オーバーロード 希死念慮を持つ御方   作:0806

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翌日と、その次の日と


一.翌日 ―セバスと―

 

 翌朝、セバスが廊下でフォスと話していた。

 

「昨日より、声が出ていました」

 

「はい。薬も飲んでくださいました」

 

「……そうですか」

 

 セバスは少し間を置いた。

 

「昨日——何も言わずにいて、申し訳なかったと思っています」

 

「申し訳ない、とは」

 

「もっと何かできたのではないかと」

 

 フォスは首を横に振った。

 

「何もしなかったことが——よかったと思います。私は」

 

「根拠はありますか」

 

「……昨日のしとろん様は、何かをされると——余計に遠くなっていた気がして。ただいるだけが、ちょうどよかったのかもしれないと」

 

 セバスは静かに頷いた。

 

「……難しいですね」

 

「はい。でも——今日、声が出ました」

 

「それが、答えなのかもしれませんね」

 

 その日の午前中、セバスが担当だった。

 しとろんは起き上がっていた。

 昨日より——少し、こちらにいた。

 

「セバス」

 

「はい」

 

「昨日——何も言えなくて」

 

「構いませんでした」

 

「でも、ずっと扉の向こうで立ってたでしょ」

 

「はい」

 

「疲れなかった?」

 

 セバスは少し間を置いた。

 

「疲れましたが——苦ではありませんでした」

 

「なんで苦じゃないの」

 

「しとろん様のそばにいることは——私にとって、意味のあることだからでございます」

 

 しとろんは少し俯いた。

 

「……昨日、何も返せなかったのに」

 

「返さなくていいのです」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものでございます」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「セバスって——本当に、変わらないね」

 

「変わらないことが——私にできることでございますから」

 

「変わらないことが、できること?」

 

「はい。どんな日も——同じように来る。それだけでございます」

 

 しとろんはその言葉を、静かに飲み込んだ。

 

「……それが、助かってる」

 

「左様でございますか」

 

「うん。変わらないから——信じられる」

 


二.二日後 ―コキュートスと―

 

 二日後の午後、コキュートスが担当だった。

 大きな体が、部屋の隅に座っていた。

 椅子が、少し軋んでいた。

 しとろんはそれを聞いて、少し笑った。

 

「コキュートス、毎回その椅子大丈夫?」

 

「問題ナイデス」

 

「絶対嘘だよ」

 

「……多少、軋ンデイマスガ」

 

「もっと頑丈な椅子、用意しようか」

 

「しとろん様ガ気ニナサラナクテヨイデス」

 

「でも気になる」

 

「……ありがとうゴザイマス」

 

 しとろんは少し笑った。

 コキュートスも——少し、体が緩んだ気がした。

 

「コキュートス」

 

「ハイ」

 

「一昨日——私、何も話せない日だったんだけど」

 

「聞キマシタ」

 

「怖かった?」

 

 コキュートスは少し間を置いた。

 

「心配、ハシマシタ」

 

「心配と怖いは、違う?」

 

「……怖イトイウヨリ——シトロン様ガドコカ遠クニ行ッテシマウノデハナイカト」

 

「遠くに行く、か」

 

「ハイ。声ガナイ日ハ——特ニ」

 

 しとろんは少し俯いた。

 

「……遠くに行こうとしてたわけじゃなかった。ただ——言葉が出なかっただけで」

 

「ソウデスカ」

 

「うん。ただ——空っぽだった。何も湧いてこなかった」

 

「空ッポ、デスカ」

 

「うん。感情が——全部、霧みたいになってた」

 

 コキュートスは静かに聞いていた。

 

「ソウイウ日ガ——アルノデスネ」

 

「ある。たまに」

 

「ソノ時ハ——ドウスレバイイデスカ。私ドモハ」

 

 しとろんは少し考えた。

 

「……今みたいに、いてくれるだけでいい。何も言わなくていい」

 

「ソレダケデ、イイデスカ」

 

「うん。ただいてくれると——遠くに行きすぎない、気がする」

 

 コキュートスは少し間を置いた。

 

「……ワカリマシタ。デハ——ソウシマス」

 

「ありがとう、コキュートス」

 

「……ドウイタシマシテ」

 

 珍しい言葉だった。

 コキュートスが「どういたしまして」と言うのは——しとろんは初めて聞いた気がした。

 


三.三日後 ―マーレと―

 

 三日後、マーレが珍しく一人で来た。

 

「あ、あの……今日、担当じゃないんですけど」

 

「いいよ、入って」

 

 マーレは少し緊張した顔で部屋に入った。

 

「一昨日のこと——聞いて、心配で。来てもいいか迷ったんですけど」

 

「来てくれてよかった」

 

「本当ですか」

 

「うん」

 

 マーレは少し安堵した顔をして、椅子に座った。

 

「……あの、まえみたいなお話がしづらくなる日——よくあるんですか」

 

「たまにある」

 

「そういう時——僕に、何かできることありますか」

 

 しとろんは少し考えた。

 

「……マーレって、何が得意?」

 

「え? 突然ですね」

 

「なんでもいいけど」

 

「……植物を操る魔法が、少し得意で。あとは——絵を描くのが好きで」

 

「絵?」

 

「はい。下手ですけど。暇な時に、ナザリックの色んな場所を描いてて」

 

 しとろんは少し目を丸くした。

 

「マーレが絵を描くのは、知らなかった」

 

「誰にも言ってなかったので」

 

「見てみたい」

 

「え……下手ですよ?」

 

「見てみたい」

 

 マーレは少し迷ってから——小さな紙を取り出した。

 草原の絵だった。

 フェンが走っていた。

 しとろんが、草の上に座っていた。

 

「……これ、私?」

 

「先日、草原で見かけた時に——描いてしまって。すみません、勝手に」

 

「謝らなくていいよ」

 

 しとろんはその絵を、しばらく見ていた。

 草原に座っている自分。

 フェンが走っている。

 

「……私、こんな顔してたの?」

 

「この時——少し笑ってました。気づいてなかったかもしれないですけど」

 

 しとろんは絵の中の自分を見た。

 確かに——少し、笑っていた。

 

「……気づいてなかった」

 

「そうだと思いました。だから——描いておこうと思って」

 

「……ありがとう、マーレ」

 

「あ、あの——気分が重い日に、もしよければ。絵を持ってきます。しとろん様が笑ってた日の絵とか」

 

「それ——いいね」

 

「本当ですか?」

 

「うん。自分が笑ってたって——わかるのが、なんか、いい」

 

 マーレは少し目を赤くした。

 

「……泣かないでよ、マーレ」

 

「泣いてないです」

 

「目が赤いよ」

 

「……嬉しいから、仕方ないです」

 


四.その夜

 

 夜、しとろんはベッドに横になりながら——マーレの絵を手に持っていた。

 草原に座っている自分。

 笑っていた。

 自分では気づいていなかった笑顔が、紙の上にあった。

 

 (こんな顔、してたんだ)

 

 思った。

 何も言えなかった日。

 何も感じられなかった日。

 でも。

 その前の日には——草原で、気づかないうちに笑っていた日があった。

 波が来ても——その前には、笑えた日があった。

 その後にも——今日みたいな日があった。

 行ったり来たりしていた。

 でも——来た日があった。

 右手が——動かなかった。

 左腕には——伸びなかった。

 マーレの絵を、胸の上に乗せた。

 小さな紙だった。

 でも——重かった。

 よい重さだった。

 目を閉じた。

 今日は——眠れる気がした。

 

 

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