オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.気づいた夜
最初は、ただ眠れない夜だった。
薬を飲んだ。いつもなら、しばらくすると眠くなる。
でも——来なかった。
一時間経った。
眠くならなかった。
天井を見ていた。
(おかしい)
思ったが——そのまま朝を迎えた。
翌日、また飲んだ。
また——眠れなかった。
三日目の朝、しとろんはフォスに言った。
「フォス」
「はい」
「薬、ちゃんと飲んでるのに——眠れなくて」
フォスは少し間を置いた。
「何日前から、ですか」
「三日前から」
「ペストーニャ様に、伝えましたか」
「……まだ」
「今日、伝えてもいいですか」
「……うん」
二.ペストーニャへ
その日のカウンセリングで、しとろんは話した。
「薬の効き目が——弱くなってる気がする。眠れない」
「何日続いていますかわん」
「三日」
「日中は、どうですか」
「ぼんやりしてる。眠いのに——夜は眠れない」
ペストーニャは静かに聞いた。
「それは、辛いことでございますわん」
「うん。眠れないと——頭がうるさくなる」
「うるさくなる、とは」
「色々なことを、考えすぎる。消えたい気持ちも——眠れない夜は、近くなる」
「そうですか。話してくれてありがとうございますわん」
「薬、変えてもらえる?」
「処方を見直す必要があるかもしれません。ただ——すぐに変えることは、慎重にしなければならないこともありますわん」
「なんで」
「急に変えると、体が対応できないこともあるからでございます。でも——このまま眠れない状態を続けることも、よくないですわん」
「どうするの」
「まず——眠れない夜の過ごし方を、一緒に考えましょう。そして処方の見直しも、並行して進めますわん」
三.眠れない夜
その夜も、眠れなかった。
担当はアウラだった。
部屋の隅に座って、フェンと一緒にいた。
しとろんはベッドに横になっていたが——目が開いていた。
「アウラ」
「はい」
「眠れない」
「……知っています」
「薬、効かなくなってきたみたいで」
「はい。ぺスから聞きました」
「眠れないと——頭がうるさい」
「今も、うるさいですか」
「……うん」
アウラは少し間を置いた。
「何がうるさいですか」
「……色々。自分がいていいのかとか。迷惑かけてるとか。消えたいとか」
「今、消えたい気持ちはありますか」
「……少し。あるよ」
「わかりました。今夜は——何か、声が聞こえていた方がいいですか」
「声?」
「黙っているより——何か話していた方が、頭がうるさくなりにくいかもしれないと思って」
しとろんは少し考えた。
「……話してくれる?」
「はい。何でもいいですか」
「うん。なんでも」
アウラが話し始めた。
今日のフェンの訓練のこと。
最近覚えた新しい戦法のこと。
マーレと一緒に遊んだときののこと。
エントマがまたつまみ食いをしていたこと。
淡々と、でも——静かな声で、話してくれた。
しとろんは目を閉じたまま、それを聞いていた。
頭の中の声が——少し、遠くなった気がした。
「……アウラの声、落ち着く」
「そうですか」
「うん。なんか——波が穏やかになる感じがする」
「それはよかったです」
「シズの銃の音と——似てるかもしれない。規則的で、落ち着く」
「私の声が、銃の音みたいですか」
「褒めてるよ」
「……わかりました」
アウラは少し口元を緩めた。
「……続けていいですか」
「続けて」
四.夜中に
夜中になった。
アウラはまだ話していた。
しとろんは目を閉じていた。
眠れてはいなかったが——頭のうるさい声は、だいぶ遠くなっていた。
しばらくして、しとろんが言った。
「アウラ」
「はい」
「……ありがとう」
「何がですか」
「話してくれて」
「大したことはしていません」
「大したことだよ」
アウラは少し黙った。
「……眠れそうですか」
「……まだわからない。でも——さっきよりは、頭が静かになった」
「それならよかったです」
「アウラって——こういうこと、得意なんだね」
「何がですか」
「傍で話してくれること。黙っていてくれること。どっちも」
「……しとろん様に合わせているだけです」
「それが——得意ってこと」
アウラは少し間を置いた。
「……しとろん様がそう言ってくれるなら、そうかもしれません」
五.朝
結局、しとろんがうとうとし始めたのは——明け方近くだった。
完全な眠りではなかったが——少し、眠れた。
アウラはその間、ずっといた。
「しとろん様——少し眠れましたか」
「少しだけ」
「それでも、よかったです」
「アウラがずっと話してくれてたから」
「大したことはしていません」
「大したことだよ」
アウラは少し視線を逸らした。
「……しとろん様が、少し眠れたなら——それだけで、いいです」
その日の午後、ペストーニャが処方の調整をしてくれた。
すぐには変えず——まず、飲む量とタイミングを少し変えることにした。
「すぐに眠れるようになるとは限りませんわん」
「うん」
「でも——眠れない夜の過ごし方が、少しわかってきたのでは…わん」
「……アウラに話してもらうと。声が聞こえていると——頭が静かになるみたいで」
「それは——大切な発見でございますわん」
「こんなこと、発見って言うの?」
「はい。自分に何が合っているかを知ることは——とても大切なことでございますから。あ、わん」
しとろんは少し間を置いた。
「……眠れない夜は、また来る?」
「来るかもしれませんわん」
「その時は——また、誰かに話してもらう」
「はい。それでいいでございますわん」
「一人で眠れない夜を過ごさなくていい?」
「一人でいなくていいのでございます。何度言っても、言い足りないくらいですわん」
しとろんは少し笑った。
「……ペストーニャって、何度でも同じこと言ってくれるんだね」
「大切なことだから、でございますわん」
「ありがとう」
「こちらこそ——話してくださって、ありがとうございますわん」
夜、しとろんはベッドに横になった。
今夜の担当は——インクリメントだった。
「インクリメント、少し話してくれる?」
「……何を話しますか」
「好きな本の話でも」
「……わかりました」
インクリメントが、静かに話し始めた。
好きな本のこと。整理している時の話。図書室の一番奥にある古い本のこと。
しとろんは目を閉じた。
インクリメントの声は——静かで、規則的だった。
頭の中が、少しずつ静かになっていった。
今夜も、すぐには眠れないかもしれない。
でも——一人じゃなかった。
それだけで——今夜は、違った。