オーバーロード 希死念慮を持つ御方   作:0806

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扉の、内側と外側


一.夜

 

 その夜、しとろんの部屋は静かだった。

 静かすぎた。

 その夜はフェンとアウラが警護につく日だった。

 フェンが扉の外で、低く鳴き続けていた。

 アウラはその声に気づいた。

 いつもと違う鳴き方だった。

 扉をノックした。返事がなかった。

 もう一度。

 やはりなかった。

 アウラは扉を開けた。

 

 しとろんはいた。

 床に座っていた。

 意識はあった。目が開いていた。

 でも——どこも見ていなかった。

 左腕が——今夜は、いつもより深かった。

 アウラは一瞬だけ、息を止めた。

 次の瞬間、駆け寄っていた。

 

「しとろん様」

 

「……アウラ」

 

「はい、います。ここにいます」

 

 しとろんの声は、遠かった。

 

「……来たんだ」

 

「はい」

 

「フェンが、呼んだの?」

 

「……そうかもしれません」

 

 フェンが部屋に入ってきて、しとろんの膝に頭を乗せた。

 しとろんの手が、ゆっくりと動いた。フェンの頭に触れた。

 

「……ごめん」

 

「謝らなくていいです」

 

「また——」

 

「今は話さなくていいです」

 

 アウラはしとろんの腕に、静かに布を当てた。

 しとろんは黙っていた。

 


二.翌日

 

 モモンガが全員を集めた。

 守護者。プレアデス。ペストーニャ。

 短く、事実を告げた。

 誰も何も言わなかった。

 しばらくして、アルベドが静かに口を開いた。

 

「……対策が、必要です」

 

「ああ」

 

「しとろん様の部屋の中に——常時、誰かがいる体制を取りたいと思います」

 

 モモンガは頷いた。

 

「それでいく」

 


三.伝える

 

 ペストーニャがしとろんに伝えたのは、昼過ぎだった。

 

「しとろん様、一つお話がありますわん」

 

「なに」

 

「これからしばらく——お部屋に、常に誰かがいることになりましたわん」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……監視?」

 

「見守り、でございます」

 

「同じことでしょ」

 

 ペストーニャは否定しなかった。

 

「……しとろん様が嫌だと思うことは、わかっておりますわん」

 

「嫌だよ」

 

「はい」

 

「一人の時間がほしい」

 

「はい」

 

「なんで、こんなことになるの」

 

 しとろんの声に、珍しく棘があった。

 ペストーニャは静かに受け取った。

 

「しとろん様が大切だから、でございますわん」

 

「大切なら、一人にしてくれればいい」

 

「一人にしていた結果が——昨夜でございました」

 

 しとろんは黙った。

 

「……わかってる」

 

「嫌でも——しばらく、受け入れていただけますかわん」

 

 長い沈黙があった。

 

「……選択肢、ないんでしょ」

 

「申し訳ありません」

 

「……わかった」

 

 納得はしていない声だった。でも——拒絶でもなかった。

 


四.最初の三日間

 

 最初の担当はアウラだった。

 部屋の隅に椅子を置いて、静かに座っていた。

 しとろんは窓の外を見ていた。

 誰も何も言わなかった。

 一時間経った頃、しとろんが言った。

 

「……視線が気になる」

 

「すみません」

 

「見ないで」

 

「……前を向いていてもいいですか」

 

「前って、私の方向じゃない」

 

「では——フェンを見ます」

 

 フェンは床で丸くなっていた。

 しばらして、しとろんが言った。

 

「アウラ」

 

「はい」

 

「なんで、こんなことしてるの。嫌でしょ、こんな役目」

 

「嫌ではないです」

 

「嘘だよ」

 

「……監視は、嫌いです」

 

 正直に言った。

 

「でも——しとろん様のそばにいることは、嫌いじゃないです」

 

 しとろんは少し黙った。

 

「……屁理屈」

 

「そうかもしれません」

 

 二日目の担当はセバスだった。

 完璧な執事の佇まいで、部屋の隅に立っていた。

 

「セバス、座っていいよ」

 

「執事は立っておりますので」

 

「何時間でも?」

 

「御意に」

 

 しとろんは少し呆れた顔をした。

 

「……頑固」

 

「はい」

 

 しばらくして、しとろんが言った。

 

「セバス、私のこと——諦めたくなったりしない?」

 

「なりません」

 

「なんで」

 

「しとろん様だからでございます」

 

「それだけで、諦めないの」

 

「はい。それだけで十分でございます」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……セバスって、不思議だね。いつも」

 

「左様でございますか」

 

「うん。いつも同じ答えを、全然違う温度で言う」

 

「温度、でございますか」

 

「今日の『それだけで十分』は——一番温かかった」

 

 セバスは何も言わなかった。

 ただ——立ち方が、少し柔らかくなった気がした。

 

 三日目の担当はシズだった。

 椅子に座って、銃の手入れをしていた。

 しとろんはそれを見て、少し笑った。

 

「シズって、どこでも手入れしてるね」

 

「……落ち着く」

 

「ここでも落ち着ける?」

 

「……うん」

 

 しばらく、金属音だけが聞こえた。

 しとろんが言った。

 

「シズ、監視って嫌じゃない?」

 

「……見張りは、慣れてる」

 

「そういう意味じゃなくて——こんな役目、嫌じゃないかって」

 

 シズは手を止めた。

 しとろんを見た。

 

「……嫌じゃない」

「なんで」

 

「……しとろん様が、いるから」

 

 短かった。でも——真っ直ぐだった。

 しとろんは少し目を伏せた。

 

「……みんな、同じこと言う」

 

「……本当のことだから」

 


五.少しずつ

 

 一週間が経った。

 しとろんは少しずつ、部屋に誰かがいることに慣れてきた。

 慣れた、というより——悪くないと思い始めた。

 誰かの気配がある。

 完全な無音じゃない。

 それが——以前は苦手だったのに、今は少し助かると思うようになっていた。

 ある夜、アウラが担当の時だった。

 

「アウラ」

 

「はい」

 

「最初、すごく嫌だった」

 

「……知っています」

 

「でも——今は、少しだけ、悪くないと思う」

 

「そうですか」

 

「うん。完全に好きではないけど」

 

「正直ですね」

 

「正直に言う」

 

 アウラは少し口元を緩めた。

 

「それでいいです。無理に好きにならなくていいので」

 

「慣れればいい、くらい?」

 

「慣れれば、十分です」

 

 しとろんは窓の外を見た。

 

「……アウラは、ずっとここにいてくれるの? 監視が終わっても」

 

「監視じゃなくても——来ます」

 

「毎朝?」

 

「毎朝」

 

「フェンも?」

 

「フェンも」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……それは、嫌じゃない」

 

「よかったです」

 


六.ペストーニャに

 

 翌日のカウンセリングで、しとろんは言った。

 

「最初は、本当に嫌だった。監視」

 

「はい」

 

「でも——少し慣れてきた」

 

「それは、よかったでございますわん」

 

「慣れることが、よいことかどうかわからないけど」

 

「どういう意味でございますかわん」

 

「監視されないといけない自分が——情けないと思ってたから。慣れることで、それを認めてしまう気がして」

 

 ペストーニャは静かに聞いていた。

 

「……でも。認めることが——悪くないかもしれないと、少し思い始めた」

 

 ペストーニャは静かに聞いていた。

 

「今の私には、誰かが傍にいた方がいい。それが事実で——それを認めることは、弱さじゃないかもしれないって」

 

 ペストーニャは頷いた。

 

「……しとろん様」

 

「なに」

 

「それは——大きな一歩でございますわん」

 

「そう? たいしたことじゃない気がするけど」

 

「たいしたことでございますわん」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……ペストーニャがそう言うなら、そうかもしれない」

 

 しとろんはお茶を一口飲んだ。

 

「……今日も、美味しい」

 

「ありがとうございますわん」

 

「ペストーニャのお茶、毎回美味しいね」

 

「しとろん様が飲んでくださるから、ですわん」

 

 しとろんは少し笑った。

 今日の笑い方は——少し、本物に近かった。

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