オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.きっかけ
その夜の担当はシズだった。
しとろんが起き上がった。
「シズ。…トイレ、行きたい」
「……わかりました」
シズが立ち上がった。
「……シズ。……一緒に入ってほしい。寂しいから」
シズは少し間を置いた。
「……中に、ですか」
「うん」
「……わかりました」
二.個室の中
二人で個室に入った。
扉を閉めた。
シズが——背を向けて立った。
しとろんは扉の前に立った。
最初は——ただ、静かにしていた。
でも。
頭の中が——少しずつ、うるさくなってきた。
監視のこと。
ミトンのこと。
みんなへの罪悪感。
消えたい気持ち。
全部が——一気に、押し寄せてきた。
「……シズ。……出ないでいてくれる?」
「……はい。約束します」
「……ずっといてくれる?」
「……います」
「……ずっといてくれないと、嫌だ」
声が、少し上ずっていた。
三.パニック
シズが振り返ろうとした。
「振り返らないで。振り返らないで。そのままでいて」
「……わかりました」
シズは——背を向けたまま、止まった。
しとろんは扉に背をつけた。
呼吸が——乱れてきた。
「……出ていかないで。出ていかないで、シズ」
「……出ていきません」
「……本当に?」
「……本当に」
「……外から来たら——扉が開く」
しとろんは扉を、両手で押さえた。
ミトンをはめた手で、力いっぱい。
「……シズ、扉を一緒に押さえてくれる?」
「……しとろん様」
「お願い。お願いだよ、シズ。誰にも来てほしくない。しばらくだけ、ここにいたい。お願い、シズ」
「……扉に鍵はないです」
「……鍵がなくても——押さえてたい。しばらくだけ、ここにいたい。少しだけでいいから」
「……わかりました」
四.シズが連絡を入れた
シズは——片手を扉の方へ向けたまま、通信魔道具を取り出した。
しとろんに気づかれないように——静かに、短く、連絡を入れた。
アウラへ。
セバスへ。
アルベドへ。
ペストーニャへ。
来てください、と。
しとろん様が、個室にいます、と。
急がなくていいから——廊下で待っていてください、と。
しとろんは気づかなかった。
ただ——扉を押さえ続けていた。
膝が、少し震えていた。
「……シズ。……怖い」
「……何が怖いですか」
「……全部。出たら——また監視される。ミトンをされる。ボディチェックされる。また同じ日が続く。……それが——怖い」
「……はい」
「……逃げたい。……でも、逃げられない」
「……はい」
「……シズ。……ここにいていい? しばらく」
「……います。ここにいます」
五.廊下に、集まった
アウラが最初に来た。
フェンも一緒だった。
廊下に立って——個室の扉を見た。
わずかに扉が歪み、奥から布がこすれる音がしていた。
セバスが来た。
アルベドが来た。
フォスも来た。
みんなが——廊下に、静かに集まった。
誰も、扉を開けなかった。
誰も、急かさなかった。
ただ——廊下に、いた。
アウラが、扉の前に膝をついた。
「しとろん様」
中から——少し間があって、しとろんの声がした。
「……誰が来た?」
「アウラです」
「……他にも、いる?」
「……います」
「……誰が」
「セバス様と、アルベド様と、フォスと、フェンと——」
「……大勢来た。……なんで」
「……心配だから」
「……来ないでって言ったら、来ないでいてくれる?」
「……扉の外にいます。開けません。でも——ここにいます」
六.しとろんの声
しばらく、沈黙があった。
しとろんの声がした。
「……シズ。……外に、大勢いるんだね。……みんな、来ちゃったんだね」
「……はい」
「……また、迷惑かけてる」
「……迷惑ではないです」
「……かけてるよ。こんなことで、大勢呼んで」
「……しとろん様がいるから、来たんです」
しとろんは少し黙った。
「……アウラ。……フェン、いる?」
「……います。扉の前に、鼻先をつけています」
「……フェンらしい。……フェン、匂いわかる?」
「……わかると思います」
「……怖い匂いがするかな、今の私」
「……わかりません。でも——フェンは、離れていません」
七.少しずつ
また、沈黙があった。
セバスが、静かに言った。
「しとろん様。……無理に出てこなくていいです」
「……いいの?」
「……はい。ただ——ここにいます」
「……ずっと?」
「……必要な限りは」
フォスが小さく言った。
「……しとろん様、声が聞こえてよかったです」
「……フォス」
「はい」
「……なんか、みんながいると——扉の向こうが、うるさくないね」
「……そうですか」
「……みんなの声が聞こえると——頭の中が、少し。……静かになる、気がして」
また、しばらく沈黙があった。
フェンが——扉の底の隙間に、鼻先を押しつけた。
しとろんが——扉の向こうで、それを感じたかどうかは、わからなかった。
でも。
「……フェン、扉の隙間から何かしてる?」
アウラが少し間を置いた。
「……鼻先を、押しつけています」
「……フェン」
しとろんは——扉の底の方を見た。
隙間から——フェンの息が、わずかに伝わってきた。
「……フェンがいる。……扉の向こうに」
八.扉が開いた
どれくらい経ったか。
しとろんが——ぽつりと言った。
「……出る。……みんな、そこにいる?」
アウラが少し間を置いた。
「……います」
「……怒ってない?」
「怒っていません」
「……呆れてない?」
「呆れていません」
「……でも、大勢来させてしまった」
「……しとろん様がいるから、来ました」
しとろんは——少し間を置いた。
扉から、ゆっくりと手を離した。
扉が——静かに、開いた。
廊下に、大勢いた。
アウラ。フェン。セバス。アルベド。フォス。
ペストーニャも、少し遅れて来ていた。
全員が——しとろんを見た。
責めなかった。
怒らなかった。
ただ——見ていた。
しとろんは全員を見渡した。
「……大勢、来てた。……こんなことで」
「こんなことでは、ないです」
アルベドが静かに言った。
「しとろん様がそこにいるから、来ました。それだけです」
しとろんは少し俯いた。
「……また、みんなに迷惑かけた」
「かけていません」
「……でも」
「……かけていないです」
フェンが——しとろんの足に、鼻先を押しつけた。
しとろんはフェンを見た。
「……フェン」
ミトンをはめた手を——フェンの頭の上に乗せた。
うまく撫でられなかった。
でも——フェンは動かなかった。
「……ただいま」
小さく言った。
「……おかえりなさいませ」
セバスが、静かに答えた。
九.部屋に戻って
部屋に戻った。
ベッドに座った。
全員が——部屋に来た。
いつもより、人が多かった。
しとろんはそれを見渡した。
「……みんな、いる。……こんなに。……鍵がなかったから——すぐ開けられたのに、開けなかったんだね」
「……はい。しとろん様が、出てくれるのを待っていましたわん」
しとろんは少し間を置いた。
「……なんで、待てたの」
「……しとろん様が、自分で出てくれると——思っていたからですわん」
「……信じてたの?」
「……はい」
「……そっか」
しとろんは俯いた。
「……ペストーニャ。……明日、話したいことがある。……今夜のこと」
「……はい。いつでも、来てくださいわん」
「……はい。聞きます」
夜が更けた。
全員が少しずつ、それぞれの持ち場に戻っていった。
最後に残ったのは——シズとフェンだった。
しとろんはベッドに横になった。
「シズ。……今夜——ごめん」
「謝らなくていいです」
「……でも、大勢呼んでしまった」
「……しとろん様がいるから、来たんです」
「……シズも、そう言うんだね。みんなと同じ」
「……本当のことだから」
しとろんは目を閉じた。
頭の中は——まだ、少しうるさかった。
でも。
廊下に大勢いたことが——扉の向こうにいても、わかっていた。
怒っていなかった。
呆れていなかった。
それだけが——今夜、胸の中に残っていた。
信じてくれていたと——アウラが言っていた。
自分で出てくれると、思っていたと。