オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.始まり
薬を隠し始めたのは、少し前からだった。
朝、薬を飲んだことをフォスや担当の守護者が確認する。
でも——飲んだふりをして、舌の下に隠した。
口に入れて、お茶で流すように見せて——実際には飲んでいなかった。
理由は、うまく言えなかった。
でも——なんとなく。
飲まなくても、大丈夫だと思いたかった。
薬なしの自分を、試したかった。
それだけだった。
三日間、誰も気づかなかった。
四日目の朝、フォスが気づいた。
枕の下に、小さな錠剤が二つ、落ちていた。
フォスはそれを見て——少し、手が止まった。
拾い上げた。ピンクの錠剤だった。
しとろんはまだ眠っていた。
フォスはその錠剤を、手のひらの中に握りしめた。
二.バレた朝
しとろんが目を覚ますと、フォスが椅子に座っていた。
いつも通りだった。でも——表情が、少し違った。
「おはよう、フォス」
「……おはようございます」
「どうしたの? なんか変な顔」
「変な顔、ですか」
フォスは立ち上がった。テーブルの上に、小さなものを置いた。
ピンクの錠剤が、二つ。
しとろんは——黙った。
「枕の下に、ありました」
「……そう」
「他にもありますか」
しとろんは少し間を置いた。
「……引き出しの中に、少し」
フォスは引き出しを開けた。
錠剤が、数粒あった。
フォスはそれを見て、何も言わなかった。しばらくの間、ただ見ていた。
「……しとろん様」
「怒ってる?」
「怒っていません」
「呆れてる?」
「……少し、悲しいです」
しとろんは俯いた。
「なんで隠していたのですか」
「……飲まなくても、大丈夫か試したくて」
「試したかった?」
「薬がなくても、普通でいられるかって」
「……今は、普通でいられましたか」
しとろんは少し間を置いた。
「……わからない。三日くらいだったから」
「三日、ですか」
「うん」
「その三日間、どうでしたか」
しとろんは少し考えた。
「……最初は、あまり変わらなかった。でも——昨日の夜、少し波が来た」
「波、とは」
「遠くなる感じ。消えたい感じが、少し近くなった」
フォスは静かに聞いていた。
「……でも、誰にも言わなかった」
「はい」
「言えなかった。隠してたから」
しとろんは手のひらを見た。
「……バレたくなかったから、言えなかった」
三.アウラに伝わる
フォスがアウラに伝えたのは、その日の午前中だった。
アウラはすぐに来た。
しとろんは少し、身構えた。
「怒ってないです」
アウラが先に言った。
「……うん」
「怒らないけど——話を聞かせてください」
しとろんはアウラと向き合った。
「薬を飲まなくても、大丈夫か試したかった。それだけ」
「それだけですか」
「……あと、飲み続けることへの——なんか、反発みたいなものが、あった」
「反発?」
「ずっと飲まないといけないのかって。いつまでも薬がないと普通でいられないのかって」
「……そう思っていたんですね」
「うん」
「それは——ペスに伝えましたか」
「伝えてなかった」
「今日、伝えてもらえますか」
しとろんは少し間を置いた。
「……バレたことも?」
「はい。全部」
「恥ずかしい」
「恥ずかしくないです」
「恥ずかしいよ。隠してたんだから」
「隠したくなるほど——追い詰められていたということだから、恥ずかしくないです」
しとろんは少し間を置いた。
「……アウラって、どうしてそういう言い方できるの」
「どういう言い方ですか」
「責めないで、でも事実を言う」
「責めても仕方ないから」
「それだけ?」
「……しとろん様を、責めて萎縮してほしくないから」
「萎縮?」
「正直に話してくれなくなると——困るので」
しとろんは少し目を細めた。
「……怒らないのは、また話してほしいから?」
「それも、あります」
「正直だね」
「はい」
しとろんは少し笑った。
四.ペストーニャへ
その日の午後、しとろんはペストーニャの部屋を訪れた。
「今日は——謝りに来ました」
「謝りに?」
「薬を、隠していました。三日間」
ペストーニャは少し間を置いた。
責めなかった。驚いた顔もしなかった。
「……話してくださって、ありがとうございますわん」
「怒らないの?」
「怒りません。でも——心配しましたわん」
「バレてから来たんだけど」
「それでも——来てくださいました…わん」
しとろんは俯いた。
「薬なしで大丈夫か、試したかった。でも——昨日の夜、少し波が来て。隠してたから言えなくて」
「その夜、どうされましたか」
「……なんとか、朝まで過ごした」
「うん」
「辛かったですね」
「……うん」
「次からは——試したい気持ちになった時に、話してもらえますかわん」
「それは、難しいかもしれない。言ったら、止められそうで」
「止めます」
ペストーニャは真っ直ぐに言った。
「でも——止める前に、なぜ試したいのかを、一緒に考えますわん」
「一緒に?」
「はい。薬をやめたい気持ちは——無視していいものではないのでございます。その気持ちの奥に、何があるかを、一緒に探したいのですわん」
しとろんは少し間を置いた。
「……飲まなくても大丈夫になりたかった」
「それは——とても自然な気持ちです。ずっと薬が必要な状態でいたい人は、いないのでございます。よくなりたいと思うことは——当然のことでございますわん」
しとろんは少し、目の奥が熱くなった。
「……そう言ってくれると、少し楽になる」
「これからも——そういう気持ちになったら、話してください。隠さなくていいのですわん」
「隠したくなるかもしれない」
「それでも——話してみてください。少しずつでいいのですわん」
五.夜
夜、アウラが担当だった。
しとろんは薬を、今日は自分から手に取った。
お茶で飲んだ。
隠さなかった。
「飲みました」
「はい、見届けました」
しとろんはしばらく黙っていた。
「アウラ」
「はい」
「隠してた間——気づいてた?」
アウラは少し間を置いた。
「……少し、気になっていました」
「なんで言わなかったの」
「確信がなかったので」
「確信があったら、言った?」
「……はい」
「そっか」
しとろんは天井を見上げた。
「バレてよかった」
「そうですか」
「うん。一人で抱えてたら——昨夜みたいな夜が、また来てたと思う」
「……そうかもしれません」
「バレなかったら、言えなかった。だから——バレてよかった」
アウラは静かに聞いていた。
「次は——バレる前に、言えるといいです」
「難しいかもしれない」
「難しくてもいいです。少しずつ」
「……少しずつ」
「はい」
しとろんは目を閉じた。
薬が、少しずつ効いてくる。
眠気が来る。でも今夜は——その眠気が、悪くなかった。
「おやすみ、アウラ」
「……おやすみなさいませ」
フェンが横で丸くなった。
アウラが静かに見守った。
今夜は——隠しものが、なかった。
それだけで、少し——軽かった。