主人公はレイドックから名付けております。
暗黒の雲が渦巻くデスタムーアの城。その最奥で、レイたちは地獄の底にいた。
大魔王デスタムーアの最終形態。
巨大な両手と頭部が、空間そのものを噛み砕くかのように容赦なく襲いかかる。
「クハハハ!見ろ、この羽虫のような姿を!夢に縋り、現を忘れた哀れな人間どもよ。貴様らの想いなど、私の波動一つで無に帰してくれるわ!」
デスタムーアの嘲笑とともに、空間を震わせる邪悪な衝撃波が放たれる。
ハッサンが正拳突きを打ち込むが、巨大な右手に弾かれ、壁に激突する。
テリーの放つジゴスパークも、魔王の障壁に阻まれ、霧散した。
チャモロとミレーユは、傷ついた仲間を癒やすだけで精一杯だ。
「……ここまで、なのか……?」
レイはラミアスの剣を地面に突き立て、辛うじて体を支えていた。
全身の傷口が開き、意識が遠のきかける。
その時、背中に温かく、力強い魔力の胎動を感じた。
「レイ、顔を上げて!あんな奴の言葉なんて、聞かなくていいよ!」
バーバラだった。彼女の黄金色の髪が、魔力の高まりで逆立っている。
「あたしたちが旅してきた時間は、夢なんかじゃない……全部、本物だったでしょ!?」
その声に、レイの魂が再び火を噴いた。
そうだ。カルベローナで、天馬の塔で。
彼女と見てきた数々の景色はどれも鮮やかで、愛おしいものばかりだった。
「おおおおおっっ!」
レイは咆哮し、強力な呪文と剣技を編み込んだ最後の剣技ギガスラッシュを放つ。
極限状態から叩き込む勇者の雷を孕んだ会心の一撃に、バーバラの失われし究極の魔法マダンテが重なる。
仲間たちの願い、そしてバーバラの魔力をすべて乗せた、辺りを覆い尽くす眩い光の奔流。
「バ、バカな……!この私が、夢の住人ごときに……!」
デスタムーアの体が内側から弾けた。
積み重ねた攻撃の数々、それは確実に魔王を追い詰めていたのだ。
その耳を劈く咆哮の中、レイ達は度重なる魔王の形態を経験している。
それ故に気を抜かず息を呑み様子を見ている。
そして苦しみもがきながら放つ断末魔と共に、魔王は次元の狭間へと消えていった。
デスタムーアは勇者達に敗れたのだ。
静寂が訪れる。
だが、それは勝利の余韻というにはあまりに冷たかった。
魔王が倒れたことで、世界のバランスが戻り始める。それは同時に、交わっていた「夢」と「現実」が引き剥がされることを意味していた。
「見てください……空が……」
チャモロが指差す先、黄金の光が降り注ぎ、周囲の景色が淡く透け始めていた。
「……あたし達の旅も、終わっちゃうんだね」
バーバラが寂しそうに笑う。その足元は、すでに背景に溶け込みかけていた。
「……っ! バーバラ!嫌だ、行くな!」
レイは叫び、彼女の手を掴もうとした。
しかし、指先はもう温もりを感じることなく、霧のように通り抜ける。
「だめだよ、レイ。あたしは夢の世界の住人だから。……でもね、楽しかったよ。あなたに会えて、世界を見て回れて……本当に、幸せだった」
バーバラは必死に笑顔を作っていた。
泣き出したいはずなのに、レイを悲しませたくなくて、精一杯の「強がり」で自分を飾っている。
「忘れないで。あたしはいつでも、あなたの心の中にいるから。……ね?」
最後の一瞬、彼女の口が「大好き」と動いた気がした。
不安定だった世界が徐々に脈動するように光が爆発し、次にレイが目を開けた時。
そこにはただ全てが終わり、いつも通りの美しい青い空の世界が広がっていたのだった。
ライフコッドでの日々は、平和そのものだった。
だが、レイの時計はあの魔王城で止まったままだった。
食卓についても、隣に賑やかな声がない。道を歩けば、ふとした拍子に袖を引かれる幻覚を見る。
その度に掴もうとした手は虚空を泳ぎ、心には鋭い氷の棘が刺さるようだった。
(納得できるわけがない。世界が救われた代償が、バーバラの存在だなんて……!)
バーバラは最後のその瞬間、笑っていた。どれだけ怖かっただろう。どれだけ辛かっただろう。どれだけの想いを殺し、言葉を飲み込んだのだろう。
考えただけで全身が粟立つのを感じる。
(バーバラの犠牲で成り立つ平和に、バーバラのお陰でと割り切るなんて…出来ない…)
ある日、かつての旅の整理をしていた。
何でも入る不思議な袋の最奥で、ふと指先に熱が走った。
取り出したのは、古びた砂時計「時の砂」だ。
本来、戦闘を数分巻き戻すだけの道具。
だがその砂は、まるで生き物のように不規則な脈動を繰り返していた。
「……これだ。可能性があるならもう、これしかない」
レイは直感した。
この砂には、きっとバーバラの魔力の残滓が閉じ込められている。
「バーバラ……そこにいるのか?」
砂の中に、確かに彼女の存在を感じる。
この感覚を理屈では説明できない。
だが、この砂に「現実の存在」である自分の強い意志を込めれば、理(ことわり)をねじ曲げられるのではないか。
レイは自らの手を砂時計に添え、意識を集中させた。
精神を削り、自らの「現実としての存在感」を砂に注ぎ込む。
「頼む……命を、記憶を、僕の全部を持っていってもいい。彼女のいる場所へ、僕を戻してくれ!!」
砂時計が激しく発光し、ガラスに亀裂が走る。
レイの全身を、数万の針で刺されるような激痛が襲った。
物理的な肉体が分解され、時間の奔流へと溶けていく感覚。
レイは薄れゆく意識の中で、ただ一点、黄金色の笑顔だけを強く抱きしめていた。
強い衝撃とともに、レイは硬い石床に膝をついた。
朦朧としている。現状に理解が追いつかない。
鼻を突く硫黄の臭いと、肌を焼く魔王の邪気。
そう。すべてが、あの時と同じだった。
奇跡が起きた。どうやら本当に時間が巻き戻っている。
「レイ!どうしたの、急にぼーっとして!」
はっと顔を上げると、そこには熱を持ったバーバラが立っていた。
レイは反射的に立ち上がり、彼女を力一杯抱きしめた。
「えっ!?ちょ、レイ!?みんな見てるよ!?」
真っ赤になって狼狽えるバーバラ。
ハッサンたちも突然の事に、呆然とした視線を送っている。
デスタムーアさえも、一瞬、攻撃の手を止めて呆れ返っている様だった。
だが、レイは離さなかった。
彼女の心臓の鼓動、髪の香り、生きている実感が腕を通じて流れ込んでくる。
「……レイ?」
バーバラの声から戸惑いが消え、微かな震えが混ざった。
彼女がレイの顔を見た瞬間、その表情が凍りついた。
レイの瞳に、あまりに深い喪失と、強い執念の光が宿っていたからだ。
「そっか……レイ、知ってるんだね。……あたしが、消えちゃうこと」
バーバラの声が震える。
彼女の意識の中にも、時の砂が呼び戻した「別の時間」の記憶が流れ込んでいた。
彼女の瞳の奥で、経験したはずのない「数ヶ月の孤独」の記憶が、時の砂の共鳴によって呼び覚まされる。
レイは彼女の肩に顔を埋めたまま、絞り出すような声で言った。
「もう二度と、あんな顔で笑って消えさせたりしない。……方法なら、君のいない地獄の中で考えてきたんだ」
レイはバーバラから体を離し、その両手を自分の手で包み込んだ。
「バーバラ聞いて。今から君のマダンテを撃つ。でも、ただの魔法じゃない。
俺の『現実の住人としての存在全て』を、魔力に乗せてバーバラの魔法に直結させるんだ」
「無茶だよ!そんなことしたら、レイの存在が……魂が消えちゃうかもしれないんだよ!?そんなの、あたし……!」
「グハハハ、何をとち狂ったことを言っている!貴様らの生温い絆など、私の前では無力だ!」
デスタムーアが、二人の絆を嘲笑うかのように邪悪な魔力を練り上げ、極大呪文「メラゾーマ」の火球を何度も放つ。
ハッサンが「におうだち」で防ぐが、その凄まじい衝撃で血を吐き、膝をつく。
テリーも、ミレーユも、チャモロも、魔王の圧倒的な魔力の前に、防戦一方だ。
「僕一人で残るバーバラの居ない未来なんて、もういらないんだよ」
レイの決然としたその瞳に、バーバラは息を呑んだ。
逃げ場のない戦場。
背後ではデスタムーアが、二人の決断を嘲笑うかのように、最後の審判を下すべく、強大な闇のエネルギーを集束させている。
「……わかった。あたし、レイを信じる。もし君が消えちゃうなら、その時は一緒だよ」
バーバラが覚悟を決め、杖を構える。
レイは彼女の背後に重なり、自らの生命力を文字通り「燃料」として彼女に流し込んだ。
二人の間に、現実と夢を繋ぎ止める黄金の鎖が具現化する。
「レイの命……あたしの魔力……!全部、あいつに叩きつけてやる!」
バーバラの叫びと共に放たれたマダンテは、白銀ではなく、生命の輝きを宿した鮮烈な「黄金色」に輝いていた。
それは大魔王の闇をも飲み込んだ。
世界の理さえも上書きしていく光の本流となり、暴走した魔力が辺りを埋め尽くしていく。
「ぐああああっっっ!なんだ……なんだこの忌まわしい光は……!愛だと?絆だと?そんなものが……我を、理を超えるというのかぁぁ!」
デスタムーアの断末魔が響き渡る中、レイの意識は再び、眩い光の中に飲み込まれていった――。
気がつくと、二人は静かな草原に倒れていた。
辺りは静まり返り、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
レイは重い瞼を開けた。
隣を見る。そこには、うつ伏せに倒れた黄金色の髪。
「バーバラ……」
震える手で彼女の肩に触れる。
温かい。透き通っていない。
指先から伝わる確かな鼓動。
「……う……ん……」
バーバラがゆっくりと体を起こした。彼女は自分の手をじっと見つめ、それからレイを見た。
「あたし……生きてる?」
「ああ。消えてない。ここにいるんだ、バーバラ」
その言葉を聞いた瞬間、バーバラの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「よかったぁ……!怖かった、本当に怖かったんだからぁ……っ!」
彼女はレイの首にしがみつき、子供のように声を上げて泣いた。
「最後まで笑顔でいようって決めてたけど……本当は、嫌だった!レイと離れるなんて絶対に嫌だった!ずっと一緒にいたかった……っ!」
バーバラの嗚咽が、レイの胸を濡らす。
レイもまた、彼女の背中に手を回し、二度と離さないと誓うように強く抱きしめた。
運命に勝ったのだ。
二人の想いが理不尽な世界の理を捻じ曲げた奇跡の瞬間だった。
大魔王の城から戻り、季節が一度巡った。
ライフコッドの村外れ。小さな家には、今、二人の生活の匂いが深く染み付いている。
「ねえ、レイ。見て、これ。……上手に焼けたと思わない?」
台所から、弾んだ声が響く。
レイが薪割りの手を止めて中へ入ると、そこにはエプロン姿のバーバラが、焼き立てのパンを両手に掲げていた。
黄金色に色付いた小麦の香りと、彼女の髪から漂うシトラスのような爽やかな魔法の残り香が混ざり合い、家の中を幸福な空気で満たしている。
「ああ、とってもいい匂いだね。……少し、焦がした?」
「もう!そこは『美味しそうだね』って言うところでしょ!」
ぷくっと頬を膨らませるバーバラ。
その頬の赤み、怒った時に揺れる睫毛、触れれば跳ね返してくるような肌の質感。
かつて夢の世界で透き通っていた彼女が、今、目の前で「現実」として呼吸し、感情を動かしている。
その事実を確認するたびに、レイの胸の奥は、熱い何かで締め付けられる。
レイは無言のまま、彼女の腰に手を回し、背後から抱きしめた。
「ちょ、ちょっと……レイ?急にどうしたのよ、まだ料理してるのに……」
戸惑いながらも、バーバラは拒まない。それどころか、レイの腕にそっと自分の手を重ね、その体温を確かめるように背中を預けてくる。
「……離したくないんだ」
「……うん。知ってるよ。あたしも、絶対離れないもん」
バーバラの声が、少しだけ湿り気を帯びた。
あの日、暗黒の城で流した涙。
絶望の中で掴み取った、奇跡の糸。
二人は知っている。この穏やかな午後は、自分たちの執念と愛で理を捻じ曲げてでも奪い取ってきた
「本来なら得られなかった尊き戦利品」
なのだということを。
「レイ。……大好きだよ。昨日よりも、さっきよりも。……多分、明日になったらもっと好きになってる」
特別な冒険も、伝説の武器も、もうここにはない。
あるのは、二人で囲むささやかな食卓と、使い込まれた食器の音。
「……さあ、冷めないうちに食べよ?レイのために、特別にハチミツも用意したんだよ」
バーバラの弾けるような笑顔が、レイの視界を眩しく埋め尽くす。
かつて「さよなら」を告げた少女は、今、レイの隣で永遠の「おはよう」を繰り返している。
それは、世界で一番贅沢で、最高に甘い二人だけの物語の続き。
太陽が沈み、静かな夜が訪れる。
二人の影は、ランプの灯りに揺れながら、一つに重なっていた。