。

 

暴動。

価格上昇。

流通停止。

 

「……限界が近い」

 

側近が言う。

 

彼女は首を振る。

 

「まだよ」

 

「まだ、ですか」

 

「ええ」

 

彼女は窓の外を見る。

 

「壊れるには、もう一押し必要」

 

その目に感情はない。

 

あるのは――計算だけだ。

 

【8】貴族の恐怖

 

王城。

 

貴族たちは震えていた。

 

「民衆が暴れている」

 

「鎮圧しろ!」

 

「どうやってだ!」

 

怒号。

 

責任の押し付け合い。

 

「兵を戻せ!」

 

「戦線が崩壊する!」

 

「なら王都が崩壊する!」

 

誰も決断しない。

 

できない。

 

なぜなら――

 

誰も責任を取りたくないからだ。

 

【9】現実主義者

 

その中で、アルベリクだけが静かだった。

 

「……放置すべきです」

 

全員が彼を見る。

 

「正気か!?」

 

彼は淡々と続ける。

 

「鎮圧は不可能です」

 

「だから見殺しにするのか!」

 

「はい」

 

即答。

 

空気が凍る。

 

「中途半端な介入は、被害を拡大させます」

 

「貴様……!」

 

だが――

 

反論は続かない。

 

誰も「解決策」を持っていないからだ。

 

【10】限界点

 

トビアスは、ついに見た。

 

広場。

 

群衆が一つの屋敷を囲んでいる。

 

「出てこい!」

 

「食糧を返せ!」

 

石が投げられる。

 

窓が割れる。

 

扉が破られる。

 

中から悲鳴。

 

「やめろ……」

 

トビアスは呟く。

 

だが――

 

止まらない。

 

誰も止めない。

 

【11】境界の崩壊

 

その瞬間。

 

トビアスは理解した。

 

戦場と王都の違いはない。

 

どちらも同じだ。

 

「奪うか、奪われるか」

 

それだけ。

 

彼の足が動く。

 

群衆の中へ。

 

誰かを殴る。

押しのける。

 

気づけば――

 

彼もその一部になっていた。

 

【12】観測者

 

その様子を、高所から見ている者がいる。

 

リーゼロッテ。

 

「綺麗ね」

 

側近が顔をしかめる。

 

「どこがです」

 

「均衡が崩れる瞬間よ」

 

彼女は言う。

 

「最も価値が生まれる」

 

【13】もう一人

 

別の場所。

 

ファリードもまた報告を受けていた。

 

「王都、混乱状態」

 

彼は満足げに頷く。

 

「いい」

 

「介入は?」

 

「まだだ」

 

彼は言う。

 

「もう少し熟す」

 

【14】決定

 

夜。

 

アルベリクは一人で考えていた。

 

王都。

戦場。

補給。

 

すべてが繋がる。

 

「……ここは持たない」

 

結論は出ていた。

 

ヴォルフラムが入ってくる。

 

「どうする」

 

アルベリクは答える。

 

「戻ります」

 

「戦場にか」

 

「ええ」

 

彼は静かに言う。

 

「ここにいても、戦争は終わらない」

 

【15】理由

 

「逃げるのか?」

 

ヴォルフラムが問う。

 

アルベリクは首を振る。

 

「違います」

 

そして続ける。

 

「ここでは“決まらない”」

 

「……何がだ」

 

「戦争の形が」

 

王都は腐っている。

 

だが――

 

戦場はまだ、決まる可能性がある。

 

「だから戻る」

 

【16】前夜

 

夜の王都。

 

遠くで火が上がる。

 

叫び声。

 

鐘の音。

 

すべてが混ざる。

 

トビアスは立っていた。

 

血の中で。

 

「……」

 

何も言わない。

 

もう、言葉はいらない。

 

彼は知っている。

 

「始まる」

 

これは暴動ではない。

 

崩壊だ。

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