オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.招集
翌朝、アルベドが全員を集めた。
場所は第九階層の会議室だった。
モモンガ。アルベド。デミウルゴス。コキュートス。シャルティア。アウラ。マーレ。セバス。ペストーニャ。
全員が揃った。
いつもの会議とは——空気が違った。
重かった。
モモンガが口を開いた。
「今夜のことは、全員知っている」
誰も頷かなかった。
でも——全員が、聞いていた。
「ペストーニャから、報告と提案を聞く」
二.ペストーニャの報告
ペストーニャが静かに立った。
「昨夜のことを、整理させていただきます。しとろん様は——就寝中、息が速くなりました。そして集音魔道具が反応し、シクススが声をかけました。それが——引き金になりましたわん」
「引き金、とは」
「しとろん様にとって——息が速くなっただけで連絡が来ることが、限界を超えさせてしまいました。監視への負担が、私たちの想定より大きかったのでございますわん」
デミウルゴスが口を開いた。
「想定より大きかった、とは——対策が間違っていたということかね?」
「間違いとは言えません。でも——しとろん様の負担を、十分に考慮できていなかったかもしれませんわん」
「それは——私たちの判断ミスだろうか」
「……誰かのミスではなく、しとろん様の苦しさが——私たちの想定を超えていたということだと思いますわん」
室内が、静かになった。
「昨夜——鎮静剤を使いました。そして、しとろん様は今朝、目覚められました。体調は、落ち着いています。ただ——」
「ただ?」
「精神的には——まだ、重い状態でございます。昨夜のことへの羞恥心や、罪悪感が、強くあるようですわん」
三.それぞれの言葉
アルベドが口を開いた。
「今後の対応について——意見を聞きたいわ」
しばらく、沈黙があった。
先に口を開いたのは、シャルティアだった。
「……わたし、昨夜——しとろん様の声を聞いて、どうしていいかわからなかったでありんす。近づこうとしたら——来ないでって言われて。でも、一人にもできなくて」
「はい」
「……わたしには、何ができるでありんすか」
ペストーニャは静かに答えた。
「今のシャルティア様がしていることで——十分でございますわん」
「でも——昨夜は、何もできなかった」
「昨夜は——わたしが対応しました。それでよかったのでございます。全員が同じことをする必要はないのでございますわん」
マーレが、小さく手を挙げた。
「……あの、一つだけ聞いてもいいですか。監視を——少し、緩めることはできませんか」
室内の空気が、少し動いた。
「昨夜のことが起きたのは——監視が厳しくなりすぎたからかもしれないと思って。しとろん様が、息をするだけで監視される、って感じていたなら——」
「マーレ」
アルベドが静かに遮った。
「その気持ちは、とてもわかるわ。でも——監視を緩めることで、しとろん様が自傷される可能性が高くなる」
「……はい」
「今は——安全を優先しなければならないと考えてます」
「……わかりました」
マーレは俯いた。
ペストーニャが補足した。
「しかしマーレ様の言いたいことも、正しいと思います。監視の仕方を——少し、工夫する余地はあるかもしれません」
「工夫、とは」
「たとえば——息が速くなった時の対応を、見直すことができるかもしれません。すぐに声をかけるのではなく、まず少し様子を見る、など」
「それで——自傷のリスクは」
「ミトンがあります。映像魔道具もあります。少し余裕を持って様子を見ることは——できるかもしれませんわん」
四.アウラの言葉
アウラが口を開いた。
「……一つ、言っていい?……フェンが、昨夜から今朝まで——しとろん様のそばを離れなかった」
「はい」
「監視の仕方として——魔道具だけでなく、フェンを常にそばに置くことも——できるかもしれない」
「フェンを?」
「フェンは——血の匂いを嗅ぎ取る。異変にも、気づく。でも——魔道具と違って、しとろん様を追い詰める感じは、少ないかもしれなくて」
ペストーニャは少し考えた。
「……それは、よい提案かもしれませんわん」
「フェンがいれば——しとろん様が、少し落ち着くこともある。監視と、安心が——同時にできるかもしれない」
「アウラ様のご提案を——取り入れる方向で、検討します…わん」
五.モモンガの言葉
しばらく話し合いが続いた後、モモンガが口を開いた。
それまで、ほとんど黙って聞いていた。
「一つだけ、言う」
全員が、モモンガを見た。
「昨夜——鎮静剤を使った。しとろんさんが嫌だと言っているのに、使った。それが正しかったかどうか——今もわからない」
ペストーニャが静かに言った。
「あの状況では——必要な判断でしたわん」
「そうかもしれない。でも——しとろんさんが『嫌だ』と言った。それを、押し切った。しとろんさんの意思を——優先できなかった」
「今のしとろん様には——安全が、最優先でございます。意思を尊重することと、安全を守ることが——時に、ぶつかることがありますわん」
「わかっている。でも——」
モモンガは少し間を置いた。
「しとろんさんに——謝ろうと思う」
「モモンガ様」
「必要だったとしても。正しかったとしても——しとろんさんが嫌だと言ったことを、押し切った。それへの謝罪は——必要だ」
ペストーニャは静かに頷いた。
「……はい。それは——しとろん様に、伝えてほしいと思います…わん」
六.セバスの言葉
最後に、セバスが口を開いた。
「一つだけ、確認させてください。私たちは今——しとろん様を守るために、様々な対策をしています。でも」
「でも?」
「しとろん様が——その対策によって、苦しんでいます。守るための対策が、追い詰めている面もある。それは——避けられないことなのでしょうか」
ペストーニャは少し間を置いた。
「……完全には、避けられないかもしれません。でも——少しでも、苦しさを減らすための工夫は、続けていきますわん」
「それだけで、いいのでしょうか」
「今は——それしかできないのでございますわん」
セバスは静かに頷いた。
「……わかりました」
「ただ——一つだけ、言えることがあります。しとろん様は——昨日のことがあっても、今日——みんなが来てくれたことを、大切に受け取ってくださいましたわん」
「……そうですか」
「はい。対策が苦しくても——傍にいることは、届いています。それだけは——確かですわん」
七.会議の終わり
話し合いが終わった。
全員が立ち上がりかけた時、アルベドが言った。
「最後に、一つだけ。今日——しとろん様のところへ行く人は、昨夜のことを責めないでください」
「当然のことでしょう」
「当然ですが——念のため」
アルベドは全員を見渡した。
「しとろん様は——昨夜のことを、恥ずかしいと言っていたそうです。情けないとも。でも——昨夜のしとろん様は、それだけ苦しかったということです。それ以上でも、それ以下でもない」
全員が静かに頷いた。
「しとろん様のそばで——それを、少しずつ伝えていってください」
会議室を出た後、廊下でアウラとシャルティアが並んで歩いた。
シャルティアがぽつりと言った。
「……難しいでありんす」
「何が?」
「全部。守ることも、傍にいることも、苦しめないようにすることも——全部、難しくて」
「……うん」
「でも——やめるつもりはないでありんす。……絶対に、やめられないでありんす」
「……私もだよ。シャルティア」
二人は——そのまま、しとろんの部屋へ向かった。
八.モモンガが来た
会議の翌日、昼過ぎ、しとろんの部屋の扉がノックされた。
フォスでも、アウラでも、セバスでもない。
重さが、違った。
「……どうぞ」
扉を開けたのは、モモンガだった。
しとろんは少し、身構えた。
モモンガが来る時は——何か、大事な話がある時が多かったから。
「……しとろんさん、少し、いいですか」
「……うん」
モモンガは部屋に入った。
椅子に座った。
しとろんと——向き合った。
少し、間があった。
「昨夜の会議で——話し合いました。全員が、しとろんのことを考えていました」
「……うん。聞いているよ」
モモンガは少し間を置いた。
何かを——整理しているようだった。
「一昨夜、鎮静剤を使いました。しとろんさんが、嫌だと言ったのに。それでも、使いました」
「……うん」
「……それを、謝りたい」
しとろんは——少し、固まった。
「モモンガが、謝るの?」
「はい」
「……なんで」
「あなたが嫌だと言ったことを、押し切ったから」
「……でも、必要だったんでしょ」
「そうかもしれない。でも——嫌だと言ったあなたの気持ちは、本物でした」
「……うん」
「それを——押し切った。理由があっても、そのことへの謝罪は、したいです」
しとろんはしばらく、黙っていた。
言葉が、なかなか出てこなかった。
「……モモンガ」
「はい」
「……謝らなくていいよ」
「いいや、謝ります」
「……でも、必要だったんだから」
「それでも——あなたが嫌だと言ったことを、聞けなかった。それは、事実です」
また、沈黙があった。
しとろんは俯いた。
「……怒ってない。……モモンガのせいだとも、思ってない」
「わかっている」
「……じゃあ、なんで謝るの」
モモンガは少し間を置いた。
「……あなたが、嫌だと言えた。それは——大事なことだったと思うからです」
「……嫌だって、言えたこと?」
「はい。以前なら——言えなかったかもしれない」
「……そうかな」
「そう思います。それなのに——押し切ってしまった。あなたが言えた言葉を、受け取れなかった」
しとろんは少し間を置いた。
「……そういう意味での、謝罪なんだ」
「はい」
しとろんはしばらく、ミトンをはめた手を見ていた。
「……受け取る。……謝罪、受け取る。モモンガがそう言うなら」
「……そうですか」
「……でも。……必要だったのは、わかってる。今も、嫌だけど——仕方なかったのは、わかってる」
「はい」
「……だから、怒ってない。本当に。……ただ——嫌だったことは、本当のことだから」
「はい。それは——嫌だったままでいいです」
しとろんは少し間を置いた。
「……モモンガって、時々——こういうこと、ちゃんとしてくれるんだね」
「当たり前のことをしているだけです」
「……当たり前じゃない」
「そうですか」
「……うん。ありがとう、モモンガ」
九.少しだけ、話した
モモンガはしばらく、部屋にいた。
帰らなかった。
しとろんも——帰ってほしいとは言わなかった。
しばらくして、しとろんが言った。
「……モモンガ。……一昨夜、叫んだ。……みんなの前で」
「……はい」
「……恥ずかしかった」
「そうですか」
「……モモンガも、見てた?」
「はい」
「……どう思った」
モモンガは少し間を置いた。
「……苦しそうだと、思いました。」
「それだけ?」
「……情けないとは、思いませんでした」
「本当に?」
「ああ。それだけ追い詰められていたということだと、思いました」
しとろんは俯いた。
「……息が速くなっただけなのに。……それだけで、あんなに」
「積み重なっていたんでしょう」
「……うん。でも——自分でも、びっくりした。あんなに叫ぶとは、思ってなかった。……モモンガは、びっくりした?」
「……少し」
「どんな風に?」
モモンガは少し考えた。
「……しとろんさんが、叫ぶとは思っていなかった。でも——叫んだことで、どれだけ苦しかったかが、伝わりました」
「叫んで、伝わったの?」
「ああ。言葉より——わかりやすかった」
しとろんは少し間を置いた。
「……叫んで、よかったのかな」
「わからない。でも——伝わったことは、よかったと思う」
十.フェンのこと
フェンが、ベッドの横に伏せていた。
モモンガがそれを見た。
「フェンは——ずっとここにいるのですか」
「……うん。昨夜から、ほとんど。……フェンが、アウラより先に気づいてくれた。血の匂いを嗅いで」
「はい。そう聞きました」
「……フェンがいなかったら、もっと遅かったかもしれない」
しとろんはフェンを見た。
「……フェンに、後ろめたい」
「どうして」
「……こんなことを、気づかせてしまって」
「フェンは——気にしていないと思いますが」
「……そうかな」
「ああ。今も、そこにいるでしょう」
しとろんはミトンをはめた手を、フェンの方へ伸ばした。
うまく撫でられなかった。
でも——フェンは、顔をしとろんの手に擦りつけた。
「……フェン」
「……伝わっているんでしょう」
「うん。……うん、そうかもしれない」
十一.帰り際
しばらくして、モモンガが立ち上がった。
「そろそろ、戻る」
「うん」
「……また、来ていいですか」
「……うん」
「用事がなくても?」
「……用事なくていい」
「わかった」
モモンガは扉に向かった。
一人になった部屋で、しとろんはしばらく扉を見ていた。
フェンが、横に来た。
しとろんの膝に、頭を乗せた。
ミトンをはめた手が——フェンの頭の上にあった。
うまく撫でられなかった。
でも——今日は、それでよかった。
モモンガが謝ってくれた。
それが——今日は、少し近かった。
右手は——動かなかった。
左腕には——伸びなかった。
フェンの重さが、膝の上にあったから。