あてがわれたのは一番安い部屋だった。オレンジを基調とした暖色の照明が壁紙に反射している。シングルベッドが二つあり、ドアから入ってすぐ手前の部屋が洗面所とバスルームになっていた。
着くなり、タルトはベッドに飛び乗った。シーツをぐしゃぐしゃにしてくるまり、ごろごろとベッドの上を転がる。頭から猫耳のヘルメットが落ちる。タルトは満足そうな顔をして、さなぎのように白いシーツを身に纏いながら、暢気な声を発する。
「プラムー。ヘルメット取ってくれー」
プラムは洗面所で水とお湯が出ることを確認していた。蛇口をひねっている最中にそんな声が聞こえたものだから、プラムはおざなりに応じた。
「自分で取りなさい。それと何も手伝わないつもりですの?」
「めんどいー。オレもう動けねぇって。腹も減っているしよ」
タルトの腹の虫が地鳴りのような音を立てて鳴いた。プラムはバスタブにお湯を入れながら、手でお湯の温度を確認しつつ、
「動こうとしないだけでしょう、あなたは。夕食の時間は過ぎているようですけれど、ルームサービスを頼んでおきましたわ」
「さすが。抜かりねぇな」
「軽食程度でしょうね。もうすぐ来ると思いますけれど」
その時、ドアをノックする音が聞こえた。タルトはベッドで横になりながら、プラムに言った。
「来たみたいだぜー」
「あら、もう? 随分と早いですわね」
プラムがバスタブに張ったお湯につけていた手を洗面所にあるタオルで拭い、ドアを開けた。ドアの前に立っていたのは先程、賭けをしていた髭面の男だった。後ろにはその仲間を連れている。カモにされていた禿頭の男はいなかった。小山のような黒い影が小柄なプラムを見下ろしていた。プラムが特に感情を浮かべずに水色の瞳を真っ直ぐに髭面の男に向ける。髭面の男は口元を歪めた。
「嬢ちゃんらよぉ。さっきはよくもコケにしてくれたな」
髭面の男の言葉にプラムが首を傾げる。猫耳のヘルメットが僅かに揺れた。
「何のことだか」
「とぼけんじゃねぇ!」
後ろにいた痩せた男が廊下の壁を蹴りつける。プラムはそれでも落ち着いた様子で、「本当に」と口にした。
「何のことを仰っているのだか分かりませんわ」
「ガキの理屈なんか通らねぇんだよ。知りませんでした、じゃすまねぇんだ。折角、一儲けできたっていうのにふいになっちまった」
髭面の男が発した言葉で、ようやくプラムが「ああ」と思い出したように手を叩いた。
「さっきタルトが茶々を入れていた、あの。余計なことをしましたのは、お詫びいたしますわ」
「お詫びじゃすまねぇって言ってんだろ!」
痩せた男がまたも壁を蹴りつける。プラムが冷たい眼差しを向けると、痩せた男は少し気まずそうに目を逸らして髭面の男の後ろに戻った。そうやって髭面の男の陰にいなければ何もできないのだろう。怒りよりも、その姿は哀れにさえ見えた。髭面の男が両腕を組んで、鼻息混じりに言った。
「俺たちはよ、自分の稼いだ金で対等に賭けをやっていたんだよ。それに対してイカサマ呼ばわりされた日にゃ、もう楽しんで賭けをやることさえできなくなっちまう。それがどういうことだか、嬢ちゃんでも分かるよな?」
「まぁ、お金が大事だということくらいは」
「だろう。お互い、後腐れを残したくねぇ。ここはどうだ、これで手打ちということにしねぇか」
髭面の男が三本、指を立てる。プラムは「お金で解決、ですか」と呟くと、「不満か?」と髭面の男は笑った。邪気のないように振舞った笑いだった。だが、プラムはその奥にある感情を読み取った。これ以上は言わない、だが、最低限これだけ出せば不問に付すというある種の圧力のような態度だった。
「三〇〇ですか?」
「何言っているんだ。迷惑料、三〇〇〇エーターだ」
髭面の男が手を差し出す。プラムは渋い顔でそれに応じた。
「そんな余分なお金はありません」
「ほお」と髭面の男が感心したような声を漏らす。その時、痩せた男が後ろ手に何かを握っているのにプラムは気が付いた。一瞬しか見えなかったが、確かに鉄器のように見えた。
「じゃあ、せめてさっき邪魔してくれた黒い嬢ちゃんを出してもらおうか。それで穏便に済ませるというのは、どうだ?」
「別に構いませんわ」
プラムがタルトを呼ぼうと振り返った。
その瞬間、髭面の男が太い腕を振り上げる。この場で徹底的に痛めつけて、差を分からせてやるつもりだった。白い少女の態度が気に入らなかったのもある。鈍器のような拳が、そのままプラムに打ち下ろされようとした、その刹那。
髭面の男の腕は当たる直前に何者かに受け止められた。髭面の男が「誰だ」と声を上げようとしたところで突然に顔面へと硬いものが投げつけられた。黒いヘルメットだった。それだけならば、何のことはなかったのだが、追い討ちをかけるように白い拳が顎の骨を打ち砕いた。
鈍い音が響き渡り、髭面の男の視界がぶれた。さらにそのまま衝撃を吸収しきれずに仰け反り、見えない糸に引かれるように後ろへと仰向けに倒れた。男たちは呆然としていた。何が起こったのか、それを確認しようと部屋の中に視線を移した時、信じられない光景が目に飛び込んできた。
最初に目に入ったのは真っ白なシーツだ。そのシーツを突き上げた拳に巻きつけて立っているのは、先程自分たちの賭けを邪魔した黒服の少女――タルトだった。タルトは寝転がっていた時とはまるで違う、研ぎ澄まされたナイフのような鋭い眼光を携えて低く口にした。
「危ないじゃねぇか」
その声で男たちがたじろいだ。普段、土木作業で危険なことも数多く経験している男たちが、である。
獣の眼だ、と誰かが呟いた。誰が呟いたのか分からないまま、男の中の一人、先程まで髭面の男の陰に隠れていた痩せた男が歩み出た。後ろ手に握っているのは仕事用の金槌だった。
もしもの時の脅すために用意したものだ。それを使おうとしたのは、痩せた男の肝が小さかったのも原因ではあるが、何よりも髭面の男が少女ごときに倒されるとは思っていなかったからだ。しかも、その少女は自分たち、四人を前にしても怖がるどころか攻撃的な眼を向けてくる。それが男の防衛本能を刺激した。
――やらなければ、やられる。
痩せた男は金槌を見せてそれを突き出した。タルトとプラムは恐れるどころか、無関心な目を向けている。痩せた男の小さなプライドがそこで弾けた。金槌を大きく振り上げて、タルトへと直進する。タルトは拳に巻きつけていたシーツを、腕を軽く捻っただけで剥がして、それを盾のように翳した。痩せた男は金槌をシーツに向かって振るい落とす。
だが、金槌は何もない空を切った。マントに向かう闘牛のように、かわされたのである。
遊ばれている、と認識した瞬間、痩せた男の脳内は白熱化した。振り返り様に金槌で打つ。だが、それもまた外れて壁に穴が空いた。タルトは痩せた男の手首を掴んで、「危ない、って言ってんだろ」と呟いて捻り上げた。少女とは思えぬ、万力のような力だった。思わず金槌を取り落とす。痛みのあまり呻き声が漏れた。タルトはそのまま背中へと腕ごと無理やり捻って、痩せた男の背中を蹴りつけた。筋肉のない骨ばかりの男の背中に強烈な痛みが走り、男はその場に倒れ伏した。
「プラムー、そいつ押さえてろ。あとの奴はオレがやる」
プラムは頷いて、倒れた男の両手を押さえた。だが、もう気を失っている男には意味のないことだった。タルトの朱色の瞳が残る三人の男たちを見据える。男たちは「ま、待ってくれ」とタルトを宥めるように言った。
「俺たちは別にお前らをどうこうしようって思ったわけじゃないんだ。ただ、ほら、こいつに」
仰向けに倒れて失神している髭面の男を一瞥してから、男は両手を上げて免罪符を口にする。
「脅されたんだよ。逆らわないわけにはいかないからさ。ほら、もう何もしない。だから、な」
「だから、何だって言うんだよ」
タルトの言葉に、男は声を詰まらせた。
「そいつら連れて、さっさと部屋に戻りやがれ。腹も減っているんだ。いちいち雑魚の面倒見ている場合じゃねぇんだよ」
タルトの言葉に男たちは気圧されたように後ずさって、何度も頭を下げながら、気を失っている大の男を抱えた。立ち去りかけた男たちへとタルトは思い出したように、「あ、それともう一つ」と付け加える。
「壁の修理代はお前ら持ちだから。その辺、分かっているよな」
もちろんです、と男たちは愛想笑いを浮かべながらその場から逃げ去った。無様な敗走の姿にタルトが鼻を鳴らして、勝利の余韻に浸る反面、プラムは絶対零度のような冷たい瞳をじっとタルトに向けていた。タルトが不服そうに、「何だよ」と口にする。
「レディーの解決方法ではないですわね。もっとしとやかにするべきです」
「しとやかにやれってか。そりゃ、お上品なことだな」
「やるだとか、そういう言葉遣いが相応しくありません」
「文句ばっかり言いやがって」とぶつぶつ呟きながら、タルトは床に落ちたヘルメットを拾い上げた。埃を払い、髭面の男の顔面に当たった時についた汚れをシーツで拭き取る。
「そのシーツ、血がついていましてよ」
「あ、ホントだ」
殴った時についたのだろう。「弁償かなぁ」とタルトは首をひねった。
「お金を出すのは私です」
プラムはつんとして顔を背けた。タルトは眉根を寄せながら、
「何、怒ってんだよ」
「あまりにも無作法すぎるからです。あなたの無神経さには呆れますわ」
「オレがやらなきゃ、てめー、殴られてたぜ。ひょっとしたらもっと酷い目にも遭ってたかもしれない」
「私の勝手です。あんな、恐喝みたいなことをするよりかは」
幾分かマシです、とプラムは嫌味っぽく付け加えた。タルトは苦い顔をして、
「されていたのはオレたちだろ。やられたからやり返しただけだ」
「それがいけないのですわ」
プラムはタルトから背を向けて洗面所に入った。その背中へとタルトは舌打ち混じりに「分からず屋が」と呟いた。プラムは聞こえていないようだった。ベッドにもう一度寝転がろうかと思ったが、血のついたシーツは使えない。新しいシーツを頼もうと部屋から出ようとした時、洗面所から悲鳴が聞こえた。プラムの声だ。タルトは急いで駆けつけた。
「どうした、プラム」
プラムはびしょびしょになった床を指で示して、呆然としていた。バスタブからお湯が溢れたのである。タルトは後頭部を掻きつつ、「まぁ」と口にした。
「これもあいつらに弁償させるか」
タルトは冗談めかして笑ったが、プラムは笑わなかった。
禿頭の男は部屋で待っていた。
他の仲間たちは少女たちの部屋へと向かっていった。禿頭の男は部屋にあるテーブルに両肘をついて項垂れていた。勇気がない、と髭面の男に罵られたことを思い返す。だが、少女たちを脅してそれで満足するようなことは果たして勇気だろうか。自分たちの痛いところを突かれたからといって、集団で押しかけて溜飲を下げようというのは最悪に性質の悪い下種のすることではないのか。もちろん、それを言うことは禿頭の男にはできなかった。やはり勇気がないのか。それとも正しいことをなそうとする心がないのか。あるいは両方だと思った。
もう寝よう、と思いソファに向かおうとした時、扉が開いた。目を向けると、少女たちを襲いに行った仲間たちが帰ってきていた。だが、少女たちから金を巻き上げたという風には見えない。髭面の男は二人がかりで運ばれているし、その腰巾着の痩せた男も一人が背負っている。何かが起こったのは疑いようもなかった。髭面の男の巨体を、二人が肩で息をしながらベッドへと乗せた。髭面の男は昏倒しているようだった。見れば、痩せた男も気を失っている。
「何があったんだ?」
その問いかけに、他の男たちは言葉に窮したように押し黙った。見れば分かるだろう、とでも言うように顎で失神している二人を示す。まさか、と思った。
「やられたのか。二人とも?」
言葉にすると、男たちはより陰鬱になって脇にあるゴミ箱を蹴りつけた。一人が悪態をつく。少女たちの部屋に強盗まがいのことをしに行って、何も盗れなかったばかりか、大の男二人がやられたのだ。それは屈辱だろう。だが、禿頭の男はそれ以上に二人を下した少女のことに関心があった。髭面の男はその見た目どおり、かなりの豪腕である。そんな人間をまともな少女が倒せるとは思えない。
ただの少女たちではない。何か、とんでもないものに自分たちは関わってしまったのだ。禿頭の男はその予感に、ごくりと唾を飲み下した。旅行鞄に刻まれていたあの文字。仲間内で話題に上がったことがある。自分の予想が正しいならば、あの二人は――。
禿頭の男は決心を固めた。