壊疵紀   作:倖往はゆ

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起章 第弌話 後編 神に抗いし者

 帽子を振って海に出た海神は、昼に近づくにつれて八丈島が近くなってきた。クルーズ船などはこの海域にいないから、どうも孤独感があった。

 途中で続々と加わった艦も含めて、10時までには艦隊の全艦が揃った。壮観といえば壮観で、しかし敵さん、Vandrcadia(ヴァンドレカディア )と言ったかな、彼らは開戦以来の負け知らずだから、むしろ勝てると思う方がおかしいだろう。

 パーカーを羽織ったまま机に足を乗せ、説明ファイルを顔の上に載せながらそう考えた。はたから見たら、漫画読んで寝落ちしたニートとえらく変わらんだろうな。

 まあ私の本質は自堕落クソニートだから、その評価はまあ妥当だろう。

 私はここにいたってどうせやることがないから、それにこうやっていたって誰も何も言ってこない。人は第一印象だとしたら、私の第一印象は何だったんだろうか、手首に薔薇の咲いた陰キャ鬱クソニート、といった感じだろうか。

 ーーそういう顔してるかなぁ………、

 いかんいかん、さっきからため息と逡巡と思考の話を何度巡ったことか。何て非生産的なことか、非合理的なことか、あー、まただ、(いや)(いや)だ。

 からまって、ほどけなくなった思考を振り払いたくて、首を振ってファイルを顔からどけようと手を伸ばした。しかし、目測、いいや、見ていないから予測か?を誤ってファイルを床に落としてしまった。思ったより大きな音がして、自分でもビクッとなる。艦橋要員もみな振り返ってこっちを見た。恥ずかし。

 海将は、そこで振り返って少し口角を上げた。照れるな。

 私は何もなかったかのようにファイルを机に放り、足を机の上で組み直して頭の後ろで両手を組んだ。

 薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)を乗せた輸送ヘリはもう出発したらしく、モニタがチカチカ光っていた。そればかりボォっと見てまた考える。

 そろそろ11時、敵さんが海神の射程に入るのはだいたい12時だから、あと1時間くらいか。暇だなあ。戦陣訓だっけか、前後の内容は忘れたが、そんな一文があった気がする。「『每事退屈する勿れ』とは古き武將の言葉にも見えたり。」だっけか。というか、副司令といったって実はやることがほとんどないんじゃないか?楽して稼げるのならそれに越したことはないが……、腕、切りたいな。

 一人でないということがこれだけ呪縛なのだとは思わなかった。歯車としてドロップアウトしてから、ずっと独りだった。いいや、ときははいたが、それでもやはり、「一人は好きだけど独りは嫌い」というのはまあまあ真理だな。

 でも、ときはは、隣にいてくれるだけでいい、話さなくても、彼女が夕陽に照らされて本なんか読みながらその横で煙草を吸っていたかった。いたかった、な。

 11時も半ばを過ぎると、さすがに艦橋にも緊張が走り始めていた。ここにいる人は、皆上司に嫌われるか、変わり者か……、もの狂い、と言ってもいいかもしれない。

 行儀良く隣に座ってファイルをめくるときはを一瞥して、だらしない格好でそんなことを考えている自分が恥ずかしく思えた。日本人はやはり恥の文化の中で生きているのだな。

 そう思ったとき、海将が段差を上がり、隣に立って言った。

「そういや、艦橋のそこの空白に何か書を飾ろうと思うんだが、何か考えておいてくれ。」

「どんなのがいいんです?」

「下品で下世話でなければ何でもいいんじゃないか?」

「まあそうですが……、私が言っているのは、方向性の問題なんですが…、」

「立体的なものでなければ何でもいいぞ。」

「多分その話、『ぼくの顔に何かついてる?』って聞かれて『ついてるぞ 鼻に耳に』って答えるのと同じような何かを感じました。」

「なるほどなあ、まあいい、そろそろ、艦隊の指揮を千季に任せる。まあ、そうだな、死なない程度に頑張ってくれ。よろしく。」

 そう言って彼は、指揮権の委譲書を私にぺろっとみせた。しばらく無言の時間が続き、相変わらずときはは真面目にファイルをめくり、私はどうでもいいことで脳みそのストレージを使っていた。まどろっこしい、快刀乱麻を断ちたいというのは、なるほどこういう時のための言葉なのだな。

 艦長はこっちを合図したように振り返り、応えるように海将がマイクを持って言った。

「現時刻を以て、国連軍第十三艦隊作戦艦隊の指揮権を空華千季三佐に委譲する。」

 海将は一通り艦橋を見渡して私の方を振り返り、意味ありげに頷いた。私はマイクを受け取り、一呼吸置いて口を開く。

「あ、あ、艦隊の指揮を任された空華三佐です……、どうせ辛くなりますから、皆さん、できるだけ、なるべく楽しくやってください。伊達と酔狂でやらなければ、こんなもの狂いの代表格たる戦争など、やってられないですから。それでは、ご武運を。」

 横を見ると、海将が苦笑していた。私は目の前の机に登り、あぐらをかいた。モニターには整然と情報が映し出されていて、私はそれをなんとなく眺めた。ここで映画鑑賞したら、さぞ強烈なクオリアが手に入るだろうな。

 そんなことはどうでもいいとして、とにかく敵は目の前に迫っているのだから、どうにかしないと、そんなふうに漠然と考えた。

 モニター上の針が12時丁度を指す。

「さて、時間ですから…、現時刻を以て(ほう)号作戦を開始します。艦隊、予定通り三手に分かれて。第三飛行隊発進、目標敵駆逐艦及び重巡洋艦。戦艦は無視してくれていい、艦隊を丸裸にしてほしい。」

 艦隊は第五戦隊の戦艦甲斐、飛騨、米駆逐艦のゴードン、ネビル、サーハンディー、ラスティー、第一護衛戦隊のあさぎり、やまぎり、ゆうぎり、あまぎりを擁する第一隊。

 それから、第一独立巡洋戦隊の黒姫、第十三駆逐隊の宵崎、朝比奈、東雲、暁山、そして第二戦隊所属で艦隊旗艦の海神を擁する第二隊。

 そして、薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)をが待機するチヌークを載せた米重巡ユーティカとシトラスハイツ、第四潜水戦隊の春潮と夏潮は第三隊として現在の位置で待機。

 第一隊は敵から見て左向きに、第二隊は右向きにそれぞれ緩やかな円弧を描きつつ運動を始めた。彼我距離はだいたい60kmというところだった。

 兵法の基本は「無駄な兵力を作るな」、ということだ。だから、戦力を最大限使えば、こんな雑魚の集団でも新鋭戦艦含む艦隊に対抗できるのではないか、そう考えたのだ。

 二分した艦隊は敵に対し、距離をとりつつ左右から十字火線を敷くために単縦陣で進んだ。敵艦隊から見て左回りに進む艦隊は戦艦甲斐が、右回りに進む艦隊は海神が率いた。

「さぁて、引っかかってくれるかな……?」

 私はあぐらをの上に右肘を立て、頬杖をついて呟いた。無駄に鼓動が高まる。馬鹿だな、私。

 敵駆逐艦のVLSが火を噴き、鋼鉄の奔流(ミサイル)がこちらに飛んできた。こんな近距離でミサイルをぶっ放すということは、牽制と混乱を招くつもりだろう。それにしてもずいぶん金がかかるブラフだこと。真綿で首を絞めるというか、敵を徐々に浮き足立たせるつもりだろう。なんて上手いやり方だ、まったく神経が削られる。

 まあいい、どうせみんないつか死ぬんだから、そう怖がるものでもなかろう。でも、主砲対空弾は間に合わない。

「CIWS、それからレールガン、HPM(高出力マイクロ波照射装置)、迎撃して、」

 私が言い終わらないうちにCIWSは迎撃を開始し、レールガンも火を吹いた。自分の右手側が爆音と銃撃音で埋め尽くされたのを感じて、何か、よくわからない安心感が芽生えたこと気づいた。

 他の艦も迎撃を開始したようで、モニターはミサイルのマークと、それが撃墜されたことを示す赤いミサイルの上にバツ印で埋め尽くされた。艦の数キロ手前で見えない網に引っかかったように消えていくミサイルマークを眺めていると、そのうち一発が突然緑のまま海神のマークに近づいてきた。

 焦るより先に右を見ると新幹線なんか比べ物にならないくらい早く、遠近法をふんだんに使って飛んでくるミサイルが見えた。あわや、と思った時、艦橋のすぐ後ろで爆発するのが見えた。艦橋はズゥン、と大きく揺れたが、私はそれでもあぐらを崩さなかった。危機一髪、とはよく言ったものだ。

 ときはは目も見開いたまま動けなくなっていた……、正しい反応だ。

 第一隊もうまくやっているようで、この時点での被弾艦、落伍艦はまだなかった。

 そんなふうに思っていると、ちょうど第三飛行隊のF−2が編隊を組んでやってきたらしく、モニタの上にマークが映る。それらは敵艦からの峻烈な対空砲火の中突入し、500kg級空対艦ミサイルを4発、それぞれ近距離から発射した。ミサイルは相手の射程外から攻撃するための兵器だが、CIWSや対空弾が普及した中でその弾幕を乗り越えるのは至難の業であった。そこで、航空機で弾幕を水面ギリギリを飛行しつつこれをやり過ごし、敵艦に近づいたところで機体を上昇させてミサイルを打ち出す、前大戦時の航空雷撃のような方法が取られていた。

 もしくは、敵艦の直上付近まで高高度で飛行し、そこから鉛直に降下しつつミサイルを撃ち出し、そのまま離脱する急降下爆撃のような方法も取られていた。

 水面近くを低空飛行しつつ、翼が海面に衝突しないように機体の上下を反転させながらミサイルを打ち出す猛者もいたが、基本的には雷撃や急降下爆撃似たような方法であった。

 これらの方法を行えば、長距離の飛翔が不必要で電子機器も比較的簡易なもので済むため、価格を安く抑えることができ、また近距離からの攻撃のため敵に迎撃の猶予を与えず、成功率が高いというメリットもあった。しかし航空機の損傷率は高く、一長一短といったところだった。

 そこで、この方法は基本的に飽和攻撃を行うと場合にのみ採用された。そうすることで、目標を絞らせず、また成功率を上げることができるのだった。

 この攻撃で重巡は大破1、中破2、小破1となり、駆逐艦7大破、4中破、小破1という戦果が上がった。飛行隊は撃墜2、被弾7と戦果と比較すればまあ良好な状態で基地に戻って行った。炎上する敵艦隊の映像を一瞥して、私はあぐらを組み直した。

「第十駆逐隊及び駆逐艦のゴードン、ネビル、サーハンディー、ラスティーは軽巡天塩の指揮で落伍した敵艦に雷撃、畳みかけて。無駄弾がないように、しっかり狙って必要数だけ撃ってほしい…、魚雷は高いからね。」

 私は一息吸って言った。

「……主砲砲撃いくよ。戦艦、主砲、目標は敵ファーブル級戦艦二隻、なるべくよく狙ってコネティカットとジョージアには当てないように撃ってほしい。敵座標と弾着情報はは哨戒機に頼って、徹甲弾装填、交互打ち方、1回ずつ弾着情報を確認して修正。」

 全艦攻撃準備完了の報を聞いて、私はゆっくり右手を上に上げ、目をつむる。一瞬の逡巡の後、目を見開き、振り上げた時の十倍の速度で振り下ろした。

 刹那、目の前の主砲が火を吹く。恐怖と直結した轟音が響き、グラッと倒れそうになった私をときはが支えてくれた。

 机から降りちまえよ、と思われるだろうが、どうしてそういう気分にはなれなかった。

 左右からのとどめの雷撃と甲斐型の36サンチ(14インチ)砲を18門、そして海神の55cm砲12門の十字砲火の中で二隻の戦艦は必死に応戦したが、数上の射撃で命中した徹甲弾が弾庫に命中したらしく、ファーブルの第三主砲が空中に噴き上がった。

 哨戒機の映像は鮮明で、噴き上がった主砲を見るのは理由もわからなかったが、何か面白かった。

「砲撃をやめて、えーと、薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)の準備は?」

「…いつでもいいそうです。」

「うん、じゃあ厄介な戦艦に降りて、艦橋を制圧したらまた連絡してくれ。」

 そう言って数分待つと、モニター上で丸裸になった戦艦二隻ににヘリが近づいていくのが見えた。CIWSが唸るその前にヘリはありったけのチャフミサイルを撃ち、レーダーを無効化した。金属片が桜の散華のように舞い、数秒の隙ができた。

 ヘリは乱れ撃たれる砲火の中、巧みな操縦でコネティカットの第一主砲の前にあるVERTREP(垂直補給)用の白枠の上に取り付いた。

 もう一度チャフを撃ち、こちらに振り向いたCIWSもろともレーダーを一瞬無効化し、その隙に一隻につき20名の隊員が降下した。最後、隊長のトアが降りようとしたとき、CIWSがヘリコプターに多数の砲火を浴びせた。

 時間切れだったが、トアはそのままロープから手を離し、炎上して海に落ちるヘリから飛び降りた。五点接地方で主砲前部に転がった彼はすぐに立ち上がり、艦橋に向かって走る他の隊員を追っ付け走り出した。

 トアはニュージーランドの特殊部隊出身で、今大戦の勃発に伴って薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)の隊長に抜擢された。薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)とは正式名称でなく、あくまでも自分たちで名乗っているだけだったが、彼らの能力は数ある部隊の中でも群を抜いていた。

 もう一隻の戦艦、ジョージアに降り立ったのは美作(みまさか)(いるる)副隊長の率いる一隊も、同じように艦橋制圧に取り掛かっていた。

 この間に、海神率いる第二隊は残存艦艇の殲滅のため敵艦隊の背後を取るべく左回頭をし、単横陣をとった。第一隊も敵艦隊正面に回り、単横陣をとった。残存する重巡三隻と、駆逐艦5、そして主砲を噴き上げずに済んだファーブル級のもう一隻は、前に布陣する第一隊を突破すべく紡錘陣形をとった。

 とすると彼らの目的は横須賀港に停泊する艦艇の強奪か、それができなければ覆滅といったところだろう。

「第一隊、陣形変更。頼むよ、」

 第一隊は敵の前で砲撃を開始した。残存艦隊は全速力でこれを突破しようと突撃し、第一隊はだんだん左右に分かれて行ってしまった。

 残存艦艇が第一隊を三分の一ほど突破した頃、半分に分けられてしまった第一隊は急回頭を行い、残存艦隊の前部左右について同航戦に持ち込んだ。

 その後方では薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)が制圧しつつある戦艦二隻、そしてそれを横に見ながら残存艦隊の後方約20kmについて攻撃をかける第二隊。

 残存艦隊は最後の攻勢をかけた。魚雷を後方に撃ち尽くし、左右に猛砲撃をかけ、弾薬が底を尽きたならば他の艦に対して特攻をかける。特攻は操艦難しい状態で行われたから、成功率はあまり高くはなかった。しかし、駆逐艦のゴードンは特攻によって艦首を切断し、護衛艦あまぎりも真っ二つに折れてしまった。

 駆逐艦サーハンディーは大破炎上し、戦艦飛騨も砲撃で舵を損傷した。

「今、撃って。」

 私が言うと、いざこざのあるその前方から魚雷が接近した。待機させておいた第四潜水戦隊の春潮、夏潮のものだ。

 魚雷は残存艦艇に対し、痛烈な一撃となった。最後まで残った戦艦も、ついには沈んでしまった。

 イタチの最後っ屁のように、後方に撃ち出された魚雷は扇状に広がり、急速に第二隊に接近してきた。

「魚雷に艦首を向けたまま機関反転、後進一杯、衝突時の衝撃を少しでも相殺して。初弾被弾と共に機関停止、気休めだけど熱を出さないようにして。全弾の爆発確認後、機関再始動、第二隊を元の進路に戻して。」

 そう言い終わるか言い終わらないかという時に後進がかかり、続いて魚雷が命中した。海神は非ニュートン流体を利用した上、分厚いバルジと傾斜装甲がつけられているからこの程度の攻撃ではびくともしないが、他の艦は違った。

 重巡黒姫は魚雷2を受けて艦首付近に破孔が二つ開き、浸水が始まった。ただでさえ老朽艦の上に沖縄出撃以来まともに整備されていないため、浸水は早かった。辛うじてダメージコントロールし、これ以上の浸水は防いだが、速力の低下は免れなかった。

 第十駆逐隊の東雲は被雷したものの、錨庫であったため、小破で済んだ。幸い浸水も少なかったが、問題だったのは宵崎の方だった。朝比奈に向かう魚雷を防ごうと、自らが盾になったため、艦首に思いっきり被雷してしまった。

 竜骨への損傷はなかったが、浸水は激しく、傾斜は甚だしかった。沈没の可能性は少なかったが、艦隊からの落伍を余儀なくされた。

 最後の魚雷をやり過ごして、やっと私は一息ついた。

「紅茶はありましたっけ?」

「コーヒーはあるが、紅茶はないな。エゲレスの(ふね)なら、話は違うかもしれんがな。」

「そうですか……、じゃあときは、作ってきてくれるかい?」

「え、あ、はい。」

 ときはは艦橋から立ち去って、代わりに通信が入った。

「敵戦艦から通信です。」

「繋げてくれ。」

「はい。」

「……こちら、こちらは米海軍の最新鋭戦艦を乗っ取った、不貞にして凶悪な薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)の隊長、トウ大佐であります。戦艦コネティカットとジョージアの制圧が完了したこと、司令官閣下に申し上げる。」

「ありがとう、状況は?」

「知っての通り、敵さんは運航など行う民間人と、武器を手に取る軍人崩れや傭兵なんかがおりますから、民間人は縛り上げ、武器を手に散ったものはバッサバッサと斬り倒しました次第であります。」

「そうだね、それがいい、ありがとう。」

「現在、その民間人に操艦してもらってそっちに向かっておりますが…、戦いもひと段落したことですし、私も挨拶に上がって宜しいですかな。」

「ああ、」

 私は海将をチラッと見た。海将は笑みを浮かべて頷いた。

「良いそうです。」

「では、そちらに参ります。一人、随員を連れていってもよいですかな。」

「それはどうぞ、ヘリに入るだけご自由に。」

「諒解致しました。では。」

 彼は敬礼して通信を切った。私は、自分がまだ一応英語を覚えていたことに少し感心した。ほんの少しだが。

 それにしても、トアと言ったかな、あの通信相手。どうしてなかなか豪胆不敵な面構えだった。それにしても随員、どんな人だろうな。もうこれ以上人に会いたくない、人間、覚えられる人の数は決まってるからこれ以上増えないでほしい。まったく、そろそろ親の顔を忘れそうだ。

 机に突っ伏してクソどうでもいいことを考えていると、ときはが紅茶を持ってきてくれた。

「お疲れさまです、千季さん。」

「ああ、ありがとう…、もしねぎらってくれるんだったら、ここにたっぷりブランデーを入れてくれ。」

「勤務中の飲酒は自制してくださいよ〜。」

「じゃあ、また寝るとき、作ってくれるかい?」

「いいですよ。というか、あのヘリコプター、なんですか?」

「そうだねえ、不貞にして凶悪な薔薇の騎士の首魁とその愉快な仲間、かな。」

「そんなのが来ていいんですか?」

「う〜ん、実を言うと私だってあまり会いたくないんだ、それは別に、どんな人だから、じゃなくて、そもそも人間に、ね。」

「仕事って大変ですね。」

「そうそう、だから働いたら負けなのさ。だのに私はどうして最初のボタンを掛け違えたがばっかりに……。」

 そんなくっだらないことをくっちゃべっていると、艦橋のエレベーターからヤンキー風の、私より少し若いだろうか、そんな女性と、隊長のトアとか言う筋骨隆々大胆不敵な人物が入ってきた。

 私は立ち上がって彼らの前に立った。ときはも少し怯えるように私の後ろについてきた。

 彼女上半身はスポブラだけで腰から1mもあろう刃渡りの斬馬刀を下げており、髪は金色で長く、血のついた白地の特攻服らしい上着を腕を通さず羽織っていた。

 はたから見たらならずものそのもので、そのうえ斬馬刀など佩刀(はいとう)していたら物々しくて仕方ない。街中であったら目を伏せてそそくさと距離を置きたいような人物だ。電車で隣に座ろうとしてきたら、確実に立って逃げるだろう、そう言う見た目だった。

薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)隊長、トア大佐、ただいま参りました。」

「同じく、副隊長の美作(みまさか)(いるる)曹長であります。」

 私は一息吸って答えた。

「遠路はるばるご苦労様です、隊長、副隊長殿。」

「どうもありがとうございます、司令。」

「ありがとう、でも司令は私じゃないんだ。こちらが司令の…」

「第十三艦隊司令の、直木(なおき)毅剛(としまさ)海将です。」

「国連軍独立陸戦隊薔薇の騎士(ローゼンカヴァリアー)隊長、トア大佐であります。それにしても、何故(なにゆえ)副司令が指揮をなさっているのですかな。」

「ええと…、あ、その、」

「彼女、千季は私の愛弟子で、かつ私より戦闘指揮などに長けている。階級などに関係なく優秀な人間を取り立てるのは勝利をより確たるものにしますからな。」

「なるほど、それはうちも同じです。彼女、副隊長の美作は、私が真剣で立ち会っても3本に一本、最近では三本に二本は取られてしまいますからね。」

「お互い、歳ですな。」

「ですな。」

「それにしても副司令殿、見事な手際と感服いたしました。貴殿は名将ですな。」

「そう言ってくれるのはありがたいんですが、名将と愚将との間には、道徳の観点から考えれば、あまり差異がありません。」

「そのこころは?」

「というのも、愚将が味方を100万人殺すとき、名将は敵を100万人屠ります。冷静に考えれば、このどちらもが、大量殺人者であることに変わりないのです。それに私は、あなたたちが乗っていたヘリ二機と護衛艦あまぎりが沈没、ゴードンとサーハンディーは大破で、重巡黒姫と駆逐艦宵崎が中破、戦艦飛騨が舵を撃ち抜かれて、あとは駆逐艦東雲も小破……、味方に惨憺たる被害を与えてしまいました。」

「それでも、敵は全滅、戦艦二隻を強奪したじゃないですか。」

「でも……、」

 私がだんだんダウナーになっていることを察した海将は口を開いた。

「まあいい、大佐、これからも頼みますよ、それから曹長も。」

「ええ、これからもよろしく。」

「それと、空華三佐、この後、一緒に飲みませんか?」

 (いるる)が口を開いた。内心嫌だったが断りきれなかった。陰キャの悔しいところである。

「ええ、あ、はい……?」

「じゃ、いきまスよ。」

 そう言って容は私が逃げられないような空気をつくった。こっちを見て頷く海将を見て、私は観念した。

 エレベーターに乗ると早速容が話しかけてきた。

「なんてお呼びすればいいっスか?」

「え〜ぇ、そうですねぇ、上の名前でも下の名前でもいいですが……、」

「じゃあ千季さんで。千季さんはどこの出身なんでスか?」

「私は神奈川の、川崎です。」

「そうなんですか〜、あたしは茨城の牛久なんでスよ。」

「はあ。」

「あたし昔、暴走族かな、ヤンキーかな、そういう感じのこと、やってたんでスよ。」

 エレベーターが開いて、彼女は振り返る。

「どこで飲みます?」

「……私の部屋でよければ。」

「アザ〜ス。」

 私の部屋なのに、彼女の方が先に歩いて行く。

「この辺スか?」

「あ、いや、その隣……、」

「ああ、ここっスね。」

 彼女は私の部屋の扉を開けた。まったく、プライバシーなどあったものではないな。」

「おじゃましまーす、あっそうだ、お酒持ってます?」

「あ、いや、えっと…、」

「じゃあ取ってきまスよ。」

「ああ、どうも……、」

 ときはは台風のような子だが、容という人はどうやら猛吹雪か、生きるミサイルかと言ったところだな。性根の腐った人じゃないんだろうが、どうもああいうタイプは苦手だ。ベットに転がって両腕を顔の上に置いた。光が痛い。

「ただいまっス、千季さん。」

 私はガバッと起き上がって振り向いた。

「いやあ、お恥ずかしい姿を見せてしまったね。」

「可愛かったですよ、千季さん。」

「そうかい?私、つい数日前まで引き籠りニートだったんですから。」

「あたしだってつい4年前までは茨城のはしっこで不良やってたんでスよ。」

「でもかっこいいじゃないですか、なりたい形があるなんて。」

「うーん、そう言ってもらえると嬉しいっスけど……、いいです?自分語りして。」

「いいですよ、その話、面白そうですし。」

「あたし、高校入ってすぐ学校行くの()になっちゃって、それで夜なんとなく外見てたらバイクの爆音が聞こえて、あたしも乗ってみたいなって思ったんです…、理由はなんとなくなんスけど。」

 私は二缶目に口をつける。

「それでやることもなくて暇だったから免許取ったんスよ。それですぐ、夜一人で走ってみたんスよ。それがすっごく気持ちよくて、あれは今でも思い出せます……。で、いつのまにかそれに二人加わってくれて、毎晩のように三人で走るようになったんでスよ。」

「青春だねぇ、」

 いつから私はそんな無責任な言葉を吐くようになったんだろう。

「三人…、私も含めてっスけど、それでローレラ狼恋羅夷(ローレライ)っていう名前をつけたんスよ。それであたし、世界が怖くなくなったんでス。で、ケンカふっかけてきた奴、みんな殴り飛ばすようになって、生きてるのが楽しくなったんでス。それで、夜バイクを乗り回してはケンカ吹っかけてきた相手を三人でボコして…、それで楽しかったんでス。」

 私はもう酔いが回ってそうな容の顔を横目に見た。それは語り部の顔ではなく、遠い昔を懐古する大人の顔だった。

「でもそれが原因で親と喧嘩して、愛車のシルバードラゴン号にも乗らずに家を飛び出したんでス。泣きながら夜の街を走って、信号なんか見えなくて、点滅してる交差点に気づかなくて。それで隊長が合同訓練か何かの帰りで乗っている車に危うく轢かれそうになって、イライラして怒鳴ったんでス、「殺す気か‼︎」って。そしたら隊長が出てきて言ったんでス、「よい目をしているな。」、あたし、全然意味わかんなくて、わけわかんなくて泣いちゃって、それでそのあと隊長みたいになりたいって思って…。」

「それで自衛官になった?」

「でス。」

「なるほどねぇ。」

「千季さんは、どうなんスか?」

「そうだねえ、私は……、私は、月に恋焦がれる蝶が、高く飛ぶがあまり落ちちゃった、みたいな……、そんな感じだねえ。」

「……ええ、なんですか、それ。」

 

 * * *

 

 容が満足して私の部屋を出て行くまで、およそ3時間を要した。長いな、とは思ったが、不思議と嫌だとは思わなかった。

 酒の味はよくわからなかったが、不味くはなかった。

 一眠りしたが、3時くらいに目が覚めてしまった。酔いを醒まそうと煙突横の扉から出ると、CIWSの向こうの手すりに背中をもたれて直木海将が煙管(キセル)を吸っていた。

「海将って煙草吸ってましたっけ…。」

「ああ、ときどきな。」

「ときどき?」

 私は手すりに肘を置いて、海将と逆向きにもたれた。

「ああ、勝ったのは嬉しい。でも、我々が勝った先に何があるのか、私には見当もつかないんだ。」

「もしかしたら、敵さんに人類国家の運営を任せた方が幸せになるのではないか、これは無駄な抵抗で、むしろ浪費でしかない、そんな感じですか?」

「流石だな。」

「……私も似たような気持ちですから。」

「神にも等しい戦術を駆使する彼らに相対(あいたい)すると、自分たちが間違っている気がするもんなあ、まったく。」

「だからって、白旗をあげて許してもらえるわけでもないですからね。」

「そうなんだよなあ。」

 海将の吐く煙の、少し甘い風を顔に受けながら、私は手すりにもたれかかった。

「飲むか?」

 海将はポケットから、水の入った新品のペットボトルを出した。色々考えたかったが思考がまとまらず、結局何も言わずに受け取った。蓋を開けると、それは沁みるほど冷たくて、所詮ただの水で。でもそれが美味しいと思った。

()い醒めの水下戸(げこ)知らず、とはよく言ったものですね。」

「うん、ああ。」

 意味わかってるのかな?

「酔ってひと眠りしたあとで飲む水の美味さは、酒を飲まない奴にはわからない……、そういう意味だっけか。」

「さすがですね、よく知ってらっしゃる。」

書簏(しょろく)なだけさ。」

「書物を入れる箱。転じて、多くの書物を読んでいたとて実際に役立てられないものをあざける言葉。」

「千季も、流石だな。」

「私も似たようなもんです、頭でっかちで、どうでもいいことばかり。」

「でも、知は身を佑く、ともいうから……、まあ戦争が全てじゃないから、他で役立つこともあるだろうさ。」

「戦争なんてものをすると、それがすべてになりがちですけどね。」

「とするとそれは、総力戦の恥部だな。」

「それもそうですが、どちらかというと、それは人類そのものの恥部なのではないでしょうか……、どうせ人類がみーんな綺麗さっぱり消えたって、地球はそれでも回りますし、ほんの数億年前には人類なんかいなかったけど、みんなうまく生きていたんですよ。」

「人は、よくよく(おご)るからな。」

「……どうしようもないくらいの驕傲(きょうごう)を匿っていたんだ。」

「号哭、ねえ。」

「私、あの主砲の砲撃音がどうも誰かの()き声に聞こえるんです……。」

「詩人だな、と平時では言いたいところだが、残念ながら私もなんだよな……。」

 海将はふぅ、っと煙を吐いた。それが、月明かりに(もや)がかって鈍い光を私の足元にたたえた。

「誰か、ねえ。」

 なんて無責任な言葉だこと。

「宛てのない言葉、ねえ。」

「ずっとこうしていたい、です……、」

「そうだなあ、ずっと平和だったら、な。」

「…人類史の彼方から、人はずっと争ってきました。だから、永遠の平和なんて私は望みません。でも、数十年の平和でおだやかな時代は何度もありました。だから、子供をたくさん産むより、どんなに多くの資源を残すより、次の世代に託したいのはやはりその何十年か平和、ですかね。」

 小さく頷く海将を横目に見て、私はもう一杯冷水を(あお)った、うまい。

「平和とは、地球の健康だからな。」

 そう言って海将は背中を手すりから離した。

「……要するに、ときはに銃を手に取ってほしくない、そういうことです。」

「そろそろ寝るとするか。」

 私も振り返って背伸びをした。

「そうしましょう、か。」

「だな。」

 (あに)(はか)らんや大あくびが出てしまった。海将は少しの笑みを浮かべた。

「6時起きてくれと言いたいところだが、疲れたろう…?戦闘も、晩酌も。だからまあ、今日はゆっくり休んでくれ。」

 そういえば今日になってるんだ、と気づかされた。

「じゃあ、そうさせてもらいます。ああ、ときはは…?」

「6時に起こすさ。体操をしてもらって…、」

「そしたら、私の代わりに戦闘詳報でも書いてもらって…、」

「そんなことさせるのか?」

「私はしばらく文字を書いていませんから……、それにときはは文字がうまそうですから。」

「何を見てそう思ったんだ?」

「顔、ですかね。」

「顔面至上主義か?」

「いいえ、僻んでるんですよ、どちらかというと。アラサーで可愛くない私の隣にああいう可愛い子がいると、どうしてもね。」

「見たところ頭も良さそうだしな。」

「……私だって頭いいですよ、一応。」

「知ってるさ、何しろ私の愛弟子だからな。」

「ならいいんですがね。」

「だろう?」

「……、あぁ、そうだ。艦橋に飾る文字ですがね、」

「ああ。」

「『健康第一』にしようと思うんです……、どうですか?」

「千季が悩んで出したなら、私は何も言えないさ、いいんじゃないか……、それにしても、」

海将はクスッと笑って言った。

「らしいな。いい響きだ。」

「ありがとうございます。」

「じゃあまた明日。」

「ええ、おやすみなさい、海将。」

「ああ、おやすみ。」

 私も海将に続いて扉をくぐり、自分の部屋に戻った。私が容と飲み終わったあとベッドに入ったのだろう、ときははぐっすり寝ていた。

 そういえば私はどこで寝ればいいんだ?昨日は床で寝たから、改めて考えると困ってしまう。今更だが、年頃の子と同じ部屋で寝るのも、まして隣で寝るのもなんだかな……、ましてどかすわけにもいくまい。どないせーちゅーんじゃ。

 しょうがない、上着を脱いで掛け布団がわりにし、ズボンを脱いで丸めて頭の下に敷いた。

 床は硬かったが、眠気はそれを上回っていた。今日の戦いのこと、容のこと、そして実は今大戦始まって以来初めて勝利ということ……、瞼裏(けんり)に映ったそんなことを徒然なるままに眺めていると、いつしか私は、深い眠りについてしまった。

 

 * * *

 

「……起きてください、千季さん、千季さん……、」

 少し目を開けると光が眩しかった。体が起きることを拒否している。

「なんだい?」

 私は横になったまま身動(みじろ)いだ。腰が痛い、年かな?

「すみません、千季さん、私、ベッド取っちゃって……、」

 いや、床で寝たせいか。

「んん、今、何時かわかるかい?」

「ええと、2時です…、昼の。」

 私はまだ重い瞼を右手で擦った。

「……そろそろ起きないといけない感じかな?」

「もうそろそろ港に着くらしいですよ、あと、戦闘詳報、艦長が手伝ってくれたので書けましたよ。」

「ああそうか、すまない、ありがとう……、じゃあ私はもう一眠りするから、」

「ええ……、ちょっと〜……、」

 私にだってそれくらいの権利がある、そう思った。狸寝入りを決め込むと、いつの間にか本当に眠ってしまった。

 

 * * *

 

 眠るというのは、死ぬことに近い。このまま目覚めなければ、私は、死んだことになるのだろう。

 仮死、と言えるかもしれない。(あした)に生まれ、夕辺(ゆうべ)に死す…、そういう言葉があった気がする。生きるとは、小さな生と死の螺旋を描き、緩やかに死へと誘われる、そういうことなのかもしれない。いつか燃え尽きるまで、繰り返し生まれて沈んでく、太陽のようなもの。

 世界の果ても、永遠のものも、幸せも宇宙も、結局私は何も知らない、いいや、知らなくていいのかもしれない。

 終わりなき日常、ハレを失ったそこにある幸せは、どこにでも存在しているのに意識しようとしなければ見失ってしまう。

 日常は、動き続けなければ輝きを失い、退屈という地獄になる。変わらないために変わり続けること、耳と目を閉じ、口を噤んでも変わらない世界のこと。

 浮かんでは消えるとりとめのないものを残しておきたくて、足跡を刻んでおきたくて、でもいろんなものを捨てて生きてきて。

 選ぶことは捨てること、それ以外の選択肢、あったかもしれない未来を、可能性を捨てるということ。でも、選ばなければ、その何もかもを手に入れられない。

  残酷なこと、残酷なこと。

  無情なこと、無情なこと。

  邪慳(じゃけん)なこと、邪慳(じゃけん)なこと。

 情けなどない、死と時間は平等にやってくる。

 

 * * *

 

 目が覚めると、知らない天井がそこにあった。知らないんじゃない、目に入っても認識できなかった、多分そういうこと。腰が痛い、というか体中が痛い。非常にまいっちんぐ。

 目をこすると、視界が定まってきた。時計を見ると、もう20時を過ぎていた。もうずいぶん寝てしまった、そうだ、風呂にでも入ろうか。

 着替えの下着を持って部屋を出ると、誰もいない廊下を歩いて浴場に向かった。こういう大型艦は風呂が広いのがいい、そう思いながら服を脱いで扉を開けると、中には誰もいなかった。

 少し気分が上がる。泳ごうかしら、なんて考えた。体を洗ってミディアムとセミロングのあわいの微妙な長さの髪を束ねてお湯に浸かった。髪を束ねるのはいつぶりだろうか、至極気持ちが良かった。疲れがとれる、下手な栄養剤よりよっぽどいい。

 耳を澄ませばお湯の流れる音も聞こえそうだった、世界に溶けてしまいそう。

 ……ずっとこうしていたいと思った、この限りある永遠を凍らせてとっておきたかった。浅い眠りのよう意識が浮き、重力を忘れる。 

 何十分かそうして世界と溶け合っていると、その世界を壊す音がした。

「ここにいたんですか、千季さん。」

「ときはかい?」

 私は振り向かずに言った。

「え、あ、はい…、それより千季さん、降りなくていいんですか?」

「もう着いたんだね、」

「ええ、5時間も前でしたか、それくらい前です。」

「みんな降りたのかい?」

「え、あ、はい、だいたいみんなそうです。」

「ときはも、帰ったかい?」

「はい、会ってきました、ママに…、」

「何か言ってたかい?」

「さすが千季さん頭いいね、と。」

「照れるなあ。」

「…ふふ、千季さんてそういうところありますよね。」

「……ええ、どういうことだい、それ。」

「言葉の意味通りですよ。」

「なるほど……、よくわからないが……、」

「そうだ、千季さん、凱旋式みたいなのあったんですけど、」

「へぇえ、それで?」

「先任伍長が呆れてましたよ、主役なのに、って。」

「勝手に期待されてもなあ……、頼んでないんだが…。」

「でも主役ですよ…、すごい戦術だって……、」

「主役、ねえ。……ねえときは、戦術っていうのはどう足掻いても小手先の細工でしかないんだ、だから、戦術的勝利などというものは、戦略的勝利のほんの一片の、その余光でしかないんだ。……つまり、簡単にいえば、私が勝てたのは、場が良かったからさ。」

「そんなことは…、」

「補給が確とあって、指揮官がよほどの下手を打たなきゃ勝てるよ。」

 私はそう言って椅子に座った。

「ところで、何か用があってきたんじゃないのかい?」

「あっ、そうだ、9時からなんか式典やるって言ってましたよ。感状の授与もあるって……。」

「もしかして、それに私は出なきゃいけない感じかな?」

「……はい…、」

「ええ、もうすぐじゃないか…、まいったな……、ああ、ときはのせいと、責めてるわけじゃないんだが……。」

「手伝います。」

「ありがとう。」

 

 * * *

 

 私は下着の上にそのまま羽織ったまま、外で待っていた艦長の車に乗って一息ついた。

 自分より階級がずいぶん上の、しかも艦長が運転する車に鬱クソニートが乗るというのは、どうなんだろうか、どうだろうか。隣で座っているときはは窓の外の夜闇を少し悲しそうな目で眺めていた。

 艦長は法定速度ギリギリの速さで、カーブのたびにドリフトしながら会場に向かっていった。私が髪を結んで身支度をし終わる頃には、車はもう会場に着いていて、私は落ち着くまもないまま会場に入った。あと3分、私はまだ時間があると思った。

 しかし壇上にはもう何人も見知った顔が並んでいて、防衛大臣もそこに立っていた。

 私はときはと落ち合う約束をして、妙に記者やなんやらの目を引きながら壇上に上がった。自分の席は一番左端で、そこにバツが悪そうに座った。視線を上げるとそこにはたくさんの人間が存在して、気持ち悪いことこの上なかった。ここで重機関銃でもぶっ放せばさぞ気持ちよかっただろうな。

 幾分も経たないうちに会見が始まって、大臣から感状が渡されたり、まあ色々あった。

 (たけなわ)という言い方もどうかと思うが、そんな時、記者からの質問が受け付けられた。基本的に名刺がない状態での質問だったから、私は演壇の(へり)をぼぉっと見ていた。すると、突然に、油断していた私を指名した質問が飛んできた。

空華(くげ)副司令は、今回の戦闘の立役者と聞いておりましたが、セクハラで休職されたと聞いたんですが、」

 日本の週刊誌の情報収集力は見上げたものだが、公然とストーカー行為だのをやってのけ、報道の自由を盾に個人のプライバシーや尊厳だのを踏み潰す点は見下げたものだ、蔑視に値する。

「いったいどのような理由だったのでしょうか、またどのような理由で復職なされたのでしょうか。」

 

 このクソノンデリが。

 

 私は一息ついて立ち上がった。何が報道の自由だ、何が表現の自由だ、お前らみたいな奴こそ、海神の主砲で吹き飛ばした方が良かったろうに。

「戦争とレイプと、どちらがPTSDの発症率が高いか、知っていますか…、」

 記者どもが焚くフラッシュ音が答えになった、私はほんの一息吸って口を開く。

「後者です、わかりますか、あなたたちが考えている以上にトラウマは深く、深く、深いものです、ですから、そもそもその質問は成り立っていないのです、そこに理由はないんです、それ自体理由になり得るんです、ですから、あなた方のように凡俗で俗輩で軽佻(けいちょう)浮薄(ふはく)四重奏(カルテット)を平気で、そして爆音で響かせるような誠意と礼節の欠けた方々の質問に、答える必要はないと小官は思います。」

 フラッシュの音だけが大きく聞こえる。しばしの沈黙の間、私は自分に言い聞かせるように小声で呟いた。

「………お前らが悪いんだからな…、」

 私はその沈黙に押しつぶされないように視線を落とした。私は悪くない。

 その重い沈黙に耐えかねたように司会が口を開いた。

「他に質問はありますか。」

 少し震えた声だった、当然だろう。何年この仕事をやってきたにしろ、集団の和を重んじる日本人としてはあるまじき言葉を聞けば誰だって共感性羞恥というか、感じるものがあるはずだ。

その後、本流から逃れた支流が自然に消えるように、私の発言はなかったかのようになり、その後は滞りなく式典が進んだ。式典の後、解散して散々になる人影に背を向けて、私は動けないままでいた。

 罪悪感?慙愧(ざんき)の念?いいや違う。「私は悪くない」と思うことでしか自分を守れないのだ。

 そこまで思考がまわり、私なりにアリアドネの糸を見つけたと密かに喜んだ。やっと現世(うつしよ)に目を見開くと、目の前に司令とときはが立っていた。

「あぁ、すまないときは。少し 内的宇宙(自分の世界)に入ってたよ…、待たせたかな、海将。」

「好きで待ってたんだから気にしないでくれ。それより、次の出撃命令が出たぞ。」

「ヒロポンがないのに休息なしで働け、っていうのは無茶じゃないですか?」

「まあその通りだが、今度の作戦は重要ながら、どの艦隊も出撃を渋っていてね。」

「それって、すごく強いってことですか?」

 ときはが少し怯えたような声で尋ねた。

「ああ、その通りだ。」

「……もしかして、ミッドウェイ島か、ハワイか、そんな感じですか。」

 私は、こういう時の予想に限って嫌に当たってしまうんだよな、と思った。是非とも外れて欲しいものだ。

「半分あってる……、どっちもだ。」

「どっちも?彼ら、二兎追う者は一兎も得ずという言葉を知っているんでしょうか。」

「知っているのと活かせるのは別問題さ。」

「……そうですね。それで、開戦劈頭にまんまと奪取されて、取り返そうとして二度も失敗したあそこをですか?」

「いいや、今日三度目の部隊が負けたんだよ。

「もういっそのこと、そんな島なんか無視して作戦をの立てましょうよ。三度目の正直が無理だったんですから。というか、二ヶ月の間に同じ島に三度も攻撃を仕掛けておいてその都度負けるんじゃどの艦隊も出撃を渋って当然ですね。」

「しかも今回、アメリカご自慢の空母機動艦隊がボコボコにされて、直衛の巡洋艦が沈んで、あまつさえ空母、なんと言ったかな…、そうだ、カール・ヴィンソンとか言ったな。」

「ああ、原空でしたっけ…。」

「そうだ、つい最近まで最新級だったあいつが、大破だから、ね。」

「それで躍起になったと……、個人が感情を持つことは大切で結構ですが、個人の感情で軍を動かさないで欲しいですね…、それじゃあ私兵と変わりませんよ。」

「まったくだな…、外に車を待たしてある、行こうか。」

「ええ。」

 

 外には安善艦長がさっきの車で待っていてくれて、助手席に海将が、後ろに私たちが乗った。

「運転手を雇う金くらいくれたらいいのに……、」

 私はそう独り()ちた。

「いいやぁ、あるんですよ、その金。」

 艦長は少し嬉しそうな口元で続けた。

(わたくし)、運転するのが好きなんです。」

 そう言いながらまたドリフトした、安善のくせに。

 まあ1億人もいたら、一人くらいこういう奴がいてもおかしくない、その方が面白い。

 それにしても、ミッドウェイ海戦は6月だった、6月はミッドウェイの季節なのだろうか……、やだなぁ。

「海将、帰ったら作戦を立てますから、彼我の戦力やら何やらの詳細を下さい。」

「おぉ、やる気になったか?」

「いいえ、給料泥棒にはないたくないだけです。」

「千季らしいな。」

「私が守りたいのは、給料と、ときはだけですよ。」

「だろうな。」

「そろそろ着きますよ、」

 ゲートが開くと、そう言って艦長は車を基地の駐車場を高速で駆け抜け、綺麗にドリフトしてピタッとパーキングスペースに車を止めた。危険極まりない。

 

 艦内に入るとどこか落ち着いた気がして、艦長はすぐに資料やら命令書やらをくれた。

 それを受け取って夜食を取りに行き、自分の部屋に向かった。資料と夜食で手が塞がった私の代わりにときはがドアを開けてくれ、机にご飯を置いてベットに転がった。

 ベッドに片膝を立てて座り、壁に持たれて夜食を食べた。行儀が悪いとか、そういう問題ではないのだ、と思う。

 疲れているからだろうか、ご飯は割合早く食べ終わって、急に眠気が襲ってきた。そのままベッドに転がると、いつの間にかうつらうつらとしてしまった。毛布がかけられる感じがして、食器が片付けられる音がした。動かなくてはいけない気がしたが、動けなかった。耳の奥に残ったその音を伝って、私はいつしか眠ってしまった。

 

 * * *

 

 ふと目が覚めると目の前にときはの寝顔があった。驚いて一気に目が覚めるポケットの中を探り、スマフォを出して時間を見ると午前3時だった。変な時間に起きてしまったものだ。

 ときはを起こさないように静かに部屋を出て、図書室に向かう。航海中はスマフォの電波が届かないから、図書室は割合貴重な役割を持っている。

 申請すれば自分の本を艦内に持ち込むことができるが、数には限度があるし、ここには漫画もある。図書室は閉まっていたから、私は鍵を取ってきた。まあ許されるだろう。

 重要な鍵は、二重の鍵がかかった箱に入っていたりするが、こういう部屋の鍵はそこまで厳しく管理されていない。別に漫画を読んだり本を盗んだりしたりするのではないから、このくらい目をつむって欲しい。

 そんな自己弁護の言葉で脳内を埋め尽くしながら、ミッドウェイ海戦に関する本や、その内容が含まれる本を十冊ほど選んだ。片手でドアを閉め、役割を終えた鍵を元の場所に戻して自室に戻った。机の上のライトを薄く点けて本をパラパラとめくる。

 机に組んだ足を乗せて椅子の後ろ脚だけでバランスをとり、手を頭の後ろで組んで考えた。目をつむると、ライトの薄い光が瞼裏(けんり)に薄明かりを灯す。

 思考がぐちゃぐちゃになる、わだかまる、どろどろ、みんな大きくて小さい、質量を持ってそうで何もない、浮かんでは消える、正しいこと、関係ないことだけ、肥大、誇大、その他もろもろ。一つ思いつくとすぐそれを否定するアイデアが生まれる、背反、葛藤、そういう類のものじゃない、否定、非定。

 どれだけそこに手を突っ込んでかき回しても、アリアドネの糸は見つからない、引っかからない。中は見えない、泥、泥中、どうしたら勝てる、被害を少なくできる?ベストよりベター……。

 思いついたことをノートに書いていく、散文、とりとめなく、脈絡なく。…徒然草ってこんな風に書かれたのだろうか。

 2時間、3時間、頭の中で何度もシュミレーションした。ずっと同じ輪の中、少しずつ変わっていく輪。最初に立てたものとはほとんど変わったものができた、残っているのは一文だけ。

 でも私は満足した。資料だとかなんだとかを一式持って作戦室に向かった。この前使った色をつけまくった消しゴムとその残骸の前に座って、散文的に作戦を書いた紙を見ながら地図上で作戦をシミュレーションした。すればするほど問題が出てきたが、それは解決しようのないことのような気もした。

 案ずるより産むが易し、そこまで楽観的にはなれなかったが、やってみないとわからないという気がした。つまり、この作戦は、成功する可能性が一番高いということ、ベターなのだ。

 そう考えながら作戦案を、例によって命令書のコピーの裏に清書していった。

 やっと私は満足して時計を見ると、もうそろそろ6時だった。みんなが起きる、誰にも会いたくない。そう思って急いで電気を消し、作戦室を後にした。自分の部屋に戻ったちょうどその時、起床の合図が鳴った。

 私はもぞもぞ起き上がるときはにおはようを言って、そのままさっきまでときはが寝てたベッドにダイブし、資料やらを枕にして寝た。少し、温かい。いいヌクモリティだ。

 

 * * *

 

 よく眠り、そして起きた。普通こういう場合、満足感を感じるものだろうが、私はまた自己嫌悪に襲われていた、自分を責めなくてはいけない気がした。

 また眠り過ぎてしまった、もう11時を過ぎている。またやっちまったよ。

 のそのそ起き上がってひとまず風呂に向かった。風呂は命の洗濯とはけだし名言だな、などとか思いながら風呂を出た。二着しかない服を着替えて、さっぱりした気持ちで廊下を歩いた。艦橋に行って海将に作戦を見てもらおうと思い、部屋に寄って資料を取ってきた。艦橋に上がると、先の戦いで受けた傷の修理をしているのがよく見えた。

 気付いたように立ち上がった海将に、何のためにここに来たのか思い出した。

「作戦、できましたので…、」

 そう言って私は清書した命令書の裏面を差し出した。

「ふっ、やっぱりか。」

 海将は紙の裏をちらっと見て言った。

「う〜ん…、」

 海将は紙の一点をじっと見つめていた。ちょっとドキドキする、先生に回答を見られている時みたい。

「豪胆にして緻密、無謀のようで鬼謀(きぼう)幽遠(ゆうえん)かつまた 渺茫(びょうぼう)…、さすがだな。私では到底立てられない作戦だ。」

「蟻が鯛なら芋虫は鯨です。」

「ん?」

「蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨……、平たくいうと、嬉しいです。」

「それならいいんだが…。それにしても、何というか、80数年来の恨みを晴らせそうな感じだな。」

「日本が敗戦の兆しを見せ始めたのは、ミッドウェイ海戦からじゃなくて、まあ諸説ありますが、どちらかといえば珊瑚海海戦の方だと思っています、私としては……。」

「そうだな、私も同意見だ。」

「でも挽回のチャンスは何度かありました…、マリアナ沖海戦までなら、いいえ、せめてレイテまでなら……、いえ、仕方のないことですね………。」

「まあでも、乾坤一擲の作戦にしては面白い、と後世の歴史家なら言うだろうな…、会議で決定したらすぐにでもやろうか。」

「そんなすぐ?」

「善は急げ銭は稼げと言うからな。」

「はあ。」

「あ、そうだ、一点修正があるんだが、いいか?」

「ええ…、」

「この前拿捕した二隻の戦艦なんだがな、米国に返せと言われたが日本はその見返り、つまり沈んだ(ふね)やら傷ついた(ふね)やらをどう埋め合わせてくれるのかって大喧嘩になったらしくてね、」

「愚かしいことで。」

「最終的にアメリカの息のかかったこの艦隊に入れる、これで日本も失った艦艇を補填できるし、アメリカも自分の掌の内に置いておけるから、ということで合意したんだがない、」

「お偉いさんは、すべての(ふね)は同じ役割がこなせるとでも思ってるんですか?」

「そのようだなあ。」

「だから、それを踏まえてもう一度考えてくれるかい?」

「いいですけど……、」

「それから、艦隊の殆どの艦は、一応明日までにはこの近くに来れるそうだ。来れないのはええと、解体寸前のエンタープライズを筆頭にした空母打撃群くらいかな。」

「わかりました、じゃあ、すぐにでもこちらに向かっている(ふね)に進路を変えるように連絡してもらえますか。」

「わかった、会議というか、どちらかと言うと図上演習がメインだろうから、よろしく。3時くらいからでどうだ?」

「わかりました、それまでに直してきます……。」

 

 * * *

 

 私は一旦自分の部屋に戻って作戦を練り直した。昨日は完璧だと思ったものが次々に綻んでいく感覚がある。一晩寝かせるということが、これだけの力を持つとは。

 戦場における用兵には常に一定の法則がある。兵力を集中し、その兵力を高速で移動させることだ。これを要約すればただ一言、『むだな兵力を作るな』だ。

 遊兵を作ってしまうと、敵と同数の戦力を持っていたとて、その時点で不利になる。だから、できるだけすべての艦に、すべての乗組員にそれぞれの役割があった方がいい。

 また頭の中がごちゃごちゃしてきた、思考の海に沈んでいく、赤い糸はどこにも見えない。今考えてみると空母が足りない、航空戦力なしで現代戦はやっていけない、立体戦の呪い。

 ……そうだ、空母がもう二隻あれば。

 私は急いで艦橋に向かった。

「海将、二航戦、今は第7艦隊でしたっけ?の、玄鶴と雲鶴を使えないですか?」

 海将は一瞬眉をひそめた。

「空いてはいるだろうが…、」

「もし四隻も空母を投入して、あまつさえそれを失ってしまったら、日本の航空戦力は半減してしまう、そんなことは受け入れられないだろう…。」

「その通りだ。」

「でも、小さな投資で大きな利益を得ようとする方がおかしいのではないでしょうか…、」

「わかった、掛け合ってみよう。他はいいんだな?」

「ええ、お願いします。」

 私は、自分の少し足取りが軽く感じられた。これならうまくいくかもしれない

そんな気がした。

 

 * * *

 

 会議と図上演習が終わったのは21時を過ぎた頃で、艦隊は修理の終わった艦から順に港を出て行った。

 会議が終わってぞろぞろとみんな出ていって、私と海将だけが席に座ったまま残った。私は足を崩して座り直し、頬杖をついた。

「どうですかね、今回の作戦。」

「どうだろうねえ、まあやってみなくちゃわからないさ。」

「それはそうなんですが……、」

「まあ今日は早く寝てくれ…、ええと、6月4日だっけか?全艦が揃うの、」

「あぁー、確かそうですね。そして作戦決行が翌5日…、」

「そうだ、作戦名は、どうする?」

「そうですねえ、80年来の悔恨を、雪辱を晴らす…、」

「おいおい、同じ艦隊に彼らがいるんだぞ?」

「そうでしたね、でも敵さんにこの前まで負け続けてきた、それを晴らす意味でとってもらえばいいんじゃないですか?」

「じゃあ復讐の讐とか?」

「それでは芸がないような……、いや別に、海将がどうとかってわけじゃないんですが…、」

「わかってるさ、漢字やら何やらの知識が千季は豊富だからな。それに、言選(ことえ)りも上手い。」

「褒めても何も出ませんよ……、でも嬉しいです…、そうですねえ、ぇ〜ぇえ、う〜ん。」

 やばい、考えてる感じの(てい)は繕っているけど、実際何も思いつかない。まじやば。(あだ)(あだ)(あだ)………、(あだ)

(しゅう)l…、というのはどうでしょう……、あの、(あだ)の異体字の……、」

「どんな字だ?」

「ええと、(ふるとり)で言偏を、こう、サンドイッチ〜、みたいな……、」

 絶対伝わってないということが伝わってきたから、私は紙に書いた。

「へぇーえ、こんな字があるんだな、初めて見たよ。」

「ええ、まあ、はい…、」

「でもいいじゃないか、今回の作戦は敵を前後から挟撃するからな、言偏を敵に見立てるとそう見える、いい字だな。」

 そう言われて私は嬉しかった。会議室を出て自分の部屋に戻ろうと思ったが、なんとなくそういう気になれなかった。艦内をうろうろして結局甲板に出た。行く当てのないまま艦尾に足が向かって、ふらふら歩いていった。

 他国や他の港から集まった艦も、続々とランデブーポイントに集まっているらしく、海神もそれに続いて出航した。

 スピーカーが吐き出す声とか、防舷材の外される音とか、そんなものはみんな(よい)の虚空に吸い込まれていった。なぜだろうか、何も感動しない、何一つとして私の心を動かせない。

 ポケットから煙草とライターを出して、艦尾の旗竿の隣に立って手すりから乗り出すようにもたれた。真下から引き波が出ていて、それに恐いと思えない自分に呆れる。だんだん小さくなっていく不夜城の光に煙草の火を重ねてみた、厭に心悲(うらがな)しい気がする。

 何もかも微妙に違う気がして、いつの間にか戻れない楔を打ち込まれている、進んでしまえばもう振り返ることしかできない。

 「微妙」というのはおもしろい言葉だ、とふと思った。「ちょっと微妙」と言えば相手を傷付けずに否定できるし、わからないということを遠回しに伝えることもできる。日本人の根源的なところが罪ではなく恥から導き出されるなら、これも結局その中で産み落とされたものなのだろう。まったく菊と刀とは名言だ。そういう意味で、集団の中にいてそれを読み解くのは難しいかもしれない、外からの方が俯瞰できる。

 一本吸い終わって、もう一本箱から出した。口に咥えて火をつけると、また思考が回り始めた。

 かつて「2600年の涙」を流して負けた日本は、平和国家を目指した。平和という目的に対する方法は国の数だけ、思想家の数だけあると思う。

 それはいいとして、日本は憲法で武力の放棄を宣言している以上、自衛隊の存在はともかく、攻め込まれたら即座に降伏するのが望ましかろうと思う。すぐに降伏すれば敵国もそこまで締め付けを強くしないだろうし、何しろ市民の生命が守られる。国が細胞分裂して国民になるのではなく、個々の市民から国家がなるのだから、どちらが大切かは明白なことだろう。

 まあ負けたらプライドは傷つくだろうが、国土が灰燼に帰し、そして尊厳も何もかも消えてしまうよりいいだろう。大体まだ日本人が存在していることすらかなり奇跡的なものだろう。降伏するのがもう少し遅かったらダウンフォール作戦で原爆が国中に落とされて日本人なんか(みなごろし)になっていただろう。

 国などというものは所詮道具にすぎないから、市民に都合が悪くなったら捨ててしまえばいい。どうせ不滅のものなんかないんだから、その時はその時だと勇退してもらえばいい。アイヌはクニを持たなかったし、それでも素晴らしい文化を作り上げた。

 というか、よほどのもの狂いでなければ永遠など本気で考えないと思うが、(こと)国家となると無窮不滅のものだと思ってる、いや思いたがってるのだろうか、そういう人間がまあまあ多いのはまったく不思議なことだ。

 いや別に、神州不滅とか言っていった人々が問題なのではない。教育の力とは恐ろしいものだ、別にあの時代を否定したいんじゃない、ただ、それを糧にしたいんだ。まあ、そういうことにしておこう。

 日本だって2700年近く存続しているが、いつ滅んでもおかしくなかった。ガラスのロープを目隠しで渡ってきた。いやそもそも第三次世界大戦だっていつ起きても不思議では無い。

 有名なところだと、どうだろう、スタニスラフ・ペトロフによる核戦争回避事件とか、他にもヒューマンによってできたものだったら、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)に誤ってソ連による総攻撃が表示されたり、マコーネル空軍基地でICBMタイタンIIが訓練中に誤って発射シーケンスに入ったり、ソ連がNATOの核ミサイル発射演習を本物の核攻撃の偽装と誤解したエイブル・アーチャー83も発生したし、ロシアがノルウェーの気象観測ロケットをアメリカの核ミサイルと誤認して被弾前報復核攻撃を検討したノルウェーロケット事件だってあった。

 台湾海峡危機だって一度では無かったし、国光計画だってあった。プエブロ号事件や大韓航空機撃墜事件、EC-121機撃墜事件のように直接的に始まる可能性だってあったし、エイド・メモワールやケネディ=フルシチョフ会談から起こる可能性だってあった。キューバ危機など過激化しなかった方が不思議だし、中越戦争、中ソ国境紛争など、主義思想に関わらず戦争は起こるようになった。

 いつだってエスカレーションの可能性を孕んでいた。地球が滅んでいない方が不思議。

いやそもそもベルリン封鎖だとか朝鮮戦争だとかもそうだし、尊厳の革命だって国家間の代理戦争だから、そこから激化して止まれなくなる可能性は十分すぎるほどあった。

 どうして滅んでないのか、しぶといな人類。

 

 核保有国が増え、地球を二度三度滅びてなお余りある核兵器がそこらじゅうに蔓延っている。核兵器が戦略兵器である以上、核による抑止は余り効果が上がらないだろうし、それどころか世界中に核の炎を振り撒いた。

 それは日本も例外ではいられなかった。

 非核三原則はあっても沖縄近海にA-4が水没して抱えていた水爆を落としたままになっているし、そもそも沖縄に核が配備されていたこともある。今だって撤去したと言っているが怪しいものだ。

 いや、原潜だの原空だのが逍遥(しょうよう)跋扈(ばっこ)している時点でダメかもしれない。

 何にしろ、敗戦国というのは、戦争に負けるというのは、こういうことなのだ。

 じゃあしょうがない、そう思って(くゆ)る紫煙に薄くなる街の光を、街の光のあったところをぼうっと見続けた。

 




 読んで下さり有難うございました。

 次はミッドウェイ海戦のつもりですが、そのあとどうしようか何も思いついていません。
 タイトルだけ考えたんですけど…、まあ、なんとかなりますよね(?)←なってくれ
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