オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.朝
その日、しとろんは起き上がれなかった。
眠れなかったわけでも、体が痛いわけでも、なかった。
ただ——起き上がる理由が、見つからなかった。
フォスが来た。
「しとろん様、おはようございます」
しとろんは天井を見ていた。
返事をしなかった。
フォスは少し間を置いた。
「……お薬、持ってきました」
しとろんは起き上がらなかった。
フォスはテーブルにそっと置いた。
「……飲めそうになったら、飲んでください」
いつもと違う言い方だった。
でもしとろんは、それにも反応しなかった。
フォスは掃除を短めに済ませた。
帰り際——振り返った。
しとろんはまだ、天井を見ていた。
フォスは何も言わずに、扉を閉めた。
廊下に出て——少し、手を胸に当てた。
二.午前中
セバスが来た。
部屋に入って——しとろんを見た。
ベッドに横になったまま、天井を見ていた。
セバスと目が合った。
しとろんは——すぐに、視線を外した。
セバスは何も言わなかった。
部屋の隅に立った。
いつも通りに。
しとろんは天井を見続けた。
セバスがいることは、わかっていた。
でも——何も、湧いてこなかった。
話しかけたい気持ちも。
一人でいたい気持ちも。
何も——なかった。
ただ、時間が過ぎていた。
三.昼
フォスが昼食を持ってきた。
「……しとろん様、お昼です」
しとろんは少し、顔を動かした。
でも——起き上がらなかった。
フォスはテーブルに置いた。
「……食べられそうになったら、食べてください」
しとろんは何も言わなかった。
フォスは帰った。
食事は——少し経ってから、半分だけ食べた。
味がしなかった。
でも——食べた。
それだけだった。
午後の担当はインクリメントだった。
本を持ってきていた。
椅子に座って、読み始めた。
しとろんに声をかけなかった。
ページをめくる音だけが、静かに続いた。
しとろんはベッドに横になったまま、目を開けたり閉じたりしていた。
眠れなかった。
起きてもいられなかった。
ただ——そこにいた。
インクリメントの本の音が、部屋を満たしていた。
しとろんはそれを——聞いているのかいないのか、わからないまま、時間が過ぎた。
四.夕方
アウラとフェンが来た。
フェンがベッドに近づいた。
鼻先を、しとろんの手に押しつけた。
しとろんの手は——動かなかった。
いつもは撫でる手が、今日は動かなかった。
フェンはそれでも、鼻先を押しつけたままでいた。
アウラはそれを見て、椅子に座った。
何も言わなかった。
しばらくして、フェンがしとろんのベッドの横に伏せた。
離れなかった。
アウラも——離れなかった。
二人と一頭が、静かにいた。
誰も何も言わなかった。
しとろんは天井を見ていた。
アウラがいることは、わかっていた。
フェンがいることも、わかっていた。
でも——それに対して、何かを感じる余裕が、今日はなかった。
ただ——いた。
五.夜
シズが来た。
アウラと静かに交代した。
椅子に座った。
銃を膝に置いた。
手入れを始めた。
しとろんは——シズを見なかった。
天井を見ていた。
シズは何も言わなかった。
何も求めなかった。
手入れの音だけが、静かに続いた。
しとろんは目を閉じた。
開けた。
また閉じた。
眠れなかった。
ただ——いた。
それだけだった。
夜中、シズは手入れを終えた。
銃を横に置いた。
しとろんを見た。
目が開いていた。
天井を見ていた。
「……」
シズは何も言わなかった。
ただ——手を、膝の上に置いた。
しとろんは——シズを見なかった。
でも。
右手が、少しだけ動いた。
シズの方へ——ほんの少し。
届かなかった。
でも——動いた。
シズはそれを、見ていた。
何も言わなかった。
ただ——自分の手を、少しだけしとろんの方へ、動かした。
届かなかった。
でも——動かした。
二人の手は、届かなかった。
でも——どちらも、動いた。
それだけだった。
それだけで——今夜は、十分だった。
六.翌朝
フォスが来た時、しとろんは起き上がっていた。
昨日とは、違った。
「……おはよう、フォス」
小さな声だった。
でも——声が、出た。
フォスは少し目を丸くした。
「……おはようございます、しとろん様」
「……昨日、薬——飲んでなかった」
「はい。知っています」
「今日は飲む」
「……はい」
フォスはお茶と薬を渡した。
しとろんは受け取った。飲んだ。
「……フォス」
「はい」
「昨日——来てくれてありがとう」
「いつもと、変わらないことをしただけです」
「それが——よかった」
フォスは少し間を置いた。
「……昨日より、顔色がよいですね」
「そう?」
「はい。少しだけ——近くにいらっしゃる感じがします」
しとろんは少し間を置いた。
「……昨日、遠かった?」
「遠かったです。でも——いてくださいました」
「いるだけで——よかった?」
「はい。十分でした」
しとろんは窓の外を見た。
「……そっか」
静かに言った。
今日の空は、昨日と同じだった。
でも——少しだけ、近かった。
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