オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.ある朝
ペストーニャとのカウンセリングで、しとろんがぽつりと言った。
「……何か、したい」
「何か、とはわん」
「わからない。でも——ただ、監視されて、守られて、心配されるだけじゃなくて」
ペストーニャは静かに聞いた。
「何かをしたい、という気持ちが——出てきたのですね…わん」
「……出てきた、のかな。自分でもよくわからない」
「いつ頃から、そう思いましたかわん」
しとろんは少し考えた。
「……アウラが訓練してるのを見てた時。フェンが指示通りに動いて、アウラが褒めてた。その時に——なんか、羨ましいって思って」
「何が羨ましかったのですかわん」
「アウラには——役割がある。フェンにも。フォスにも。みんな、何かをしてる。私だけが——ただいるだけで。守られるだけ。心配されるだけ。何もできてない」
ペストーニャは少し間を置いた。
「しとろん様は今——ナザリックにとって、何もしていないと思っていますかわん」
「……してないでしょ、実際」
「そうでしょうか」
「そうだよ。みんなが私のために動いてくれてる。私は——受け取るだけ」
「……受け取ることも、役割でございますわん」
「それは慰めでしょ」
「慰めではないのでございます。でも——しとろん様が何かをしたいという気持ちは、大切にしたいと思いますわん」
「何かって——何をすればいいかも、わからないけど」
「わからなくて、いいでございます。ただ——その気持ちを、覚えておいてくださいわん」
二.アウラに話した
その日の夕方、アウラが来た。
フェンが先に部屋に入ってきた。
「アウラ」
「はい」
「……何か、したいって思ってる」
アウラが少し顔を向けた。
「何かとは」
「わからない。でも——ただいるだけじゃなくて、何か役割が欲しい」
「役割、ですか」
「うん。アウラみたいに——何かをしてる感じが、欲しい」
アウラは少し考えた。
「……フェンの世話を、手伝ってもらえますか」
「え?」
「フェンは——すでにしとろん様になついています。一緒に世話をすることは、できると思います」
「でも、私——そういうの得意じゃないかもしれない」
「得意じゃなくたっていいです!やってみるだけで」
「失敗するかも」
「失敗してもいいです。フェンは怒りません」
しとろんはフェンを見た。
フェンは尻尾を振っていた。
「……やってみてもいい?」
「もちろんです」
三.フェンの世話
翌日から、しとろんはアウラの訓練に少し混ざるようになった。
最初は、見ているだけだった。
次の日、フェンに水を与えた。
その次の日、ブラシをかけた。
フェンは——しとろんがするたびに、気持ちよさそうに目を細めた。
ある日、アウラが言った。
「しとろん様、フェンに指示を出してみますか」
「指示?」
「簡単なものでいいです。座れ、とか」
しとろんはフェンを見た。
「……座れ」
フェンが、すとんと座った。
しとろんは少し目を丸くした。
「……座った」
「はい」
「言うこと聞いた」
「しとろん様の言葉だから、でしょう」
「アウラが教えたんじゃないの?」
「私が教えたのは動作です。誰の言葉を聞くかは——フェンが決めています」
しとろんはフェンを見た。
フェンは尻尾を振っていた。
「……ありがとう、フェン」
フェンがさらに大きく尻尾を振った。
しとろんは——気づかないうちに、笑っていた。
四.フォスとシクスス
ある日、シクススが言った。
「しとろん様、よろしければ——一緒にお菓子を作りませんか」
「お菓子?」
「はい。フォスが料理長から習ってきたレシピがあって。フォスと二人で作ろうとしていたんですが、しとろん様もどうかと思って」
「私が作っても、食べられるか保証できないけど」
「大丈夫です。わたしが教えますから」
フォスが元気よく言った。
「あの、私もそんなに上手くないんですけど——一緒に失敗しましょう」
「失敗前提なの?」
「失敗しても、食べられたら成功です」
シクススが静かに言った。
「……レシピ通りにやれば、失敗は少ないです」
「シクススは几帳面だね」
「整理が好きなので。手順を守れば——きっと大丈夫です」
しとろんは二人を見た。
「……やってみる」
厨房を少し借りて、三人でお菓子を作った。
しとろんは最初、手が止まりがちだった。
でも——フォスが都度丁寧に手順を教えてくれた。シクススが隣で明るく話しかけてくれた。
少しずつ、手が動いた。
焼き上がった時、しとろんは少し緊張しながら一口食べた。
「……美味しい」
「本当ですか?」
「うん。ちゃんと美味しい」
フォスがぱっと顔を輝かせた。
「やったー! しとろん様が作ったんですよ、これ」
「みんなで作ったんでしょ」
「でも——しとろん様の手が入ってます」
しとろんは焼き菓子を見た。
自分の手が——作ったものが、ここにある。
小さいことだった。
でも——何かを作った、という感覚が、久しぶりだった。
五.ペストーニャに報告
その日のカウンセリングで、しとろんは今週のことを話した。
「フェンに指示を出した。お菓子を作った」
「それは——よかったでございますわん」
「小さいことだけど」
「小さくないですわん」
「でも——守護者みたいな、本当の役割じゃない」
「本当の役割、とは」
「ナザリックのために何かをする、とか——みんなの助けになる、とか」
ペストーニャは少し間を置いた。
「しとろん様は——フェンのことを、助けていますわん」
「……フェンの世話をしてるだけ」
「フェンは、しとろん様がいると——落ち着きますかわん」
「……落ち着いてるように見える」
「それは——フェンにとって、大切なことでございますわん」
「でもそれは——」
「アウラに、最近笑顔が増えたと思いませんかわん」
しとろんは少し間を置いた。
「……そうかな」
「しとろん様が訓練に混ざるようになってから——アウラは、少し肩の力が抜けているように見えますわん」
「それは——私のせい、じゃないと思う」
「でも——無関係とも言えないでございますわん」
しとろんは俯いた。
「……そんな、大げさな」
「大げさではないです。しとろん様がそこにいることで——変わることがあるのでございますわん」
「……信じられない」
「今は信じられなくていいです。でも——覚えておいてください。しとろん様がいることで、何かが変わっているということを。あ、わん」
六.夜
夜、しとろんはベッドに横になりながら、天井を見ていた。
今日作った焼き菓子が、テーブルの上にあった。
明日、守護者のみんなとモモンガに持っていこうと思った。
小さなことだった。
自分で作った、小さな焼き菓子。
でも——何かをした、という感覚が、少しあった。
消えたい気持ちは——今夜も、完全にはなかったわけではない。
でも。
明日、みんなに渡したいと思った。
明日が——少し、あった。
右手は——動かなかった。
左腕には——伸びなかった。
焼き菓子を見ながら、目を閉じた。
明日、渡す。
それだけを、思いながら——眠った。