Tandem Shape Force Fantasia!!   作:EMM@苗床星人

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Log3-4『野生の領分』

 ――音のない世界。

 

 鋼鉄戦争。

 我ら『ネオンワンス』と『ゼロムード帝国』、そして炭素生命体(にんげん)たちの母星である『地球』を巻き込んだ、数千年に及ぶ果てしない闘争。

 その決着をつける最後の戦場となったのは、大気すらない静寂に包まれた、月の砂漠。

 見渡す限りの灰色の平原には、敵味方を問わず、無残に破壊された無数の金属の遺骸が、死屍累々と散らばっている。

 

(……ヤマト司令官と人間たちは、もう月の裏側の遺跡に辿り着いた頃だろうか)

 

 機能不全を訴え、ノイズの走る視覚センサーの片隅で内部時計を確認し、私はふと、自嘲するような笑みをこぼした。

 

(ふ……まさか私が、最期の瞬間に炭素生命(にんげん)の心配などをするとはな)

 

 かつて我ら珪素生命体を支配し、知性を奪い、家畜の奴隷として従属させてきた忌まわしき旧支配者(オールドワンス)たち。

 その恥辱の歴史によって、私の量子脳の奥深くには、彼らの後継種である炭素生命への拭い去れぬ恨みと嫌悪感が深く刻み付けられていた。

 だからこそ、ゼロムード帝国――いや、かつては同志であった皇帝エイトの、人類を根絶やしにするという考え方は、私にとっても痛いほどに理解できるものだったのだ。

 結局のところ、私もこの最期の瞬間まで、彼ら人類に対する根本的な疑念と嫌悪感は、完全に払拭することはできなかった。

 

 ――それでも。

 この惑星は。地球というあの美しすぎる世界だけは、どうしても護りたかったのだ。

 

 私の胸部装甲は、敵の放った超高出力の反射レーザーによって大きく、致命的に抉り取られている。

 生命の源であり、動力炉でもあるカグツチ・ドライブはすでに砕け散り、再起動は絶対に不可能だ。

 だが、私の命と引き換えに……あのゼロムード帝国が誇る、宇宙空間を絶対の防衛圏としていた光学狙撃手『イヒカ』を、相討ちとはいえ確実に仕留めることができた。

 敵の必殺の射線と交差するように、一切の回避を捨てて放った私の最後の一撃が、イヒカの頭部を貫き、ヤマトたちが進むべき本隊への活路を切り開いたのだ。

 ネオンワンスの狙撃手として、命を懸けた戦果としては上々だろう。

 

 主戦場が月の裏側へと移動し、残された私を囲むのは完全な静寂と孤独だけとなった。

 月の砂の上に、一人ごとりと仰向けに倒れた私は、急速に尽きていく残存エネルギーを惜しむこともなく、重い右腕をゆっくりと持ち上げた。

 指先の向こう、広大な漆黒の宇宙空間にポツリと浮かぶ、青く美しい宝石のような惑星。

 

「まったく……」

 

 音声出力回路に酷いノイズが混じる。

 

「こんな、きれいな惑星なんだ……。汚しきったりなんかすれば……化けて出てやるぞ、人間め…………」

 

 愚かで野蛮な、炭素生命の星。

 しかし、あの惑星を包み込む豊かな生態系と、自然が織り成す景色の美しさだけは。

 旧支配者が形だけを模倣して地表に造り出した、あのおぞましい極彩色の地獄とは全く違う、真の生命の輝きを放っていた。

 私は、あの青さを、心底好いていたのだ。

 

「あぁ、これを護れたなら……。私の、孤独な生に……悔いなんて、ない……」

 

 視界の端で、残存エネルギーの完全枯渇を告げる赤いアラートが激しく明滅し、脳内に無機質な警告音を響かせる。

 私は、漆黒の宇宙の海に伸ばしていた手を、力なく月の砂漠へと落とし――。

 

 ただ一人、誇り高き狙撃手として、静かにその生涯を終えた。

 

 

     * * *

 

 

 ――異世界。

 現在から見て、約三年前の出来事。

 とある村に隣接した、深い森の奥深く。

 

 そこでは、ファンタジー世界における通常の魔術現象とも異なる、極めて異常で局地的な『嵐』が吹き荒れていた。

 周囲の岩石に含まれる珪素や金属成分と、本来この世界には存在しないはずの不可視の霊的エネルギーが激しく放電しながら絡み合い、バチバチと青白い稲妻を走らせている。

 

 それは、遥か遠い宇宙――地球の衛星である月に散ったはずの、あるシェイプシフターの『意識の核(コア)』を中心に渦を巻いていた。

 終末神アザブネの齎した運命力と、司令官ヤマトの胸に宿る『勇者のカテドラル』が結んだ魂の契約。

 その二つの超常の力が交差することで引き起こされた、文字通りの『神々の奇跡』である。

 

 渦巻く霊子は周囲の無機物を強引に取り込み、異常な速度で金属細胞を形成していく。  やがてその嵐の中心部へと、複雑なプログラムコードに変換された『彼』の記憶と人格が、光の滝のように虚空より流れ落ち、新たな量子脳へとダウンロードされていった。

 

 この世界において、無機物が集まり生命を成すその現象は、自然界の王たる『龍』の生成過程にも酷似していた。

 しかし、青白い雷光の中で組み上がり、深い緑色の装甲が形作っていくシルエットは、明らかに龍ではなく『ヒトガタ』であった。

 

 ――死者の転生(リブート)。

 炭素基であれ珪素基であれ、一度死して宇宙の塵となった魂が再び新たな器を得て蘇るなど、それが如何に理や次元の枠を越えた、埒外に位置する奇跡であるだろうか。

 

 再構築された鋼鉄の腕に力が満ち、無意識のうちに、指先が力強く拳へと握り込まれる。

 

「ぅぅっ……ぁ……」

 

 再生成されたばかりの音声回路から、ひび割れたようなうめき声が漏れた。

 霊子の放電が吹き荒れる中、『彼女』は再起動した視覚センサー――緑色の装甲に映える、冷たくも鋭い青く輝く瞳を、ゆっくりと開いた。

 

 その覚醒の光を合図としたかのように。

 周囲を包んでいた嵐が、嘘のように唐突に鳴りを潜める。

 と同時に、彼女の機体を中空に留めていた霊子の反重力フィールドがフッと消失し、機能を再開したばかりの機体は、この世界の重力に引かれるまま、雑に地面へと落下した。

 

 ガゴォォォォンッ!!

 

 雷鳴のような凄まじい衝突音が森に響き渡り、周囲の巨大な木々が震度を伴って大きく揺さぶられる。

 

「―――うッ!? っく、何だ……! 何が起こった……!」

 

 背中を打った衝撃と痛みに顔を歪めながらも、彼女はバネのように跳ね起き、即座に戦闘態勢の姿勢を立て直した。

 

「私は、なんで……此処は、地球か? どこだ……」

 

 思考回路をフル回転させる。

 月で散ったはずの自分が、なぜ再起動しているのか。優秀な狙撃手として極限まで鍛え上げられた戦術俯瞰AIが、過去の疑問を後回しにし、即座に現状を把握するための周囲の状況分析を開始する。

 

 鬱蒼と生い茂る木々。足の裏から伝わる、柔らかい土の感触。

 一瞬、不時着した地球の森林地帯かとも思ったが……センサーが弾き出した環境データは、彼女の知る『地球』のそれとは何かが決定的に違っていた。

 

 大気成分に、彼女のデータベースには存在しない『未知の金属粒子』が大量に混入している。

 それに、大気の流れ自体が、単なる気圧の変化ではなく、まるで何者かの意思が介在しているかのように不規則で、気味が悪いほど不安定なのだ。

 

(ぅっ……なんだ、これは。まるで、巨大な生き物の腹の中に飲み込まれたような……得体の知れない不気味さだ)

 

 即座に警戒レベルを最大に引き上げ、武器を展開しようとした――その時。

 彼女のAIは、環境の異常性よりも遥かに深刻な、自分自身の『身の致命的な違和感』に気がついた。

 

「それに、この声……この機体……っ、まさか」

 

 慌てて、自らの身体を触診する。

 かつての『彼(シトリー)』のボディは、狙撃手としての隠密性と機動性を極限まで高めた、ゴツゴツとした鋭角的な装甲の塊だったはずだ。

 しかし今、『彼女』のセンサーと手から伝わってくる装甲の感触は、異様に滑らかで、不必要なまでに柔らかい丸みを帯びている。

 出力される音声も、以前の低く冷徹な男の電子音より明らかに高く、どこか艶のある軽やかな女声だ。

 何より、視線の位置が低い。背丈のフレームが、根本的に縮んでいる。

 

「これは……何の、冗談だ?」

 

 自らの身に起きた、あまりにもふざけた現象の正体を完全に理解した彼女――シトリーは。

 呆れたように深い森の天蓋を仰ぎ見ると、ガクリと肩を落とし、力なくつぶやくことしかできなかった。

 

 誇り高きネオンワンスの狙撃手、シトリー。

 彼もまた、契約した司令官であるヤマトの転生の巻き添えにより――どういうわけか、華奢な『女性の機体』となって、この異世界に転生してしまっていたのである。

 

 

 

「……どうやら、この身体に関しては『冗談』では済まないらしい」

 

 深い森の中、傍らにあった小さな湖の水面に映る己の姿を、シトリーは機械的かつ絶望的なまでに冷ややかな瞳で見つめていた。

 かつての鋭角的な装甲の面影はない。

 そこに映っているのは、華奢で丸みを帯びた、流線型の装甲に身を包んだ「女性」のシルエットだった。

 

 彼女は半ば諦めきったように、重い溜息を吐き出す。

 試しに、シェイプシフターの基本能力である変形機構をテストしてみたが、その結果は彼女をさらに深き絶望の底へと叩き落とすものだった。

 

 本来、雄の個体であった彼女が変形すべきは、地球の古生物学者たちが『プテラノドン』と呼んだ力強い翼竜であるはずだ。

 しかし、システムが導き出したフォルムは、先鋭的で、健康的に細く艶めかしい流線型を描き、太いジェットエンジンを惜しげもなく晒した、可憐な『戦闘飛行機(ビークル)』への変身だった。

 

(……ビークルへの変形。我らシェイプシフターの生態において、それは『雌』の役割だ。雄である私がビークルになるなど……これは、公然とした『女装』と同義ではないか!

 もし、あのお調子者のベンザイアがこの姿を見れば、腹を抱えて笑い転げることだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。最大の問題は、あの厳格かつ偉大な軍人であるヤマト司令官に、このあまりにも恥ずかしく、軽薄な姿を到底見せられないということだ

 いや、そもそも生命情報自体が完全に女性化しているのだから、女装という表現すら正確ではないのか……?)

 

 論理回路が不要な自己分析を始め、現実逃避に思考のリソースを割いていた、その時だった。

 

「ひ、ひぇっ!? 魔物だぁ! やっぱり魔物がおったぞぉ!!」

 

 背後から唐突に、人間の成人男性の悲鳴が聞こえた。

 シトリーがビクリと華奢な肩を揺らして振り返ると、そこには粗末な布の衣服をまとった一人の男が、腰を抜かして這いずり回っていた。

 男はシトリーを見るなり極限の恐怖に顔を引き攣らせ、無様にひっくり返りながら、わめき立てて森の奥へと逃げていく。

 

 (何故、彼らの言語がわかる?)

 

 シトリーの知識アーカイブには、この世界の言語データなど存在しないはずだ。

 しかし、量子脳のバックグラウンドで未知の翻訳機能が勝手に作動しており、その言語を『第四期文明標準言語(ベイバシアン)』と自動的にタグ付けし、リアルタイムで理解させていた。

 

(いつの間に、こんな言語データを……!

 いや、今はそんな考察をしている場合ではない。私を悪魔か何かと勘違いしたあの男を呼び止め、誤解を解かなければ。

 現地人との関係を不必要に悪化させれば、いずれ司令官の活動に迷惑が掛かる……!)

 

 シトリーが手を伸ばし、男の背中へ声をかけようと一歩踏み出した瞬間。

 

 ――ヒュンッ!!

 

 不気味な風切り音と共に、何かがシトリーの頬を熱く掠めていった。

 

「……痛っ!?」

 

 咄嗟に頬へ触れると、驚くべきことに、シェイプシフターの頑強な金属細胞で構成されたヘルメット装甲の一部がドロリと溶け、一筋の溶解跡を形成してしまっていた。

 

「今のは、何の熱源だ……!!」

 

 即座に熱源の飛んできた方角――鬱蒼とした森の奥へと視覚センサーのフォーカスを合わせる。

 薄暗い木立の隙間、立ち込める朝霧の奥から、殺気を纏った者たちの姿が次々と浮かび上がってきた。

 

 装甲で覆われた異形の軍馬に跨る、過激な武装集団。

 彼らの手には、金属の構造を持たない未知のエネルギー体で構成された『弓』が握られ、その切先がシトリーの眉間にぴたりと照準を合わせている。

 森の湿った空気が、彼らの放つ異様な魔力の光によってチリチリと焦げるような熱を帯びていた。

 

「「「ゴウ・アーリヤ・バウ(火属性溶断魔弓・発射)!!」」」

 

 森の静寂を切り裂くように、翻訳しきれない謎の言語をトリガーとする怒号が重なり合う。

 

 ヒュヒュヒュヒュンッ!

 

 次の瞬間、空気を焼き焦がす異常な熱源の雨が、一気にシトリーを目掛けて降り注いできた。

 

「う、うわっ!?……っく!」

 

 シトリーは反射的に身を翻し、飛来する光の矢を回避する。

 着弾した地面が爆発的に弾け、巨大な木々が瞬時に発火して紅蓮の炎を上げた。

 

 (駄目だ、変形して空へ逃げたとしても、今の私はまだ『飛翔』の感覚を学習しきれていない!)

 

 翼竜だった頃の直感的な空力制御ならまだしも、翼の硬い戦闘機形態での空力制御など、今のシトリーには未知の領域だ。

 それに、この鬱蒼とした森の中でジェットエンジンのアフターバーナーなど吹かせば、たちまち大火災を引き起こし、この美しい生態系を焼き払ってしまう。

 最善の生存戦略を瞬時に弾き出したシトリーは、燃え盛る木々を掻き分けながら、ロボットモードのまま全力疾走を開始した。

 

「今はただ、あの異常な熱源の発射地点から少しでも距離を取るのが先決だ!」

 

 銀色の金属細胞を躍動させ、森の中を駆け抜けるシトリーの背中に、冷酷な光の矢が次々と突き刺さる。

 誇り高きネオンワンスの狙撃手は、期せずして、異世界での逃走劇を余儀なくされることとなったのである。

 

「はぁっ……はぁっ……待て、私はお前たちに敵意など持っていない!」

 

 いつ背中を貫かれるかわからない極限の緊張感の中、シトリーは排気音(呼吸)を荒くし、鬱蒼とした木々をギリギリで躱しながら背後へと向かって叫んだ。

 だが、その必死の呼びかけは彼らの理性に届くどころか、かえって歪んだ加虐心を煽ったらしかった。

 

「ぎゃはははっ! 見ろよ、魔物が何か喋ってらあ!」

 

「瘴気にあてられてようが、あてられてまいが知ったことか! 魔物は人里の近くに出た時点で『有罪』なんだよぉ!」

 

「しかも、言葉を話す生まれたての龍種だぁ! こいつの素材は、アシャバラの奴隷市に持ち込めば高く売れるぜぇ!」

 

 知性を欠片も感じさせない、下卑た嗤い声が背後から迫ってくる。

 

 (あぁ、これだから……これだから炭素生命体(にんげん)どもは……!)

 

 シトリーは内心で忌々しく舌打ちをする。

 彼らはシトリーが反撃してこないのをいいことに、執拗に魔術の光弾を浴びせかけてきた。

 直撃こそ避けているものの、熱線が掠めただけで、誇り高きネオンワンスの強固な装甲がバターのように容易く削り取られていく。

 

「っぐ……あぁっ!」

 

 肩の装甲が融解し、火花が散る。熱と痛覚の信号が、シトリーの女性型へと再構成されたばかりの繊細な神経回路を焼き切らんばかりに駆け巡った。

 

 (くそっ……! 激痛のノイズが、再稼働したての不安定な身体へエネルギーを充填するプロセスを容赦なく阻害してくる。カグツチ・ドライブの出力が上がらない……ッ!!)

 

 走り続けながら、シトリーの量子脳は、前方から反響してくる『嫌な音響データ』に絶望しかけていた。

 

「やはり……地形を利用して、誘い込まれていたか……」

 

 森の木々が唐突に途切れたかと思うと、シトリーの目の前には、何処までも続く深く険しい『断崖絶壁』が広がっていた。

 

(対岸への跳躍は、現在の出力では到底不可能だな)

 

 シトリーが崖下へ視線を落とすと、そこからはカサカサ、ギチギチという、無数の小型金属生命体の群れが蠢く不気味なノイズが響き渡ってきている。

 

(理性なき金属の毒蟲か……崖下に墜ちれば、ただでは済まない)

 

「へっへっへ……行き止まりだなぁ」

 

 背後を振り返ると、あの異形の軍馬から降りた男たちが、下品に舌なめずりしながらじりじりと迫ってきていた。

 彼らの着ている鎧は、魔物の金属装甲を、何か特殊な魔術的技術によって無理やり鍛造し直したかのような、ひどく歪で禍々しい構造をしていた。

 

「崖下に墜ちた魔物は、雄ならあのセンチピード共の餌になり、雌なら死ぬまで嬲られ尽くして鉄の孕み袋だぁ。

でもまぁその前に、お前のその高価そうな装甲や内臓部位(パーツ)だけでも、俺たちに置いてけやぁ……」

 

 刃をなめる男たちの後ろには、先ほどシトリーを見て腰を抜かしていた、みすぼらしい身なりの太った男が隠れるように立ち、揉み手でゴマすりをしながら懇願していた。

 

「あ、あぁ冒険者様! 早く、早くこの魔物を退治して下され!

 うちの村の近くに龍種の魔物が出たなどと上に知れれば、またあの厄介なレイニア姫様が『保護』だの『対話』だのなんだのと言ってきて、面倒ですからなぁ……!」

 

 下種な事なかれ主義と、隠そうともしない強欲。

 シトリーは、駆動系の極限までに詰まった嫌悪感に激しい吐き気を覚える。

 

(醜い。やはり私は、炭素生命たちのあの狭隘な視野も、下卑た欲望も、どうしても好きになれない……!)

 

 ヤマト司令官が、そしてあのアメノオヅマが護ろうとした知性。

 それが、こんなにも醜悪な一面を見せるのを、シトリーはどうしても好きになれなかった。

 

(あぁ……私は何で、こんな場所に呼ばれたんだ。こんな惨めな最期を遂げるために、あの月の砂漠の眠りから呼び起こされたというのか)

 

 重い絶望に苛まれ、シトリーが力なく空を見上げた、その時だった。

 シトリーの視界を、太陽の光を遮るほどの『巨大な影』が覆った。

 

『ゴガアアアアァァァァァァァッ!!』

 

 雷鳴。

 そう見まごうばかりの強烈で、そして絶対的な覇気を孕んだ猛烈な咆哮が、その場にいる全員の頭上から降り注いだ。

 

 

 その雄叫びは、森の木々を激しく震わせ、凶悪な冒険者たちの全身をすくませ、そしてシトリーの聴覚センサーを等しく暴力的に振動させた。

 

「なんっ……!!」

 

 思わず天を仰ぎ見た時。その場にいた全員の視界が、一つの巨大な影によって完全に覆い隠されていた。

 バサァッ!と、突風を巻き起こして大きく羽を広げたのは、シェイプシフターの雄が変形するような、無駄のない洗練された航空力学的なフォルム……ではなかった。

 まるで自然の岩がそのまま動き出したかのように不規則で、ごつごつした荒々しい岩肌のような鱗を持つ。

 それでも、間接部には確かに機械仕掛けのシリンダーや歯車の構造を備えた、『珪素基系の機龍』だった。

 

 その野生の龍は、エメラルドに光る鋭い瞳で眼下の人間たちとシトリーを見下ろすと、力強く羽ばたき、シトリーの両肩を行きつく間もなく巨大な爪でガシッと掴み取った。

 

「うわっ!? な、何をぉあああっ!?」

 

 シトリーは、その巨躯に関わらず為す術もなく持ち上げられ、羽ばたく彼と共に一瞬にして大空へと飛び上がっていた。

 眼下に広がる景色は、スナイパーとして高所を取り慣れた本来のシトリーにとって、決して珍しいものではない。

 だが、今はプテラノドンとしての飛翔能力を失っているし、『誰かに爪で掴まれて飛ぶ』などという経験は、孤高の狙撃手である彼女(彼)の過去の記憶データをどれだけ検索しても、全く存在しない恐怖だった。

 

 しかも、現在の体重およそ19トンの彼女を支えているのは、女性型として再構成されたばかりの華奢な肩の装甲を掴む、岩のような爪だけだ。

 頼りないなんてものではない。

 変形して自力で飛ぶことができない今、もしこのまま龍が気まぐれに爪を離せば、間違いなく地上に叩きつけられてただの屑鉄になる。

 その極限の恐怖が、シトリーの全身の回路を完全に支配していた。

 

「龍種だぁ! あいつは山の主、ジェスハだ!」

 

「う、撃てぇ!」

 

「馬鹿野郎! 生まれたてならともかく、年季を経た山の主に俺達が使える程度の魔術撃ったって勝ち目ねえ! 怒りを買う前に逃げるぞ!」

 

「ひ、ひぃぃ!!」

 

 遥か眼下で、慌てて逃げ惑う人間達の狼狽える声が小さく聞こえる。

 シトリーを掴んだまま空中に留まり、ジェスハと呼ばれたその龍は、彼らを見下ろして『グルルル……』と、どこかわざとらしい唸り声をあげた。

 直後、その口腔の奥底で、ボボッ、ボッ!と恐ろしい熱量の炎が圧縮されていく。

 

『――レヴェア・ニモイ・バウ(指向性、炸裂非傷痍弾・発射)!』

 

 ドドドドドッ!!

 

 ジェスハの大きく開けた口から、派手な爆音と閃光を伴う無数のエネルギーの杭が、機関砲のように射出された。

 それは逃げる人間たちには直接当てず、彼らの足元や崖際の大地を大きく穿ち、凄まじい土煙と衝撃波を撒き散らした。

 

「ひぃぃぃっ!」

 

 圧倒的な暴力を前に、悪徳冒険者たちも太った村人も、情けない悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げていった。

 

『ぐるるるる……』

 

 彼らが完全に姿を消すと、ジェスハは喉の奥を鳴らすような、穏やかな音を漏らした。

 

 (――わかる)

 

 シトリーは、掴まれたままその声を聞いて確信した。

 自分も少し前までは、龍に変形する雄のシェイプシフターだったのだ。

 この鳴き声の波形データには、少なくとも人間に対する明確な敵意はあっても、殺意はない。単に威嚇して追い払っただけだ。

 

「あ、ありがとう……助かった」

 

 シトリーは冷や汗に相当する冷却液を全身に滲ませながらも、両肩を掴まれたまま宙ぶらりんの状態で、恐る恐る口を開いた。

 

「その……そろそろ、降ろしてもらってもいいだろうか?」

 

 恐怖を隠せないまま見上げた声に反応し、巨大な龍の顔が、ゆっくりとこちらを見下ろしてきた。

 

「……っ!?」

 

 そのエメラルドの瞳と視線が交差した瞬間。シトリーはその大きなカメラアイを見開いた。

 

 キュ、キュン!と。

 機械の下半身の駆動系が、変に緊張し、経験したことのない熱を持って強張ったのだ。

 

「はっ……っう!?」

 

(な、なんだこのエラーは……!? いや、知識アーカイブの片隅に、聞いたことがある、気がぁッ!)

 

 『シェイプシフターの女性は、男性型の機龍の圧倒的な覇気や「好み」の個体に出会うと、システムが強制的に発情してしまう生態がある』と。

 それは炭素生命体(にんげん)の言う『一目ぼれ』のシステムに似ているが、機械生命体であるシェイプシフターにとってはより圧倒的で、種を保存するための物理的な欲求として抗いがたいほどの強制力を持つ恐ろしい仕様だ。

 

「……い、いやっ! そんな筈は……私がっ!?」

 

(元々、私は誇り高き雄の狙撃手だったのだ。いくら身体が雌になったからといって、出会ったばかりの野生の龍のオスに欲情するなど、そんな馬鹿げたことがあるはずがない!)

 

 シトリーはそう考えながら必死に真っ赤に茹で上がった頭を振り、一瞬浮かんだ屈辱的な推論を振り払おうとした。

 その時だった。

 

『ぎゃあああおぉぉぉぉぉぉっ♡』

 

「う、うわっ!?」

 

 シトリーの戸惑う様子を見下ろしていたジェスハが、唐突にけたたましい咆哮を上げた。

 だが、その音響波形には先ほどの人間に対する威圧感とは全く違う、ひどく甘ったるく、興奮しきったような……あからさまな『歓喜』が混ざり込んでいた。

 

 『この雌は、山の主の求愛に応えた』と。

 

 感極まったジェスハはシトリーの両肩を掴んだまま、猛烈な勢いで羽ばたき、どこかへ連れ去ろうと急加速して飛翔し始めたのだ。

 

「ど、何処へ行く気だっ!? 待って、いったん降ろして、ちょっと、いやああああ!?」

 

 もはや冷静な思考も、スナイパーとしての矜持も、何もかもがシトリーの量子脳から吹き飛んだ。

 そんな余裕など全くなくなった彼女は、ただただ情けない悲鳴を上げながら、彼に連れられて森の奥深くに聳え立つ、険しい山の洞窟——彼の巣へと、哀れにも連れ込まれていくのだった……。

 

 

 洞窟、という表現は正確ではないだろう。

 切り立った断崖の横腹を大きくくり抜いたようなその空間は、どう見ても自然に形成されたものではなく、あきらかにジェスハが自らの強靭な爪やブレスを用いて自らの手で整えた『巣』であった。

 それはまるで野生の鳥が恋の季節になると、自ら愛の巣を整えて雌を誘い込む性質に酷似していた。

 吹き抜ける風は冷たく、眼下には目が眩むような絶壁が広がっている。

 プテラノドンとしての翼を持たない今のシトリーには、逃げ場などどこにもない。

 

 巣の中には、獣特有の荒々しいオイルの匂いと、敷き詰められた葉から滲み出る甘い樹液の香りが混ざり合った、酷く濃密な空気が澱んでいた。

 薄暗い空間の床一面には、この未知の異世界のどこかに生い茂っているであろう、巨大な葉が幾重にも敷き詰められている。

 それは金属生命体であるシェイプシフターや魔物の硬く重い装甲でさえも、優しく柔らかく受け止めるような、極上のクッション性を備えた寝床を形成していた。

 

 バサァッ!と、強烈な風を巻き起こしてその巣の中心に降り立ったジェスハは、シトリーの身を乱暴に揺らしながらも、絶対にその装甲が傷つかないよう、驚くほど慎重に葉のベッドの上へと降ろしてきた。

 ジェスハの巨大な爪が肩から離れる瞬間、そこに一切の殺意はなく、むしろ『壊れ物を扱うような』ひどく生温かい執着が感じ取れた。

 

「きゃ……ぅっ!?」

 

 葉の弾力に華奢な身体が弾み、動転した音声回路から、まるでか弱い女のような情けない悲鳴が漏れる。

 だが、怯えている場合ではない。ネオンワンスが誇るエリートスナイパーとして、シトリーは野生の龍に対し着地と同時に即座に姿勢を立て直し、背部にマウントしていた獲物を引き抜いて構えようとした。

 

 ――しかし。

 

「うぅっ……!?」

 

 手にした武器の感触に、シトリーは我が目を疑った。

 愛用の高出力スナイパーライフルだったはずの獲物は、金属と霊子の繊維で構成された『弓』へと変質してしまっていたのだ。

 恐らくは変形機構そのものが転生の影響で変質したせいだろう。

 ただでさえ変形機構がビークルに書き換えられて絶望していたというのに、頼みの綱の武装まで仕様が変わっているとは。

 視覚センサーの端で、火器管制システムが真っ赤なエラーログを乱吐している。

 トリガーもなければ、照準器も存在しない。

 シトリーの量子脳は、この原始的で非論理的な兵器の射撃シーケンスをまだ全く理解できていなかった。

 弾倉(マガジン)を探る手が空を切り、ギリギリと引き絞った未知の構造の霊子繊維の弦が、頼りなく指先の装甲に食い込む。

 

「あぁっ、くそ、何なんだこの世界は……っ!?」

 

 悪態をつきながら、慣れない弓を強引に引き絞ろうとした。

 しかし。

 

 ――ドズン!!

 

 岩盤が揺れるような重い着地音と共に、目の前に太い前脚が突き立てられた。

 ジェスハが真正面に立ち塞がり、その巨体の頂点から、獲物を逃がさない捕食者のような威圧感でシトリーの身をねっとりと見下ろしている。

 岩肌のようなゴツゴツとした鱗が擦れ合い、シトリーの内部に搭載された霊子変換炉(カグツチ・ドライブ)から、尋常ではない熱波が放射されているのがわかる。

 

『ぐるる……ぅるるぅ……』

 

 喉の奥で岩を転がすような、低く、しかし熱を帯びた呻き声。

 ジェスハの巨大な前脚がゆっくりと持ち上がり、後ずさろうとしたシトリーの足に、そして滑らかな曲線を描くようになった腰の装甲に触れる。彼はあえて、逃げ場を失い葉の上に倒れ込んだ彼女の身体の上を跨ぐように歩みを進め、完全に逃げ道を塞ぎながら、その圧倒的な質量の巨体をすり寄せてきた。

 

「はっ……はっ!?」

 

 (喰われ……るっ……怖い、怖いっ!)

 

 顔を青くしたシトリーの論理回路が恐怖のノイズで埋め尽くされていく。

 相手はかつての仲間たちに似ているとはいえ、おそらくはこの世界由来の、底知れぬ狂暴性を秘めた未知の種族だ。

 地球の野生動物がそうであるように、異分子であるシトリーをこのまま頭から丸齧りして、文字通り『喰って』しまうかもしれない。

 ギリギリと不気味な駆動音を立てる巨大な顎と、鋭く並んだ鋼の牙が視界を埋め尽くす。

 戦場での名誉ある死を覚悟したことは何度もあったが、生きたまま獣に咀嚼され、融かされるような痛い死に方は、誰だって嫌だ。

 

 震えあがるシトリーの装甲に、ジェスハの巨大な顔が急接近する。

 ジェスハの呼吸と共に吐き出される高温の排気が、全身を撫で回す。

 それは単なる排熱ではなく、明らかに雌を惹きつけるための高濃度の『フェロモン物質』を伴っていた。

 

 直後。

 生暖かい粘液にまみれた巨大な『熱い舌』が、首筋から胸元の装甲にかけてを、べろりと大胆に舐め上げた。

 

「いっ……や、あっ……たべ、食べない、でっ……」

 

 ぞくりと。背筋に悪寒とも快感ともつかない電流が走り、声がひっくり返ったシトリーが悲鳴じみた声を上げる。

 

 (我ながら、何と無様で、情けない悲鳴なんだ……こんなの、完全に怯えきった『メス』の喘ぎ声そのものじゃないかっ)

 

 かつての誇り高いスナイパーとしての矜持が粉々に砕け散り、情けなさと恐怖で、視覚センサーの端から瞳を濡らす洗浄液(涙)がポロポロとこぼれ落ちてくる。

 しかし――震えながら相手の顔を見上げたシトリーは、やがて、決定的な違和感に気がついた。

 

 胸部装甲に押し当てられた前脚の、どこか確かめるような、そして優しく撫で回すような、いやらしい手つき。

 捕食のためというよりは、味見をするように執拗に顔や首筋を舐め回してくる粘着質な舌の動き。

 そして何より、シトリーの今の大きな瞳を至近距離から見つめるエメラルドの瞳の奥に宿る、ギラギラとした強烈な『熱』。

 

「っ……っく、あ、ま、待ってくれ……まさか、まさかとは思うが、お前……っ!?」

 

 察してしまった。

 

(まさか、こいつも、あの地球の動物たちと同じように『発情期』か何かを迎えているのか?

……でっ、あろうことか、転生して雌のフォルムになってしまった私を、交尾の対象として認識している……!?)

 

 ゾワッ、と。

 全身の装甲がひっくり返って熱を逃がすような、恐怖とはまた違う寒気をシトリーは感じた。

 

「や、やっ!? やめろ! 私は男だ、男だったんだ! お前の子供なんて、産みたくな……、きゃ、あっ♡ 弄るなぁッ……やめ、あぁ……~~~~~ッ♡♡」

 

 抵抗しようと死に物狂いで叫ぶシトリーの声は、ジェスハの巧みな舌先と、敏感に再構成されてしまった女性型ボディのセンサーによって、無残にも甘い嬌声へと変換されていく。

 頭(量子脳)は男としての自我を保っているのに、身体は圧倒的なオスとしての力とフェロモンにあてられ、抗いがたい歓喜のシステムエラーを起こしてしまっている。

 冷却系が完全にダウンし、機体温度が危険領域へと急上昇していく。

 

 それだけでなく、意志とは無関係に、滑らかな装甲で覆われた腰の駆動系が、彼の巨体に擦り寄るように卑猥なアーチを描き始めてしまった。

 

『ぎゃうるるるるっ……ぐるるるるるぅ……♡』

 

「あっ……そんなっ、やめ、おしつけないでぅ……っ、も、もう……駄目ぇ♡」

 

 かつての戦友たちが聞いたら絶望するであろう、雌としての本能に従順な喘ぎ声。

 シトリーの甘い反応に完全に理性を飛ばしたジェスハが、喉をゴロゴロと鳴らしながら、その巨大な質量で雌の身体を完全に組み敷いた。

 

 (あ、この重量感、ちょっと良い……)

 

 かくして哀れ、シトリーはあろうことか。

 この未知なる異世界への転生を果たした直後に、右も左もわからないまま、現地の凶悪な野生龍の手によって『繁殖のための手籠め』にされてしまうのであった。

 

 圧倒的な暴と、それを上回る強烈な快楽の波に呑まれながら、彼女のスナイパーとしての誇りは、果てしない女の快楽の彼方へと消え去っていったのである。

 

 

     * * *

 

 

 前世の知識アーカイブに、性や繁殖についての基礎知識が無かったわけではない。だが、無論、孤高な戦士としてシェイプシフターとしての長い生を全うしたシトリーに、実体験などあるはずもなかった。

 ジェスハの首枕に頭を乗せたまま目を覚まし、呆然と洞窟の壁のシミを数えながら、シトリーは生前の自分がどれほどストイックで、こうした生理的な事象に無縁の戦士であったかを痛感させられていた。

 

(……あんなにも善がり狂い、液状に圧縮された高濃度の遺伝子情報と快楽に塗れ、あの圧倒的な鱗の質量に為す術もなく蹂躙され果てたというのに……あぁっ、なさけない)

 

 顔を真っ赤に染め上げながらも、シトリーの思考回路は、奇妙なほどに凪いでいた。

 

「……はぁぁっ」

 

 深く、重いため息が漏れる。

 酸素を本来必要としない金属生命体だが、地球での生活を観察する内に、いつの間にか『感情の起伏を排気で表現する』という奇妙な癖が身についてしまっていたらしい。

 金属でありながら、内部の容量に対し驚くほどフレキシブルな対応を見せる新しい腹部装甲。それが今、わずかに張り詰め、若干の膨らみを感じる。

 自らの胎の奥深くに注ぎ込まれ、循環し始めている、霊子に似て非なるエネルギー――後に魔力と呼ばれていることを知る――による媒体液。ジェスハの遺伝子情報の、重く熱い感触。それを撫でながら、シトリーはとりとめもなく考え込んでいた。

 

(これからどうする……? 私は、何でこんな世界に墜ちて来た?)

 

 シトリーには、一つだけ確かな予感があった。

 

(今はまだ、その存在を彼の『カテドラル』と契約を交わした私のカグツチ・ドライブが感知できてはいないが。そのうち、私と同じように、あのヤマト司令官もまた、この世界に降り立つ時が来る。私のこの転生は、彼がやってくるための大いなる予兆に過ぎないのだろう)

 

 そう、奇妙な確信があった。

 だが、その直後に襲い来る自責の念が、彼女の心を締め付ける。

 

(だが……こんな目に遭って野生龍のフェロモンに屈し、メスとしての快楽に抗えず、無様に孕まされるような弱く成り果てた私が。あの強大で気高い司令官の、お役に立てる日が来るのか?)

 

 泣きそうな顔で、シトリーは俯き、自らの腹を撫でる。

 

(それとも、私にはこの世界で何か別の役割や、やり残した事でもあるというのか?)

 

『ぐるる』

 

 真横から響いた低い駆動音に、ハッと我に返ったシトリーは、今枕にしている首の主の顔に振り向いた。

 

「……起こしてしまったか」

 

 すぐ隣で身を丸めていたジェスハの、巨大なエメラルドの瞳が開いていた。先ほどの暴虐的な覇気は消え、どこか気まずげに目をそらしている。

 シトリーは半分呆れたように、彼に向かって言葉を投げる。

 

「なんだ、まだやるのか? 流石にこれ以上は、また中身が漏れ出すぞ?」

 

 もはや女性としての羞恥も情緒も何もない、自暴自棄に近い発言。

 続きの行為を警戒して痛む半身を起こしたシトリーに対し、ジェスハは覆い被さってくることはなく、ただ頭の動きだけで、巣の奥にある岩棚の方を見るように促した。

 

「……これは、食事か?」

 

 そこには、食べやすく調理(あるいは粉砕?)された、なんらかの珪素生命体の金属細胞塊のステーキのようなもの。そして、甘い香りを放つ、透き通ったエネルギー結晶(炸裂晶)などが、こぎれいな巨大な葉っぱの皿に載せて並べられていた。

 

「はぁ……何がどうあっても、私に産ませる気なのか……まったく」

 

 のそのそと、重く、そしてあちこちの関節が軋んで痛む下半身を引きずる。

 生前のシトリーからは考えられないような酷く怠惰な動きだったが、彼女はなんとかその皿の元まで這いずり、用意された料理を口に運び、疲れた体に少しでも栄養を巡らせるのだった。

 本来、シェイプシフターに『栄養』という概念は必要ない。

 霊子――すなわち量子脳に思考が巡り、それがカグツチ・ドライブを循環する限り、彼らは永遠に動けるからだ。

 しかし、急遽、戦闘の傷を癒すリソースとして敵の金属を直接摂取する個体がいないわけでもない。シトリー自身、実際に食べてみた感想としては、金属細胞塊もそれなりに味がして悪くない。

 そして炸裂晶は、人間の味覚で言うウィスキーボンボンのように口の中でとろけ、中の物質が口内でパチパチと弾けながら、芳醇な味わいを口内センサーに広げてくれた。

 

(それに……もし本当に産むとすれば、確かに機体を維持し、新たな生命を構築するための物理的な栄養は、流石に要るか)

 

「……勘違いするなよ」

 

 カチャリと咀嚼音を立てながら、シトリーはじろりと後ろのジェスハを睨んだ。

 ビクリ、と。ジェスハが、その巨大な機体を申し訳なさそうに縮こませる。

 どうやら彼も、先程は発情期のシステムのせいで若干理性が飛んでいて、今はその波も引き、少し冷静さを取り戻しているらしい。

 

「お前が私を助けてくれて、こうして食料も調達してくれていることには感謝する……それに、私はこの世界に出現したばかりで、右も左もわからない。暫くは此処を拠点にして、この世界を知りたい」

 

 ちゅぱ、ちゅぱ、と指先についた炸裂晶の甘い欠片を吸い取りながら、シトリーはなんだか気恥ずかしくなって目を背けながら、言い訳をするように早口で言葉を続けた。

 

「いいか? こんだけ好き勝手にされたんだ。私の体内で何が起こるかわからないし? 万が一、で、出来ちゃってたら、生まれる生命には責任を取らねばならないだろう? だから、まだしばらく、此処に置いてほしい……いや、居てやる。うん」

 

 その回りくどい発言の、どこまでを彼が正確に理解する知能があるのかはシトリーにはわからない。

 だが、ジェスハはエメラルドの瞳をパァッと輝かせると、その大きなマズルの先にある鼻の穴をこれ以上ないほど大きく開き、ふんふんと鼻息荒く、嬉しそうに彼女にすり寄って来た。

 

「あっ、ちょ、待て! やめろ、これ以上押されると本当に中身がこぼれちゃ……うぶっ! た、食べたのも出ちゃうから、腹を押すな、ほんとに待って、うあぁ……♡」

 

 ――結局。

 理性は戻っていたとしても、メスとしての本能が完全に再定義されてしまったシトリーの身体は、この山の主様の甘い愛撫に抗えるはずもなく。

 彼との第一子を無事に出産するまでに、さらに『もう一匹』をこさえてしまうことになるのは、時間の問題であった。

 

 

     * * *

 

 

 ――それから、約一年後。

 

「そら、いきんで! 勢い余って、奥の二人目まで一緒に出しちゃわないでおくれよ!?」

 

「ぅ……ぅぅぅ、あ、ぁぁあ゛あっ! あぁっ……!!」

 

 ジェスハの巣の奥、特別に整えられた産屋代わりの空間に、シトリーの悲鳴じみた声が響き渡っていた。

 その手を力強く握り、枯れ木のような声で発破をかけてくれているのは、森の麓からジェスハが連れてきた『スワース』という名の産婆だった。

 彼女はこの世界におけるゴブリン種であり、鼻が異様に高く、ひどく小柄な金属の老婆だ。

 しかし、この道何百年という彼女の熟練の経験と度胸の前では、シェイプシフターや龍種の巨大な体躯との格差など、さしたる問題ではないらしい。

 彼女はシトリーの初めての妊娠中も、何かと甲斐甲斐しく世話を焼き、未知の生態であるシェイプシフターの身体の変調に的確に対処してくれた。

 

「ぅううっ、あぁあ゛あぁぁぁっ!!」

 

 絶え間なく襲い来る未知の陣痛。装甲の内側が軋み、胸部のカグツチ・ドライブが激しく明滅する。

 シトリーは絶叫を上げながら、体内で形作られた新しい命――生を受けようともがく我が子を、精一杯外へ押し出すように駆動系の全出力を込めた。

 

(ああ……助かる、本当に……)

 

 シトリーはスワースの手を握り締めながら、意識の端で遠い記憶を反芻していた。

 前世では、誰とも群れない一匹オオカミのスナイパーとして、誰に看取られることもなく孤独な死を迎えた。

 それが、今この異世界の小さな老婆の手にすがり、その存在に心の底から感謝しているのだ。

 

(冷たい宇宙の星間戦争を戦い抜いてきた私が。

 今やこうして、全く異なる幻想の異世界で、一人の『新しい生命』を産み落とそうとしている……なんて、皮肉な巡り合わせだ)

 

「……っぐ、あぁっ!!」

 

 ガコンッ!!

 

 という重い音と共に、シトリーの胎から熱い塊が滑り落ちる。

 とめどなく溢れる潤滑油の脂汗と、視覚センサーを滲ませる洗浄液(涙)に溺れそうになりながら、シトリーは荒い排気を繰り返した。

 あまりにも奇怪で、それでいて神秘的な光景だった。

 

『キィ、キィッ!』

 

 視界の先で、父親譲りの少し甲高くも力強い、可愛いらしい駆動音が上がった。

 スワースが手際よくその小さな機体を取り上げると、あらかじめ用意しておいた巨大な桶の湯に背中からゆっくりと浸からせる。そして、ほぼ自分と同じくらいの大きさがあるその赤子の装甲についた、シトリーの胎内の潤滑油を、優しく丁寧に洗い流し始めた。

 

「はぁっ……はぁ……はは、はっ」

 

 息も絶え絶えになりながら、その光景をぼんやりと見つめるシトリーの口角が、自然と緩んで笑みを形作る。

 すると、その横顔に、巨大なエメラルドの瞳が不器用に近づいてきた。

 

『ぐるるぅ……』

 

 ジェスハだ。

 彼は、出産を終えたばかりのシトリーの装甲に、労うように、そして愛おしそうに、すりすりと自らの冷たい頬をすり寄せてきた。

 何でこんなことになってしまったのだろうと、ずっと思っていた。

 転生直後に野生龍に手籠めにされた時は、これは前世で炭素生命体を憎んでいた自分に対する、何かの呪いなのだと本気で疑っていた。

 

(でも、今なら分かった気がする)

 

 シトリーは、ジェスハの巨大な頭にそっと手を添える。

 

(私が、何でよりにもよってこの豊かな自然と、彼がいるこの森に墜ちて来たのか。その理由が)

 

「あらぁ! 女の子だよ、この子!」

 

 スワースが、その小さな体からは想像もつかないほど大きな年寄り特有の声で、子を洗いながら嬉しそうに叫んだ。

 女の子。シトリーと同じ、ビークルへと変形する宿命を背負った、小さな命。

 

(私は、孤独だった。誇り高きネオンワンスの狙撃手として、前世の末期の、あの冷たい月の砂漠で一人きりで死にゆくその瞬間まで。だが、もしかしたら……)

 

 強がっていただけで、本当の自分は心のどこかで、こんな馬鹿みたいに温かい幸せを求めていたのかもしれない。

 あの青い地球の海も、月面で見た冷たい星空も、すべてはこの一瞬のためにあったのではないかと思えるほどに、胸の奥が満たされていた。

「……まぁ、随分と変な状況だけどね」

 

 ジェスハの巨大な頭にそっと手を添えながら、新しく生まれた我が子の泣き声を聞き、シトリーは満ち足りた思いでそう呟くと、ゆっくりとそっと瞳を閉じたのだった。

 

 

 

 緑色のウルフカットに整えられた短髪。

 この世界でこさえた狩人の軽装を身に纏い、洞窟の端に立ったシトリーのMMSは、はるか遠くに広がる人間たちの集落をじっと眺めていた。

 

 元来、スナイパーである彼女の眼は、遠方を見通すのにスコープを必要としない。

 その基礎的な基本性能は、巨大なサイズを失ったこのMMSの状態でも、十分に健在だった。

 洞窟の奥で休む本体が抱えている産後の深刻なダメージと疲労は、リンクしているこの分身体にも重いデバフとしてフィードバックされている。

 それでも、巨体を動かすよりは遥かにエネルギー消費が少なく、現在こうして比較的気軽に動き回れるのがMMSの強みの一つでもあった。

 

(やはり、あの村が排斥派に流れていることに変わりはないか……)

 

 遥か遠く、蟻のように小さく見える人間たちの動きを解析し、シトリーは忌々しげに唇を噛んだ。

 長い妊娠期間の中で、シトリーは森のゴブリンの村の賢者でもあるスワースからこの世界の大まかな歴史の概要を知らされていた。

 人間と珪素生命体(魔物)の共存に繋がる歴史と、それを拒む者たちの存在を。

 残念だが、彼らの反応は十分に予想しえた結果だった。

 視線の先の集落では、武装した民衆が松明や武器を掲げ、怒号を上げながらデモ行進を行っているのが見て取れた。

 

『森を切り開いて人間の手に!』『魔物を殺せ!』『俺たちは魔王軍にいつまで怯えればいい!』

 

 彼らの掲げる看板の文字や、風に乗って微かに届くシュプレヒコールが、シトリーの聴覚センサーに不快なノイズとして響く。

 

「やっぱり、今日もやってるのかい……」

 

 ふと、背後から枯れた声がかけられた。

 振り返ると、スワースがしわがれた足取りでゆっくりと歩み寄ってくるところだった。

 

「スワース……あんたも、悔しくないのか?」

 

 シトリーは眼下のデモ行進から視線を外さず、低く唸るように問いかけた。

 

「あんたの息子も、あの人間の排斥派に運悪く見つかって、狩られたんだろう……!」

 

 シトリーは義憤に駆られ、思わず声を荒らげそうになった。

 だが、スワースはそっと手を伸ばし、シワだらけの人差し指を立ててその口を塞いだ。

 

「悔しくないわけないさ」

 

 スワースは静かに、しかし深い森の木々のように揺るぎない声で言った。

 

「でもね、あるべきものを、あるべき場所へ……あの子が人間に見つかって狩られたのは、ただ運が悪かったんじゃない。森の生き物としての、その『領分』を越えてしまったからだ」

 

「領分を……?」

 

「そうさ。人間が自分たちの領分を越えて森を荒らすのには、あたしだって大反対だ。

 だが、だからって、森の魔物が徒党を組んで人間への侵攻を企てるようなことは、絶対に、絶対にしちゃいけない。

 領分を越えることには、それ相応のリスクと責任を伴う。

 それは、この世界の根本的なバランスを崩す行為だということを、忘れてはならない」

 

 スワースはそこで言葉を区切り、ひどく悲しそうな目を細めた。

 

「アタシらは第二期の遥か昔から、これだけは魂の底に刻み付けて来たからねぇ……。

 それを平気で踏み越えさせている『魔王』の存在が、人間をああも恐怖で狂わせているのさ。

 歪みはもう、至る所に出始めているんだ。これ以上、この世界を歪ませちゃあいけないよ」

 

 そう穏やかに語ると、スワースはシトリーの腕の中を覗き込んだ。

 そこには、大きな葉っぱのおくるみに包まれ、MMS機能によって人間のサイズにまで偽装・縮小された、シトリーの第一子がすやすやと穏やかな寝息を立てて眠りこけている。

 

「その歪みは、巡り巡って、いずれ未来の命にまで及ぶ。

 魔王そのものだって、きっとその類の、遥か昔の歪みから生まれた悲しい存在なのさ。

 だから……この子の未来まで、復讐や憎しみの血で汚しちゃあ、だめだ」

 

「…………」

 

 スワースのその深く穏やかで、それでいて力強い言葉に、シトリーは俯いた。

 前世で地球の人間を嫌悪し、旧支配者への怒りに囚われていた自分。

 そして今、異界の人間たちに対して攻撃的な感情を抱きかけていた自分。

 

(どれだけ母としての幸せを知っても、私の奥底には未だ、ネオンワンスのスナイパーとしての血の気が燻り続けているのか……

 でも、しかし、今はもう、戦うためだけの孤独な戦士ではない)

 

「そう……だな。私は……わたしはっ……」

 

 シトリーは、自らの内にある戦士としての血の気の多さを深く恥じながら、腕の中で眠る小さな命を、落とさないよう大切に抱き直した。

 スワースは、蹲って肩を震わせるシトリーの背を優しく抱きしめるのだった。

 

 

 

――だが。

 『領分』というものは厳然として存在するからこそ、己の傲慢さや恐怖から、それを土足で踏みにじる者たちは必然的に生じる。

 前世の星間戦争の過酷な歴史から、その当たり前で残酷な事実を嫌というほど学んでいたはずなのに。

 シトリーというかつての戦士は、今、母としての穏やかな幸せの中で、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 

 いつか来る衝突。それを予感しながらも、彼女は腕の中の赤子の温もりに、今はただ身を委ねるしかなかった。

 

 

     * * *

 

 

 それから一ヶ月が過ぎた。

 洞窟内には、赤子の好奇心に満ちた愛らしい電子音と、それを見守る大人たちの温かな笑い声が満ちていた。

 

「ほら、頑張れ……そう、カグツチ・ドライブのエネルギーを外装へ流すイメージだ」

 

 シトリーはMMSの華奢な指先で、赤子の小さな機体を優しく導く。

 スワースもまた、古ぼけた杖を支えにして屈み込み、慈しむような眼差しでその光景を見守っていた。

 

『キィッ……キュイィィン!』

 

 赤子の体から霊子の淡い光が溢れ出す。

 未熟ながらも懸命に紡がれるエネルギーが、その小さな輪郭を歪ませ、再構築していく。 やがて光が収束したとき、そこにはシトリーの「飛行」の特性を継承した、丸みを帯びた小型飛行ドローンの姿があった。

 

「あは、凄いぞぉ! 産声を上げてからまだ間もないというのに、ハイハイより先に飛ぶことを覚えちゃったぞ我が子は! あっはは!」

 

 シトリーがかつての彼女からは想像もつかないような朗らかに笑う。

 ジェスハもまた、その変身の成功に歓喜の咆哮を上げ、長い尻尾を岩肌に打ち付けて、まるで祭囃子のような音を立てて喜びを表現した。

 種族も、生まれた星の歴史も異なる彼女たちが、一つの命の輝きを囲んで笑い合う。

 それは、シトリーがこの世界に転生して以来、何よりも手に入れたかった「平穏」そのものだった。

 

「おお! 見事なもんだねぇ! これなら立派に空を飛べるようになるよ!」

 

「ああ、よくやった! 本当にすごいぞ!」

 

 シトリーが愛おしそうに赤子を抱き寄せた、その瞬間だった。

 

「大婆様ぁぁっ!!」

 

 静寂を物理的に引き裂くような、絶叫が下から響いた。

 空気が凍りつく。

 スワースが鋭い目つきで洞窟の入り口へと視線を移すと、ジェスハの巣穴へと続く急勾配な崖の梯子を、ボロボロになったゴブリンの兵士が這い上がるようにして昇ってきていた。

 

 その装甲は焼け焦げ、露わになった皮膚からは生々しい血が流れ落ちている。

 

「なんさね、騒々しい! 赤子が驚くじゃないか!」

 

 スワースの叱責は、兵士の悲痛な叫びによって遮られた。

 泥と煤にまみれ、恐怖でひきつった兵士の顔が、シトリーたちの前で崩れ落ちる。

 

「村が……オラたちの村が!!」

 

 その言葉が突き刺さった直後、シトリーの直感が警告音を鳴らした。

 彼女は即座に視覚センサーの出力を最大まで引き上げ、眼下に広がる森の奥、ゴブリンたちの集落がある方角をズームした。

 

「そんな……っ」

 

 息を呑んだシトリーの呟きは、絶望に震えていた。

 豊かな緑に覆われていたはずの森の深淵。

 そこからは、自然の摂理を無慈悲に塗りつぶす「禍々しい業火」が立ち上っていた。

 全てを焼き尽くす真っ赤な炎。

 そして、その上空を覆い隠すように広がる、絶望的な漆黒の煙。

 

 それは、空を真っ黒に染め上げる巨大な柱となり、この世界の均衡が、またしても暴力によって蹂躙されたことを告げていた。

 さっきまで赤子の成長に笑い合っていた洞窟の中は、もはや遠い過去のように感じられた。

 

 

     * * *

 

 

 ゴォンッ!!

 

 久しぶりに発生した大質量の移動によって、山が重く鳴動した。

 

 MMSの分身体を解き、本来の巨大な金属生命体(ロボット)の姿へと戻ったシトリーの本体と、山の主である巨大な機龍『ジェスハ』が、巣の洞窟の入り口に並び立ったためだ。  その巨大な威容を仰ぎ見るようにして、洞窟の入り口にスワースが立っている。

 彼女の腕の中には、人間の赤子の姿のまま、穏やかに眠るシトリーの赤子が抱かれている。

 

 スワースの顔には、大いなる上位存在である龍への畏怖よりも、産婆を務めた身内として、シトリーの無茶に対する激しい怒りと叱責が浮かんでいた。

 

「大いなる山の主ジェスハよ、何故止めない!

 シトリー! お前はまだ身重だろう、腹の中にはもう一人の命が宿っているんだよ!?

 何故、あんな業火の中へ飛び込もうとする!」

 

「……スワース」

 

 シトリーは金属の巨大な首をゆっくりと曲げ、スワースを見下ろした。

 スワースは泣きそうな声で、それでも必死に叫ぶ。

 

「そこはもう、あんたの領分では無いんじゃないのかい!?」

 

 その枯れた声での必死の制止は。

 この世界の根本的なバランスが崩れることよりも、何処までもシトリーの身を案じる、心優しきゴブリンの老婆の悲痛な叫びだった。

 

 しかし、シトリーはスワースの小さな腕に抱えられたまま、巨大な自分を見上げて不安げに小さな手を伸ばしてくる我が子を見下ろし――そのバトルマスクの奥で、静かに、そして覚悟を決めた微笑みを浮かべた。

 

「いいや、スワース。此処はまだ、私の射程距離(レンジ)だ」

 

「シトリー……ッ!」

 

「あなたたちの村も、人間の世界も、魔物の領域も。私は守る……いや、違う」

 

 シトリーは、深く身をかがめると、巨大な金属の指先をそっと差し出した。

 小さな我が子の、温かい小さな手が、冷たい金属の指先に触れる。

 

「『ウカ』……私の、可愛い子」

 

 彼女の声が、今までで一番優しく震えた。

 『キィ……』と、赤子が指を握り返す小さな感触。

 

「パパとママは、私たちの領分を荒らす悪い人たちを、ちょっと追い払ってくる。だから、ここでいい子にして、待っていてね」

 

 シトリーの言葉と、その巨体から立ち昇る凄まじい熱量を感じ取ったのだろう。

 我が子は、不安を消し去るように「キィッ」と元気な声を上げた。

 

「……踏み込み過ぎるなよ」

 

 スワースはもう、止めはしなかった。

 物理的に彼女らを止める手段がないのも事実だが、何よりこの母親の眼差しに、一切の迷いがないことを理解したからだ。

 彼女はウカをしっかりと抱きしめ、この山の巣の奥で待つことを選んだ。

 

「ありがとう……それじゃあ、いってくる!」

 

 シトリーが力強く立ち上がると、眼下に広がる黒煙へ向かって背を向けた。

 そして、山の巣の入り口から、重力に身を任せるようにして背面から大空へと飛び降りた。

 

 風が彼女の全身の装甲を激しく打ち付ける。

 自由落下が最高速に達する直前、シトリーは量子脳へ向かって、前世の戦場から幾度となく唱えてきたあのコマンドを叩き込んだ。

 

「シトリー、変身(シェイプシフト)!!」

 

 ――ゴン! ガン! ギンッ!

 

 巨大な質量を持った三つの金属パーツが空中で大きく打ち鳴らされ、機体構造が瞬時にして書き換えられていく。

 人型のフォルムが折り畳まれ、装甲がスライドし、空気抵抗を極限まで切り裂く流線型のボディが再構成される。

 

 それはかつての翼竜の姿ではない。

 異世界で彼女が新たに手に入れた、今の自分にとって最高の矛となる、硬い翼を持った『ジェット戦闘機』の姿だった。

 

 キュオッ――ドォォォォンッ!!

 

 背部の巨大なバーニアから、爆発的な推力を生み出す青白い炎が吹き上がる。

 一直線の飛行軌道を描き、音の壁を突き破りながら、シトリーは燃え盛るゴブリンの村へと急行した。

 

『グォォォオオオオオオオッ!!』

 

 シトリーの背後から、空気を震わせる強烈な雄叫びが響き渡る。

 視界の端のセンサーに、愛する妻を追いかけ、翼を大きく広げて大空へと躍り出たジェスハの頼もしい巨体が映り込む。

 彼らは共に、黒煙の柱が立つ戦場へと向かって、雷光のような速さで突き進んでいったのだった。

 

 

     * * *

 

 

 ――それは、まさしくこの世に現出した『地獄』に他ならなかった。

 

 森の木々を巧みに組み合わせ、魔物たちの生態系から得た強固な金属素材で補強されていたはずの、ゴブリンたちの平和な村。

 彼らが家族を愛し、互いの金属細胞を磨き合い、静かに営んできたささやかな生活は、今や暴力という名の泥靴によって、理不尽に踏み躙られていた。

 

 火災の炎に焼かれるのは、炭素生命の血ではない。黒いオイルが焼け焦げ、冷却液が蒸発する、無機質な焦げ臭い匂い。

 金属が嫌な音を立てて擦れるような、ゴブリンたちの悲鳴が森中に鳴り響く。

 

『やめてぇぇぇっ!』

 

『子供を……その子を連れて行かないでくれぇっ!』

 

『オラたちの……オラたちの村が……!』

 

 炎の向こう側で、廃油まみれになって地に這いつくばるゴブリンたちを冷酷に見下ろしているのは、本来であれば森の平和を乱すべきではない『人間』たちだった。

 

「うるせぇ、この魔王軍の回し者どもが!」

 

「ガキとメスのゴブリンは生け捕りにしろ! 好事家と奴隷商に高く売れるぞ!」

 

「あとは適当にぶっ壊しておけ! 『瘴気にやられて狂っていた魔物を討伐した』ってギルドに報告すりゃ、大義名分は立つからなぁ!」

 

「おう! それと、珍しい部位(パーツ)や素材の回収は忘れるなよ! 金になるんだからな!」

 

 柄の悪い冒険者集団と、彼らに扇動されて完全に暴徒と化した近隣の民衆たち。

 彼らは己の『欲望』と『恐怖』を隠すことすらせず、森の奥深くまで雪崩れ込んできたのだ。民衆は恐ろしい魔王軍への恐怖を、力なきゴブリンたちへの暴力にすり替えて発散し、冒険者たちはそれを都合の良い金儲けの口実として利用している。

 あちこちで火が放たれ、怒号と悲鳴が入り混じる様は、炭素生命体の最も醜悪な部分を煮詰めたような光景だった。

 

 そして。

 燃え盛る炎を掻き分けるようにして、その地獄の極卒たちが姿を現した。

 

「そら行け、化け物ども! 残った建物を根こそぎぶっ壊せ!」

 

 否、それは地獄の極卒などではない。やはりそれもまた、欲望に塗れた人間の業が生み出した悲劇――奴隷として使役される『オーガ』の群れであった。

 

 本来は強靭で誇り高く、森を守る金属の戦士であったはずの彼らオーガ達は皆、一様にダルバーグ公国の古代文字と思しき呪文がびっしりと刻まれた、重々しい鋼鉄の首輪を嵌められていた。

 その首輪からは、まるで金属の脊椎のような不気味な形をした隷属魔術装置(コントロール・スパイナル)が延び、彼らの頭蓋骨の隙間、神経系ユニットに深く突き刺さって、その自由意志を完全に支配している。

 

「オオォ……アァァ……ッ」

 

 所有権を持つ人間の主が、禍々しい宝珠の埋め込まれたグローブを掲げて怒鳴るたび、オーガたちの身体にはバチバチと強制的な敵意と激痛の電気信号が流し込まれる。

 彼らは血の涙(冷却液)を流しながら、自らの意思とは無関係に、巨大な棍棒を振り下ろした。

 無慈悲に建物を粉砕し、瓦礫の下に隠れていたゴブリンたちを残酷に追い出し、人間の暴徒たちの前へと引きずり出していく。

 

 蹂躙される側であるゴブリンたちが、必死に手を合わせ、涙ながらに命乞いをする声は、誰の耳にも届かない。

 この森に古くから伝わる『領分』の調和は、人間たちの強欲と、魔王の瘴気がもたらした悪意によって、今、決定的に壊されようとしていた。

 

 

 眼下の凄惨な光景を前に、シトリーの量子脳の奥深くで、前世で抱えていた『炭素生命体への冷たい憎悪』が再び黒い炎となって燃え上がり始めていた。

 

(あぁ……やはり、人間という生き物は……いつまで経っても変わらないのか!)

 

 猛スピードで村の上空へと到達したシトリーは、即座に機体の姿勢を制御する。

 彼女は機首を大きく天へと向け、アフターバーナーを全開にした。

 

 ドォォォンッ!!

 

 凄まじい推力と共に、シトリーは一気に急上昇し、重力に抗いながら莫大な運動エネルギーを機体に蓄積していく。

 重力が限界までその身を引っ張り落とそうとする頂点。

 彼女は滞空時間の僅かなラグを利用し、量子脳へ即座にコマンドを送った。

 

「シトリー、変身(シェイプシフト)!!」

 

 ゴン! ギンッ! ガンッ!!

 

 空中で流線型のボディが爆発的に弾け、長大な金属パーツが複雑に組み替わる。

 重厚な金属音を立てて『人間型(ロボットモード)』へと回帰したシトリーは、重力に引かれて落下しながら、即座に背部にマウントしていた獲物――『強弓』を左手に構えた。

 右手を背中の矢筒(クィーバー)へと伸ばし、鋼色に光る矢を数本同時に引き抜いて弦につがえる。

 これは、前世でヤマト司令官の『勇者のカテドラル』から授かった固有兵装『無限弾倉(インフィニット・マガジン)』が、今の身体に合わせて最適化された姿だ。

 霊子がカグツチ・ドライブから供給され続ける限り、実体弾(矢)を無限に生成し続けることが可能である。

 

 ギリリリリッ……!!

 

 霊子ビームで構成された弦が極限まで引き絞られ、圧倒的なエネルギーを帯びて激しく明滅する。

 眼下では、燃え盛る広場の一角にゴブリンたちが追い詰められ、暴徒と化した人間たちや冒険者が、醜い欲望を剥き出しにして迫っていた。

 シトリーのスナイパーとしての演算回路が、風向き、重力、空気抵抗、そして標的たちの動きを瞬時に掌握し、完璧な射撃軌道を弾き出す。

 

「そこだっ!!」

 

 バシュンッ!!  霊子の弦がしなる甲高い音と共に、放たれた数本の鋼鉄の矢が大気を切り裂く。

 それは一直線の軌道ではなく、一ヶ所に固まっていたゴブリンたちと、彼らに迫る人間たちとの間に『円』を描くような、ありえない曲射軌道を描いて降り注いだ。

 着弾の直前。放たれた矢の内部機構が、空中で自律的に稼働する。

 ギリリ、ギャコン、ガキキキキッ!!  矢の柄が複雑に展開・肥大化し、瞬時にして『巨大な一枚の金属板』へと変形した。

 

 ズンッ! ズドドドドドォォォォンッ!!  

 

 大地を揺るがす轟音と共に、展開した金属の板が次々と地面に突き刺さり、繋ぎ合わさる。

 それは一瞬にして、力なきゴブリンたちを暴徒の悪意から隔絶し、完全に護り抜くための強固な『鋼鉄の防壁』となった。

 

「なっ……なんだ、ありゃあ!?」

 

「ひ、ひぃっ! 上だ! 空から化け物が降ってくるぞ、逃げろおぉぉっ!!」

 

 突如として目の前に出現した巨大な鋼の壁と、空から降下してくる巨大なシトリーの姿に、人間の暴徒たちは極限のパニックに陥った。

 彼らは先ほどまでの加虐心をすっかり忘れ、蜘蛛の子を散らすようにして森の彼方へと逃げ出していく。

 暴徒が逃げ去ってできた広場の『空白』へ向けて

 

ゴガァァンッ!!

 

 と、地面を大きく陥没させるほどの重い金属音を立ててシトリーは着地した。

 砂煙が舞う中、膝をついた着地姿勢から立ち上がり切る前に、彼女は左手の強弓のギミックを作動させる。

 

 ギリリガチャンッ!

 

 複雑な機構が組み替わり、一本の弓幹に複数の霊子弦を持つ『多段弓』へと変形した。

 シトリーはその弦のすべてに鋼の矢をつがえ、扇状に構える。

 それと同時に、胸部の装甲をスライドさせ、ジャララララッ!と音を立てて液状のナノメタルを大量に吐き出した。

 吐き出されたナノメタルは、本体の傍らで瞬時にして『MMSの分身体』を構築する。

 巨大な本体と、人間サイズのMMS。

 二つの肉体の視覚センサーが完璧にリンクし、全方位の死角なしで、逃げ遅れた冒険者たちや、奴隷のオーガを操っている主たちを完全に捉え切った。

 

「「武器を捨て、降伏しろ!!」」

 

 本体から響く大地を震わせるような重低音と、分身体から放たれる凛とした女性の声。  二つの異なる合成音声で、シトリーは『一応』の勧告を発した。

 だが、その声が相手の耳に届き終わるよりも早く。

 シトリーは二つの身体で同時に、限界まで引き絞っていた弓を射放った。

 

 スコココココォォォンッ!!

 

 多段弓からばら撒かれた無数の矢が、正確無比な軌道を描いて、武装した冒険者たちの胸当てや武器、オーガを操る宝珠のグローブなどに次々と命中していく。

 しかし、それは彼らの肉体を貫くことはなかった。

 矢の先端が着弾の瞬間にパカッと開き、金属の牙のように彼らの装甲や武器にガッチリと『食らいついた』のだ。

 

「うぉっ!? 何だぁ? ド派手に現れた割には、全然痛くも痒くもねぇぞ!」

 

「デカいだけの見掛け倒しか、どっから出て来たかしらねえが魔物の味方をする女も剥いて慰み者にしちまえぇ!」

 

 身体に矢が食らいついたにもかかわらず、全くダメージがないことに気づいた冒険者たちは、余裕を取り戻して下卑た笑い声を上げた。

 だが、シトリーの視界の中で、標的に食らいついたすべての矢のインジケーターが、射撃モードから『放電モード』へと切り替わる。

 

 チュイィィィィン……ッ!

 

 食らいついた矢の柄の内部で、不気味な高周波のチャージ音が鳴り響き――。

 

 バヂィィィィンッ!!!!

 

「「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」」」

 

 次の瞬間、矢から発生した致死量の一歩手前の凄まじい高圧電流が、青白い閃光となって愚か者どもの全身を容赦なく焼き焦がした。

 断末魔のような悲鳴を上げ、彼らは白目を剥いて次々とその場に崩れ落ちる。

 

「……っは。女を手籠めにするには、顔が悪いな。出直してこい」

 

 一瞬にして、その場にいた全員の命を狩ることだけは『ギリギリ無いように』出力調整された、ネオンワンスが誇る完璧な無力化(スタン)制圧であった。

 

 

 ――しかし、悲劇は終わらない。

 冒険者たちが気絶し、魔術的な支配が途絶えたことをトリガーにして、彼らに使役されていた『オーガ』たちの首輪に仕込まれた悪辣なプログラムが起動した。

 首輪に刻まれた古代文字が赤黒く禍々しく発光し、オーガたちの神経系ユニットへと、強制的な狂気と激痛の信号を送り込む。

 

「ぐるるるっ、がああああぁぁぁぁっ!!」

 

 理性を完全に破壊されたオーガの一体が、手近にいた人間サイズのMMS(分身体)シトリーを獲物と認識し、丸太のような巨大な棍棒を振り上げた。

 分身体の華奢な腕では、受け流すのも難しい圧倒的な質量。回避の軌道を計算し終わるよりも早く、その影がシトリーを飲み込まんとした――。

 

 ドゴォォォォンッ!!

 

 空から降下してきた巨大な影が、オーガの振り上げた腕を、岩石のような硬い鱗に覆われた龍の爪でガッチリと掴み取った。

 

『グルルルるぅっ!!』

 

「ジェスハ!」

 

 舞い降りた頼もしい夫の巨体に、シトリーは即座に戦術指示を飛ばす。

 

「すまない、助かった! 後は私がコイツらも無力化する。お前は、森に逃げて散ってしまった村人たちを、奴らの居住地へと逃げ帰るよう誘導してやってくれ!」

 

 その指示を理解したのか、ジェスハは短く咆哮して頷くと、掴んでいたオーガをそのまま数百メートル先へと豪快に弾き飛ばし、再び大きな翼を羽ばたかせて森の奥へと消えていった。

 

(よし、これで憂いなく戦える)

 

 シトリーは低く冷却排気音を鳴らし、一息をつく。

 ロボットモードの巨大な本体で強弓を構え直し、静かに言い放つ。

 

「――来い」

 

 その言葉に、狂乱した残り三体のオーガが、血走った眼でシトリー本体へと突進を開始する。

 その横の死角を突くように、人間サイズの分身体(MMS)が、焼けた村の広場を猛スピードで駆け出した。

(魔術。この世界特有の、未知で理不尽な技術体系。しかし、それが『技術』である以上、そこには必ず再現可能な【原因】と【結果】が存在するはずだ)

 

 シトリーのスナイパーとしての演算回路が、オーガたちの暴走の【原因】を瞬時に解明していく。

 

(首輪の術式、道具、そして周囲の大気に漂う魔力粒子……解った)

 

『があああああッ!!』

 

 距離を詰めてきた一番近いオーガへ向けて、まずは本体からの第一射を放つ。

 

 バシュンッ!!

 

 放たれた鋼の矢が、オーガの太い腕の装甲に命中。凄まじい運動エネルギーによって、オーガの腕は無理やり背後に引っ張られ、背後にあった大木にガチリと激突する。

 直後、矢の金属細胞が空中で自律的に展開。

 

 ガチャンッ!

 

 と、巨大な『手錠』へと変形し、オーガの腕を木に縫い付けるように拘束した。

 

(よし! 先ほど私がスタンさせ、その辺に寝っ転がっている『宝玉付きのグローブ』を持つ男……あの術者が、オーガの首輪の遠隔操作をしている!)

 

 シトリーは巨大な弓を両手で掴み、力任せにバキンッ!と二つのパーツに分割する。

 弓の先端が霊子の弦で繋がったまま、瞬時に一対の『コンバットナイフ』へと変形した。

 二匹目のオーガが頭上から振り下ろしてきた破壊的な棍棒の一撃。

 それをシトリーは双剣を交差させて受け止め、力で逆らわず、斜めへと滑らせるようにいなした。

 その隙を逃さず、戦場を駆け抜けていたMMSが、気絶した男の腕にある一個目のグローブを発見する。

 MMSは手にした弓をナイフへと変形させ、グローブの宝玉を正確に狙い、叩き割った!

 

 パァンッ!

 

 宝玉が砕け散ると同時、二匹目のオーガの首輪が光を失う。彼は苦しげな悲鳴を上げ、その場に力なく倒れ伏した。宝玉の破壊と連動して、支配術式が強制解除されたのだ。

 

「……一つ! 次!」

 

 倒れ伏した二匹目の巨体をヒラリと飛び越え、シトリーの本体は、背後から迫る三匹目のオーガの腕を、がら空きになった手で素早く掴み取った。

 

「どいつもこいつも……私がスナイパーだからといって、嘗め過ぎだ! ネオンワンスの兵士にとって、近接格闘術(CQC)など基礎中の基礎だ!」

 

 シトリーは掴んだオーガの腕を支点に、機体の重量とジャイロ機構をフル回転させて強烈な回転をかける。

 相手の突進の勢いをそのまま利用した、一本背負いのような超出力の投げ技。

 

 ドッゴォォォォンッ!!

 

 巨大なオーガの身体が、空高くぶん投げられ、背中から地面に叩きつけられた。

 MMSが即座に駆け寄り、二人目の男のグローブを踵落としで粉砕する。

 三匹目の首輪がパキィンと砕け散り、彼は完全に沈黙した。

 

(これで二つ……だが、あと一つが……!?)

 

 シトリーの並列演算回路が、エラーログを弾き出す。

 

(三人目のグローブが……見つからない!?)

 

 MMSの視覚センサーが気絶した人間たちを乱数スキャンするが、該当する魔術道具が見当たらない。

 ――その隙だった。

 一番最初に木に手錠で拘束したはずの『一匹目のオーガ』が、首輪の暴走による異常な腕力で、拘束されていた大木ごと地面から根こそぎ引っこ抜き、それを巨大な槌のようにして振り上げていたのだ!

 

(マズい……! あの質量の広範囲攻撃は、流石にかわし切れな――)

 

 本体が防御姿勢を取ろうとした、その刹那だった。

 

『――レヴェア・ニモイ・バウ(指向性、炸裂非傷痍弾・発射)!!』

 

 上空から、シトリーには聞き慣れたシステム音声と、愛する夫の咆哮が轟いた。

 

 ズドンッ!!

 

 ジェスハの放った光の杭がオーガの腕に直撃し、強烈な爆発を引き起こす。

 しかしそれはオーガの肉体を傷つけることなく、彼が握りしめていた大木と、腕を縛り付けていた手錠の金属細胞だけを、精密に狙い撃ちして爆散させた。

 武器を失い、衝撃でバランスを崩した一匹目のオーガがドスンと尻餅をつく。

 

「ひぃぃっ!」

 

 広場の端から、小さく情けない悲鳴が上がった。

 シトリーの本体が視線を向けると、先ほどまでの広範囲スタン攻撃を運良く逃れていた『最後の魔術師』が、慌てて背を向け、影に隠れて逃げ出そうとしていたところだった。

 

「三人目のグローブは、あいつが……!」

 

 シトリーが再び弓を構えようとした、その時だった。

 空から舞い戻ってきたジェスハが、その無慈悲な巨大な爪で魔術師の身体を乱暴に捕らえ、地面へと押し付けたのだった。

 

 

     * * *

 

 

 あとはもう、完全な消化試合だった。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人間達が、パニックを起こして余計な魔物の巣に逃げ込まないよう、ジェスハが上空から威嚇の魔術ブレスを吐き散らして人間達を脅し、村のある方角へと強制的に誘導していく。

 途中、シトリー達の制止も聞かずに勝手な方向へ逃げ出した冒険者の一部が、あの『センチビードだらけの谷底』へと自ら身投げしていったのを目撃したシトリーは「……まぁ、そればかりは合掌する他ない。自業自得というやつだ」と冷徹に納得していた。

 そして、暴徒となった村人が人間側の領域へと完全に撤退したのを見届けると。

 シトリーは再び戦闘機へと変身して天高く飛び上がり、空中から防壁展開モードの弓を無数に地表へ向かって放った。

 

ズドドドドォォン!

 

 と、等間隔で突き刺さった巨大な一枚板の金属細胞が次々と連結し、森と人間の村の境界を完全に分け隔てるような長大な『鋼鉄の防壁』を築き上げた。

 仕上げに防壁を離れても維持する簡易動力炉弾を壁に打ち込んで……

 

「よし、これで物理的な遮断は完了だ」

 

 彼女はひとまずはこれで済ますつもりだったのだが——。

 

「ギャアアアァァッ!?」

 

 突如、上空から惨めな悲鳴が響いた。

 見上げると、ジェスハがさらに上空へと飛び上がり、その太い前脚の爪で先ほどの『魔術師』を強めに握り締めながら、ホバリングしていた。

 握り潰さない絶妙な力加減だが、魔術師は恐怖で泡を吹いている。

 そして、彼は大きく息を吸い込み――シトリーにすら信じられない音波を大気へと放った。

 

『二゛……ニンッ!! 人間達ヨ!! 聞クガイイ!!』

 

「……んんっ!?」

 

 地上に降りてロボットモードに戻り、彼を見上げていたシトリーは、思わず大きい目を限界まで見開いて変な声を上げてしまった。

 

(喋った!? ああいや、たしかに魔術の詠唱めいた呪文は喋っていたが……えっ!? 会話できるの!?)

 

 シトリーの頭の中が混乱と疑問の嵐で埋め尽くされている中、ジェスハは構わず、魔術師の情けない悲鳴をBGMにしたまま荘厳な大音声で叫び続けた。

 

『此処ヨリ先ハ、我が山ノ主ジェスハと、我が愛スル妻シトリーの領分デアル!!』

 

(つ、妻って……あ、ああもうっ!?)

 

『生キル糧ヲ求メコノ森ニ入ル者ハ心セヨ、自然トハ命ノ奪イ合イ、ソノ均衡デアルコトヲ!

 タダ奪ウタメノ者、恐怖ニ狂イシ者ハ覚悟セヨ!

 奪ウ者カラ奪イ返スコトニ、我々ハ一切ノ容赦ヲシナイコトヲ!!』

 

 自然界の王としての、気高く荘厳たる叫び。それは大気と大地を激しく揺らし、恐怖に狂って逃げていた民衆たちの足を縫い留め、深い畏怖の念によって彼らの精神を一つに纏め上げていく。

 

『領分ヲ越エシ魔王ノ軍勢ナラバ、我ラトテ殺ス!

 貴様ラニ殺サレテモ文句ハ言エン、ソレガ自然ノ摂理ナレバ!

 ダガ我ラモ、貴様ラモ! タダ理不尽ニ奪ウ者ガ許セヌナラバ、ソノ欲望ト狂気コソヲ恨ミ、吼エロ!!

 正シキ声ニノミ、我々ハ耳ヲ貸スデアラウ!!』

 

 一通り吼え終えると、ジェスハは爪の中にいた魔術師を、人間の防壁の向こう側――人里の方向へと乱暴に放り投げた。

 悲鳴を上げながら飛んでいった魔術師がクッションの効いた土の斜面に落ちたのを見届けてから、ジェスハはゆっくりとシトリーの元へと降りてきた。

 

「ひぃぃ……か、帰った、のか?」

 

「い、いやぁ……今、防壁の近くに降りていった……。まだ暫く、森に入るもんを見張る気だぁ……!」

 

「だ、だれだ、こんな恐ろしい山の主に襲撃かけようって言い出したやつぁ……!」

 

「確か酒場の、ダルバーグから来た流れの冒険者だったよなぁ……キグリとかいう。あいつ何処行った?」

 

 そんな村人たちの恐怖と後悔に満ちた会話が、分厚い壁の向こう側から、鋭敏なシトリーの聴覚センサーにしっかりと入ってくる。

 これでしばらくは、人間たちが無謀な森への侵攻を企てることはないだろう。

 

 しかし、今のシトリーにとって、そんなことはもはやどうでも良かった。

 彼女は、自分の顔の装甲が熱で真っ赤になっているのを承知の上で、目の前で『どうだ』と言わんばかりにドヤ顔をしている巨大な夫へと視線を向けた。

 

「……しゃ……喋れたのか、お前……」

 

 ジェスハは大きなエメラルドの瞳を瞬きさせると、少し照れくさそうに頭を掻きながら、ひどくたどたどしい発音で答えた。

 

「公用語を覚えたのは……ツイ、最近である。……シトリーと、話、してみたかった、から」

 

 パンッ!!

 シトリーは両手で、自らの顔を激しく覆い隠した。

 

「そっかー、私の為かぁー……!」

 

 シトリーは冷却系回路が、臨界温度を超えて沸騰しそうだった。

 

(やばい、手で隠していても、にやけ顔が収まらない。

 あーもう、何なんだこの龍は。空で演説を決めている時はあんなに荘厳でカッコよかったのに

 今に至っては『褒められるのを待つ大型犬(わんこ)』みたいに尻尾を振って……!

 可愛いが過ぎるだろう!)

 

『ぐるるっ』

 

 巨大な尻尾を千切れんばかりにぶんぶんと振り回し、「うまく、喋れたか?」と期待に満ちた目で尋ねてくる賢いジェスハ。

 その真っ直ぐな愛情にこれ以上耐えきれなくなったシトリーは、彼にバッと背を向け、逃げるように変身のコマンドを入力した。

 

「う、うるさい! これ以上喋るな、人間に聞かれるだろう! ほら、帰るぞ!」

 

 ガキンッ、ドゥンッ!!

 

 戦闘機へと変形し、エンジンを吹かして照れ隠しのように急上昇したシトリー。

 

『ぐるるっ!?』

 

 その後を、ジェスハが慌てて大きな翼を羽ばたかせながら追いかけてくる。

 

 戦いと憎しみの連鎖を一つ断ち切り。

 龍の番(つがい)は夕日に染まる大空を並んで飛びながら、愛する家族の待つ山の巣へと、足早に帰還するのであった。

 

 

     * * *

 

 

 

 

――あの激闘と、村への防壁建築からさらに一ヶ月後。

 

「いやさ。あんたたちが村を救ってくれたことには、心の底から感謝してるさ。戦ってくるのも、百歩譲って良いよ? それが、あんたたち『戦士』ってやつの誇りなんだろうからね」

 

 ジェスハの巣である巨大な洞窟の中で。

 ゴブリンの老婆、産婆のスワースは、緑色の皺だらけの表情装甲をピクピクと引き攣らせながら、腕を組んで深く溜息を吐いた。

 

「山の主のジェスハよぉー……ああもう、あんたみたいな見境のない獣は、これからは呼び捨てにするよ?

 まったく……ジェスハが彼女を護って、夫婦の絆が深まったのも、大変喜ばしい事さね。でもねぇ……!」

 

 スワースは、吊り上がった眉の下の両眼で、じとりとシトリーを睨みつけてきた。

 いや、正確には彼女が睨んでいるのはシトリーの『顔』ではない。装甲がフレキシブルに拡張し、再びポッコリと大きく膨らんでしまった、その『腹部』に厳しい視線を向けていたのだ。

 

「あんたらねぇ! いくら頑丈だからって、女の胎ってのは、そうぽこじゃか二人ずつまとめて孕むようには普通できてないんだよ!

 なんだい、一人目が出たばっかりだから、お腹が寂しくなったってのかい!?」

 

「い、いや、その……」

 

 シトリーは顔から火が出そうなほどの羞恥心に身を縮ませ、視線を泳がせた。

 

「ジェスハが……あの一件の後、あまりにも褒めてほしそうな顔で寄ってくるから、つい……その」

 

『我ガ嫁ノ求愛ニ応ジヌノハ、山ノ主ノ恥、デアル』

 

 嫁のしどろもどろな言い訳を遮るように、隣に座っていたジェスハが、どこか誇らしげに胸を張りながら、覚えたてのたどたどしい公用語で堂々と言い放った。

 

「限度があるわいな!!」

 

 スワースの雷が落ちる。

 体長4メートルに縮んだとはいえ巨体であるロボットモードの宇宙機械生命体(シトリー)と、全長7メートルを超える圧倒的な質量を誇る自然の王たる上位存在(ジェスハ)。

 そんな二体の巨大な鋼のバケモノが、せいぜい身長80センチ程度の機械のゴブリンの老婆に真っ向から怒鳴り散らされ、シュンと縮こまっているという、なんとも奇妙でシュールな光景が洞窟内で繰り広げられていた。

 

 

 いや、こればっかりは、本当に言い訳のしようがなかったのだ。

 結局のところ、シトリーはあの戦いの後、「帰るぞ」と突き放したせいでシュンと尻尾を下げてしまったジェスハに対して、何かフォローしてやらねばと(要らぬ)母性や愛情を抱いてしまったのだ。

 おまけに、戦いの熱も冷めやらぬうちに巣へ戻ってきてしまったのが運の尽き。

 気づけば——

 

『あ、あぁああの……それで、二人目も安定期に入ってることだし……お前も私も頑張ったんだ、ほぉら、抱っこしてあげるよ』

 

 シトリーの方から、その提案がどういう結果を生むのか明らかに判ったうえで彼を誘ってしまっており……

 

 

『シトリー、シトリーっ!』

 

『あっ……!やっ、ウカが起きちゃうからっ……もっと優しく、うぁっ♡あぁんっ♡声、出ちゃ……っひ♡……好きい♡』

 

 そのまま流れるように激しい行為へ……。

 

 

 そして、あろうことか。

 ジェスハの熱い遺伝子情報は、その一回の極濃な交尾を見事にシトリーの卵核コアに『命中』させてしまっていたのである。

 今、彼女のお腹の中には、二人目に続いて、なんと『三人目』の卵までもが、とくり、とくりと力強い鼓動を刻み始めてしまっていたのだ。

 年子どころか、下手をすればウカを入れて年内三つ子である。

 

(前世では、誰とも群れず、ひたすらにストイックなスナイパーとして死んでいったというのにっ……。今の私は、ただの発情したメス犬じゃないかぁ!)

 

 自己嫌悪と羞恥で、シトリーは両手で顔を覆った。

 

「いいかい! 二人目、いや三人目を無事に産む前に、次の子を孕むなんて無茶したら! いくら村の恩があるからって、流石のあたしでも付き合いきれないからね!

 そんときは産婆なしで、自分たちだけで産みな!」

 

 スワースはビシッと指を突きつけ、最後通告とばかりに凄んでみせた。

 

「わ、わかった! い、いや、しない! もう絶対にしないぞ!」

 

 シトリーはぶんぶんと首を縦に振り、誓うように叫んだ。

 すると。

 

『……シナイノ?』

 

 隣のジェスハが、エメラルドの瞳をこれ以上ないほど悲しげに潤ませ、シトリーに頭をすり寄せて非常に残念そうに首を傾げてきた。

 この期に及んでまだつがいを組み敷く気満々の、底なしの性欲モンスターである。

 

「しないっ!!」

 

 バチィィンッ!!

 

 シトリーは嫁として容赦なく、その巨大な頭に全力の平手打ちを食らわせた。

 

(私は、ネオンワンスのエリートスナイパーだ! これ以上、己の性欲と、この龍のフェロモンに流されてなるものか!)

 

 痛そうに頭を押さえるジェスハを睨みつけながら、シトリーは今度こそ、鋼の理性を以て己のメスとしての本能に徹底的に抗うことを、固く、固く心に誓ったのだった。

 

 

 

 

 ――それから、さらに時が流れて。

 転生三年目。

 

 ヤマト司令官やベンザイアたち『ネオンワンス』の仲間たちに立ちふさがり、再会を果たすことになった、現在。

 ……あろうことか、シトリーのお腹の中には、またもやしっかりと『四人目』の命が宿ってしまっていた。

 

(い、いや!必死でジェスハをなだめて、口とかお尻とかで済ませて、三女を無事に産み終えた後に、十分な間隔を空けてから装填したんだから、スワースとの約束はちゃんと守っている! セーフだ! 絶対にセーフだと思いたい……!)

 

 そんな、誰に対する言い訳なのかもわからない見苦しい弁明を量子脳の片隅で繰り返しつつ。

 空を征く鋼のスナイパーは、少し膨らんだお腹を抱えたまま、同じく女と成り果てたヤマト司令官の前に姿を現し、彼を危うく自刃させるほど驚かせることになるのだが……それはまた、別の話である。

 

 

 

 

 




次回予告



レイニア「うっす!ジェスハ先輩、焼きそばパン買ってきましたっすわ!」

ジェスハ「ぐ、ぐるる!?」

レオン「待て待てまーたなんか新たな属性ぶっこんできやがってうちの来世は!」

レイニア「邪魔しないでくださいまし!ジェスハ先輩は偉大な先達ですわよ!シェイプシフターと直接チョメチョメして子供まで成した!わたくしたちも見習わないと!」

レオン「見 習 う な !!」

ダチカル「オレも焼きそばパン、欲しい!」

レイニア「ハイ喜んでー!」

レオン「喜 ぶ な 敵 に !!」

レイニア「それもこれもヤマトも前世も奥手だからですわ!この小説の隠されたテーマを思い出しなさい!ドラゴンカーセッ——」

レオン「次回ぃ!!『出立前夜』!!」

シトリー「異世界のドラゴン(レイニア含む)が揃って」

ヤマト「肉食系過ぎるのがなぁ……」
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