モノクロマギア   作:オンドゥル大使

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第十一話 本能の範囲

 

「まさか」

 

 アトラクは呻いた。片手を開いたまま掲げる。掌が血で汚れていた。手の中にあった少女の血でできた蜘蛛が弾けたのだ。少女の魔術の経路を使ってタルトとかいう黒い少女に接続して身体を乗っ取ろうと思ったが失敗した。事前に見た限りでは、この程度の魔術干渉も破れるとは思っていなかったのだが、

 

「予想が外れたわけか」

 

 アトラクは開いていた手を強く握った。勝てると確信した相手に一杯食わされるのは面白くない。怒りをそのまま、壁を殴りつけかけて、やめた。魔術師は感情的になってはならない。冷静かつ慎重な判断を下せるのが魔術師の資質だ。眉間に刻んでいた険をやわらげ、アトラクはかさぶたでできた杖の鉤爪部分へと手をやり、その先端で指先を切った。そこから滲み出した血をアトラクは長い舌で舐める。自分の血の味で落ち着こうとしているのである。舌先から慣れた血の味が伝わり、アトラクはひとまず平静を取り戻した。魔術師の血には鎮静作用があるものもある。アトラクは自身の血球の内部に魔力を通わせてそれを身体全体に循環させていた。

 

〝傷〟の魔術を多用する魔術師だ。傷に弱いようでは困る。アトラクは傷による痛みをほとんど無効化する血を自身の中で生成して、それを時折昂りかけた思考を制御するために使う。そうやって時に覗く「人間」を排除して魔術師としての尊厳の手綱を引いているのだ。

 

 アトラクは眼下の少女を見下ろす。旅行鞄を片手に握ったまま昏倒しているようだった。爪先で蹴りつけるが、意識はない。アトラクは旅行鞄に刻まれている金箔を施した文字に目をやった。

 

「『MAGIA』の文字に、『否定』を示す一本の線。こんな子供が『魔術師狩り』だと」

 

 冗談にも程がある。鼻で笑い一蹴した。アトラクは乾いた笑みを浮かべたまま、旅行鞄の文字を指先でなぞろうと手を伸ばした。すると、文字に触れる直前に水色の光が走り、アトラクの手を弾いた。指先が火傷のようにただれている。「なるほどな」と口にする。

 

「結界魔術か。所有者の認めた人間以外が鞄に触れようとすると発動する。失神していても有効だということは強い魔術だな」

 

 魔術には無意識下でも発動するものと意識しなければ発動しないものに大別される。無意識下での発動はほとんど持って生まれた性質に近い。アトラクならば邪眼である。少女は意識して、鞄に触れる人間を制限する魔術を用いた。だが、それは無意識下でも有効だった。

 

「この娘一人の魔術ではないな。この鞄自体に元々強い魔術の鍵がかかっている」

 

 方法としては、自分と少女の血を全て入れ替え、さらに少女の持つ魔術の様式を網羅することが挙げられるが不可能に近い。それは一人の人間に成り代わった上で、それまで積み上げてきた人生をもう一度やり直さなくてはならない。最も簡単な手は、少女の脳と自分の脳を入れ替えることだが、それすらもリスクが伴う。魔術の信号が合致しない臓器では拒絶反応が起こる可能性や、失敗の危険性があるからだ。

 

 加えて、この方法は自分一人ではなし得ない。誰かの協力が必要になるが、アトラクは脳の移植を可能にするような魔術師は思い当たらなかった。

 

 元々、魔術師とは群れないものだ。だからこそ、それぞれの系統と派閥に細かく分かれ、戦闘においては魔術痕の解析などというまどろっこしいことをしなければならない。アトラクは鞄を開けることを諦めて、少女の身体に触れた。身体には防御魔術がかかっていない。片腕で抱えると、鞄が手から滑り落ちた。構いはしない。使えないものを持っていれば荷物になるだけだ。この部屋に移動してきた陣の上に立つ。移動用の魔法陣はまだ有効だった。アトラクの魔力に反応して縁が僅かに光り出す。

 

「タルトとかいう娘は来ないか。いや、来ても間に合うまい」

 

 アトラクは杖の先で陣を突いた。円と菱形と三日月で構成された陣の内側から光が滲み出し、部屋を照らしたかと思うとアトラクの姿は跡形もなく消えていた。

 

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