『血と香料の戦争』― 灰燼の回廊 ―   作:MOZIO

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第4編「交渉と裏切り」

【1】戦いのあと

 

戦場の匂いは、すぐには消えない。

 

焦げた草。

焼けた肉。

鉄と血。

 

トビアスはそれを嗅ぎながら歩いていた。

 

「……こんなはずじゃ」

 

誰に言うでもなく呟く。

 

地面には、まだ動く者がいる。

敵か味方かも分からない。

 

「水……」

 

声がした。

 

振り返る。

 

帝国兵だった。

腹を焼かれ、動けない。

 

トビアスは足を止める。

 

「……」

 

規則では、敵兵への施しは禁止されている。

 

だが。

 

「……くそ」

 

彼は水袋を差し出した。

 

兵は震える手で受け取る。

 

その瞬間。

 

「何をしている」

 

低い声。

 

トビアスの背筋が凍る。

 

振り返ると――

 

ベネディクトゥス司祭が立っていた。

 

【2】神の名

 

「異教徒に施しを与えるのか」

 

司祭の目は穏やかだった。

 

だが、その奥は冷たい。

 

「……死にかけてます」

 

トビアスは言い返す。

 

「だから何だ」

 

「え?」

 

司祭は一歩近づく。

 

「彼は異教徒だ」

 

静かな声。

 

「神の敵だ」

 

トビアスの手から、水袋が取り上げられる。

 

そして――

 

地面に叩きつけられた。

 

水が土に吸われる。

 

「……なんで」

 

トビアスは震えた。

 

司祭は微笑む。

 

「救いは神が与えるものだ」

 

その足が、帝国兵の喉に乗る。

 

「人が与えるものではない」

 

鈍い音。

 

動かなくなる体。

 

トビアスは吐いた。

 

【3】価値

 

数刻後。

 

野営地。

 

リーゼロッテは帳簿を閉じた。

 

「損害は想定内」

 

「人の命がですか?」

 

ナディアの声は静かだった。

 

リーゼロッテは視線を上げる。

 

「もちろん」

 

「……」

 

沈黙。

 

「三割の損耗で敵に同等の損害を与えた」

 

リーゼロッテは続ける。

 

「これは“利益”です」

 

ナディアの指が白くなる。

 

「あなたは……」

 

「はい?」

 

「狂っています」

 

リーゼロッテは少しだけ考え――

 

「いいえ」

 

首を振った。

 

「正常です」

 

【4】同じ構造

 

帝国側野営地。

 

ファリード・アル=ザハルは布の上に座り、茶を飲んでいた。

 

「損害は?」

 

サイードが問う。

 

「問題ない」

 

商人は笑う。

 

「補充は可能だ」

 

「人間がか」

 

「もちろん」

 

さらりと言う。

 

「金で買える」

 

サイードは眉をひそめた。

 

「命をか」

 

「命“も”だ」

 

ファリードは肩をすくめる。

 

「君たちが守っているのは何だ?」

 

沈黙。

 

「信仰か?国家か?」

 

彼は続ける。

 

「どちらにせよ、維持には金がいる」

 

そして微笑む。

 

「その金を動かしているのが我々だ」

 

【5】再会

 

夜。

 

トビアスは眠れずにいた。

 

焚き火の音が耳に残る。

 

司祭の言葉。

あの足。

 

「……なんだよ、これ」

 

彼は顔を覆う。

 

そのとき――

 

「起きてるの?」

 

声。

 

振り向く。

 

そこには――

 

ザフラがいた。

 

「!?」

 

トビアスは飛び上がる。

 

「敵!?」

 

「静かにして」

 

彼女は指を立てる。

 

「見つかるわよ」

 

「なんでここに……」

 

「斥候」

 

当然のように言う。

 

「あなたは?」

 

「伝令……」

 

一瞬の沈黙。

 

そして、ザフラは笑った。

 

「変なの」

 

【6】違う世界

 

二人は焚き火から離れた場所で向かい合う。

 

「さっきの見た」

 

ザフラが言う。

 

「司祭のやつ」

 

トビアスの顔が歪む。

 

「……あれが普通なのか?」

 

「普通じゃない」

 

即答だった。

 

「でも、珍しくもない」

 

彼女は肩をすくめる。

 

「戦争だもの」

 

トビアスは俯く。

 

「俺、間違ってるのか?」

 

ザフラは少し考えた。

 

そして言う。

 

「間違ってない」

 

トビアスが顔を上げる。

 

「でも――」

 

彼女は続ける。

 

「そのままだと死ぬ」

 

静かな言葉だった。

 

【7】選択

 

「どうすればいい」

 

トビアスは問う。

 

ザフラは笑った。

 

「簡単よ」

 

一歩近づく。

 

「強くなること」

 

「……」

 

「殺される前に、殺す」

 

トビアスは首を振る。

 

「できない」

 

「じゃあ――」

 

彼女はさらに近づく。

 

「誰かに守ってもらう?」

 

沈黙。

 

「それも無理ね」

 

ザフラは言った。

 

「戦争だから」

 

【8】離別

 

遠くで足音がした。

 

「行くわ」

 

ザフラが振り返る。

 

「また会えるかな」

 

トビアスが思わず言う。

 

彼女は少しだけ笑った。

 

「戦場ならね」

 

そして、闇に消える。

 

トビアスはその場に立ち尽くした。

 

【9】歪み

 

アルベリクは報告を聞いていた。

 

「捕虜処理で問題が」

 

「司祭か」

 

「はい」

 

彼は目を閉じる。

 

「予想通りです」

 

「止めますか」

 

ヴォルフラムが問う。

 

アルベリクは首を振る。

 

「いいえ」

 

「なぜだ」

 

「必要だからです」

 

その言葉に、わずかな重さがあった。

 

「恐怖は統制になる」

 

「だが――」

 

「分かっています」

 

アルベリクは遮る。

 

「歪みます」

 

そして静かに言った。

 

「だが、もう始まっている」

 

【10】見えない戦争

 

その夜。

 

リーゼロッテは一通の手紙を書いていた。

 

宛先は――帝国側。

 

同時に。

 

ファリードもまた、手紙を書いていた。

 

宛先は――王国側。

 

どちらも同じ内容。

 

「戦争を長引かせるための提案」

 

インクが乾く。

 

二人は、ほぼ同時に呟いた。

 

「まだ足りない」

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