第七話 魔術師たるもの、如何にするべきか
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魔力による干渉波が肌を粟立たせる。
次いで針を刺しこまれたような鋭い痛みが一瞬走った。
その感覚に目を開けると、ベッドの隅にある無数の水晶玉のうち一つが亀裂を生じさせていた。それに触れようと手を伸ばすと、目の前で水晶玉は音を立てて縦に割れた。差し出した指を強張らせる。
ベッドから人影がぬっと立ち上がった。長身の女である。肉付きのほとんどない身体で、髪は長く青みがかっている。切れ長の眼を伏せて、女は今しがた割れた水晶玉に触れた。紫色の瞳が水晶玉の内側を覗きこむように細められる。すると、水晶玉の内側に紫色の霧が生じた。霧は亀裂から僅かに漏れるが、水晶玉の中に留って蠢いている。怨嗟の声のように粘り気のある霧が揺らめく度に、女は口元に張り付かせた乾いた笑みを深くした。
使い魔を魔力によって飛ばしているが、よっぽどのことではない限り映像が水晶玉に受信されることはない。元々、使い魔の発信する魔力というのは微弱で、ほとんど映像にならない。それを可視化するには、女のように術者本人が浅い眠りについて使い魔の魔力を受け取る「幻視」の状態になるか、水晶玉に記録させるかしかない。平時では、術者本人に流れる魔力によって感覚器が阻害されてしまうからだ。
魔力は体内に流れるものと体外に存在するものの二種類がある。体外の魔力を使って魔術を発動させる場合、術者が魔力を纏う状態になるために外からの魔力情報は伝わりにくくなる。そのために、水晶玉に覚えさせるのが一番効率的であった。その水晶玉が割れ、さらに魔力の干渉波も感じたとなれば女はある一つの可能性を思い至らずにはいられなかった。
「何者かが使い魔に気づいて、破られたか。ならば、その者とは」
老婆のように掠れた声で呟き、指揮をするように手を振り上げる。それに反応して霧が水晶玉から舞い上がった。水晶玉から漏れ出した霧は粒子となり、部屋を照らす。部屋には割れたものと形状は同じだが、大小の水晶玉が転がっている。
それらが紫色に光り輝き、それぞれから光の帯を伸ばして一点へと集約させる。その光に水晶玉の合間を縫うように這い進んでいた掌ほどもある蜘蛛の群れが驚いて引き返した。
中空へと粒子が集まり、集まった光と合わさっておぼろげながら映像が浮かび上がった。切れ切れではあるが、使い魔の見た景色が映し出されている。その中に見慣れない二人の少女が入ってきた。む、と短く呻り映像に手を翳す。すると、映像が止まった。女は紫色の瞳でじっと見据える。
「こいつらは、何だ?」
翳した手をそのまま右へと移動させた。すると映像が数秒ごとに切り取られて動いた。黒い服と白い服を着た二人組の少女。
髪の長い、黒いほうの少女からはほとんど魔力が感じられない。その証拠に、鮮明に映っている。使い魔の視界で記録できるのは、自分よりも魔力の低い相手だけだ。相手の魔力が高ければ高いほど、使い魔の視界は悪くなる。使い魔などの遠隔操作系の魔術に対して、自動的に防御する魔術を使っているからだ。
白い服の少女の輪郭は少しぶれて見える。魔力を使っている証拠だったが、平時から魔力を使っているとはどういうことなのか。通常、魔術師は相手に気配を悟られないように体内から放出される魔力を極端に抑えているものである。
これは魔術師の基礎中の基礎で、相手に悟られれば魔術師は敗北するしかない。というのも、魔術師の勝負というものは真正面からの一騎討ちでも何でもなく、騙し討ちが勝敗を決するからである。いかにして相手に気取られず、近づかずして相手を討ち取るか。魔術師の勝負はそれに尽きる。人に見られれば効果が激減する魔術も多いのだから、それも当然だろう。
相手の魔力を正確に読み取り、こちらの魔力量をかく乱させる。それが全ての魔術の闘争における基本戦術である。内在する魔力が高すぎて景色を歪ませる魔術師もいると聞くが、そんな存在は稀だ。加えて、白い少女がそれほどの使い手とは思えない。かく乱のために魔力を消費しているのか、と当たりをつけて女は映像を進ませた。白い少女が視界の端にあるベッドへと歩み寄り、そこで何かに触れている。女は部屋にある水晶玉に視線を向けた。
〝傷〟を司る水晶玉は鈍く輝いており、魔術が正確に行使されていることを示している。この家の母親と娘に同じ魔術をかけたのだ。傷口から魔力を注入し、体内の魔力量と体外の魔力量を著しく変化させ膨張させる呪いである。膨れ上がり、破裂した皮膚は壊死する仕組みになっており、これを生かさず殺さずの配分で行っていた。母親に標的を絞っていたために、娘にまではまだ完全に魔力を注ぎきれていないが母親が死ねばいずれ娘にも同じ呪いがかかる。
女の魔術は〝傷〟が大前提にあるからだ。それは別に身体の傷でなくとも心の傷であっても構わない。その傷口が魔術行使の条件となる。どうやら白い少女は母親の皮膚へと触れているようだった。魔力の量を探っているのだろう。何事かを語っている。弱い使い魔なので声までは録れていないが、恐らく体内と体外の魔力が違うことに気づいたのだろう。
黒い少女は椅子に座ったまま、退屈そうにしている。黒い少女からは一切の魔力が感じられない。女は違和感を覚えた。普通の人間でもこれほどまでに魔力の流れを感じられないのは希少だ。いや、ないと断言してもいい。女は唇の形を指先でなぞり、「どうなっている」と呟いた。
その指先が唇の端へと到達する直前に、女は犬歯で指を切った。血が丸い玉となって滲む。その血を映像の中の黒い少女へと押し当てた。黒い少女の輪郭を赤が縁取る。魔力の量を調べているのである。女は指先を当てたまま、口中で呪文を唱えた。
相手の魔力を測るごく初歩的な呪文だ。その結果が女の傷口から脳へと直接伝達される。女は驚愕したように目を見開いた後、「だが」と映像をそのまま横滑りさせた。白い少女が左手を差し出したのと同時にその輪郭がほとんどぼやけて消えている。
黒い少女が櫂のようなものを取り出した。女には分かる。あれは魔力の塊、魔道具だ。女が用いる水晶玉とほとんど同じ効果がある。いや、攻撃性能だけを見るならば遥かに櫂が勝っている。黒い少女の輪郭が急にぼやけた。赤い輪郭が形を崩したかと思うと、視界を朱色の櫂の先端が真っ二つに貫いた。女は押し出されたように後方へと弾き飛ばされる。女の身体を先程まで使っていたベッドが受け止めた。
映像が途切れ、また紫色の粒子となって水晶玉に戻ってゆく。女は身体を起こしながら、「なるほど、そういうことか」と口にする。
「黒い奴に魔力の流れが感じられない理由は分かった。奴らが二人でいる意味も。しかし、何者なんだ。わたしが気配を完全に殺しているのに気づくということは相当な使い手であることは確かだが……」
言葉を濁して口元に手をやって考える。その時、背後に気配を感じて女は振り返らずに応じた。
「お前か」
『アトラク様。どうかなさったので』
くぐもったようなその声は掌ほどもある蜘蛛から発せられていた。使い魔を使って声を通わせているのだ。向こう側にも女――アトラクの放った使い魔の蜘蛛がいるはずだった。
「何でもない。それよりもお前、最近あの町で変わった奴らを見かけなかったかい」
『はぁ、変わった奴らですか。それなら見かけましたよ。黒い服と白い服のガキでさぁ』
「そいつらに心当たりは」
『心当たりと言いますか。そいつらとはもう因縁がありますので』
「なんだ、もう知り合いだったか」
『ええ、賭けの最中にちょっと。その後は情けなくって言えませんがね』
アトラクは鼻を鳴らして、「ならば」と言葉を発した。
「そいつらの行方ぐらいは分かるのだろうな」
『へぇ、少しお待ちいただければ。すぐにでも』
「急げ。分かり次第、使い魔に吹き込め。わたしもすぐに向かう」
アトラクが立ち上がり、乱れたローブを直した。その背へと意外そうな声がかかる。
『アトラク様、直々にですか』
「不満か? それとも、わたしが見ていないうちに何か他の悪事でも考えたか?」
『め、滅相もございません』
使い魔越しでも相手が平伏しているのが分かる。アトラクにとってしてみれば、田舎町の人間をたった一人殺すくらいは造作もない。たとえ、どれだけ腕が立っていようが悪事に長けていようが、魔術師の前では全て児戯に等しい。完全なる支配の上に成り立っているという満足に、アトラクは口元の笑みを深くした。
「冗談だ。お前にそれほどの度胸があるとは思えん。信頼はしている」
裏切らなければ、という言葉を付け加える。相手はさらに腰を低くした。
『当たり前でございます。アトラク様を裏切るなど、そんなことは、決して』
水晶玉を一つ手に取り、アトラクは振り返った。掌大の蜘蛛とはいえ、生きるも殺すも自分の胸のうち次第である。命が手の上に乗っているという充足はアトラクの心を満たすに足るものだった。だが、一人程度の命では面白くない。いずれは田舎町を皮切りに支配の手を伸ばす。そのための配下だった。
一手となりうる人間一人も思い通りに動かせなければ魔術師の恥だ。その点で言えば、この部下は忠実でありアトラクの名誉を決して汚すものではなかった。ただ、人間性が気に食わないという一点のみが懸念としてあったがそれは放っておけばいいと感じていた。駒に感情は不要だ。支配と従属の関係性さえ壊れなければいい。
「分かっているのならばいい。お前は二人組の居所が知れればすぐに報せろ。いいな、隠し立てはお前のためにならない」
『承知しております』
その言葉を境に、蜘蛛から声は聞こえなくなった。アトラクはその蜘蛛へと手を差し出した。蜘蛛が足をうねらせて、指先から掌へと這い上がってくる。掌に収まったところで持ち上げて、アトラクはその蜘蛛を握り潰した。
紫色の血液が飛び散り、ベッドや水晶玉についた。アトラクが手を広げると、掌へと血が渦を巻いて凝固し、塔のように屹立している。徐々に伸びてゆくそれの中腹を掴むと、飛散した血が集まりあっという間に長い杖と化した。固まった血でできたかさぶたの杖だ。
下方が尖っており、上方は鳥の鉤爪のように三つに分かれていた。その部分へとアトラクは水晶玉を置く。鉤爪が水晶玉に食い込み、杖と水晶玉が一体化した。アトラクは杖で床を一突きした。すると、突かれた部分を中心軸としてねじられながら紫色の円が発生し、次いで菱形がその内側に生じて、最後に三日月の紋様が浮かんだ。移動用の陣だ。円は空間を、菱形は方角を、三日月は属性を示している。
「奴の報告を待つ時間も惜しい。久しぶりに楽しませてくれそうだからな」
アトラクの首筋から何かが這い出て、頬へと至った。それは小さな蜘蛛だった。その蜘蛛が口角へと進み出た瞬間、乾いた笑みをさらに深く刻んで、アトラクは言った。
「行こうか。魔術師同士の、闘争の場へと」
もう一度杖で床を突くと、アトラクの姿は紫の光に包まれてその場に微かな粒子だけを残して消えた。