八千年の孤独 作:40代目稗田阿礼
第二話 意味
「わたしはオオムナヂといってね。君の名前を聞かせてもらえるかい?」
少しだけ間を置いてから、かぐやは答えた。
「……かぐや」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに揺れた気がした。
風でもない、音でもない、ただよくわからないなにかがそこに触れたような感覚。
「おお、かぐやか!いい名前だ」
男は大げさなほどに目を見開き、感嘆の声をあげた。
まるで心の底から感動しているかのような、しかしどこか芝居がかった声音。
どうにもうさんくさい。
大げさな身ぶり手ぶりといい、張り付けたような笑みといい、どこを取っても信用してはいけないと本能が告げている。
それでも、その場から立ち去る気にはなれなかった。
妙に、引っかかるのだ。
「……ねえ」
気づけば、もう一度声をかけていた。
「なんだい?」
「その荷物……中身は?」
ほんの少しだけ、興味が勝った。
男は足を止め、ゆっくりと振り返る。
さっきまでの軽い調子とは違い、ほんのわずかにだけ、目の奥の色が変わった気がした。
「中身、か」
小さく呟いてから、肩の荷を軽く叩く。
「たいしたものじゃないさ。兄たちの旅の支度 まあ、ついでにわたしの役目も入っている」
「役目?」
かぐやが首を傾げると、オオムナヂは少しだけ困ったように笑った。
「聞いた話でしかないんだがこの先でね、少しばかり“助けを求めているもの”がいるらしくてね」
「助け?」
「うん。もっとも、兄たちは助ける気なんてないみたいだけど」
さらりと言う。
だがその言葉には、わずかな棘が混じっていた。
「どうもね、ひどい目にあっているらしい。騙されて、傷ついて、もうどうにもならないところまで追い詰められている。いやあもしかしたら助けるつもりが身ぐるみ剥がされちゃうかもね!」
風が、ひときわ強く吹いた。
「……それでも、行くの?」
かぐやの問いに、オオムナヂは迷いなく頷く。
「行くとも!」
その答えは、驚くほどあっさりとしていた。
「だって、困っているんだろう?」
まるで当然のことのように。
「騙されたとしても?」
「それでもさ」
少しだけ間を置いて、彼は続ける。
「騙すほうが悪いのか、騙されるほうが悪いのか、そんなことはどうでもいい」
静かな声だった。
さっきまでの軽薄さは影を潜めている。
「目の前で苦しんでいるなら、それを見過ごさない理由にはならないだろう?」
かぐやは何も言えなかった。
ただ、その言葉が妙に胸に残る。
「……変なの」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。
オオムナヂはまた、いつもの調子で笑う。
「そうだね。だから荷物持ちなんてやらされているのかもしれない」
「ふうん⋯⋯」
少し間ができる。どうにもこの男、うさんくさい雰囲気とは裏腹に、意外と善性の人間らしい。
「じゃ、かぐやもついてっちゃおうかな?」
「おや?」
どうやら少しは意表をつけたのか、少しばかり驚いた顔をのぞかせた。
「どうせかぐやもやることないしね。ちょっと面白そうだし」
「……本当に?」
オオムナヂの声には確かな驚きが滲んでいた。荷物を背負い直しながらも、今度の視線は真剣だった。
「もちろん冗談のつもりで言ったわけじゃないよ。本当に来てもらうなら 」
言いかけて彼はふと言葉を切り、空を見上げた。月が雲間に隠れていた。
「……まずは君にいくつか確認しないとね」
「何を?」
「長旅になるかもしれないということ。それに、もし『助けを求めているもの』が本当に助けを必要としていても……手遅れかもしれないこと」
その言葉にかぐやは微かに息を詰めた。手遅れ。何度も見てきた光景だ。
でも違う。
今回は自分の意志で選んだ旅なのだ。
「構わないよ」
淡々とした口調で応じる。
「それにね」
精いっぱい上を見上げ、オオムナヂの目を見ながら続ける。
「かぐやの方が、オオムナヂよりずっと長く生きてるんだから。知らない土地や危険なんて、いくらでも見てきたよ」
「⋯⋯ふむ?それは頼もしい限りだ」
オオムナヂはうなずき、荷袋を担ぎなおした。
「では参ろうか、かぐや殿?」
軽い調子のまま、オオムナヂは歩き出した。
かぐやも、その隣に並ぶ。
旅は、思っていたよりも静かだった。
会話は多くない。けれど、不思議と気まずさはない。
ただ歩く。
ただ進む。
時折、オオムナヂがどうでもいい話をする。
兄たちのこと、昔の旅のこと、くだらない失敗談。
かぐやも、それに応答するように様々事を話し始める。
彩葉のことやこれまでに出会ってきた人間のこと、そして月からやってきたということ。
オオムナヂはかぐやが話しているあいだ、静かにそれを聞いているだけだった。
――けれど。
その時間は、確かに“孤独”ではなかった。
やがて、目的の場所へ辿り着く。
そこには――
何も、残っていなかった。
波に削られた跡だけが、静かにそこにあった。
遅かった。
それだけは、はっきりと分かった。
「……そうか」
オオムナヂは、それ以上何も言わなかった。
悔しがるでもなく、
怒るでもなく、
ただ、受け入れている。
「……手遅れ、だったね」
かぐやの声は、どこか乾いていた。
オオムナヂは、小さく息を吐く。
「そうだね」
否定しない。
少しの沈黙。
波の音だけが、繰り返される。
「……意味、あったのかな」
ぽつりと、かぐやが呟く。
「間に合わないなら、来る意味なんてなかったんじゃない?」
その言葉に、
オオムナヂはゆっくりと振り返った。
「いいや、意味はあったとも」
即答だった。
かぐやは、わずかに目を見開く。
「間に合わなかったことと、来た意味は別だ」
静かな声だった。
けれど、確かな重みがある。
「助けられなかった。それは事実だ」
「でもね」
一歩、波打ち際へと進む。
「君は“来なかった自分”にはならなかった」
その言葉は、
まっすぐに、刺さった。
「選んだだろう?」
「行くって」
「それで十分なんだよ」
風が、ゆっくりと吹く。
「結果でしか自分を測らないとね、何もできなくなる」
「どうせ間に合わないかもしれない」
「どうせ失うかもしれない」
「――だから動かない」
「それが一番、つまらない」
オオムナヂは、かぐやの方を見た。
いつもの軽さは、そこにはなかった。
「君は違うだろう?」
かぐやは、答えられない。
けれど、
胸の奥で、何かが確かに変わっていた。
「……それにね」
ふっと、いつもの調子に戻る。
「全部背負おうとしなくていい」
「助けられなかったものも、失ったものも」
「“自分が壊れるまで抱えるもの”じゃない」
「置いていきなさい」
「必要なら、また拾えばいい」
あまりにも軽く、
けれど乱暴なほど優しい言葉だった。
「……そんな簡単にできないよ」
かぐやの声は、小さい。
オオムナヂは笑う。
「知ってるよ」
「だから“できるようになる”んだ」
しばらくして、
オオムナヂは背を向けた。
「さあて、と」
「それではわたしはここまでだ」
「……え?」
あまりにも突然だった。
「兄たちのところに戻らないといけなくてね」
軽く手を振る。
「かぐや殿は、どうする?」
問いかけ。
けれど、その答えはもう決まっているようだった。
かぐやは、少しだけ俯いて、
それから顔を上げる。
「……行くよ」
「一人で」
オオムナヂは、満足そうに頷いた。
「うん。それでいい」
そして最後に、
ほんの少しだけ真面目な顔になる。
「忘れてはいけないよ」
「君は、もう“見送るだけの存在”じゃない」
「選んで、進める側だ」
風が、強く吹いた。
気づいたときには、もうそこに彼の姿はなかった。
かぐやは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
波の音。
風の匂い。
そして、胸の奥に残る言葉。
「……変なの」
小さく呟いて、かぐやは歩き出した。
今度は、
自分の意志で。
やべっ!
古事記改変しちゃった!!
本来は因幡の白兎モチーフだったのに!!
すまん稗田阿礼