やがては色褪せるもの
トランスポーターという職業の解釈は多岐にわたる。依頼者の安全なルート確保、迅速な配達物の配達、漠然としたものであれば……遺族への伝言預かりなど。
そこに、国々の風土が混じり合う。ラテラーノであれば軍事補給の代わりにジェラート補給所があり、それを届ける役目を。リターニアであれば選帝侯にお目通り叶わぬために、ある特定の周波数を添付したアーツユニットによる書簡を。
では、シラクーザはどうだろう?
実は、意外と普通だったりする。今回のお届けものは可愛らしくデフォルメされた鼷獣のぬいぐるみ。届け先はシラクーザでも一二を争うくらいの大豪邸と思われる上流階層の区画のある屋敷。
アンジェリーナは右腰の縫合痕をちらと見た。依頼とは関係ない。ただ、好きなファッションはやっぱり当分できそうにないなと思ったから、視界に映した。
少し布がズレたりすれば、目の良い人には分かってしまうだろう。それくらい、傷痕は広がっている。届けものを前にして、隠すように持つ。
「……ふぅ、今日も一日がんばろっと」
そう言うやいなやアンジェリーナの周りに風が吹き荒れ、彼女の身体はその強風によってか宙へと浮かんでいく。アンジェリーナは現在、フリーランスの駆け出しトランスポーターを営んでいた。
あの交通事故から4年、アンジェリーナは右腰に大きな事故傷が残ったものの、運良く一命を取り留めた。差別がそこまで酷くない国とはいえ、シラクーザも鉱石病患者に対する社会的支援は心もとない。
一応は最後までやり通すのが掟なのだろう、都市内では大きいほうである病院の一室、白いベッドの上で点滴を繋がれたまま医者に告げられた事実は、どうやら自分は事故の影響によって鉱石病に罹患してしまったということだった。
医療費は衝突した車の運転手の賠償金から払われたようだが、明らかに当時のアンジェリーナは幼く見えた。故に、退院後すぐに引き取ってもらうため、保護者等の確認をされたが、絶望一色ながらに絞り出したアンジェリーナの一言は「いません」だった。
両親ふたりに心配をかけたくないのもあったし、なによりあの自暴自棄に浸った深夜から、ずっと心が死んでいるような感覚にあった。つまり、もうどうでもよかったのだ。帰るべき寄る辺に、もう足を運びたくなかったのだ。
アンジェリーナは、もう『安心院』という名前を捨てることにした。全ての関係を捨てて、あてもなく夜を彷徨うだけの、ただのアンジェリーナとして。
道中、空腹に耐えかねて餓死してしまうかもしれない。または、急性の発作に見舞われて鉱石病に苦しめられて病死してしまうかも。本当に、どうでもよかった。アンジェリーナはもう心配してくれる人を自ら断ち切って、独りになったから。
普段は湿度で尾が肌に張り付いて気持ち悪いシラクーザの、やけに涼しい……いいや、寒いとまで言ってもいいほどの、そんな夜だった。
転々と建物と建物の間を浮遊して放浪していたアンジェリーナは、きらきら光る街灯が眩しい表通りに近い裏路地に差し掛かっていた。
買い物帰りなのか、手を繋いで安全な夜道を母親と帰る女児。仕事終わり、きっと家族と通話しながらくたくたになっても暖かい笑みを浮かべているサラリーマンの男性。
そこには、営みがある。不思議と、手を強く握って生唾を飲み込んでいた。あれは、あたしが捨ててあたしが欲しかったもの。
どこで間違ってしまったんだろう……泣きそうになりながら、ふとある爽やかな身なりをした若いループスの男が、茶色いペレー帽を手で押えながらどこかへ走り去るのが見えた。
別にアンジェリーナは彼のことを知っているわけではなかった。ただ、彼の『急がなくては』という顔は、家族や親しい者へ向けるものではないというのに、見たことの無い新しい『温もり』を感じたのだ。
気になってしまった。誰に、そして、どうして?やつれた身体、汚れた服で表通りに出ることはできない。ふわり、アンジェリーナは双月に見守られ、夜を駆けることとした。
ぬいぐるみの配達。いたって簡単なお仕事なので、アンジェリーナはちゃちゃっと完了……するはずだった。現在、アンジェリーナはあんぐりと口をあけて、ぽかんと立ちすくんでいた。
「ぬ、ぬいぐるみ……盗まれちゃった……」
もちろん、しっかりと個包装して損傷等のリスクは防いでいる。ただし届け間違いのないよう、各種輸送情報が記載された伝票が貼ってありはするが、たかがぬいぐるみ。
誰が盗むなんて思うだろうか。現在進行形で家出娘のアンジェリーナだが、元来彼女はドジで鈍臭い。こういったトラブルに巻き込まれる不運体質を持ち合わせていた。
「……や、やばい。ぬいぐるみ泥棒を急いで捜して取り返さなきゃ……!」
わたわたと手をばたつかせ、慌てふためいて数分、息を整えて垂れ目がちの目尻を上げて『重力操作』を行使するアンジェリーナ。落ち着いてきたら、なんだか腹が立ってむかむかしたので、頬を膨らませて勢いよく宙を駆けている。
「も〜、おこったから! 絶対にこてんぱんにしてやる!」
「にしても、この箱ん中何が入ってんだ?」
「……お前、文字も読めないのか? この箱のオモテに『ゆるふわぬいぐるみシリーズ』って書いてあるだろうが」
「ちっ。うっせーな、俺は学校に行ったことがねーんだよ。 みんながみんな文字読めると思うなよ」
一般人と呼ぶにはあまりに身なりが暴力的で、マフィアと呼ぶにはあまりに風格が伴っていない。いわゆるチンピラの類いであろう二人組のループスが、明確に目的地へ向かっているような走行でバイクを二人乗りしている。
「つーかよ、こんなの盗むだけで大金くれるとか、あの男良いヤツだよなー!」
「正直、うさん臭ぇ。俺はさっさと金手に入れたらトンズラするぜ。シラクーザで厄介事に足を突っ込むのは、道端のぬかるみに足を突っ込むのとそう大差ないくらいのモンだがよ、これはいくらなんでもキナ臭すぎる」
「賢ぶんなよ、バカなんだから。金貰おうとしてる時点で結局足突っ込んでんのは変えられねーって!」
関所を越え、シラクーザの荒野にポツンと建っている寂れた源石性ガソリンスタンドにバイクを停めるチンピラたち。合流地点に設定されたここで待ち合わせと言われたのだが、肝心の依頼者である男が見当たらない。
「……みーつーけーたぁ……!!!!」
そして、男ではなく、女が来た。しかもよりにもよって、盗んだ相手である女が。
「うわっ!? なんでここまで追ってくるんだよ、キメぇな!」
「うっさい! さっさとそれ返して!」
「素直に返すわけないだろうが。これは俺たちにとって金の成る木なんだよ!」
チンピラはふわふわ宙に浮いている変な女だと思っているが、それでも非力なただの女だと侮っている。懐からポケットナイフを取り出して、脅すつもりであるらしい。
「────はぁ。アッシュの故郷だから、善い人ばかりと期待したんだけど。これじゃあ、クルビアもシラクーザも変わんないな」
ガソリンスタンドの屋根裏、頭の後ろに腕を回して仰向けに昼寝をしていた、肌の黒いリーベリの少年が会話に割り込んできた。驚異的な身体能力でチンピラ二人の間に一瞬で立ち、彼らの肩に腕を回している。
「お前ら、彼女に返してやりなよ。お前らだって、ここで俺にボコボコにされたくないでしょ」
「……!? んだてめぇ!」
振り向きざまに斬りつけようとするチンピラの一人。『眼』のいい彼は涼しい顔で頭を下げるだけで避けてしまう。続けるように、軽くチンピラの胸を手のひらで押して、吹き飛ばす。
力をまるで込めていないような動作なのに、そこに確かに埒外の力が込められている。遠巻きに見ているアンジェリーナは、その気怠そうなのにしっかりと芯が通った動きにどこか懐かしさを感じて、見覚えがあった。
「なんか……アッシュに似てる……?」
「いってぇ……! なんだその馬鹿力っ……!」
「……なんか、俺ってクルビアでは下から数えた方が早いレベルで弱いと思ってたけど……俺より『持ってない側』のヤツらって居るんだな」
憐れむように見下すリーベリの彼の瞳に、ぶちっ……!と血管を浮かせてキレるチンピラたち。『持っていない側』であることを誰よりも自覚しているからこそ、それを他人に白日に晒されることに、強い拒否感と嫌悪感を抱いていた。
「ああそうさ! 俺らは『持ってない側』だよ!!! だからこうやって盗んで! 金を得て! 惨めに生きてくんだよォ!」
そう叫びながら押し飛ばされなかった片方のチンピラが、転がり落ちていたぬいぐるみの包装を抱え、バイクに乗って逃げようとしていた。
途端の行動に対処が遅れたのか、はたまたそうする必要が無いと踏んだのか、リーベリの少年は目で追うだけでなにもしなかった。
「……逃げられると思わない、でぇっ!!!!」
「……視たことない『アーツ』……重力?」
アンジェリーナが手を振り翳して、逃げようとする彼とバイクごと押し潰そうとしているのが『眼』で視えていたのだ。しかしかなりの重力で押し潰しているとはいえ、まだ意識はある。
できるだけ他人を不幸に陥れようと、チンピラは下卑た笑みを浮かべて乱暴に包装を破り開けて、ぬいぐるみを引きちぎろうとしていた。
「へへ、どうせ金も手に入らねぇなら……てめぇらも不幸にしてやるよォ……!」
「な……! ちょっと、それは大事なお客さんたちの『温もり』なのに……!」
ふと、カチッ!という音が鳴った。拍子抜けするほど場違いな音に居合わせた全員が虚を突かれ、一瞬の間ができる。その時、間抜けな顔をしたチンピラの首が吹き飛んで小さな爆発が起きた。
「ぬいぐるみに、爆弾が仕込まれていた……!?」
「う、うそ。 じゃ、じゃああたし……爆弾を届けようと思ってたって、こと……?」
「ひ、ひいいい!! なんだよ、なんなんだよこれぇ!」
吹き飛ばされ、仲間の一人が爆発で木っ端微塵になる所を見てしまったチンピラの残りが、腰を抜かして情けなく後退りして逃げようとしている。
バイクももはや燃え、逃げるための乗り物はないというのに、一縷の望みに賭けて彼はガソリンスタンドの店内へと向かおうとしていた。
「はっ、はははっ。 とりあえず、通報してやらぁ……! 被害者ヅラして、お前たち全員ブタ箱行きにしてやるよ……!」
どこまで行っても性根の腐った人間性である彼は、そんな悪どいことをこの期に及んでも考えながら、ガソリンスタンドの入口のドアノブに手をかけた。
ただ流れるように、引いて入ろうとしたその時────またもや、カチッ!という音が無慈悲にも鳴るのであった。
「は、はぁぁぁぁ? ここにも、ここにもあんのかよぉ!! そんなのって、そんなのって……!!」
まともな遺言も残せぬまま、彼もガソリンスタンドを巻き込んだ爆発に呑まれ、跡形も無く消えた。
アンジェリーナは、ガソリンスタンドの屋根裏で雑魚寝をしていたリーベリの少年を見やって、当惑している。
「君の……しわざじゃ、ないよね?」
「……俺は身体にアーツが流れない体質だから、遠隔でも微量のアーツを必要とするような、こういうのは使えない」
「じゃ、じゃあ……」
「ああ。このぬいぐるみを発送したやつと、こいつらに盗みを命令したやつは同一人物だし……届け先に指定されていた人、または家族が狙われてる」
「でもおかしいよ! それなら盗む必要ないじゃん、そのまま……あたしに届けさせればいいだけで」
しゅん……と耳と尻尾をへたり込ませて悲しげに俯くアンジェリーナ。トランスポーターを始めた理由は、こうやって人々の架け橋になることで、『温もり』を届けることができるからだ。
勝手に捨てて、勝手に独りになったのに、寂しくて少しだけでもいいから『温もり』の輪に入りたくて。アンジェリーナはどこまでも自虐的で、どこまでも自罰的に物事を捉えていた。
「……わかんないけど、とりあえず届け先の住所は覚えてる?」
「……うん。忘れないようばっちり目に焼き付けたからね」
「じゃあ、そこに行こう。……自己紹介がまだだったね。俺の名前はアダム。アダム・トラディトーレ……アッシュって人の部下をしてる、用心棒もどき?かな」
「……あれ? もしかして、アンジェリーナさんですか? 最近、れんらくがないから心配してたんです……元気にしてましたか?」
「うぇっ、ええっ!? 届け先って……リ、リサちゃんのお家だったのぉ……!?」
目を丸くしているリサと、世間の狭さに驚いているアンジェリーナを眺めながら、同様に世間の狭さに目頭を押さえているアダム。
「その顔立ち、イングリッドにそっくりだ……そっか、アッシュの実家がここね……そんでもって、アンジェリーナはアッシュと知り合いか……」