小瓶を翳して、タルトは「むぅ」と呻った。底には紫色の粉がある。硬く木製の蓋で閉ざしてあるが、先程までよりも少し量が減っていた。プラムが解析に用いているためだ。
二人は民宿へと戻っていた。まだ金があるために、少しばかり贅沢をしようと言ったのはプラムだった。タルトはその提案に意外そうな声を出した。
「お前、贅沢は最大の敵なんじゃなかったのかよ」
「事と次第によりますわ。どこかのお宅にお邪魔して、そこで解析をするわけにもいかないでしょう。汚してもお金で解決できますし、部屋に入っている間は誰にも干渉されない。一番適しているじゃありませんか」
「まぁ、そう言われてみるとそうなんだけどよ」
タルトは言葉を濁した。タルトの言葉尻に籠もる感情を水色の瞳が鋭く察する。
「まさかまた、喧嘩をしてしまうかも、とか思っているんじゃないでしょうね」
「そ、そんなわけないじゃんよ!」
「目、泳いでますわよ」
その言葉にタルトは思わず目へと手を伸ばして、はたと気づいた。プラムが冷たい視線を送っていた。
「やっぱり、そう思っているのですわね」
「てめー、はめやがったな。ずりぃぞ、こらー!」
タルトがいきり立って反発する。それを事もなさげにプラムは片手でいなした。
「すぐに顔に出るのが悪いんですのよ。いいですか、タルト」
プラムが立ち止まる。振り返ってじっとタルトを見つめた。
「つまらないことで諍いを起こしたら、今度からはもう責任を取りません」
「てめーが責任を取らねぇのは元からじゃねぇか」
「そういう意味で言っているのではありません。もう面倒を見きれない、と言っているのですわよ」
キッと強い眼差しがタルトに突き刺さる。タルトはばつが悪そうに少し視線を逸らしながら、
「お、おう。分かってらぁ」
「本当に?」
プラムが下から覗き込んでくる。タルトは目を合わさないようにしながら笑ってみせた。
「おお、マジだって」
プラムの視線が射るように冷たくなる。タルトは引きつった笑いをそのままに、プラムから顔を背けた。
「そ、そろそろ行こうぜ、プラム。解析とやらは時間がかかるんだろ」
その言葉でようやくプラムはタルトから視線をずらして太陽を仰いだ。岩壁に阻まれて太陽が見えるわけではない。だが、陰のつき方から位置は分かったようで、プラムはそちらへと目を向けた。
「ええ、少しばかり。多分、夕方くらいになるでしょうね」
「そ、そうか」
「今、ホッとしたでしょう」
「してねぇって! 疑うのかよ」
「疑われることをしているのが悪いんですわ。行きますわよ、タルト」
プラムが歩調を速めて、タルトの前に出る。タルトはその背中を追った。
「ちょ、急に速いっての」
そうやって民宿に辿り着いたのが一時間前だ。タルトはプラムがバスルームで解析している間、小瓶を眺めていた。照明越しに見つめると、粉も大きい粒と小さい粒に別れているのが分かる。タルトは目を細めて小瓶を振った。
小さい粒が舞い上がったが大きい粒は底についたままだ。重さも違うことが分かる。元々は一つの魔力の塊だったものなのに質量が違うというのは、そこに込められている魔力の量が違うためだ。ガスと同じで、魔力の含有量が多ければ多いほど空気よりも下に溜まる。恐らく使い魔を構成する表皮や内臓は適当に作っておいて、視覚に重きを置いていたのだろう。
つまり小瓶の底にあるのは眼の一部だということになる。タルトは何だかまだ見られているような気がして、手を下ろした。ベッドに大の字で転がり、バスルームへと声をかける。
「プラムー、まだかー」
「まだですわ。そんなに早くできるわけないでしょう」
「でもよ」
タルトは壁にかけられた時計に視線を向けた。ちょうど正午を回ったところだった。タルトは上半身を起き上がらせて、腹を押さえた。
「もう昼じゃん。腹減らね? 飯にしようぜ」
「そんな暇はありませんことよ。夕方までに解析したければ、今は食事を取っている場合ではありません」
「飯は大事だぞ」
タルトが唇を尖らせて言った声もプラムは冷たくあしらった。
「必要ありません。朝食べた分で夜まで持ちます」
「マジかよ。あんなちょっとしか食べてないのに持つの? 相変わらず意味不明な胃袋してんな」
「意味不明なのはあなたのほうでしょう。すぐにお腹が減るようでは、いざという時どうにもなりませんことよ」
「別にいざという時とかねぇしな」
その時、ドアをノックする音が聞こえた。プラムが「出てくださる?」と言うのでタルトはベッドから飛び起きて、ドアを開けた。給仕係らしい女が片手にソーサーに乗ったグラスを持っていた。水色の液体で満たされている。炭酸飲料だろうか。「頼んでないけど」と言うと、給仕係は「お連れ様へ」と告げてそれをタルトに手渡しさっさと行ってしまった。
何なのだ、と訝しげな視線を向けつつ、タルトはドアを閉めて部屋にある小さな丸いテーブルに置いた。
「何か、お前にだってよ」
「私に? 誰が、何を?」
「知らねぇって。何かソーダみたいなの。カクテルって言うんだっけか? そういう奴だよ。オレ、炭酸苦手だからパスな」
そう言ってタルトはまたベッドに横になった。プラムの声が返ってくる。
「誰もあなたにあげるとは言っていませんわ」
「じゃあ、さっさと飲んじまえよ。オレは飲みもんより飯が食いてー」
「そんなに言うのなら、タルトがやりますか? 鞄の中に初心者でもできる魔術痕の解析用の種がありますわ。魔術の痕跡に呼応する種で、イチランソウという極北の花から一つまみしか取れないもので、スイカの種に似た形の――」
「えー、めんどいってーの」
タルトは足を上げてバタバタとさせた。タルトの声に、プラムは大きなため息をついて、だったら、と口にした。
「一人で食べてきてはいかが?」
プラムの言葉にタルトは返事を窮したように「え、でもさ」と上体を持ち上げて俯きがちに答えた。
「ほら。あれ……」
「距離は大丈夫でしてよ。それとも、タルトは一人で食事もできないのかしら?」
プラムの言葉にタルトはベッドの上で立ち上がって、バスルームに向けて大声で叫んだ。
「お、オレがそんなこと言うわけねぇだろうが! てめー、適当なこと抜かしてんじゃねぇよ! ならいいぜ。オレは一人で食ってくる!」
「ご自由に」とプラムの冷たい声が聞こえてくる。タルトは歯噛みしながら、ベッドから飛び降り、ドアへと歩いた。半分だけ廊下に出てから、
「本当に一人で行くからなー! いいんだなー!」
「ええ。どうぞ」
プラムは全く声の調子を変えずに返した。タルトは「むぐぐ」と声を詰まらせて、「もういい!」とドアを思い切り閉じた。破裂したような激しい音がしたので、もしかしたら壊れたかもしれないが構いやしない。
一緒に来ないプラムが悪いのだ、と自分の中で言い訳を作った。タルトは額に皺を作りながら、拳を握り締めて早足で歩き出した。どうにも落ち着かない。澄ました顔のプラムが気に入らない。どうしてなのだろうか、と考えていると頭の中にメイアとエイミの顔が浮かぶ。紫色のただれた皮膚とそこから滲む血が嫌でも網膜の裏にちらつく。母親だけだった。
だが、娘もいつあのような姿になるか分からない。それに母親だけならばいいという話ではない。アレンは必死に自分たちを説得していた。妻と娘を救うためにこんな小娘に頭を下げたのだ。それは並大抵のことではできない。いくら劣等感の塊でも、いや劣等感を持っているからこそ、それは屈辱となるはずだった。それでも救いたいと、心の底から思っているのだろう。
それに答えないのは、不義理ではないか。救えるだけの力あるというのに。今すぐにでも、使い魔を操り母子を呪った魔術師の下へと走り出し、この手で捻り潰してしまいたかった。今の自分には力があるのだ。ならば、できないことはないはず。
――あの時のように。
タルトの記憶の片隅から空を焦がす赤い光が漏れ出し、思考を炎の色で染め上げようとした刹那、はたと気づいて足を止めた。
「オレ、同情してんのか」
同情で動くのは惨めだとプラムに諭されておきながら。いつの間にか私怨で動こうとしていた。落ち着き払って事態を客観的に眺めようとしているプラムに苛立ちさえ感じていた。タルトは自身の手へと視線を落とす。小さな手だ。柔らかな少女の手である。これでどうしようと言うのか。救えるのか、本当に。浮かんだ疑問にタルトは「違う」と呟いた。
「オレは、救えるんだ。たった一人でも。そのために、オレは」
だが、プラムは二人でいる意味を忘れるなと言った。その言葉が胸の中で重くわだかまろうとしたが、タルトは鼻を鳴らしてその言葉を打ち消した。
「知るもんか」
タルトは階段を降りて食堂へと向かった。既に昼食の準備がされている。数人の宿泊客が、朝のアレンとのやり取りを覚えていたのか視線を向けた。タルトは一睨みでその視線を追い払い、朝と同じ席にどんと座った。足を組んで自分の爪を見ながら、焦れたように片手の人差し指でテーブルを叩く。いつもならばプラムが咎めるところだが、今はそれがない。タルトは舌打ちをした。
「調子狂うぜ。おい、そこの」
給仕係を呼び出して、昼食のメニューを取ってこさせる。タルトはさっさとメニューを決めて、給仕係を帰らせた。給仕係はおどおどした様子で、不安げにタルトを見やっている。
金ならある、とタルトは言い含めた。給仕係は何も言わなかったが、目に見えてほっとしたのが分かった。気分が悪い。子供だからって嘗めてかかって。タルトは喚きたい気分だったが、ここで騒ぎを起こせばその金も出ないのだ。
ぐっと堪えて、タルトは給仕係の背中を見送った。落ち着きのない眼を周囲に向けながら、タルトは腕を組んで貧乏ゆすりを始めた。すると、視界の隅に知った人影が映った。髭面の男だった。まだ民宿に泊まっていたのか。昼食を取ろうとする様子もなく、入り口付近で棒立ちになってタルトをじっと見ている。タルトが睨み返すと、髭面の男は片手で手招いて食堂を去った。どういうつもりか知らないが、どうやら来いということらしい。タルトは口元に笑みを浮かべて、
「喧嘩かよ。まぁ、売られたんじゃ仕方ねぇよな」
立ち上がって、髭面の男の背中を追い食堂を出ようとした。途中、先程の給仕係とすれ違い、「飯、いらねぇから」と言い置いた。給仕係は目をぱちくりとさせていたが、放っておいて髭面の男をタルトは追った。
今は満腹になるよりも、落ち着きどころが分からない気持ちを晴らしたい。髭面の男はちょうど民宿を出たところだった。入り口にいる民宿の主に「連れがいるから」と一応言って民宿を出た。髭面の男は離れた場所からタルトが出て来るのを見ていた。タルトがそちらに目をやると、駆け出した。
「待ちやがれ」と走って後を追う。髭面の男が角を曲がった。タルトは一心に追いつこうとペースを上げて角を曲がろうとした。
瞬間、銀色の鈍い輝きがタルトの頭上から振り下ろされた。それに気づいて身をかわそうとする間もなく、タルトの頭上へと髭面の男が振るった工具が命中した。脳天から痺れるような鋭い痛みが走り、視界がぶれ意識が薄れてタルトはその場に倒れ伏した。
倒れたタルトを髭面の男はじっと見下ろしていた。手には作業用の工具が鈍い光を放って握られている。髭面の男はタルトを足先で何度か突いた。反応はない。気を失っている、と判断したのかその場から立ち去ろうと身を翻しかけて、その足を止めた。
タルトの指が髭面の男のズボンの裾を掴んでいた。
「……待てよ、オッチャン」
絞り出したようなタルトの声が聞こえる。髭面の男は振り返り、倒れているタルトへと視線を落とした。タルトは顔をゆっくりと上げて、痛むのか片手で頭を抱えていた。
「騙し討ちは卑怯じゃんか、よっ!」
タルトがズボンを掴んだ手を思い切り引っ張った。髭面の男はまさか倒れている少女に逆に倒されると思っていなかったのか、容易に滑って地面に身体を打ちつけた。タルトが入れ違いになるように立ち上がる。少しふらついていた。視界も常に揺れているように悪い。
タルトの頭からヘルメットが二つに割れて片方が落ちた。猫耳のヘルメットが見事に断ち割られている。相当な力で殴られたようだった。タルトは掴んでいた指を汚らわしそうに外して、腹を蹴りつけた。髭面の男が地面を転がる。苦しげに呻く声が聞こえたが構いはしなかった。
相手は自分を襲った人間だ。情けなんてかけるものではない。タルトは倒れている髭面の男へと歩み寄ろうとして、足を止めた。気配だ。それも一つや二つではない。首を巡らせ周囲に視線を向ける。建物の陰から昨夜の男たちが現れた。アレンを除く全員だった。手に手に工具や武器になりそうな金具を握っている。
「おいおい。オッチャンら、仕事はいいのかよ。今日は労働者の祝日だったか?」
冗談めかして言っても、笑いなど返って来るはずもなかった。男たちは臨戦態勢だ。タルトは目で人数を数える。全部で五人。昨夜は二人だけだったのと、屋内で動きが制限されているために容易に対処できたが、相手のほうが住み慣れている場所でさらに個々の動きが見えにくい屋外である。
――さばききれるか。
タルトは一瞬のうちに倒すための策を巡らせようとした。その前に、先程蹴った髭面の男が立ち上がり、雄叫びを上げながらタルトへと突っ込んできた。
工具が中天に昇った太陽の光を反射して輝き、かわすことを考えていなかったタルトの頭へと打ち込まれる。そう思われたが、タルトは他の四人に視線を向けたまま、振り上げた片手を拳に変えて髭面の男の顔面へと叩き込んでいた。髭面の男は鼻血を放射線状に噴き出しつつ、後ずさった。血で汚れた熊のような顔と、他の四人とを交互に見てからタルトは言葉を発した。
「めんどくせぇ。オレには策なんてやっぱいらねぇや。全員で来いよ。力の差を見せてやるぜ」
片手を突き出し、手招きする。その言葉で弾かれたように、四人の男が獣のような叫び声を上げながらタルトへと一斉に襲いかかった。タルトは目を細めて、薄く笑みを浮かべた。