『血と香料の戦争』― 灰燼の回廊 ―   作:MOZIO

9 / 16
第3編「疫病」

【1】臭い

 

最初は、誰も気にしなかった。

 

戦場には常にある匂い。

血、腐敗、排泄物。

 

だが、それが濃くなる。

 

「……おかしいな」

 

カスパーが鼻をしかめる。

 

「いつまで放置してやがる」

 

死体が増えすぎていた。

 

埋める余裕もない。

 

焼く薪も足りない。

 

「そのままにするしかない」

 

誰かが言った。

 

それが、始まりだった。

 

【2】最初の兆候

 

三日後。

 

一人の兵が倒れた。

 

「熱だ!」

 

額は異様に熱い。

 

呼吸が荒い。

 

「風邪か……?」

 

誰も深刻には考えなかった。

 

戦場ではよくあることだ。

 

だが――

 

その兵は翌日、死んだ。

 

【3】広がり

 

さらに二日。

 

十人。

 

二十人。

 

増えていく。

 

「おい、これ……」

 

「ただの病気じゃない」

 

誰もが気づき始める。

 

だが遅い。

 

既に、広がっている。

 

【4】医者の戦場

 

ナディアは止まらなかった。

 

手を洗う。

 

布を焼く。

 

傷を縫う。

 

「水を!」

 

「足りません!」

 

「なら煮沸して!」

 

叫び続ける。

 

だが――

 

追いつかない。

 

「……くそ」

 

初めて、言葉が漏れた。

 

【5】信仰の介入

 

そこに、ベネディクトゥスが現れる。

 

「これは試練だ」

 

穏やかな声。

 

「神が与えた浄化である」

 

ナディアは振り返る。

 

「違います」

 

「ほう?」

 

「感染です」

 

彼女は言う。

 

「接触で広がる」

 

司祭は微笑む。

 

「神の意志だ」

 

ナディアの目が揺れる。

 

「……違う」

 

【6】衝突

 

「患者を隔離してください」

 

ナディアはアルベリクに進言する。

 

「接触を断つ必要があります」

 

「不可能です」

 

即答だった。

 

「なぜ!」

 

「兵が足りない」

 

アルベリクは淡々と言う。

 

「隔離すれば戦力が減る」

 

「このままでは全滅します!」

 

沈黙。

 

「……確率の問題です」

 

ナディアは言葉を失う。

 

【7】帝国側

 

サイードの陣営でも、同じことが起きていた。

 

「増えてる」

 

ザフラが言う。

 

「分かっている」

 

「どうする?」

 

サイードは少し考えた。

 

「分ける」

 

「?」

 

「病人と健常者を」

 

ザフラは顔をしかめる。

 

「切り捨てるのね」

 

「違う」

 

サイードは答える。

 

「守る」

 

どちらをかは、言わなかった。

 

【8】崩壊の加速

 

王国側。

 

夜。

 

悲鳴が止まらない。

 

熱にうなされる声。

咳。

嘔吐。

 

「……地獄かよ」

 

カスパーが呟く。

 

「戦って死ぬ方がマシだ」

 

誰も否定しない。

 

【9】トビアス

 

トビアスは震えていた。

 

隣の男が、さっき死んだ。

 

さっきまで話していた。

 

「……なんで」

 

彼は後ずさる。

 

触れたくない。

 

だが――

 

もう遅いかもしれない。

 

「……やだ」

 

初めて、本気で思った。

 

死にたくない。

 

【10】選択の連鎖

 

ナディアは一人の兵を見ていた。

 

明らかに感染している。

 

「隔離を」

 

周囲がざわつく。

 

「ここに置けません」

 

「移せば広がる!」

 

「だからこそ!」

 

言い争い。

 

そのとき――

 

ベネディクトゥスが言う。

 

「ここで祈らせよ」

 

ナディアが睨む。

 

「死ぬのを待てと?」

 

「救われる」

 

静かな言葉。

 

ナディアは震えた。

 

【11】決断

 

アルベリクは命令を出した。

 

「進軍を続ける」

 

「この状況でか!?」

 

ヴォルフラムが叫ぶ。

 

「止まれば終わりです」

 

「進んでも終わるぞ!」

 

「可能性はあります」

 

その声は変わらない。

 

「ゼロではない」

 

ヴォルフラムは言葉を失う。

 

【12】静かな理解

 

その夜。

 

ナディアは手を止めた。

 

初めてだった。

 

周囲には、救えなかった者たち。

 

「……」

 

彼女は祈らない。

 

ただ、呟く。

 

「これは……」

 

答えは出ない。

 

だが、一つだけ理解する。

 

これは戦争ではない。

 

「崩壊だ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。