『血と香料の戦争』― 灰燼の回廊 ―   作:MOZIO

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第5編「拡大」

【1】動員

 

王都リュミエール。

 

鐘が鳴っていた。

 

それは祈りのためではない。

徴集の合図だった。

 

「勅令である!」

 

広場に立つ使者が声を張り上げる。

 

「すべての領主は兵を差し出せ!

 すべての民は国家に奉仕せよ!」

 

ざわめき。

 

「またか……」

 

「今度は本気だぞ」

 

人々の顔には、不安と諦めが混じっている。

 

その上方――大聖堂のバルコニー。

 

ベネディクトゥスは群衆を見下ろしていた。

 

「良い光景だ」

 

隣の司教が言う。

 

「信仰が国を動かしている」

 

ベネディクトゥスは小さく首を振る。

 

「違う」

 

「?」

 

「恐怖だ」

 

【2】帝国の決断

 

帝都カズィル。

 

白い石の宮殿。

 

ハリド・イブン・サラーフは重い椅子に座り、指で机を叩いていた。

 

「辺境が騒がしいな」

 

「サイード隊が交戦を」

 

側近が答える。

 

「結果は?」

 

「拮抗です」

 

ハリドは鼻で笑った。

 

「役に立たん」

 

だが、その目は笑っていない。

 

「兵を出す」

 

「正規軍を?」

 

「そうだ」

 

彼は立ち上がる。

 

「終わらせる」

 

その言葉の意味を、誰も理解していなかった。

 

【3】流れ込むもの

 

ザルツ辺境。

 

街道が軋んでいた。

 

荷車。

兵。

難民。

 

すべてが一方向へ流れている。

 

「多すぎる……」

 

トビアスは呆然とした。

 

昨日までの小競り合いとは違う。

 

これは――

 

「戦争だ」

 

ヴォルフラムが言った。

 

その一言で、すべてが変わる。

 

【4】再編

 

作戦室。

 

アルベリクは新しい地図を見ていた。

 

以前よりも広い。

 

「兵力は?」

 

「三倍だ」

 

ヴォルフラムが答える。

 

「質は?」

 

「落ちている」

 

徴兵兵。傭兵。志願兵。

 

統制は難しい。

 

アルベリクは頷く。

 

「問題ありません」

 

「本気で言ってるのか」

 

「ええ」

 

彼は淡々と言う。

 

「戦争は質ではなく、構造で決まる」

 

そして、新たな線を引く。

 

「こちらも変える必要があります」

 

【5】帝国軍集結

 

砂漠の端。

 

サイードはその光景を見ていた。

 

「……多いな」

 

ザフラが呟く。

 

正規軍。

 

整った隊列。

重装歩兵。

騎兵。

 

「中央が動いた」

 

サイードは低く言う。

 

「嫌な予感しかしない」

 

ザフラが顔をしかめる。

 

「勝てばいい」

 

「簡単に言うわね」

 

「簡単だ」

 

サイードは前を見る。

 

「勝つしかない」

 

【6】交差する思惑

 

同時刻。

 

リーゼロッテは書類に目を通していた。

 

「輸送路は?」

 

「確保済みです」

 

「帝国側は?」

 

「同様に」

 

彼女は微笑む。

 

「完璧ね」

 

一方――

 

ファリードもまた、同じ報告を受けていた。

 

「王国側の補給は?」

 

「順調です」

 

「良い」

 

彼は頷く。

 

「戦争は続く」

 

【7】宗教の炎

 

野営地。

 

ベネディクトゥスは兵士たちに説教していた。

 

「これは聖戦である!」

 

声が響く。

 

「異端を討ち、神の御名を示す戦いだ!」

 

兵士たちの目に光が宿る。

 

恐怖が、熱に変わる。

 

トビアスはその中にいた。

 

だが――

 

何も感じなかった。

 

「……」

 

彼の中で、何かが冷えていく。

 

【8】対峙前夜

 

夜。

 

アルベリクは一人、外に出ていた。

 

風が止んでいる。

 

静かすぎる夜。

 

「考え事か」

 

ヴォルフラムが来る。

 

「ええ」

 

「何を」

 

少しだけ、間があった。

 

「相手です」

 

アルベリクは言う。

 

「今日までの動きから見て、指揮官は優秀です」

 

「サイードとかいうやつか」

 

「恐らく」

 

彼は続ける。

 

「合理的で、無駄がない」

 

「お前みたいだな」

 

アルベリクは否定しなかった。

 

「だから――」

 

彼は空を見る。

 

「厄介です」

 

【9】同じ夜

 

帝国側。

 

サイードもまた、眠っていなかった。

 

「起きてるのね」

 

ザフラが近づく。

 

「考えている」

 

「何を?」

 

「敵だ」

 

彼は短く言う。

 

「今日までの戦いで分かる」

 

「何が?」

 

「指揮官がいる」

 

ザフラは笑う。

 

「当たり前でしょ」

 

「違う」

 

サイードは首を振る。

 

「“考える敵”だ」

 

その言葉には、わずかな警戒があった。

 

【10】不可逆

 

翌朝。

 

両軍は、ついに正面で対峙する。

 

平野。

 

広がる軍勢。

 

王国軍。

帝国軍。

 

数千対数千。

 

もう、小競り合いではない。

 

アルベリクは前線を見渡す。

 

サイードもまた、同じように見ていた。

 

互いに姿は見えない。

 

だが――

 

理解している。

 

「ここからだ」

 

アルベリクが呟く。

 

「終わりはない」

 

サイードもまた、同じことを考えていた。

 

戦争は、もう戻らない。

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