第四話 朝食は粛々と
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朝の穏やかな風がカーテンを揺らす。
射し込んでくる光がタルトを覚醒に導いた。少し冷たい風が眠っていた脳にひんやりと染み込む。タルトはそれでも起きるのが億劫で仕方がなく、シーツにくるまって寝返りを打った。覚醒と昏睡の狭間にある意識の中に、水音が微かに聞こえてくる。夢の中なのか、それとも現実なのかの判断がつかない。
タルトはもう一度、寝返りを打った。その時、ひたひたとベッドの脇を通っていく気配を感じた。慣れた気配に、すぐにそれはプラムだと分かった。プラムはカーテンを勢いよく開けた。今まで穏やかだった光が急に瞼越しに強く感じられて、タルトは「むむぅ」と呻った。
「起きなさい。もう一日は始まっていましてよ」
プラムの声にタルトは目を擦りながら、むくりと上半身を起こした。解いていた長い髪が顔にかかる。煩わしそうにそれを払って、壁にかけられた時計に目をやった。まだ朝の五時だった。タルトは「何だよー」と機嫌が悪そうに言うと、もう一度布団に潜り込んだ。
「まだ早いじゃんか。もう少し寝かせろって」
言った傍からもう夢の中に入ろうとしたタルトへと、プラムがつかつかと歩み寄り、布団を引っぺがした。タルトは眉に皺を寄せながらも、まだ起きようとはしない。
「目を覚ましなさい。五時でも立派な朝ですわ」
片目だけ開けてぼやけた視界の中にプラムの姿を認める。プラムは白いワイシャツを着て仁王立ちしていた。首にタオルを巻いている。スカートはまだ穿いていない。桃色のパンツが見えている。
「じゃあ、オレは立派じゃない朝でいい」
タルトは目を閉じて、シーツを自分の身体に巻きつけた。
「ふざけるのも――」
プラムが何かを振り上げる。タルトが薄目を開けると、白い何かがタルトの頭へと打ち下ろされた。
「大概にしなさい!」
鈍い音が響き渡ると同時に、痛みが脳天から足の爪先まで電流のように駆け抜けた。タルトがシーツを引き剥がして起き上がり、頭を抱えて蹲る。目の端には涙が溜まっていた。
「いってー! プラム、てめー、何しやがった!」
「別に大したことは」
そう言ったプラムの手にはヘルメットが握られていた。タルトがそれを指差して、「痛いだろうが!」と叫ぶ。
「ヘルメットで眠っている人間の頭を殴る奴があるか! チクショー、何だよ、イテェ。バカじゃねぇの? もしかして血ぃ、出てるんじゃ?」
「安心なさい。血は出ていません。加減しましたから」
「加減とかそういう問題じゃねぇの。ジョーシキで考えろ、ジョーシキで」
「常識が普段からなっていないタルトに常識を語られるとは思いませんでしたわ」
「てめー、皮肉か」
「事実ですわ」
プラムはショートカットの髪をかき上げて、憮然とした態度で言い放つ。タルトはまだ痛む頭を撫でながら、プラムの姿を上から下に眺めて、「それにしても」と口にした。
「普段からレディーたるものとかうるせぇのに、自分はそんな格好なのな」
「これは朝を迎えるレディーの正装です。本で読みました」
胸を張って言い切るプラムに、タルトはげんなりとしたように返した。
「……いや、絶対間違った情報だろ、それ」
プラムはタルトから見れば読書家で、潔癖症だ。眠る前には読書を欠かさない。尤も、タルトはその間に眠ってしまうのでプラムが読書をしている姿を見たことはない。ただ、よく本を持ち歩いていることは知っている。ポケットに入るサイズの文庫本だ。
昔の人間が書いた哲学書のようなもので、タルトはぱらぱらと読んではみたが、頭の奥が痛くなったのを覚えている。改行もしないし、言い回しが面倒な言葉ばかりが並んでいて、人間が書いた本とは思えなかった。プラムは一度読んだ本は一字一句忘れることがないらしく、不用になれば売って金の足しにしていた。だが、中古の本は決して手に触れようとはしない。そこがタルトには潔癖症に映った。タルトがよく読むのは、活劇絵本と呼ばれるものだった。キャラクターが所狭しと暴れ回り、何だかよく分からないが強そうな敵と殴り合いをする、というプラムに言わせれば「幼稚」な内容らしいが、タルトは本といえばそういうものばかり読んでいた。
「タルトも朝の正装にするべきですわ」
「遠慮しとく。オレ、そんな格好はしない主義なんだ」
「タルトに主義があるなんて思いませんでしたわ」
「あるんだよ、オレにも。それよかさ、腹へらね? オレ、昨日の軽い飯しか食ってないからさっさと朝飯食いに行こうぜ」
タルトが腹に手をやりながら提案する。プラムが腰に手を当てて、また「レディーたるもの」と言い始めた。
「お腹が空いても我慢するのが常識です」
その時、一際大きな腹の音が鳴った。プラムが目を見開いて、硬直している。タルトはプラムを見つめて、にやりとした。
「でもさ、腹の虫は押さえられない、だろ?」
プラムの色白な顔が一瞬のうちにカァッと耳まで赤くなり、腹を押さえながら、控えめな声で言った。
「そ、そうですわね。たまには欲求に従ってみるのもいいかもしれませんわ」
プラムが着替えを取りに洗面所へと向かう。タルトはその間に、とまたシーツにくるまって夢の船を漕ぎ出した。
タルトとプラムは一階の食堂へと向かった。二人とも昨夜と同じ服装である。旅行鞄を片手にプラムは朝食の席につく。タルトはまだ眠そうに目を擦りながら、プラムの隣に座った。給仕係の女がタルトとプラムの前にパンの入ったバスケットとスープをそれぞれ置いた。
焼きたてのパンの芳しい香りとコーンのスープから漂う湯気の二重奏が食欲をそそり、タルトは腹の虫が鳴き始めるのを感じた。早速スプーンを手に取り、食べ始めようとしたその時だった。
「タルト。ちょっとお待ちなさい」
「何だよ、プラム。お前も腹減ってんだろ」
タルトが不満そうにプラムに目を向ける。プラムはそれと分からぬほど小さく首を振って、水色の瞳で示した。その視線の先へと目を向ける。そこには昨夜の男たちがいた。タルトが気絶させた髭面の男と痩せた男も仲間の助けを借りながら席についている。その中の一人がこちらに気づいたようだった。
タルトが睨む目を向けると、気づいたらしい男は何も見なかったように視線を背けた。他の仲間たちも同様である。タルトとプラムがいることに気づいていながらも、見ない振りをしている。タルトは鼻を鳴らして、「ビビッてんのな」と呟いた。バスケットからパンを取り、乱暴に齧りつく。それを見たプラムが眉をひそめて叱責した。
「無作法ですわ」
「うっせぇよ、プラム。あんな態度取られちゃ、こっちだってイライラするっての。昨日の喧嘩を今日に持ち越すなんて男らしくねぇよ」
「あなたは女の子でしょう」
「だから?」とタルトは不機嫌そうに言った。スプーンを手に取り、スープを啜る。まだ熱かったのか、タルトは「あっちぃ」と舌を突き出して目の端に涙を溜めた。その涙を袖で拭いながら、「オレは許せとでも?」と尋ねた。
「男らしくないというのなら、の話ですわ。レディーでも、昨日のストレスを今日に持ち込むのは三流でしてよ」
「オレは二流だろうが、三流だろうが構わねぇよ。あいつらが気にいらねぇんだ。仕掛けたのはあっちだろうに、オレらを腫れ物に触るみたいに扱いやがって」
苛立たしげにパンに齧りつき、まだ熱いスープで無理やりそれを喉の奥へと流し込んだ。怒りをそのまま飲み込むように。だが、怒りはタルトの中で燻り続けるのか、それともスープの熱さのためだけか、タルトは目を硬く瞑った。また目の端に涙が浮かぶ。プラムはタルトの真っ直ぐな感情に、呆れたようなため息をついた。
「誰だって喧嘩に負けた相手の顔は見たくないものでしょう。あなただってそうでしょうし、一概に悪くは言えないものですわ。そんな風に真っ直ぐに考えられるのは、あなたが勝ったからであって、負けたらそんな風には考えられない。そうでしょう?」
「どうだか」と答えを濁して、タルトはまたバスケットからパンを取って齧った。プラムもパンを手に取った。タルトとは違い、少し千切ってからスープに浸して一口一口味わって食べる。それを見たタルトが悪態をついた。
「みみっちい食べ方しやがって」
「食事中ですわよ、タルト」
プラムが咎める。タルトはパンに齧りつきながら、鼻を鳴らした。
「だからどうだっていうんだよ。てめーのそういうところがムカつくぜ」
「お互い様ですわね。私もタルトのそういうところが癇に障りますわ」
「んだと」とタルトが苛立ちをそのままにテーブルを叩いた。木のテーブルが揺れて、すぐ傍の席に座っていた客が振り返ってこちらを見た。タルトはばつが悪そうに顔を背けて、黙々とパンを食べている素振りをした。プラムが小さな声で、タルト、と呼びかける。
「何だよ。食事中じゃなかったのか?」
「朝食を終えたら早いところ出立するとしましょう。これ以上面倒を起こすのが得策でないことは、いくら頭の回転の鈍いあなたでも分かるでしょう」
プラムが男たちへと目を向ける。何事か話しているようだった。ちらちらと二人を見ているのが分かる。また何か仕掛けてくるつもりかもしれない。
「だったら、その度にのしてやればいいじゃねぇか」
「暴力に訴えるのは短絡的ですわ。少しは争いを回避する方法を身につけなさい。面倒にはお金も時間もかかる。私たちは寄り道をしながら、ぶらぶらしているわけにはいかないんですのよ」
タルトは少し黙った。プラムはパンの一切れをスープに浸して、少しずつ食べている。タルトはスプーンでスープをすくっては戻しを繰り返していた。木でできたスプーンの端からスープが滴り落ちる。逡巡するような沈黙が流れた後、「わぁったよ」とタルトは短く言ってスプーンをスープの皿の底につけた。
「少しは学んだようですわね」
「面倒なら、減ったほうがいいだろ。それに越したことはねぇよ」
タルトはスプーンでスープをかき混ぜる。スープの中央に浮かんでいた山菜がばらけた。
「オレだって好きで喧嘩しているわけじゃねぇ」
タルトが口にした言葉にプラムは「どうだか」と返して、パンをまた少しだけ食べた。タルトは何も言わずに、その後は黙々と食べ続けた。半時間ほど経ってから男たちが食べ終わって動き出した。髭面の男が一瞬振り返る。
だがすぐに視線を逸らして、食堂から仲間を連れ立って出て行った。どうなるかと思っていたが、度胸も持ち合わせていなかったというわけか、とタルトは息をついた。ほとんど冷めたスープを飲み干し、タルトは立ち上がろうとした。プラムは最後のパンを食べている途中だった。
その時、二人に近づいてくる者がいた。禿頭の男だった。昨夜カモにされていた男だとタルトは思い出し、「あんたは」と声をかけた。プラムも気づいて顔を上げる。禿頭の男は「昨日はどうも」と腰を低くして話し始めた。
「あんたら、私の仲間二人を倒したんだよな」
「あん」とタルトは舌打ち混じりに喧嘩腰で食いかかった。
「だったら何だよ。そのお仲間二人の敵討ちでも取ろうって言うのか?」
タルトの言葉に禿頭の男は両手を開いて、「とんでもない」と口にした。
「あんたらのおかげで私は給金を全額失わないで済んだ。恩人だよ。これで家族を養える。お礼が言いたかったんだ。ありがとう」
禿頭の男は頭を下げた。タルトは「いや、別に大したことはしてねぇって」と少し顔を赤くして謙遜気味に言って手を振るった。すると、食べ終わったのかプラムが立ち上がり禿頭の男を見つめて口を開いた。
「それだけですか?」
タルトはきょとんとした。禿頭の男も少し戸惑っている様子だ。タルトはプラムの背中を叩き、「何言ってんだよ。礼を言ってくれてるんだぞ」と耳打ちする。プラムはタルトを片手で制して、もう一度、禿頭の男へと言葉を発する。
「それだけじゃないでしょう。いくら恩があっても、仲間を倒した人間に礼を言うのはおかしいですわ。何か裏があるのでしょう」
「おい、プラム。何、疑ってるんだよ。このオッチャンは――」
「タルトは黙って」
ぴしゃりとタルトの言葉を遮って、プラムは言った。タルトは唇を尖らせて「何だよ」とぶつぶつ言いながらも気圧されたように黙った。プラムは「何がお望みですか」と禿頭の男に促した。禿頭の男は後頭部を掻きながら、「お見通しというわけだな」と呟いて、真っ直ぐにプラムを見つめ返した。
「頼みたいことがある。あんたらの旅行鞄に刻まれている文字を見た。『MAGIA』の文字の上に『否定』を示す一本の線。あんたら、『魔術師狩り』だろう?」
プラムが息を呑んだのが伝わってきた。タルトは朱色の瞳に警戒の色を浮かべた。プラムが「何のことだか」ととぼけようとするも、禿頭の男は「知っているんだ」と返す。
「仲間内で何度か噂になった。その文字のことも、その時に聞いた。本当にいるとは思わなかったけどさ、あんたらにしか頼めないことなんだ。だから、お願いだ。この通り」
禿頭の男は床に頭をこすり付けて土下座した。それに気づいた宿泊客たちが怪訝そうな目を向ける。プラムが迷惑そうに「ちょ、ちょっと待ってください」と声を出すもそれが余計に客たちの関心を高めることに繋がってしまう。禿頭の男が土下座をしたまま、
「どうか、妻と娘を! 助けてくれ! 頼む!」
必死に叫ぶ声に、給仕係が駆け寄ろうとする。その時、タルトが歩み出て手で給仕係を制した。給仕係は困惑しながらもタルトの朱色の瞳に射られたようにたじろいで、そのまま身を翻した。タルトは禿頭の男の肩に手を置き、静かに耳打ちする。
「事情は外で聞く。ここじゃ、人の目がありすぎる。とりあえず落ち着いて。立ってくれ」
タルトの言葉で禿頭の男は我に返ったように顔を上げた。プラムのほうへとタルトが目を向けて顎で外へ行くように示す。プラムは頷いて、タルトと禿頭の男と共に食堂から去った。食堂の中は暫く三人の背中を眺める視線があったが、やがてそれぞれの食事や生活の中へと没頭して行った。