オーバーロード 希死念慮を持つ御方   作:0806

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布団の中の、傷


一.その夜

 

 担当はアウラだった。

 部屋の隅に座って、フェンの毛並みを整えていた。

 しとろんはベッドに横になっていた。

 毛布を深く被っていた。

 

「……眠れそうですか」

 

「……うん」

 

 返事が来た。

 アウラは手を動かし続けた。

 

 でも。

 しとろんは眠れなかった。

 毛布の中で——目が開いていた。

 頭の中がうるさかった。

 みんなへの負い目があった。

 ナザリックが外の世界でしてきたこと。

 その恩恵を受けて生きている自分への、後ろめたさが来た。

 自分がここにいることへの、重い感覚が来た。

 毛布の中で、右手が動いた。

 左腕に触れた。

 アウラに——見えなかった。

 毛布が、全部覆っていたから。

 

 しとろんは——止まれなかった。

 今夜は、止まれなかった。

 毛布の中で、静かに——傷をつけた。

 音がしないように。

 気づかれないように。

 

 その時。

 フェンが、鼻を動かした。

 一度。

 二度。

 三度。

 空気を嗅ぐように、頭を上げた。

 アウラがフェンを見た。

 

「……どうしたの、フェン?」

 

 フェンは答えない。

 でも——立ち上がった。

 ベッドの方へ、ゆっくりと歩いた。

 アウラは眉をひそめた。

 フェンがこういう動きをする時は——決まって、何かがある。

 

「……しとろん様」

 

「……うん」

 

 返事は来た。

 でも——フェンは、ベッドの横で止まっていた。

 鼻先を、毛布の端に近づけた。

 低く、小さく——鳴いた。

 

 アウラは立ち上がった。

 

「しとろん様」

 

「……なに」

 

「……フェンが、気にしています。……左腕を、見せてもらえますか」

 

「……大丈夫だよ」

 

 長い沈黙があった。

 毛布の中で、しとろんは動かなかった。

 

「……しとろん様。……フェンが、嗅ぎ取っています」

 

「……」

 

 また、沈黙があった。

 それから——毛布が、少し動いた。

 しとろんの左腕が、毛布の外に出てきた。

 長袖の衣の袖が——少し、めくれていた。

 赤かった。

 新しかった。

 アウラは——息を止めた。

 フェンは、しとろんの腕に鼻先を近づけた。

 静かに、確かめるように。

 それから——しとろんの手の甲に、そっと頭を乗せた。

 離れなかった。

 

「……フェンに、バレた」

 

 しとろんが小さく言った。

 

「……はい」

 

「……鼻、いいね」

 

「……はい」

 

 アウラはすぐにペストーニャに連絡を入れた。

 フェンは——朝まで、しとろんの手の甲に頭を乗せたままでいた。

 


二.夜中の対応

 

 ペストーニャが来たのは、そのすぐ後のことだった。

 部屋に入って——しとろんの腕を確認した。

 

「……手当てをしてもいいですかわん」

 

「……うん」

 

 静かに、手当てをした。

 

 しとろんは——天井を見ていた。

 

「……また、やってしまった。監視がいたのに。……アウラがいたのに」

 

「はい」

 

「……気づかれないように、した」

 

「……そうですかわん」

 

 ペストーニャは手当てを続けながら、静かに聞いた。

 

「今夜——何が来ましたか」

 

「……罪悪感。みんなへの負い目。ナザリックが外でしてきたことへの後ろめたさ。……それが来たから——毛布の中なら、見えないと思って」

 

「そうですかわん」

 

しとろんは少し俯いた。

 

「……計算してた。アウラの死角を。……自分が嫌になる」

 

「今夜のことを——明日、モモンガ様にも話します…わん」

 

「……うん」

 

「しとろん様も——少し、休んでください」

 

「……眠れるかわからない」

 

「フェンがいますわん」

 

 しとろんはフェンを見た。

 フェンは——まだ、手の甲に頭を乗せていた。

 

「……そうだね」

 


三.翌朝の報告

 

 翌朝、アルベドが全員を集めた。

 アウラから報告を受けた守護者たちは、しばらく黙っていた。

 アウラが静かに言った。

 

「……私がいたのに、気づけなかった。フェンが気づいてくれた」

 

「フェンが?」

 

「うん。血の匂いを嗅ぎ取って」

 

 デミウルゴスが口を開いた。

 

「……監視がいても、毛布の中では見えない。物理的な対策が——必要かもしれません」

 

 アルベドは静かに頷いた。

 


四.ペストーニャとモモンガ

 

 ペストーニャはモモンガと向き合った。

 

「昨夜——監視がいる状況で、毛布の中で自傷されましたわん」

 

「……ああ、聞いている」

 

「対策として——一つ、提案がありますわん」

 

「聞かせろ」

 

「しとろん様の手に——ミトンをつけることを、検討していただけますかわん」

 

 モモンガは少し間を置いた。

 

「……ミトン……か」

 

「爪が立てられないよう、柔らかい素材の手袋でございます。物理的に、傷をつけることを防ぐためのものですわん」

 

「……しとろんさんが、嫌だと言ったら」

 

「その時は——話し合いを続けます。でも——今の状況では、必要だと判断しておりますわん」

 

「了解した。私から、伝えよう」

 


五.モモンガからしとろんへ

 

 モモンガがしとろんの部屋を訪れた。

 しとろんはベッドの端に座っていた。

 昨夜手当てをした左腕を、右手で覆っていた。

 

「しとろんさん。昨夜のこと、聞きました」

 

「……うん」

 

「一つ、話があります」

 

「……なに」

 

「嫌なら、嫌だと言っていいです」

 

 しとろんは少し顔を上げた。

 

「……怖いことを言う前置きだね」

 

「そうかもしれませんね」

 

 モモンガは静かに続けた。

 

「手に——ミトンをつけることを、考えてほしい」

 

 しとろんは——少し、固まった。

 

「……ミトン」

 

「自傷を防ぐために。ペストーニャの提案です」

 

「……それって」

 

 しとろんは自分の手を見た。

 

「……自分で止められないから——外側から、止めるってこと」

 

「そうです」

 

「……嫌だ」

 

「はい」

 

「……でも」

 

 長い沈黙があった。

 

「昨夜——アウラがいたのに、計算して隠してた。自分で、そういうことをした」

 

「……知っています」

 

「……自分で止められない。昨夜、それがはっきりわかった」

 

「……はい」

 

「……わかった。する」

 

「本当にいいのですか」

 

「……よくはない。でも——自分で止められないなら、仕方ない」

 

 声が、平坦だった。

 感情が抜け落ちたような声だった。

 


六.装着

 

 ペストーニャが来た。

 フォスも来た。

 アウラとフェンも来た。

 ミトンは——柔らかい素材だった。

 角のない、しとろんを傷つけない形だった。

 フォスがしとろんの前に膝をついた。

 

「……つけてもいいですか」

 

「……うん」

 

 フォスが、そっとしとろんの右手にミトンをはめた。

 次に、左手に。

 しとろんは——自分の手を見た。

 ミトンをはめた手を。

 何かを掴もうとした。

 指が——動いたが、感触がなかった。

 毛布も。

 フェンの毛並みも。

 何も——感じられなかった。

 その瞬間——何かが、崩れた。

 

 涙が、落ちた。

 声は出なかった。

 でも——止まらなかった。

 フォスが気づいた。

 

「しとろん様……」

 

「……自分で、止められないから。こんなことに、なって。……監視がいても、ミトンがないと——自分を傷つける」

 

「……はい」

 

「……情けない」

 

「情けなくないです」

 

「……情けない。転生した時——なんか、うまくやれると思ってた。でも——全然、うまくやれなくて」

 

 涙が、また落ちた。

 

「……自分を傷つけて、みんなに迷惑かけて、ミトンをしないと止まれなくて——こんな自分に、なるとは思ってなかった」

 

「……しとろん様」

 

「……自分が、嫌になる。本当に、嫌になる」

 

 フォスは——しとろんの手を、ミトンごと、両手で包んだ。

 何も言わなかった。

 ただ——包んだ。

 アウラがしとろんの隣に座った。

 フェンが、しとろんの足元に伏せた。

 ペストーニャが、静かに口を開いた。

 

「しとろん様。情けなくないですわん」

 

「……でも」

 

「自分を止められない時に、助けが必要なのは——情けないことではないのでございますわん」

 

「……ミトンがないと、止まれない」

 

「今は——そうかもしれません。でも——今日だけが、全てではないのでございますわん」

 

「……今日の私が、ずっと続くわけじゃないってこと?……信じられない」

 

「信じられなくていいです。ただ——今夜は、ここにいてください」

 

 しとろんは——ミトンをはめた手を見た。

 何も掴めない手を。

 涙が、また落ちた。

 

「……フェンが、気づいてくれた。……フェンがいなかったら、朝まで気づかれなかったかもしれない」

 

「……そうかもしれませんわん」

 

「フェンに——なんか、後ろめたい」

 

 フェンが顔を上げた。

 しとろんを見た。

 それから——ミトンをはめた手に、鼻先を押しつけた。

 ミトン越しだった。

 感触は——薄かった。

 でも。

 

「……フェン」

 

 しとろんは——ミトンをはめた手で、フェンの頭に触れようとした。

 うまく撫でられなかった。

 でも——フェンは、動かなかった。

 そこにいた。

 しとろんは——また、泣いた。

 


七.夜

 

 シズが担当になった。

 しとろんはベッドに横になっていた。

 ミトンをはめたまま。

 目が乾いていた。

 泣き疲れていた。

 

「シズ」

 

「……はい」

 

「……ミトン、変な感じがする。何も掴めない感じがして」

 

「……そうですか」

 

「……嫌だけど。……でも、今夜は——これでいるしかない」

 

「……はい」

 

「シズは——こんな私を見て、どう思う」

 

 シズは少し間を置いた。

 

「……しとろん様だと思います」

 

「ミトンをしてる私も?」

 

「……はい」

 

「情けないとは思わない?」

 

「……思いません」

 

「なんで」

 

「……止まれない時に、助けを借りることが——情けないとは、思わないからです」

 

 しとろんは天井を見た。

 

「……信じられないけど。でも——シズがそう言うなら、少しだけ、そうかもしれないと思っておく」

 

「……それで、いいです」

 

 しとろんは目を閉じた。

 ミトンをはめた手が——毛布の上にあった。

 何も掴めない手が。

 フェンが——ベッドの横で伏せていた。

 昨夜、気づいてくれたフェンが。

 シズが——静かにいた。

 今夜は——傷をつけることが、できなかった。

 ミトンが——今夜のしとろんを、守っていた。

 自分では守れなかった自分を。

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