何ゆえ私たちの生活には、拘束時間というものが設けられているのでしょうか。
そんな事を考えながら、私はベッドに腰掛けて、図書室から拝借してきた本を読んでいました。
読む、というよりかは文字をなぞると表現したほうが正しいかもしれません。
フィクスマージ語で書かれた本は、相変わらず何が書かれているか判然としません。
諦めて私は本を閉じると、脇の方にそれを置きます。ページの隙間に僅かに残ったホコリが閉じた拍子に宙を舞って、少し鼻がくすぐられます。
私は左腕をおでこの辺りに置くと、ため息を1つ吐きました。
視界に映るのは二段ベッドの骨組み。無骨で冷たい印象です。せめて太陽が見えるところで拘束されるならば、もう少し気分も晴れやかになるのに、と内心愚痴を呟きます。
ふと、お腹の辺りでキュルルと音がなりました。想像以上に大きな音に、私は思わずぎょっとします。今朝食べたものが消化された音でしょうか。
恥ずかしくなって、私は思わずヒナタさんの方に目をやります。
当のヒナタさんは私のお腹の音に気づいている様子はなく、イスに座って何かをいじくっているようでした。‥‥どうやら、聞かれていないようです。
それよりも私は、彼女がいじくっているものが何なのかが気になりました。そっと立ち上がると、驚かれないように横の方から声をかけます。
【篠宮 マコト】
「ヒナタさん、さっきから何をされているんですか?」
話しかけつつ横目でヒナタさんの手元を覗き込みます。
彼女の手には‥‥小さなナイフが握られていました。まさか凶器を手にしていているとは思わなかった私は、一歩引き下がります。
ヒナタさんはその動きに驚いて、ナイフを手に置くと慌てて手を振って、なにもやましいところはないとアピールします。
【南雲 ヒナタ】
「あ。ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ」
ヒナタさんは申し訳なさそうに眉を下げると、つばに手をかけて帽子を少し目深に被り直します。
彼女が机においたナイフを観察してみます。
ナイフはケースから抜かれており、刀身が裸の状態で置かれています。刃の部分は至って普通の西洋系のナイフと言った様子です。
‥‥あれ。よく見ると、ナイフの端の方に‥‥。
【南雲 ヒナタ】
「き、危険だからナイフは収めておくね」
私が刀身に注目しているのに気がついたのか、ヒナタさんはナイフをケースにしまいます。
柄の部分やケースの部分には、色々と模様があしらわれているのが確認できます。
赤い朝日を思わせる丸い円を中心に、白い花弁のような模様が広がっていて、金色の葉っぱのような模様が輪郭を形どっている‥‥うまく説明できませんが、そんな感じのデザインです。
実用というよりかは、観賞用のナイフでしょうか。
ヒナタさんは慌てて、引き出しにナイフをしまうと、バンと音をたてて引き出しを閉めました。随分と狼狽しているようです。
【篠宮 マコト】
「あの、ヒナタさん。このナイフは、どこで‥‥?」
当然の質問が、無意識のうちにヒナタさんに飛んでいきました。一体どこでこんなナイフを手に入れたのでしょう‥‥。
私の質問にヒナタさんは目を白黒とさせて、回答を迷っていたようです。ですが、観念したのか、諦めたように頭を振ると事の真相を語り始めました。
【南雲 ヒナタ】
「さっきのナイフは‥‥僕の“私物”だよ」
【篠宮 マコト】
「ヒナタさんの‥‥私物ですか」
なるほど、それで合点がいきました。
この牢屋敷には、ラウンジにあったボウガンなど、一部武器になりうるものが置かれてはいましたが、基本的に殺傷能力のある武器は置かれていません。強いて言うなら、厨房にある包丁の類が凶器として用いることが出来る程度でしょうか。
故に、ヒナタさんの持っているナイフが奇妙に見えたのです。
【南雲 ヒナタ】
「実は、初日の時点で、このナイフが引き出しにしまってあったのは気づいていたんだ」
【南雲 ヒナタ】
「だけど‥‥その理由が分からなかったし、何かの罠かと思って、今までみんなに黙っていたんだ」
【南雲 ヒナタ】
「そして今朝、みんなも私物を1つ与えられていることを知って、ようやく辻褄が合った」
【南雲 ヒナタ】
「それで改めてもう一度ナイフが本当に僕の私物か、確かめていた。さっきの行動の理由はそういうわけだよ」
【篠宮 マコト】
「なるほど‥‥」
私の私物‥‥このひまわりバッジも、確かに初日の時点から囚人服に勝手に身につけられていましたね。
途中から支給されたのではなく、最初から色んな場所に皆さんの私物が配置されていたようです。
ヒナタさんは気まずそうに立ち上がると、私がさっき放置した本に目をつけました。
【南雲 ヒナタ】
「そういえば、さっきからずっと本を読んでいたよね。フィクスマージ語の解読かい? 僕にも手伝わせてよ」
引き出しにしまったナイフの方から話題を逸らすように、ヒナタさんは私のベッドに腰掛けると、本を開きます。その様子から見るに、ナイフについてはこれ以上触れられたくないのでしょう。
無理に追及するのも酷だと思った私は、ヒナタさんの隣に腰掛けると一緒に本の内容に思考を集中させます。
しかしながら、頭の隅にはさっきほんの一瞬目に入ったナイフの刀身が、写真のように頭に焼き付いていました。
私の見間違いでなければ、ナイフの刀身には‥‥《赤黒いシミ》がついていたように見えました。
あのシミは、もしかしなくても‥‥。
ヒナタさんが触れてほしくないのは、もしかしたら“ナイフ本体”というよりも、その“シミ”の方なのかもしれません。
ひとまず私は、ナイフの件は保留することにして、残りの拘束時間をヒナタさんと共に過ごしました。