灰冠と香路の年代記   作:MOZIO

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第二章 王の秤

ヴァルネリア王国では、土地の広さを測る単位が地方ごとに違っていた。

 

王都の一モルゲンは、東部辺境の一モルゲンより狭い。

 

南部では葡萄畑の面積を、男一人が日の出から日暮れまでに鍬を入れられる広さで測り、北部では一袋の種麦を蒔ける土地を基準とした。

 

穀物を量る升も違った。

 

塩を量る秤も違った。

 

銀貨の重ささえ、同じ王の横顔が刻まれていながら、鋳造された都市によってわずかに異なった。

 

それは不便であり、不正の温床でもあった。

 

同時に、それぞれの土地が長い時間をかけて積み重ねてきた暮らしそのものでもあった。

 

灰暦八百七十二年の春、ヴァルネリア王アドリアン二世は、王国内すべての秤、升、貨幣、土地台帳を統一すると宣言した。

 

王都の官僚たちはそれを改革と呼んだ。

 

商人たちは必要なことだと歓迎した。

 

農民たちは新しい升が以前より大きいのか小さいのかを気にした。

 

領主たちは、王が何を量ろうとしているのかを理解していた。

 

穀物だけではない。

 

土地だけでもない。

 

王は、諸侯の富と兵力を量ろうとしていた。

 

誰がどれだけの土地を持ち、何人の農民から税を取り、何騎の騎士を養い、どの城にどれほどの食糧を蓄えているのか。

 

すべてを一つの秤に載せようとしていた。

 

そして秤を持つ者が、国を支配する。

 

---

 

## 一

 

アルベリク・フォン・ライナーが国王軍務局からの返書を受け取ったのは、雪解け水で街道が泥に変わった朝だった。

 

夜半から降っていた雨は止んでいたが、雲は低く、兵士たちの天幕を濡れた灰色に染めていた。

 

使者が差し出した書簡には、王家の青い封蝋が押されていた。

 

アルベリクは天幕の中で封を切った。

 

書面は短かった。

 

《ライナー東部方面軍作戦参謀アルベリク・フォン・ライナーの進言を却下する》

 

《反乱諸侯に対する武装解除要求は、予定どおり春分から七日後を期限とする》

 

《期限経過後、王国法と王命に従い、必要な軍事行動を開始せよ》

 

《穀物事情を理由とした遅延は、反乱勢力に準備の時間を与えるため認めない》

 

最後には国王アドリアン二世の署名ではなく、軍務卿シャルル・ド・モントレーの名があった。

 

国王自身が読んだかどうかは分からない。

 

アルベリクは書簡を机に置いた。

 

予想していた返答だった。

 

それでも、実際に文字として目にすると、胃の奥へ冷たい石を飲み込んだような感覚が残った。

 

副官ハンスが向かいに立っていた。

 

「やはり却下ですか」

 

「ああ」

 

「攻撃開始は」

 

「春分から八日目」

 

「あと十一日ですね」

 

アルベリクは机の上の地図へ目を落とした。

 

王国東部の諸侯領。

 

赤い線が王国軍の進路、黒い印が武装解除を拒む可能性の高い城、青い印が国王への忠誠を表明した城を示している。

 

ライナー辺境伯領は黒だった。

 

正確には、まだ返答がない。

 

父は王命を拒否してはいない。

 

受け入れてもいない。

 

沈黙は、服従と反乱の間にある最後の狭い場所だった。

 

「軍務卿は我々が勝てると考えている」

 

ハンスが言った。

 

「勝てますか」

 

「会戦なら」

 

「城攻めでは」

 

「時間がかかる」

 

「どれほど」

 

「反乱諸侯が連携しなければ二か月。連携すれば半年」

 

「食糧は三か月分しかありません」

 

「正規の備蓄はな」

 

アルベリクは地図の周囲に並ぶ数字を指で追った。

 

「不足分は周辺村落から徴発する。それが軍務局の計算だ」

 

「あなたの計算では」

 

「徴発すれば、夏までに東部の農村人口の一割が土地を捨てる。秋には二割が飢える」

 

ハンスは黙った。

 

軍人にとって農民の飢えは、通常、戦場の外側にある事柄だった。

 

だが兵士の多くは農民の息子であり、軍が食べる穀物は農民が作る。

 

村が荒れれば兵は増えない。

 

馬も育たない。

 

税も取れない。

 

城を落としたあとに残るのが焼けた畑と逃げた農民だけなら、その勝利は誰のものなのか。

 

「徴発を禁じるのですか」

 

「禁じれば軍が飢える」

 

「では」

 

「制限する」

 

アルベリクは別の羊皮紙を取り出した。

 

すでに作成していた命令書だった。

 

《各部隊は徴発の際、村落ごとに種籾、家畜、冬越し用穀物を残すこと》

 

《農民の家屋および水車を焼くことを禁ず》

 

《無許可の略奪、暴行、家畜屠殺は軍法によって処罰する》

 

《徴発品には王国発行の受領証を交付する》

 

ハンスは最後の一文を読み、眉を上げた。

 

「受領証に価値はあるのですか」

 

「戦争が終わり、王国が支払えば」

 

「支払うと思いますか」

 

「思わない」

 

「なら紙切れです」

 

「何も渡さないよりはましだ」

 

「農民はそう思うでしょうか」

 

「思わないだろう」

 

アルベリクは正直に答えた。

 

受領証は慰めにもならない。

 

だが記録は残る。

 

どの村からどれだけ奪ったか。

 

誰が命じたか。

 

誰に返すべきか。

 

戦争は、奪った者が記録しなければ、すべてが不可避の損失として消えていく。

 

アルベリクは不可避という言葉を嫌っていた。

 

多くの場合、それは責任者が自分の名を残したくないときに使われる。

 

「もう一つ命令を出す」

 

アルベリクは言った。

 

「軍道沿いの村から、老人、子供、妊婦を退避させる」

 

「どこへ」

 

「王国軍の後方へ」

 

ハンスが顔をしかめた。

 

「反乱諸侯の領民を保護するのですか」

 

「王国民だ」

 

「彼らの領主が反乱すれば」

 

「領主の罪が領民へ伝染するわけではない」

 

「軍務卿は余計な負担だと言うでしょう」

 

「言わせておけ」

 

「食糧がさらに必要になります」

 

「分かっている」

 

「参謀殿」

 

ハンスはためらいながら言った。

 

「これは戦争を困難にする命令です」

 

「戦争は本来、困難なものだ」

 

「勝つために簡単にするのが参謀の仕事では」

 

「殺すことを簡単にしすぎれば、兵士は殺す必要のない者まで殺す」

 

アルベリクは国王軍務局の返書を折り畳んだ。

 

「それに、これは反乱鎮圧だ。外国との戦争ではない。勝利したあと、我々は生き残った者を再び同じ国の民として扱わなければならない」

 

「敗者は忘れません」

 

「だから、忘れられないものを増やさない」

 

天幕の外で馬が嘶いた。

 

雨水を含んだ地面を踏む音が近づく。

 

見張りの声がし、やがて一人の騎士が入ってきた。

 

若いが、身なりの良い男だった。

 

外套には深紫色の百合紋章が刺繍されている。

 

ヴァルネ公爵家。

 

アルベリクは立ち上がった。

 

「エレノア公爵夫人の使者か」

 

「はい。ロベール・ド・マルシェと申します」

 

騎士は礼をした。

 

「公爵夫人より、アルベリク・フォン・ライナー殿への私信をお預かりしております」

 

ハンスが警戒した顔で前へ出た。

 

「武装を解け」

 

ロベールは腰の剣を外し、副官へ渡した。

 

懐から封書を取り出す。

 

紫の封蝋。

 

王家の百合に、公爵家の銀環を重ねた印。

 

アルベリクは受け取った。

 

「内容を知っているか」

 

「存じません」

 

「返書は必要か」

 

「可能であれば」

 

「待て」

 

アルベリクは天幕の奥へ移動し、封を切った。

 

書簡は、公爵夫人本人の筆跡だった。

 

整った字。

 

王宮で高度な教育を受けた者の書き方。

 

《アルベリク・フォン・ライナー殿》

 

《貴殿の名は、王国軍務局が発する命令の末尾で何度も目にしている》

 

《東部諸侯に対する武装解除要求が、王国を守るためのものだと貴殿が信じていることも承知している》

 

《しかし王が求めているのは武器ではない》

 

《諸侯が有する徴税権、裁判権、貨幣鋳造権、兵役召集権のすべてである》

 

《一度差し出せば、返還されることはない》

 

アルベリクは読み進めた。

 

《私は反乱を望まない》

 

《国王の退位も、王国の分裂も望まない》

 

《ただし、王が法の上に立つことも認めない》

 

《春分から七日後までに、三身会議を招集することを要求する》

 

《王が応じるなら、諸侯は軍を解散する》

 

《応じないなら、責任は我々だけのものではない》

 

最後に、個人的な一文があった。

 

《貴殿の父、ライナー辺境伯は、いまだ諸侯同盟への署名を拒んでいる》

 

《彼は息子が王国軍にいる限り、反乱旗を掲げることはできないと言った》

 

アルベリクの指が止まった。

 

父は署名していない。

 

それは安堵であると同時に、猶予がほとんど残っていないということでもあった。

 

《貴殿が進軍を一日遅らせれば、対話のための一日が生まれる》

 

《一日が王国を救うこともある》

 

《エレノア・ド・ヴァルネ》

 

アルベリクは書簡を二度読んだ。

 

ハンスは何も尋ねなかった。

 

使者のロベールも静かに立っている。

 

「公爵夫人はどこにいる」

 

アルベリクは尋ねた。

 

「南部ヴァルネ城です」

 

「諸侯が集まっているのか」

 

「巡礼者や請願者が訪れているだけです」

 

「その言い方をするよう命じられたのか」

 

ロベールはわずかに笑った。

 

「公爵夫人は、嘘をつかねばならない質問には答えなくてよいと」

 

「なら答えるな」

 

アルベリクは机へ向かった。

 

返書を書く。

 

《エレノア公爵夫人殿》

 

《貴殿が反乱を望まないとの言葉を信じる》

 

《同時に、国王軍の進軍停止が諸侯による動員を助けることも理解している》

 

《私は王命を独断で覆す権限を持たない》

 

ここで筆が止まった。

 

権限がない。

 

事実だった。

 

だが、それは責任がないという意味ではない。

 

アルベリクは続きを書いた。

 

《王命による期限を変えることはできない》

 

《ただし、期限終了後ただちに総攻撃を開始するとは約束しない》

 

《諸侯が三身会議の招集以外の要求を掲げず、街道封鎖および徴税吏への攻撃を停止するなら、私は軍事上可能な範囲で時間を確保する》

 

《ライナー辺境伯に伝えてほしい》

 

筆先が震えそうになった。

 

《城門を閉ざさないように、と》

 

最後に署名した。

 

使者へ手渡す。

 

「これは公爵夫人本人に」

 

「承知しました」

 

ロベールは書簡を収めた。

 

「一つ、お伝えすることがあります」

 

「何だ」

 

「オルシャでナフルの穀物船が焼かれました」

 

アルベリクは顔を上げた。

 

「いつだ」

 

「六日前。セレスタの早船が知らせを運びました」

 

「何隻」

 

「確認できた範囲で七隻。港湾倉庫も二棟」

 

七隻。

 

積載量によるが、小麦数千樽。

 

燃えた量そのものより、市場が受ける恐怖の方が大きい。

 

商人は在庫を隠す。

 

価格上昇を待つ。

 

王国軍務局は不足を恐れ、徴発を強化する。

 

諸侯も同じことをする。

 

双方が穀物を集めれば、民衆の市場からパンが消える。

 

「誰の仕業だ」

 

「分かっていません。聖冠派、七燭派、啓句派のすべてが互いを非難しています」

 

「公爵夫人はなぜ知っている」

 

ロベールは慎重に答えた。

 

「ヴァルネ公爵家は、セレスタ商人と長く取引しております」

 

「穀物を買っているのか」

 

「冬に備えて通常の量を」

 

「通常とは」

 

「私には分かりません」

 

今度は本当に知らないようだった。

 

アルベリクは使者を下がらせた。

 

ロベールが天幕を出ると、ハンスが低い声で言った。

 

「公爵夫人は戦争準備をしています」

 

「国王もしている」

 

「どちらにつくのです」

 

「質問の形が間違っている」

 

「では、何を選ぶのです」

 

アルベリクは地図上の赤と黒の印を見た。

 

「何を残すかだ」

 

---

 

## 二

 

ヴァルネ城の大広間には、剣より多くの椅子が並べられていた。

 

エレノア・ド・ヴァルネは、それを意図して命じた。

 

集まった諸侯に、ここは軍議の場ではなく会議の場だと思わせるためだった。

 

だが、椅子に座る者の多くは鎧を着ていた。

 

王国南部、西部、東部から集まった公爵、伯爵、司教、自由都市の代表。

 

古い家柄の者。

 

金で爵位を得た者。

 

王を恐れる者。

 

王を憎む者。

 

戦争によって失うものがある者。

 

戦争によって得るものを数えている者。

 

同じ卓を囲んでいても、彼らが求めるものは一つではなかった。

 

エレノアは上座へ座った。

 

深紫色の喪服。

 

右手には亡夫の指輪。

 

左側には十三歳の息子、ジュリアンが座っている。

 

公爵位の正式な保持者は息子であり、エレノアは摂政にすぎない。

 

だが広間にいる誰も、少年へ意見を求めようとはしなかった。

 

「王は我々を一人ずつ処刑するつもりだ」

 

西部のオルテーズ伯が言った。

 

赤ら顔の大男で、戦争を語るときだけ声が若返る。

 

「武装解除など受け入れられん。父祖から受け継いだ権利を、王都の書記官へ差し出せというのか」

 

「武装解除要求は、東部の一部諸侯に対してです」

 

王党派に近いラヴァル司教が訂正した。

 

「現時点では」

 

オルテーズ伯が鼻を鳴らす。

 

「東部が終われば南部だ。その次は西部。最後は教会領だぞ、司教殿」

 

「王は秩序を求めている」

 

「王の秩序とは、王以外が何も持たない状態だ」

 

「私兵を集めて街道を封鎖することを、秩序とは呼ばない」

 

「徴税吏が領地へ押し入り、家畜の数まで記録することは何と呼ぶ」

 

声が重なった。

 

エレノアは止めなかった。

 

最初から抑えれば、不満は別の場所で膨らむ。

 

言わせるべきことは言わせる。

 

ただし、剣へ手が伸びる前に終わらせる。

 

向かいには、神聖エーレン帝国国境に近いバルシュ伯が座っていた。

 

痩せた老人で、目だけが異様に鋭い。

 

「公爵夫人」

 

彼は言った。

 

広間が静かになる。

 

「我々はあなたの返答を待っている」

 

「何についてでしょう」

 

「王に対して立つのか」

 

エレノアは老人を見つめた。

 

「私は王の姉です」

 

「それは出自だ。返答ではない」

 

「ヴァルネ公爵領の摂政でもあります」

 

「それも身分だ」

 

「そして王国臣民です」

 

バルシュ伯は薄く笑った。

 

「巧みだが、やはり返答ではない」

 

エレノアは広間を見渡した。

 

この中で本当に反乱を望む者は三分の一。

 

王を脅し、譲歩させたい者が三分の一。

 

残りは勝つ側を見極めようとしている。

 

彼女が立つと言えば、最後の三分の一も反乱側へ傾く。

 

それほどヴァルネ公爵家の名は重い。

 

同時に、一度立てば後戻りはできない。

 

「私は王国法を守ります」

 

エレノアは答えた。

 

「国王が法を守る限り、王に仕えます」

 

「王が守らなければ」

 

「三身会議に判断を求めます」

 

オルテーズ伯が卓を叩いた。

 

「王が会議を招集しなければどうする!」

 

「招集させます」

 

「どうやって」

 

「戦争以外のあらゆる方法で」

 

「戦争しか残っていない!」

 

「あなたはそうであってほしいのでしょう」

 

広間の空気が冷えた。

 

伯の顔が赤くなる。

 

「侮辱ですか」

 

「確認です。あなたの領地は三人の息子が相続を争い、借金は年収の四倍。戦争が起これば王党派の土地を奪い、債務を帳消しにできる。違いますか」

 

オルテーズ伯は立ち上がった。

 

「我が家の事情を――」

 

「この場にいる全員の事情を調べています」

 

エレノアは声を強めなかった。

 

「王と争うなら、隣に立つ者が何を求めているか知らなければなりません。自由を求めているのか。権利を守りたいのか。借金を消したいのか。隣人の土地を奪いたいのか」

 

「目的が違っても、敵は同じだ」

 

バルシュ伯が言った。

 

「敵を倒したあと、目的の違いが残ります」

 

「まず倒さなければ始まらない」

 

「倒したあと王国がなくなれば、何を守ったことになるのです」

 

沈黙が落ちた。

 

王国という言葉は便利だった。

 

国王も使う。

 

諸侯も使う。

 

農民へ税を求めるとき。

 

兵士へ死を求めるとき。

 

自分の利益を、国全体の利益へ見せかけるとき。

 

エレノア自身も例外ではない。

 

彼女は公爵領を守りたい。

 

息子を守りたい。

 

亡夫から受け継いだ家を守りたい。

 

そのために王国法を掲げている。

 

自分だけが清廉だと思うほど傲慢ではなかった。

 

広間の扉が開き、執事が入ってきた。

 

エレノアの耳元で囁く。

 

「アルベリク・フォン・ライナー殿より返書です」

 

「ここへ」

 

執事が封書を渡した。

 

諸侯たちの視線が集まる。

 

「誰からです」

 

ラヴァル司教が尋ねた。

 

「王国東部軍の作戦参謀です」

 

「ライナー辺境伯の息子か」

 

エレノアは封を切った。

 

書簡を読む。

 

進軍期限は変えられない。

 

しかし即時攻撃は約束しない。

 

街道封鎖と徴税吏への攻撃を停止すれば、時間を確保する。

 

ライナー辺境伯へ城門を閉じるなと伝えよ。

 

予想していたよりも踏み込んだ返答だった。

 

アルベリクは王命を拒んでいない。

 

だが完全には従ってもいない。

 

彼は時間を作ろうとしている。

 

ただし、その時間を諸侯が軍備増強に使えば、彼は容赦なく攻撃するだろう。

 

「何と」

 

バルシュ伯が尋ねた。

 

エレノアは書簡を折り畳んだ。

 

「東部軍は、我々が街道封鎖を解き、徴税吏への攻撃を止めるなら、交渉の時間を確保すると」

 

「罠だ」

 

オルテーズ伯が即座に言った。

 

「我々が兵を下げたところへ攻め込む」

 

「兵を解散せよとは書いていない」

 

「同じことだ」

 

「違います」

 

エレノアは答えた。

 

「街道を開ければ、穀物と塩が動く。徴税吏を殺さなければ、王が我々を盗賊として宣伝する理由が減る」

 

「王の金を集めさせるのか」

 

「税は一時的に領地内で保管し、三身会議の決定後に引き渡す」

 

ラヴァル司教が眉を寄せる。

 

「王命への不服従です」

 

「徴税吏を吊るすよりは法に近い」

 

「王は認めないでしょう」

 

「認めさせるための会議です」

 

バルシュ伯が指を組んだ。

 

「夫人は、ライナーの若者を信用するのか」

 

「信用はしていません」

 

「ならばなぜ」

 

「彼は予測できます」

 

「予測できる敵は、信用できる味方より有用だと?」

 

「場合によっては」

 

実際、アルベリクの名は以前から知っていた。

 

軍学校時代、騎士科の学生が馬上槍試合へ熱中する中、彼は兵站倉庫の腐敗率について論文を書いた。

 

山岳演習では、勝利条件を達成しながら自軍の三分の一を失う作戦を拒否し、教官と対立した。

 

彼は優しい男ではない。

 

兵士一人を救うために軍全体を危険へさらすことはしない。

 

だが無意味に殺すこともしない。

 

政治家にとって、善人よりも行動原理の分かる人間の方が扱いやすい。

 

「街道封鎖を解きます」

 

エレノアは宣言した。

 

「徴税吏への攻撃を禁じます。違反した者は、どの家臣であっても処罰します」

 

オルテーズ伯が立ち上がる。

 

「我々へ命令する権利があると?」

 

「ありません」

 

エレノアは答えた。

 

「従うかどうかは各自で決めてください。ただし、従わずに王国軍を呼び込んだ者を、私は助けません」

 

「脅しか」

 

「条件です」

 

「あなたは王の側なのか、我々の側なのか!」

 

「その二つしかないと思うから、戦争になるのです」

 

エレノアは息子ジュリアンへ目を向けた。

 

少年は青ざめた顔で大人たちを見ている。

 

彼が公爵位を継いだとき、この国が残っている保証はない。

 

「私はヴァルネリアの側です」

 

その答えを、広間の誰も完全には信じなかった。

 

エレノア自身も、それが何を意味するのか分からなかった。

 

会議が終わると、諸侯たちは小さな集団に分かれて退室した。

 

怒っている者。

 

考え込んでいる者。

 

誰かへ密書を送る者。

 

最後にラヴァル司教だけが残った。

 

「公爵夫人」

 

「何でしょう」

 

「オルシャの件を聞きましたか」

 

「穀物船が燃えたことなら」

 

「それだけではありません」

 

司教は懐から羊皮紙を取り出した。

 

聖座ルミナから届いた教会通達の写しだった。

 

《オルシャにおいて西方巡礼者が異教徒に襲撃された》

 

《聖地の保護と西方信徒の安全確保について、各国王および諸侯は備えを怠るべからず》

 

「聖座は聖戦を呼びかけるつもりですか」

 

エレノアは尋ねた。

 

「まだです」

 

「まだ、ですか」

 

「聖座宮廷には強硬派がいます。オルシャの共同統治を終わらせ、西方教会の管理下に置くべきだと」

 

「巡礼者の血を利用して」

 

「彼らは利用とは言わないでしょう。殉教への応答と呼ぶ」

 

エレノアは通達を読み返した。

 

「国王は」

 

「聖座から同じものを受け取っているはずです」

 

王にとって好都合だった。

 

国内諸侯への戦争を、聖地防衛の準備と結びつけることができる。

 

私兵解体。

 

課税強化。

 

穀物徴発。

 

すべてを外敵への備えと説明できる。

 

「もう一つ」

 

司教が声を低くした。

 

「セレスタの商人が、南部の小麦を大量に買っています」

 

「誰が売ったのです」

 

「複数の修道院と領主です」

 

「価格は」

 

「先月の一・八倍」

 

高い。

 

だがさらに上がると予想するなら、買い手には利益がある。

 

売り手にとっても、今売れば借金を返せる。

 

市場に出るはずの小麦が倉庫へ消える。

 

「買い手の名は」

 

「黒帳商会の代理人です」

 

エレノアは窓の外を見た。

 

ヴァルネ公爵領は王国でも有数の穀倉地帯ではない。

 

葡萄酒、羊毛、果樹が主な産物。

 

小麦は平年なら自給できる程度。

 

余剰は多くない。

 

そこから大量に買えば、夏を待たずに不足する。

 

「公爵領内からの穀物搬出を一時停止します」

 

「商人が反発します」

 

「契約違反を訴えるでしょうね」

 

「セレスタの銀行から借り入れがあります」

 

「知っています」

 

亡夫が残した負債。

 

城壁修復費。

 

灌漑工事。

 

息子の爵位承認のために王宮へ支払った金。

 

商人との契約を破れば、公爵家の信用が落ちる。

 

次に借りたいとき、金は来ない。

 

だが穀物がなければ、借金以前に領民が死ぬ。

 

「搬出を止めてください」

 

エレノアは言った。

 

「王の許可なく?」

 

「公爵領内の飢餓防止は、領主の義務です」

 

「王は反乱準備と見なす」

 

「では、反乱ではないことを証明するために、領民を飢えさせろと?」

 

司教は答えなかった。

 

扉の近くで、息子ジュリアンがまだ立っていた。

 

会議が終わったあとも退出していなかった。

 

「母上」

 

少年が言った。

 

「戦争になるのですか」

 

エレノアは息子の前へ膝をついた。

 

目線を合わせる。

 

「しないために話しています」

 

「皆、鎧を着ていました」

 

「怖いからです」

 

「鎧を着ると怖くなくなるのですか」

 

「少しだけ」

 

「母上も怖いのですか」

 

エレノアは微笑もうとした。

 

できなかった。

 

「とても」

 

「国王陛下は叔父上なのでしょう」

 

「そうです」

 

「なぜ叔父上と戦うのです」

 

「まだ戦っていません」

 

「でも、戦うかもしれない」

 

十三歳の子供に、封建契約も中央集権も説明できる。

 

理解もするだろう。

 

だが、なぜ家族同士が軍を向け合うのかという問いに、理屈は答えにならない。

 

「叔父上は、国を守ろうとしています」

 

エレノアは言った。

 

「母上も?」

 

「私も」

 

「同じものを守ろうとしているのに、なぜ」

 

エレノアは息子の髪に触れた。

 

「同じ国が、違って見えているからです」

 

少年は納得しなかった。

 

当然だった。

 

大人たちも納得していない。

 

ただ、納得できないまま剣を握る術だけを覚えている。

 

---

 

## 三

 

王都リュミエールでは、夜明け前からパン屋の前に列ができていた。

 

毛織物職人マティアス・コルヴァンが店の角を曲がったとき、すでに四十人ほどが並んでいた。

 

パン屋の扉は閉まっている。

 

煙突からは煙が上がっているが、焼けるパンの匂いは薄い。

 

列の前方で女が怒鳴っていた。

 

「昨日は三デニエだった!」

 

店主が小窓から顔を出す。

 

「今日の値だ!」

 

「一日で倍になるものか!」

 

「小麦が上がったんだ。俺に言うな!」

 

「パンを小さくしたうえに値上げか!」

 

「嫌なら買うな!」

 

その言葉に、列全体がざわめいた。

 

買わなければ食べられない。

 

だから並んでいる。

 

選択肢のない相手に嫌なら買うなと言うほど、人を怒らせる言葉はない。

 

マティアスは列の最後へ並んだ。

 

前には、染色工房で働く未亡人のアニエスがいた。

 

彼女は布に包んだ銅貨を何度も数えている。

 

「足りますか」

 

マティアスが尋ねた。

 

「昨日の値なら」

 

「子供は」

 

「二人とも家です」

 

「今日は工房へ来ないのですか」

 

「上の子が熱を出しました」

 

アニエスは小さく笑った。

 

「食べないから、病気なのか空腹なのか分からない」

 

マティアスは返事ができなかった。

 

自分の腰袋には銀貨がある。

 

職人組合の会計係として預かった金。

 

自分のものではない。

 

だが目の前で子供が飢えていると知りながら、規則を理由に使わないことが正しいのか。

 

組合の金は、病気や葬儀、事故に備えて職人たちが少しずつ積み立てたものだ。

 

一人へ渡せば、ほかの者にも渡す必要がある。

 

全員へ渡せば、数日でなくなる。

 

救済とは、持っている量より苦しむ者が少ない間だけ簡単だった。

 

列が進む。

 

パン屋の扉が開き、警備のため雇われた男たちが棒を持って立った。

 

一人二個まで。

 

店主が叫ぶ。

 

前方で不満の声が上がった。

 

「家族が七人いる!」

 

「明日また来い!」

 

「明日はもっと高くなる!」

 

「俺に言うな!」

 

マティアスの番が来る前に、棚のパンは半分以下になった。

 

アニエスが小窓へ銅貨を置く。

 

店主が数え、首を振った。

 

「足りない」

 

「昨日はこれで二つ買えました」

 

「今日は一つだ」

 

「子供が二人いるんです」

 

「一つだ」

 

アニエスは動かなかった。

 

後ろから早くしろという声。

 

店主が苛立って銅貨を押し返す。

 

「買うのか、買わないのか」

 

マティアスは自分の銅貨を二枚置いた。

 

「二つ渡せ」

 

「マティアスさん」

 

アニエスが振り返る。

 

「貸しです」

 

「返せません」

 

「なら、上の子が元気になったら工房へ来てもらう。糸巻きを頼む」

 

本来、子供を工房で働かせることをマティアスは好まなかった。

 

だが施しと言えば、彼女は受け取らない。

 

アニエスはしばらく彼を見たあと、頷いた。

 

パンを二つ受け取る。

 

以前より明らかに小さい。

 

表面は焼けているが、持つと軽い。

 

小麦粉へ豆粉と木の実の粉を混ぜているのだろう。

 

マティアスが自分の分を買った直後、店主が叫んだ。

 

「終わりだ!」

 

列の半分が残っていた。

 

怒号が上がった。

 

扉が閉まり、棒を持った男たちが前へ出る。

 

一人の老人が扉を叩いた。

 

「中にあるだろう!」

 

「明日の分だ!」

 

「今日食えなければ、明日はない!」

 

誰かが石を投げた。

 

窓に当たり、硝子が割れた。

 

警備の男が棒を振る。

 

老人の肩を打った。

 

群衆が前へ押し出された。

 

マティアスはアニエスを列から引き離した。

 

「帰れ」

 

「でも」

 

「子供のところへ」

 

彼女はパンを抱え、人の間を抜けた。

 

別の石が飛ぶ。

 

今度は警備の男の額に当たった。

 

血が流れた。

 

棒が振り下ろされる。

 

女の悲鳴。

 

パン屋の扉が破られた。

 

中へ人が流れ込む。

 

マティアスは動かなかった。

 

止めるべきだった。

 

職人組合の会計係。

 

工房主たちから顔を知られ、職人たちにも信用されている。

 

声を上げれば、何人かは聞くかもしれない。

 

だが、何と言えばいい。

 

並べ。

 

我慢しろ。

 

明日を待て。

 

食べ物がある者の言葉だった。

 

店内から袋が運び出される。

 

小麦粉ではない。

 

砂を混ぜた粗悪な粉。

 

それでも人々は奪い合った。

 

王都守備兵の笛が鳴った。

 

群衆が散り始める。

 

マティアスも路地へ逃れた。

 

手には自分のパンが二つ。

 

一つを買えなかった者がいる。

 

二つを抱えた自分は、彼らより正しいのか。

 

そんな問いに答えはなかった。

 

工房へ着くと、職人たちは仕事を始めていなかった。

 

織機の前に座らず、入口で話し込んでいる。

 

「どうした」

 

マティアスが尋ねる。

 

若い織工のエティエンヌが一枚の布告を差し出した。

 

王国財務局の印。

 

《王国防衛特別税》

 

毛織物、革製品、鉄器、塩、葡萄酒に追加税。

 

さらに軍用衣料の優先供出。

 

指定価格は市場価格の六割。

 

「今月の注文分を、王国軍へ出せと」

 

エティエンヌが言った。

 

「この値では糸代にもならない」

 

「拒否すれば」

 

「工房閉鎖。設備没収」

 

マティアスは布告を読んだ。

 

オルシャの宗派衝突により、蒼環海の安全が脅かされている。

 

外敵に備え、王国軍の装備を整える必要がある。

 

そのための特別措置。

 

王国東部の反乱諸侯については一言もない。

 

内戦準備を、外敵への防衛と呼んでいる。

 

「組合会館へ行く」

 

マティアスは言った。

 

「仕事は」

 

「止めろ」

 

「納期に間に合わない」

 

「この価格で納めれば、間に合っても潰れる」

 

組合会館には、すでに各工房の親方と職人代表が集まっていた。

 

羊毛商。

 

染色工。

 

織工。

 

仕立屋。

 

運搬人。

 

普段なら互いに価格と賃金をめぐって争う者たちが、同じ布告を前にしていた。

 

「拒否すべきだ」

 

老親方が言った。

 

「王命だぞ」

 

別の者が答える。

 

「王命なら破産しろというのか」

 

「軍が必要なのは事実だ」

 

「誰と戦う軍だ?」

 

「東部の反逆者だ」

 

「なら東部の貴族に払わせろ!」

 

「反乱を鎮めなければ、街道が止まる」

 

「もう止まっている!」

 

議論はすぐ怒鳴り合いになった。

 

マティアスは会計台の前へ立った。

 

木槌を叩く。

 

「静かにしろ!」

 

何人かは話し続けた。

 

もう一度叩く。

 

「数字を見ろ!」

 

彼は帳簿を開いた。

 

「指定された軍用布は一万二千反。市場価格なら銀貨四千八百枚。王が払うのは二千八百八十枚」

 

「二千枚近い損か」

 

「それだけではない。羊毛価格は先月より三割上がった。染料も上がっている。食糧が上がれば賃金も上げなければ職人が食えない」

 

「王は差額を後で払うと言っている」

 

「いつだ」

 

誰も答えなかった。

 

マティアスは帳簿をめくる。

 

「命令どおり作れば、組合所属工房の半分が三か月以内に支払い不能になる」

 

「作らなければ今月潰される」

 

「そうだ」

 

「では選べないではないか」

 

「選べないように作られている」

 

広間が静かになった。

 

布告を書いた官僚は、工房の事情を知らないわけではない。

 

知っている。

 

指定価格では赤字になると理解したうえで命じている。

 

工房が潰れれば、設備を王国が没収できる。

 

職人は王立工房へ雇われる。

 

軍需生産が中央へ集められる。

 

王の秤は、布の長さだけを測っているのではない。

 

都市の自治と職人の自由を量り、必要なら切り取ろうとしている。

 

扉が開いた。

 

王国財務局の役人が、兵士六人を連れて入ってきた。

 

若い男だった。

 

黒い法服。

 

胸に王家の青百合。

 

「マティアス・コルヴァン殿は」

 

「私だ」

 

「財務局徴発監督官、レミ・ヴォークランです」

 

役人は礼をした。

 

「組合の協力について話し合いたい」

 

「兵士を連れた話し合いか」

 

「王都では今朝、パン屋が襲撃されました。安全のためです」

 

「我々からあなたを守るために?」

 

「混乱から皆様を守るためです」

 

言葉は丁寧だった。

 

その丁寧さが、マティアスには脅しより不快だった。

 

「布告を読みました」

 

「では話が早い」

 

「指定価格では作れない」

 

「作れるかどうかを尋ねてはいません」

 

職人たちがざわめく。

 

兵士が槍を握り直した。

 

レミは穏やかな声を保った。

 

「王国は危機にあります」

 

「毎年そう言う」

 

誰かが吐き捨てた。

 

「オルシャで我らの信徒が殺され、穀物船が焼かれました。東部では諸侯が兵を集めています。国王陛下は王国民すべての安全を守らねばならない」

 

「そのために王国民の工房を潰すのか」

 

マティアスが尋ねた。

 

「一時的な負担です」

 

「子供の空腹も、借金で首を吊る工房主も、一時的か」

 

役人の目がわずかに細くなった。

 

「コルヴァン殿。あなたは職人たちから信頼されていると聞いています」

 

「誰から」

 

「財務局は市内の状況を把握しています」

 

「答えになっていない」

 

「あなたの協力があれば、混乱を避けられる」

 

レミは一枚の書面を出した。

 

「組合が布告を受け入れるなら、最初の支払金をただちに交付します。また、組合会計係であるあなたを王立軍需委員会の市民代表に推薦する」

 

広間の視線がマティアスへ集まった。

 

役職。

 

給金。

 

王との直接交渉権。

 

受ければ、職人側の条件を少しは改善できるかもしれない。

 

同時に、王命を職人へ受け入れさせる顔として利用される。

 

「断れば」

 

「王国法に基づき、各工房へ個別に徴発命令を出します」

 

個別に分断する。

 

小さな工房から屈服させる。

 

最後には組合そのものが意味を失う。

 

「考える時間を」

 

マティアスは言った。

 

「日没まで」

 

「短すぎる」

 

「王国の危機は、組合の都合を待ちません」

 

レミは礼をし、兵士とともに退出した。

 

扉が閉まると、広間が一気に騒がしくなった。

 

「受けるしかない!」

 

「王の犬になるのか!」

 

「個別徴発よりましだ!」

 

「指定量を減らす交渉をしろ!」

 

「市民代表になれば、こちらの声を届けられる!」

 

「届けた声を王が聞くと思うのか!」

 

マティアスは帳簿へ手を置いた。

 

王の提案を受ければ、組合を守れる可能性がある。

 

断れば、各工房が潰される。

 

受ければ、反乱諸侯を討つ兵士の服を作ることになる。

 

その兵士の中には、工房で働く者の息子もいる。

 

戦争に反対して布を作らなければ、息子たちは冬の夜に凍える。

 

作れば、戦争を長く続けられる。

 

どちらを選んでも、誰かが傷つく。

 

若い織工エティエンヌが近づいた。

 

「マティアスさん」

 

「何だ」

 

「外に人が来ています」

 

「財務局か」

 

「違います。ヴァルネ公爵夫人の使いだと」

 

マティアスは顔を上げた。

 

「なぜ公爵夫人が我々に」

 

「分かりません」

 

裏口の小部屋で待っていたのは、商人風の女だった。

 

三十歳ほど。

 

茶色い外套。

 

目立つ装飾はない。

 

だが靴は上等で、姿勢は貴族の従者に近い。

 

「マティアス・コルヴァン殿」

 

「そうだ」

 

「公爵夫人からではありません」

 

女は言った。

 

「先ほどは人目があったので」

 

「では誰だ」

 

「王国の自由を守ろうとする者たちです」

 

マティアスは扉を開けた。

 

「帰れ」

 

「話を聞く前に?」

 

「名を名乗らない者の話は聞かない」

 

「名を名乗れば、あなたを危険にさらします」

 

「すでに危険にさらしている」

 

女はわずかに微笑んだ。

 

「では、エレーヌと」

 

「本名か」

 

「今、あなたに必要な名です」

 

マティアスは扉から手を離さなかった。

 

「用件は」

 

「王の布告を受け入れないでください」

 

「拒否すれば工房が潰される」

 

「諸侯が補償します」

 

「どの諸侯だ」

 

「王の専横に反対する者たち」

 

「その諸侯が勝てば、だろう」

 

エレーヌは答えなかった。

 

「工房が潰れたあと、あなたたちが負ければ誰が責任を取る」

 

「自由には代価が必要です」

 

マティアスは笑った。

 

怒りから出た笑いだった。

 

「代価を払うのは、いつも言った者ではない」

 

「王に従えば、都市の自治は終わります」

 

「公爵が勝てば、貴族の自治が残るだけだ」

 

「公爵夫人は三身会議を――」

 

「公爵夫人からではないと言ったな」

 

女は一瞬、言葉を失った。

 

マティアスは続けた。

 

「王は布を安くよこせと言う。貴族は自由のために布を渡すなと言う。どちらも、職人が何を食うかは聞かない」

 

「あなたは中立でいられると思っているのですか」

 

「思っていない」

 

「なら選ばなければ」

 

「だから、自分で選ぶ。正体を隠した者に選ばせてもらう必要はない」

 

エレーヌの表情が変わった。

 

柔らかい商人の顔が消え、冷たい目になる。

 

「王国が変わるとき、傍観者は最初に踏み潰されます」

 

「脅しか」

 

「警告です」

 

女は小部屋を出た。

 

マティアスはその背中を見送った。

 

王国の自由。

 

都市の自治。

 

職人の権利。

 

誰もが立派な言葉を持っている。

 

だがパン屋の前で倒れた老人に、それらの違いが分かるだろうか。

 

日没まで、あと四時間だった。

 

---

 

## 四

 

王都の中央には、秤の広場と呼ばれる場所があった。

 

かつて市場の商人が使う公設秤が置かれていたことから、その名がついた。

 

現在は王国財務局、貨幣鋳造所、中央穀物倉庫に囲まれ、王の改革を象徴する場所となっている。

 

広場の中央には、巨大な青銅の天秤が設置されていた。

 

右の皿に王冠。

 

左の皿に小麦束。

 

《正しき秤のもと、王と民は一つである》

 

台座にはそう刻まれている。

 

夕刻、マティアスが広場へ着いたとき、天秤の前には数百人が集まっていた。

 

職人組合の代表。

 

商人。

 

荷運び人。

 

下働きの女。

 

パンを買えなかった者。

 

王国財務局の役人と守備兵。

 

徴発監督官レミ・ヴォークランは、天秤の下に立っていた。

 

「決まりましたか」

 

彼は尋ねた。

 

「条件がある」

 

マティアスは答えた。

 

職人たちの間から、不満の声と安堵の息が同時に漏れた。

 

完全拒否でも、完全服従でもない。

 

「聞きましょう」

 

「指定量を三割減らす」

 

「不可能です」

 

「支払価格を市場価格の八割にする」

 

「財務局にその予算はない」

 

「最初の支払いを銀貨で行う。王国債券では受け取らない」

 

「銀貨が不足しています」

 

「職人への食糧配給を保証する」

 

「穀物事情は――」

 

「なら作れない」

 

レミは黙った。

 

マティアスは広場を見渡した。

 

「我々は慈善を求めているのではない。軍服を作れと言うなら、作る者が食えるようにしろ」

 

職人たちから声が上がる。

 

「そうだ!」

 

「パンをよこせ!」

 

「銀貨で払え!」

 

群衆の後ろでは、パン屋を襲った者たちも混じっている。

 

要求はすぐに膨らむ。

 

小麦価格を下げろ。

 

特別税を撤回しろ。

 

東部の戦争を止めろ。

 

聖地へ軍を送れ。

 

異教徒を追放しろ。

 

同じ群衆の中で、互いに矛盾する声が上がった。

 

マティアスは振り返った。

 

一つに見える民衆も、一つではない。

 

怒りだけが彼らを同じ場所へ集めている。

 

レミが手を上げた。

 

「指定量の一割減を認めます」

 

「三割だ」

 

「一割です。支払価格は七割。初回分の半額を銀貨で支払う。職人一人につき、週二斤のパンを王国倉庫から配給する」

 

ざわめきが広がった。

 

悪くない。

 

少なくとも、布告そのままよりは。

 

マティアスは頭の中で計算した。

 

まだ赤字。

 

だが組合基金を使えば、何か月かは持つ。

 

戦争が短ければ。

 

小麦価格がこれ以上上がらなければ。

 

染料輸入が止まらなければ。

 

何一つ確実ではない。

 

「二割減」

 

マティアスは言った。

 

「価格七割。初回の三分の二を銀貨。職人一人につき週三斤」

 

「できません」

 

「なら交渉は終わりだ」

 

マティアスは背を向けた。

 

群衆が揺れる。

 

守備兵が槍を構えた。

 

レミの声が飛ぶ。

 

「待ってください」

 

マティアスは止まった。

 

役人は周囲を見た。

 

この場で決裂すれば暴動になる。

 

財務局の建物は目前。

 

中央倉庫には小麦がある。

 

群衆も知っている。

 

「量は二割減」

 

レミは言った。

 

「価格七割。初回の半額を銀貨。週三斤のパン」

 

「三分の二」

 

「半額です」

 

マティアスは考えた。

 

これ以上押せば、相手は兵を使うかもしれない。

 

引けば、職人の不満が残る。

 

交渉とは、正しい点を探すことではない。

 

双方が破滅せずに退ける地点を探すことだった。

 

「受ける」

 

マティアスは言った。

 

広場から歓声が上がった。

 

一部は不満を叫んだ。

 

「王に屈した!」

 

「戦争の布を作るのか!」

 

「裏切り者!」

 

マティアスは声の方を見た。

 

昼に会った女、エレーヌが群衆の端にいた。

 

彼女は何も叫んでいない。

 

ただ、こちらを見ていた。

 

その近くで、若い男が台へ上がった。

 

見覚えがある。

 

神聖エーレン帝国から来た説教師の話を王都で広めている、印刷職人の徒弟だった。

 

男は一枚の紙を掲げた。

 

「王は民のパンを奪い、貴族との戦争へ使う!」

 

群衆が反応する。

 

「王の秤は偽りだ!」

 

男は青銅天秤を指差した。

 

「右の皿には王冠! 左の皿には我々の飢え! どちらが重いか、すでに決められている!」

 

守備兵が動いた。

 

レミが止めようと手を上げる。

 

遅かった。

 

兵士が男の腕を掴んだ。

 

男は抵抗した。

 

紙が宙へ舞う。

 

群衆が押し寄せる。

 

「放せ!」

 

「言葉で捕らえるのか!」

 

「異端者だ!」

 

別の一団が叫ぶ。

 

「神を否定する改革派だ!」

 

男を助けようとする者。

 

男を殴ろうとする者。

 

守備兵を押す者。

 

逃げる者。

 

広場が一瞬で崩れた。

 

マティアスは台から降りた。

 

「止まれ!」

 

声は届かない。

 

青銅天秤の足元で、誰かが倒れる。

 

槍が上がった。

 

兵士の顔には恐怖があった。

 

命令ではない。

 

恐怖で槍を構えている。

 

恐怖で構えた武器は、命令で構えたものより危険だった。

 

一人の女が兵士へ石を投げた。

 

石が兜に当たる。

 

兵士の槍が前へ出た。

 

女の腹を貫いた。

 

時間が止まったように見えた。

 

槍を持つ兵士自身が、自分のしたことを理解できずにいた。

 

女は口を開いた。

 

声は出なかった。

 

槍が抜かれる。

 

血が石畳へ落ちた。

 

群衆が叫んだ。

 

マティアスは近くにあった木箱へ上った。

 

「全員、下がれ!」

 

誰も聞かない。

 

彼は組合会館の木槌を取り出し、青銅天秤の台座を叩いた。

 

甲高い音が広場へ響いた。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

人々が音の方を見る。

 

「倉庫へ行くな!」

 

マティアスは叫んだ。

 

「扉を破れば、兵が撃つ! 死にたい者だけ進め!」

 

正義や秩序ではなく、死という言葉が人を止めた。

 

「負傷者を運べ! 職人組合は会館を開けろ! 水と布を持ってこい!」

 

知った顔の職人が動いた。

 

一人が動けば、隣も動く。

 

倒れた女を運ぶ。

 

殴られた兵士を助ける。

 

説教師の徒弟は、混乱の中で姿を消していた。

 

守備兵も隊列を下げた。

 

レミが命じる。

 

「槍を下ろせ! 命令なく構えるな!」

 

広場には血が残った。

 

青銅天秤の左皿へ、誰かがパンを投げ込んでいた。

 

小さく、固いパン。

 

右皿の王冠は、動かなかった。

 

女は死んだ。

 

名はカトリーヌ。

 

三人の子供がいた。

 

夫は東部軍へ徴募されていた。

 

マティアスは、その事実を後で知ることになる。

 

その場ではただ、彼女の血を吸った布がみるみる赤くなるのを見ていた。

 

レミが近づく。

 

顔色を失っている。

 

「交渉の合意は」

 

彼は尋ねた。

 

マティアスは彼を見た。

 

人が死んだ直後に契約の確認。

 

役人だからではない。

 

この合意が崩れれば、次はもっと多く死ぬと理解しているからだ。

 

「有効だ」

 

マティアスは答えた。

 

「市民代表の件は」

 

「受ける」

 

職人たちが驚いて彼を見た。

 

「王の犬だと言われます」

 

レミが言った。

 

「もう言われた」

 

「なぜ受けるのです」

 

マティアスは青銅天秤を見上げた。

 

王冠と小麦。

 

秤は動かない。

 

最初から動かないよう固定されているのかもしれない。

 

「秤を持つ者のそばにいなければ」

 

彼は言った。

 

「どれだけごまかしているか分からない」

 

---

 

## 五

 

その夜、王宮の高窓には明かりが残っていた。

 

国王アドリアン二世は、王都の騒乱について報告を受けていた。

 

三十八歳。

 

黒に近い栗色の髪。

 

姉エレノアと似た緑褐色の目。

 

若い頃は快活な王子だったと、古くからの宮廷人は語る。

 

王冠を戴いてから、笑うことが少なくなった。

 

王の前には三人の男がいた。

 

軍務卿シャルル・ド・モントレー。

 

財務卿バスティアン・ルクレール。

 

聖座使節ベルナール枢機卿。

 

「死者は一名」

 

財務卿が報告する。

 

「重傷者七名。軽傷は三十名以上。職人組合との供出交渉は成立しました」

 

「扇動者は」

 

国王が尋ねた。

 

「逃亡しました。改革派の文書を所持していたとの証言があります」

 

ベルナール枢機卿が言った。

 

「神聖エーレン帝国で広まる異端思想が、すでに王都へ入り込んでおります」

 

「空腹に異端の名をつけても、パンにはならない」

 

国王は答えた。

 

枢機卿は眉を上げた。

 

「陛下は教会の懸念を軽視なさるのですか」

 

「していない。異端者を捕らえろ。ただし、パンの不足まで異端者のせいにするなと言っている」

 

財務卿が咳払いをした。

 

「小麦価格の上昇は一時的なものです」

 

「中央倉庫の備蓄は」

 

「帳簿上、四か月分」

 

「実数は」

 

沈黙。

 

国王は財務卿を見た。

 

「実数を聞いている」

 

「二か月半です」

 

軍務卿が顔を向ける。

 

「なぜ報告しなかった」

 

「東部軍への供給を優先したためです」

 

「オルシャの火災前から減っていたのか」

 

「はい」

 

「誰が買っている」

 

「セレスタ商人、修道院、南部諸侯、王都の大商会」

 

「買い占めを禁じろ」

 

財務卿は躊躇した。

 

「市場への介入は、商人の信用を損ないます」

 

「民衆が飢えて倉庫を襲う方が信用を損なう」

 

「国王令を出せば、商人は小麦を国外へ隠します」

 

「すでに隠している」

 

アドリアンは机へ手を置いた。

 

「王国穀物令を出す。国内で保有する小麦をすべて申告させろ。未申告の倉庫は没収する」

 

財務卿の顔色が変わった。

 

「諸侯は激しく反発します」

 

「反発させろ」

 

「ヴァルネ公爵夫人は、すでに領外搬出を停止したとの情報があります」

 

国王の表情がわずかに動いた。

 

「姉上が」

 

「はい。飢餓防止のためと」

 

軍務卿が言う。

 

「反乱準備です。兵糧を蓄えている」

 

「どれほど」

 

「量は不明です」

 

「なら決めつけるな」

 

「陛下」

 

軍務卿は一歩進んだ。

 

「東部諸侯は武装解除に応じません。南部では公爵夫人のもとへ諸侯が集まっています。街道封鎖は解かれましたが、それは軍を動かしやすくするためかもしれない」

 

「何を求めている」

 

「三身会議の招集です」

 

「知っている」

 

「招集なさるのですか」

 

国王は答えなかった。

 

三身会議。

 

大諸侯。

 

聖職者。

 

自治都市。

 

臨時課税と法改定を承認する王国の古い制度。

 

招集すれば、王の改革は止められる。

 

諸侯は土地台帳の統一に反対する。

 

教会は聖職者課税に反対する。

 

都市は軍需徴発に反対する。

 

全員が自分の権利を守り、国家全体に必要な改革は一歩も進まない。

 

少なくとも国王はそう考えている。

 

同時に、招集しなければ王が法を無視しているという姉の主張を認めることになる。

 

「陛下」

 

ベルナール枢機卿が言った。

 

「聖座から正式な要請があります」

 

「オルシャか」

 

「西方巡礼者と聖地を保護するため、諸王国は遠征準備を開始すべきであると」

 

軍務卿の目が光った。

 

国外遠征。

 

王国軍の拡大を正当化できる。

 

諸侯の私兵を王国軍へ統合する理由になる。

 

新税も徴発も、聖地防衛の名で通しやすい。

 

国王は枢機卿を見た。

 

「聖座は犯人を知っているのか」

 

「啓句派過激派の犯行と考えられます」

 

「証拠は」

 

「現場に短剣が」

 

「西方の聖印もあった」

 

「偽装です」

 

「なぜ西方の印だけが偽装で、南方の短剣だけが証拠になる」

 

枢機卿の顔に不快感が浮かんだ。

 

「陛下は、信仰より異教徒への配慮を優先なさるのですか」

 

「私は、誰かが我々に戦争をさせようとしている可能性を考えている」

 

「信仰を疑うことは――」

 

「信仰を疑っているのではない。信仰を使う人間を疑っている」

 

部屋が静まった。

 

アドリアンは窓の外を見た。

 

王都の屋根。

 

その向こうに、秤の広場がある。

 

今日、女が一人死んだ。

 

王の命令で作られた税と徴発をめぐって。

 

国王が直接殺したわけではない。

 

兵士へ女を刺せと命じてもいない。

 

だが、自分に責任がないと言うことはできない。

 

王とは、命じていない結果についても責任を負う者だ。

 

その重さを、姉は理解していない。

 

国王はそう思った。

 

あるいは、姉も同じように自分を見ているかもしれない。

 

「三身会議を招集する」

 

アドリアンは言った。

 

軍務卿が驚く。

 

「陛下」

 

「ただし王都ではない」

 

「ではどこで」

 

「王領都市サン・ルシアン」

 

王都と東部の中間。

 

大聖堂と古い王宮を持つ都市。

 

諸侯が兵を連れて王都へ入る危険を避けられる。

 

同時に、東部軍が近い。

 

「開催日は春分から十四日後」

 

「武装解除期限の後です」

 

財務卿が言った。

 

「そうだ」

 

「諸侯は、会議前の攻撃停止を求めます」

 

「武装解除に応じれば攻撃しない」

 

軍務卿が頷いた。

 

「賢明です。会議を約束して時間を与え、東部の城を個別に――」

 

「違う」

 

国王の声が低くなった。

 

「会議は行う。形式ではなく」

 

「陛下、改革が止まります」

 

「止まるかどうかは、話したあとに決める」

 

「諸侯は譲歩を弱さと見ます」

 

「なら、強さとは何だ」

 

軍務卿は答えなかった。

 

「剣を抜くことか。税を取ることか。反対する者を捕らえることか」

 

アドリアンは王冠へ手を触れた。

 

執務中にも儀礼上、かぶらねばならない。

 

重い。

 

頭の形に合わず、長くかぶると痛む。

 

「私は王だ。だから、すべての者が私に従うべきだと考え始めれば、そのとき私は王国を失う」

 

ベルナール枢機卿が口を開く。

 

「では聖地への遠征は」

 

「準備だけはする」

 

「兵を集めると」

 

「船と食糧の必要量を調査する。軍はまだ動かさない」

 

「聖座は迅速な対応を」

 

「聖座が急ぐなら、聖座の兵を先に送ればよい」

 

枢機卿の顔が固まった。

 

「教会への侮辱として報告いたします」

 

「正確に報告してくれ」

 

会議は終わった。

 

三人が退出したあと、アドリアンは一人で残った。

 

机の上には、姉エレノアからの書簡がある。

 

三身会議を招集せよ。

 

王国法へ戻れ。

 

弟としてではなく、臣下として書かれた文面。

 

最後に私的な一文だけがあった。

 

《ジュリアンは、なぜ叔父と母が戦うのかと尋ねました》

 

《私は答えられませんでした》

 

国王は書簡を伏せた。

 

幼い頃、姉は彼を守った。

 

父王が激怒したとき。

 

剣術教師に打たれたとき。

 

夜の雷を怖がったとき。

 

姉はいつも、王子ではなく弟として扱った。

 

いま、その姉の領地へ軍を向けるかもしれない。

 

王冠は、人を別の人間に変えるのではない。

 

他人には見えなかったものを、隠せなくする。

 

恐怖。

 

猜疑。

 

野心。

 

責任。

 

「姉上」

 

誰もいない部屋で、アドリアンは呟いた。

 

「あなたなら、どう量る」

 

返事はなかった。

 

---

 

## 六

 

春分から七日後。

 

王国東部の空は晴れていた。

 

アルベリクは馬上から、ライナー辺境伯領の境界標を見ていた。

 

苔むした石柱。

 

片面に王国の百合。

 

反対側にライナー家の黒鷲。

 

同じ石に二つの紋章が刻まれている。

 

王国と領主。

 

どちらが上でもなく、同じ高さ。

 

古い封建契約を象徴する配置だった。

 

王の改革後に作られた境界標なら、百合が上に置かれただろう。

 

東部方面軍一万八千が、街道を埋めている。

 

槍兵。

 

弩兵。

 

騎士。

 

荷車。

 

攻城器具。

 

従軍商人。

 

修道士。

 

娼婦。

 

鍛冶屋。

 

兵士だけで戦争はできない。

 

軍が動けば、一つの町が移動する。

 

そしてその町は、自分では何も生産せず、通過する土地から食べ物を奪う。

 

「期限は日没で切れます」

 

ハンスが言った。

 

「ライナー城から返答は」

 

「ない」

 

「斥候によれば城門は閉じています」

 

アルベリクは目を閉じた。

 

父へ伝えた。

 

城門を閉ざすな。

 

返答はない。

 

遠くに黒い城壁が見える。

 

幼い頃、兄たちと馬を走らせた丘。

 

母が薬草を育てていた庭。

 

父の執務室。

 

すべてが城壁の向こうにある。

 

「攻撃準備を」

 

アルベリクは命じた。

 

ハンスは彼を見た。

 

「本当に」

 

「命令しろ」

 

角笛が鳴る。

 

兵士たちが動き始める。

 

弩兵が前へ。

 

盾兵が続く。

 

攻城技師が距離を測る。

 

アルベリクは黒革の手袋をした左手を握った。

 

合理性。

 

義務。

 

王国。

 

言葉はいくらでもある。

 

城壁から見れば、彼は故郷へ敵軍を連れてきた息子にすぎない。

 

太陽が西へ傾く。

 

日没まで、あと半刻。

 

城門は開かない。

 

アルベリクは攻撃命令を出すため、右手を上げた。

 

そのとき、城壁上に白い旗が現れた。

 

一人の老騎士が旗を持っている。

 

ライナー家の家令だった。

 

幼いアルベリクへ剣の持ち方を教えた男。

 

城門が、ゆっくりと開き始めた。

 

軍全体に緊張が走る。

 

罠かもしれない。

 

弩兵が構える。

 

城門の奥から、一騎の馬が出てきた。

 

灰色の軍馬。

 

乗っているのは、ライナー辺境伯。

 

アルベリクの父だった。

 

鎧を着ていない。

 

剣も帯びていない。

 

老人は一人で王国軍の前へ進んだ。

 

アルベリクも馬を出した。

 

両軍の間で、父と息子が向き合う。

 

三年ぶりだった。

 

父は老いていた。

 

髪の白さが増え、頬が痩せている。

 

だが目は変わっていない。

 

「立派な軍だな」

 

父が言った。

 

「王国軍です」

 

「お前の軍ではないのか」

 

「私が指揮する部隊も含まれます」

 

「言葉の選び方は昔から変わらん」

 

アルベリクは父の顔を見た。

 

「武装解除に応じてください」

 

「三身会議が招集されると聞いた」

 

「はい」

 

「なら、会議まで武器を置く理由はない」

 

「王命です」

 

「王命が王国法より上にあるのか」

 

「それを会議で議論します」

 

「武器を奪われたあとでか」

 

「父上」

 

アルベリクは声を低くした。

 

「城を包囲すれば、勝つのは王国軍です」

 

「知っている」

 

「四十日以内に井戸の一つを断てます」

 

父の眉がわずかに動いた。

 

城内の地下水路。

 

アルベリクが少年時代に見つけた旧坑道。

 

「六十日で食糧が尽きる。周辺村落は避難させました。徴発できません」

 

「お前が逃がしたのか」

 

「はい」

 

「兵糧を得られず困るだろう」

 

「城内も同じです」

 

父は小さく笑った。

 

「敵にしておくには惜しい息子だ」

 

「敵ではありません」

 

「城門の前に軍を並べて言う言葉ではない」

 

「父上が王命に従えば」

 

「お前は王に従っている。それで幸福か」

 

アルベリクは答えなかった。

 

父は城壁を振り返った。

 

黒鷲の旗。

 

その下に、家族と家臣がいる。

 

「私は反乱同盟へ署名していない」

 

「知っています」

 

「だが武器は渡さない」

 

「なぜです」

 

「一度渡せば、王は次に裁判権を取る。次に税。次に土地。最後には、ライナーの名だけを残し、王都から来た役人がすべてを決める」

 

「領民にとって、領主がライナー家か王国官僚かは重要でしょうか」

 

「重要だ」

 

「なぜ」

 

「王都の官僚は、ここで冬を越さない」

 

父は東の山を指した。

 

「どの村が雪で閉ざされるか。どの谷では春の洪水が遅れるか。どの家が三人の息子を戦争で失ったか。帳簿には書けない」

 

「書けます」

 

アルベリクは答えた。

 

「書いて、制度にするべきです。一人の善良な領主の記憶に依存してはいけない」

 

「私が善良だと言っているのではない」

 

「なら、なおさらです」

 

父の顔に怒りが浮かんだ。

 

「お前は家を捨てた」

 

「家より王国を選びました」

 

「違う。王国という言葉で、自分の選択を隠しただけだ」

 

その言葉は、鎧を貫く矢のように入った。

 

アルベリクは感情を押し込めた。

 

「日没までに武装解除を」

 

「拒否する」

 

「なら包囲します」

 

「そうしろ」

 

父は馬を返しかけた。

 

「父上」

 

呼び止める。

 

老人が振り返った。

 

「三身会議まで、攻撃を開始しません」

 

父の目が細くなる。

 

「王命に背くのか」

 

「軍事上の判断です」

 

「言葉の選び方は変わらんな」

 

「父上も」

 

二人はしばらく見つめ合った。

 

「アルベリク」

 

父が初めて名を呼んだ。

 

「王の秤に載れば、お前もいつか量られる」

 

「そのために、秤は正しくなければならない」

 

「正しい秤などない。持つ者がいる限り」

 

父は城へ戻った。

 

門が閉じる。

 

アルベリクは自軍へ戻った。

 

「攻撃は」

 

ハンスが尋ねた。

 

「延期する」

 

「いつまで」

 

「三身会議の結果が出るまで」

 

「軍務卿の命令に反します」

 

「包囲は開始した。攻撃時期は現地指揮官の裁量だ」

 

「軍務卿はそう解釈しないでしょう」

 

「知っている」

 

「解任されるかもしれません」

 

「そのときは、次の指揮官へ村落避難の記録を渡せ」

 

ハンスは苦い顔をした。

 

「あなたは、自分だけが正しいと思っているのですか」

 

「思っていない」

 

アルベリクは閉ざされた城門を見た。

 

「正しくないと知りながら、ほかにましな方法が見つからないだけだ」

 

包囲陣が築かれ始めた。

 

王国軍は城を囲む。

 

だが攻撃しない。

 

城内の兵も矢を放たない。

 

奇妙な静けさだった。

 

誰もが、遠くサン・ルシアンで開かれる会議を待つことになった。

 

王。

 

王の姉。

 

諸侯。

 

司教。

 

都市代表。

 

それぞれが、自分の秤を持って集まる。

 

その夜、アルベリクのもとへ早馬が届いた。

 

王都からの命令ではなかった。

 

セレスタ商人が発行する市場報告だった。

 

オルシャ港の火災後、ナフル小麦の価格は二倍を超えた。

 

ヴァルネリア王国南部では、黒帳商会の代理人が穀物を買い続けている。

 

さらに、報告書の末尾には奇妙な記述があった。

 

《複数の市場において、火災以前に大量の先物契約が結ばれていたことを確認》

 

《契約者名は非公開》

 

《一部は、聖地管理権再編後の港湾収入を担保としている》

 

アルベリクは文面を見つめた。

 

火災が起こる前に、価格上昇へ賭けた者がいる。

 

偶然か。

 

予測か。

 

あるいは計画か。

 

彼は地図を広げた。

 

オルシャ。

 

ナフル。

 

セレスタ。

 

ヴァルネリア。

 

遠く離れた土地が、穀物と銀の線でつながっている。

 

王国の内戦も、誰かの計算に含まれているのではないか。

 

東部諸侯が反乱する。

 

王国軍が動く。

 

穀物を徴発する。

 

国内価格が上がる。

 

商人が利益を得る。

 

王は戦費を借りる。

 

担保として港や税を差し出す。

 

戦争が長引くほど、借金は増える。

 

勝った者も負けた者も、最後には同じ相手へ支払う。

 

アルベリクは市場報告を折り畳んだ。

 

戦場では敵の旗が見える。

 

銀貨で戦う者の旗は見えない。

 

天幕の外では、ライナー城の篝火が揺れていた。

 

城内にも同じ空腹があり、同じ不安がある。

 

父は王を疑っている。

 

王は諸侯を疑っている。

 

都市は両方を疑う。

 

その疑いを、どこかで誰かが金へ換えている。

 

アルベリクは新しい帳面を開いた。

 

最初の頁に、三つの言葉を書いた。

 

《穀物》

 

《信用》

 

《オルシャ》

 

そして、その下に記す。

 

《この戦争の敵は、城壁の内側だけにいるのではない》

 

---

 

同じ夜。

 

ヴァルネ城では、エレノアが穀物搬出停止令へ署名した。

 

王都では、マティアスが王立軍需委員会の任命書を受け取った。

 

王宮では、アドリアン二世が三身会議招集令へ王印を押した。

 

四人はそれぞれ、自分が戦争を遠ざけるための選択をしたと考えていた。

 

だが、戦争は剣だけで近づくものではない。

 

一通の契約。

 

一つの税。

 

一袋の小麦。

 

一日分の遅延。

 

それらが互いに重なり合い、王国全体を巨大な秤の上へ載せていく。

 

秤の一方には王冠。

 

もう一方には民の暮らし。

 

そして、秤を支える柱の陰には、まだ名の見えない者たちが立っていた。

 

彼らは王冠が勝ってもよかった。

 

民が勝ってもよかった。

 

秤そのものが壊れても構わなかった。

 

ただ、皿が大きく揺れさえすればよかった。

 

揺れるたびに、銀貨が彼らの側へ転がり落ちるのだから。

 

灰暦八百七十二年、春分の夜。

 

ヴァルネリア王国の諸都市へ、三身会議招集の鐘が鳴らされた。

 

同じ刻、王国東部では息子が父の城を囲み、南部では王の姉が穀物を閉ざし、王都では一人の職人が王の委員となった。

 

誰一人、剣を抜いてはいない。

 

それでも内戦は、すでに始まっていた。

 

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