第一話 プラムとタルト
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ぐいん、と頭の上で照明が回転する。
町を一周する楕円の光を放つ照明は、町の中で一番高い建築物に必ず備え付けられる法となっている。この町――リディマでもそれは同じことだった。田舎町だろうが、都会だろうが同じように配される光は、人々に安息と同じく監視の目として認識されている。視界を呑み込む無辺の暗闇だろうが、この明かりが白昼と変わらずに悪事を見つけ出す、という意味が込められているという。光は無遠慮にプライバシーを漁る人間の眼球と同じようなものだった。
だが、そんな意味など望遠鏡を構えるタルトにとっては知ったことではなかった。タルトはツーサイドアップでまとめた長い黒髪を風になびかせながら、息を吐いた。白い息が暗闇へと、コーヒーに落ちたミルクの一滴のように溶けてゆく。小さな唇を震わせ、鼻をひくひくとさせると、一つ大きなくしゃみをした。鼻をすすっていると、頭に被っている猫耳のついた黒いヘルメットがずり落ちそうになる。「おっと」とタルトはそれを片手で押さえながら、望遠鏡から目を離さない。ジジジ、と片手に持った望遠鏡の倍率を上げる。レンズ付近にあるつまみでレンズに入る光の量を変えつつ、身を乗り出して周囲を見渡した。狙いをつけるように片目を瞑り、「むむむ」と口中に呻る。熱心に望遠鏡越しの視線を向け続けるタルトの眼下には、明かりのつき始めた町がある。岩を固めてつくった立方体に近い藍色の家々が軒を連ねており、暮れかけて少し暗くなった町並みからは夕飯の芳しい香りが漂ってくるようでタルトはまたも鼻をひくひくさせた。
今度はその匂いを嗅ごうとしたのである。だが、町の中でも一際高い鉄塔にまでそれが香ってくるはずもなく、タルトの鼻はしんと冷え始めた空気を嗅いでしまい、冷気がつんと鼻の奥に染み渡ったのかまたくしゃみをした。「うぃー」とまるで中年のような声を漏らしつつ、レンズを調整していると背後から声が聞こえてきた。
「無作法ですわ」
少女の声だった。どこか突き放すように冷たい言い方だ。タルトは振り返らずに返事をした。
「だって、出ちまうもんは仕方ないじゃんよー」
鼻をすすり上げていると、声の主は鼻を鳴らした。
「その言葉遣いも、改めなくてはレディーとしては失格でしてよ」
「オレ、別にレディー失格でもいいや」
ここもないしね、とタルトは付け加えて胸元を叩いた。黒いタイトな服にホットパンツという井出達で、男勝りかと思いきや太ももにはガーターベルトを巻いておりストッキングを穿いているという性別を分けがたい服装だった。もうじき完全に陽が落ちてしまえば、闇に紛れるような格好だ。タルトは望遠鏡を一点に向けた。民家の一つだった。細長い煙突から湯気がもくもくと出ている。風呂を沸かしているのか、と当たりをつけてタルトは「いいなぁ」と呟いた。
「そういや、最後にシャワー浴びたのって何日前だっけ」
「二日前ですわ。最近では比較的、マシなほうです」
「二日前かよー。シャワー浴びてぇな、そんでもってフロにも入りてぇよ」
「私だって入ってませんし、我慢はお互い様です。贅沢は最大の天敵。節約は最大の友でしてよ」
「えー、最大の友が最悪の敵になることもあるじゃん、よっと」
タルトは手摺から乗り出して、じっと湯気の上がる煙突を見つめた。湯気が冷たい空気に触れて、シャボン玉のように景色に消える。
「危ないですわよ」
「大丈夫だって。ほら、片手はしっかり掴んでる」
言ってタルトは手摺を掴んでいる片手を握ったり開いたりした。後ろにいる声の主は、「そういうところが」と責め立てた。
「危ないんですわ」
「んだよ、お堅いよな。プラムは」
回転する明かりが一瞬、鉄塔を照らし出す。鉄塔の中心の支柱に凭れかかっている少女が浮かび上がった。タルトとは対照的な白い服装だ。ごわっとした身体を締め付けないセーターを着込んでいる。短めのスカートに白いタイツを穿いていた。茶色い旅行鞄を両手で持っている。ショートカットの銀髪が冷たい夜風になびく。頭にはタルトとお揃いの猫耳のヘルメットを被っていた。プラム、と呼ばれた少女は不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、胸の前で組んでいた両手を少し持ち上げた。
「タルトが柔らかすぎるんですのよ。そんなことでどうするのです」
「どうするって、何をさ」
「誰も面倒を見てくれなくなったら」
タルトはその言葉に少し考えるように眉間に指をぐいぐいと押し付けて、鼻をすすってから、ぽつりと言葉を発した。
「そんなもん、風任せだな」
プラムは背中を向けているタルトにも分かるように大きくため息をついた。タルトは眉を寄せてむっとした顔で、肩越しにプラムを見やった。
「何だよ」
「別に、何でもないですわ。相変わらずの能天気だと思っただけですわよ」
プラムがタルトからぷいと顔を背ける。タルトは望遠鏡片手に振り返って、プラムを指差した。
「何でもなくないじゃんか。てめー、人の顔見て言えよ」
「嫌ですわ、面倒ですわ。どうしてタルトはそう無計画なんでしょう」
「無計画は悪いことじゃねぇよ。いいこともあるんだぜ」
「例えば、どんな?」
プラムがキッとタルトに目を向ける。射竦めるような水色の瞳だった。タルトは、えっと、と言葉を彷徨わせながら朱色の眼を右往左往させる。
「と、とにかく悪くはないんだよ」
「言い訳できないんですの?」
「で、できるぜ。その証拠に」
タルトがぐいっと身体を捻って町へと再び望遠鏡を向ける。その丸いレンズで切り取られた視界の中に、小さな民宿が映った。窓が多く、明かりがたくさんついているのが分かる。タルトは民宿を視界に入れながら、びしっと指差した。
「ほら。今日の宿を見つけたぜ」
その言葉にプラムが訝しげな視線を向けつつ、望遠鏡を手に取りタルトが指差した方角を見て確認をする。望遠鏡から目を離してタルトを見やると、タルトは自分の手柄だとでも言うように、にんまりとしながら両手を腰に当てて立っていた。プラムはため息をついて、「まぁ、よしとしましょう」と言ってタルトに望遠鏡を手渡して背を向けた。その態度に腹を立てたタルトは「てめー」と食ってかかる。
「折角、今日の宿を見つけたんだ。礼の一つくらい言いやがれ」
指差してタルトが言うと、プラムは少しだけ振り返ってもう一度ため息をつき、やれやれだと言わんばかりに肩を竦めて「行きますわよ」と言い残した。プラムのブーツの靴音が鉄塔の螺旋階段に反響する。タルトは歯ぎしりしながら、両手を握り締めて「あんにゃろー」と呟いてから、地団駄を踏んだ。
「相変わらず可愛くねぇ奴。ぜってー、後で泣かしてやる。『タルト様がいないと寂しいんですの』とか言わしてやる。よし。ぜってー、降りねぇ。オレはこの鉄塔で夜を明かす」
鼻を鳴らして、タルトはその場にずんと座り込んだ。両手を組んで、てこでも動かないとでも言うように「むん」と強い鼻息と「ぜってー、降りねぇ」という言葉を呪文のように繰り返した。何度目かの鼻息と言葉の後、冷たい夜風が鉄塔へと吹き込んできた。季節はもう冬にさしかかろうとしているのだ。底冷えする鉄の床から、じわじわと冷気が身体に凍みてくる。タルトはもうブーツの音が聞こえないことに気が付いて、少し大きな声で「オレは、降りねぇぞー」と叫んだ。町の天辺で放たれた声がむなしく反響する。鉄塔の頂上に備え付けられた照明が回転して町を円形の明かりが巡る。その照明がタルトの顔を照らした。タルトは目を硬く瞑って、ぶるぶると身体を震わせていた。組んでいた両手を解いて、肩を抱くように蹲る。「さみぃ」と呟いて、ハッとした。思い出したように「オレは降りねぇぞー」と叫ぶ。だが、今度発した声は震えていた。歯の根が合わない。
「こんなことで、オレは、負け、ねぇ……」
大きなくしゃみが鉄塔の螺旋階段に残響する。「うう、さみぃよぉ」と思わず泣き声のようなものが漏れてしまう。屋上にいるのはまずい、と思い始める。
「ちょ、ちょっと様子を見るだけだ。降りるわけじゃねぇから」
そう言い置いて、タルトは螺旋階段を降りた。「断じて、降りるわけじゃない」と何度もぶつぶつと呟きながら、吹き荒ぶ風に身体が縮こまる。鉄塔の下では、涼しい顔をしたプラムが立っていた。夜風の冷たさなどまるで感じていないように鉄面皮を崩さない。タルトはプラムの前に立って、「ちょっと、様子見に来ただけだ。降りたわけじゃねぇから」と何も言われていないのに先に言った。
「そうですか。なら、私は先に民宿に行きます」
プラムが身を翻し、その場から立ち去ろうとする。その背中へとタルトは「ああ、待てって」と後を追った。プラムに並んで歩きながら、「あ、これはあれだ。話していると知らぬ間に鉄塔を離れちまうって言うあれだよ。いやー話好きが高じると参ったなー。自分がここだと決めた宿も離れちまうんだから」
タルトは笑いながら、プラムと並んで宿を目指す。プラムは思わず本日三度目の大きなため息が漏れそうになったが、面倒なので堪えた。