オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.報告
翌朝、モモンガは全員から報告を受けた。
昨夜、しとろんが脱走したこと。
第六階層で発見されたこと。
消えたい気持ちが、逃げたかった理由だったこと。
監視自体が、辛くなっていたこと。
モモンガは最後まで、黙って聞いた。
報告が終わった後——少し間を置いて、アルベドに言った。
「……しとろんと、話す」
「モモンガ様が、直接?」
「ああ」
「ペストーニャも同席させますか」
「……ああ、頼む」
二.ペストーニャと事前に
モモンガはペストーニャと、先に話した。
「昨夜のことを——どう受け止めている」
「しとろん様は監視されることが辛くなっていたことを、言えなかったのでございますわん」
「なぜ言えなかった、と思う」
「……また迷惑をかけると思ったのでしょう。しとろん様は——自分の辛さを、他者への迷惑として受け取る傾向がありますわん」
「それは——どうすれば変わる」
ペストーニャは少し間を置いた。
「……すぐには変わらないのでございます。でも——辛いと言った時に、迷惑だと返されない経験を、積み重ねていくことで。少しずつ。ですわん」
「時間がかかる」
「はい。でも——しとろん様は、少しずつ話せるようになっています。今夜も——逃げた後、アウラに話してくれましたわん」
「それは——進歩か」
「はい。以前なら、何も言わずに一人で抱えていたことでございますわん」
モモンガは静かに頷いた。
「……今日の話し合いで、私が気をつけることは」
「責めないこと。原因を追及しないこと。しとろん様が話したいことだけを、聞くことですわん」
「話したくないことは——聞かない」
「はい。ただ——モモンガ様の気持ちを、伝えることは大切でございますわん」
「私の気持ち」
「はい。しとろん様は——自分が迷惑な存在だと思っています。モモンガ様がそう思っていないことを——伝えてほしいのでございますわん」
三.三人で
ペストーニャの部屋に、三人が集まった。
しとろん。モモンガ。ペストーニャ。
しとろんは少し身構えていた。怒られると思っていたのかもしれない。
モモンガは椅子に座った。
しとろんと——向き合った。
「昨夜のこと、聞きました」
「……うん」
「怒っていません」
「……そう」
「ただ——話を聞きたい」
しとろんは少し間を置いた。
「……何を」
「監視が辛くなっていたこと。言えなかったこと。逃げたかった理由」
「……全部、もう話した」
「私には——まだ、話していません」
しとろんはモモンガを見た。
「モモンガに話すのは——怖い」
「なぜ」
「……がっかりされそうで」
モモンガは少し間を置いた。
「がっかり、とは」
「また同じことをしてしまったって——思われそうで」
「……がっかりしていない」
「本当に?」
「本当に」
「なんで」
モモンガは少し考えた。
「……昨夜、逃げた後——しとろんさんは、戻ってきた」
「連れ戻されたんだよ」
「でも——抵抗しなかったでしょう」
しとろんは少し黙った。
「……しなかった」
「なぜしなかったのですか」
「……みんなが来てくれたから。戻った方がいいと——思ったから」
「それは——昨夜のしとろんさんが、自分で判断したことだ」
「……そうかな」
「そうです」
四.しとろんが話す
しばらく三者の間に沈黙があった。
ペストーニャが静かに言った。
「しとろん様、今——どんな気持ちですかわん」
「……疲れてる」
「疲れている、とは」
「消えたい気持ちと戦うことに——疲れた。監視されることにも疲れた。迷惑をかけていることにも疲れた」
「全部に、疲れているのですね。あ、わん」
「うん」
「……それは、当然でございますわん」
「当然?」
「ずっと戦い続けているのでございます。疲れて当然でございますわん」
しとろんは少し俯いた。
「……疲れても、消えたい気持ちはなくならない。戦っても、なくならない。じゃあ——どうすればいいの」
ペストーニャは静かに言った。
「戦わなくていいのでございますわん」
しとろんが顔を上げた。
「……戦わない?」
「消えたい気持ちを——なくそうとしなくていい。ただ——その気持ちがある時に、一人でいないことだけを、してほしいのでございますわん」
「それだけ?」
「それだけでございますわん」
しとろんは少し間を置いた。
「……それだけなら、できるかもしれない」
「昨夜も——できていましたわん」
「逃げたけど」
「逃げた後、みんなに話してくれた。戻ってきてくれた。それが——できていたことでございますわん」
五.モモンガが言ったこと
しばらくして、モモンガが口を開いた。
「しとろんさん」
「なに」
「一つだけ——言ってもいいですか」
「……うん」
「あなたが迷惑だと思っていることは——私には、迷惑ではない」
しとろんは黙った。
「信じられないかもしれない。でも——本当のことです」
「……なんで、信じられると思うの」
「信じられなくていい。ただ——言いたかっただけです」
「……それだけ?」
「……もう一つ、言っていいですか」
モモンガは少し間を置いた。
「昨夜、あなたがいなくなった時——怖かった」
しとろんは少し目を丸くした。
「モモンガが?」
「ああ」
「……何が怖かったの」
「見つからなかったら、と思って」
「……見つかったよ」
「ああ。だから——よかった」
しとろんは少し俯いた。
「……モモンガを怖がらせた」
「それは——仕方ない」
「仕方ない?」
「あなたが昨夜、そこまで追い詰められていたということだから。仕方ない」
「……責めないんだね」
「責めても——昨夜の苦しさは、消えない」
しとろんはしばらく黙っていた。
やがて、小さく言った。
「……監視、辛かった」
「聞いてます」
「辛くなった時——言えなかった」
「なぜ」
「また迷惑だと思って」
「次は——言えそうですか」
しとろんは少し考えた。
「……言えるかどうか、わからない。でも——言おうとは、する」
「それで十分」
「本当に?」
「もちろんです」
六.帰り際
話し合いが終わった。
ペストーニャが先に席を外した。
二人だけになった。
しとろんがぽつりと言った。
「モモンガ」
「なんだ」
「……私、よくなれると思う?」
モモンガは少し間を置いた。
「思います」
「根拠は?」
「……昨夜、戻ってきた。今日、ここで話した。それだけで——十分な根拠です」
「小さいね」
「小さくない」
「そうかな」
「そうです」
しとろんは窓の外を見た。
「……モモンガって、いつも言い切るんだね」
「言い切れないことは、言いません」
「じゃあ——よくなれるって、言い切れるの?」
「はい」
「なんで」
「……あなたが、まだここにいるから」
しとろんは少し間を置いた。
目の奥が、少し熱くなった。
「……泣きそう」
「泣いていいですよ」
「泣かない」
「泣いていい」
「……モモンガの前では、泣きたくない」
「なぜ」
「……なんとなく」
モモンガは何も言わなかった。
ただ——そこにいた。
しとろんは目を押さえた。
泣かなかった。
でも——目が、赤くなった。
「……ありがとう、モモンガ」
「いえ」
「来てくれて」
「……当然のことです」
「当然じゃないよ」
「……ナザリックには、ひいてはあなたには当然のことだ」
部屋に戻って、しとろんは担当と二人になった。
ベッドに座った。
今日、モモンガと話した。
怒られなかった。がっかりされなかった。
責められなかった。
それが——まだ、信じきれなかった。
でも。
怖かった、と言っていた。
見つからなかったら、と思って怖かった、と。
その言葉だけが——今夜は、少し近かった。
右手が——動かなかった。
今夜は、伸びなかった。
モモンガの声が、耳に残っていたから。
お前が、まだここにいるから。
その言葉を——胸の中に、しまった。
信じきれなくても。
今夜だけは——しまっておこうと思った。