オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.会議
立て籠もりの翌日、アルベドが全員を集めた。
いつもの会議だった。
でも今日は、空気が違った。
「トイレへの監視装置設置を、決定します」
静寂が落ちた。
デミウルゴスが口を開いた。
「……必要、でしょうか」
「昨夜のことがありました。鍵がなくても個室に籠もることができた。次は何が起きるかわかりません」
「でも、プライバシーの問題が」
「安全が優先です」
アウラが少し俯いた。
「……しとろん様が、嫌だと言ったら」
「説明した上で、設置します」
「強制的に、ですか」
「……安全のためには、そうせざるを得ないわね」
ペストーニャが静かに言った。
「……しとろん様に、きちんと伝えてください。隠して設置することは、しないようにですわん」
「わかっています」
二.しとろんへ
モモンガとアルベドが、しとろんの部屋を訪れた。
「しとろんさん。話があります」
「……うん」
「昨夜のことを受けて——トイレにも、監視装置を設置することになりました」
しとろんは——少し、固まった。
「……トイレにの中に?……嫌だ」
「しとろんさん——」
「嫌だよ。トイレだよ。さすがに、そこまで」
「わかっています。でも——」
「わかってないよ」
しとろんの声が、少し高くなった。
「……部屋に魔道具がついて、廊下も見られて、ミトンして、ボディチェックして。それだけじゃなくて、トイレの中まで?嫌だ。絶対に嫌だ。プライバシーがそこだけは、残ってたのに」
「……わかっています」
「わかってないよ、モモンガ」
しとろんは声が震えていた。
「……そこだけは、誰にも見られなかった。そこだけが——少し、自分だけの場所だったのに」
「……わかっています」
「なんで」
「……昨夜のことがあったから」
「昨夜は——自傷しようとしたわけじゃない」
「はい。でも今後、何が起きるかわからない」
「……嫌だ」
三.設置
それでも——設置は、進んだ。
しとろんが嫌だと言っても。
何度言っても。
映像ではなく——音と、動作を感知するものだった。
配慮はされていた。
でも、あることは、あった。
しとろんは、設置される間、部屋の隅に座っていた。
ミトンをはめた手を、膝の上に置いて。
何も言わなかった。
何も言えなかった。
作業が終わった。
担当のメイドが出ていった。
部屋に、アウラだけが残った。
「しとろん様……辛いですね」
「……うん」
「……ごめんなさい」
「アウラが謝ることじゃないよ……アウラのせいじゃないよ」
しとろんは俯いたまま、続けた。
「……ただ、嫌だ。本当に嫌だ。でも——どうにもできない」
「……はい」
「……嫌って言ったのに、設置された。……私の言葉は、聞いてもらえないんだね。安全のためには」
アウラは——何も言えなかった。
四.ペストーニャの部屋で
翌日、しとろんはペストーニャの部屋を訪れた。
扉を開けた。
ペストーニャが、いつものように迎えた。
「しとろん様、いらっしゃいませですわん」
「……うん」
しとろんは椅子に座った。
いつもと同じ部屋だった。
いつもと同じ椅子だった。
でも。
しとろんは、ふと部屋を見渡した。
天井の隅。
壁の端。
いつもはなかったものがあった。
小さな、目立たない。
でも——確かにある。
「……ペストーニャ。……あれ、いつから?」
「……数日前から、でございますわん」
「……ここにも」
しとろんは——しばらく、動かなかった。
その装置を見ていた。
ペストーニャが静かに言った。
「……しとろん様」
「……ここは——唯一、話せる場所だったのに。……ここに来たら、魔道具がなくて。ペストーニャだけがいて。だから——話せてた」
「……はい」
「……ここにも、あるんだね。私が知らない間に」
「……はい。申し訳なかったと、思っていますわん」
「……なんで教えてくれなかったの」
「……しとろん様が来にくくなると思って——言えなかったのでございますわん」
「……来にくくなる。……もう、来にくいよ」
五.崩れていく
しとろんは椅子から立ち上がった。
装置を見た。
部屋を見渡した。
「……部屋に魔道具があって。廊下も監視されてて。ミトンをして。ボディチェックされて。トイレにも装置が入って。……ここにも」
「……はい」
「……私の場所、どこにもない」
「……しとろん様」
「……どこにも、ない」
声が——揺れていた。
「……部屋も、廊下も、トイレも、ここも——全部、見られてる。全部、管理されてる。……自分だけの場所がどこにもなくなった」
「……はい」
「……ペストーニャ。ここが最後だったのに。ここだけが、残ってたのに」
「……はい」
ペストーニャは——何も言えなかった。
否定できなかった。
本当のことだったから。
しとろんは——床に座り込んだ。
膝を抱えた。
ミトンをはめた手が——膝の上にあった。
「……嫌だ全部、嫌だ。でも、どうにもできない」
「……はい」
「……私が嫌って言っても——安全のためって言われたら、それまでで私の気持ちは安全のためなら、関係ないんだ」
「……そんなことは——」
「関係ないんだよ。現実がそうだから」
ペストーニャは言葉を止めた。
「……嫌って言った。トイレの時も、言った。でも設置された。ここも知らない間に、設置されてた」
「……はい」
「……私の言葉は、届かない」
「……届いています…わん」
「届いてないよ。届いてたら——設置されなかった」
ペストーニャは沈黙した。
六.ペストーニャの言葉
しばらくして、ペストーニャが静かに口を開いた。
「……しとろん様。正直に、話させてくださいわん」
「……うん」
「……しとろん様の気持ちは、届いています。全部、伝わっています。嫌だという気持ちも、辛いという気持ちも」
「……でも設置した」
「……はい。届いていても安全を優先した結果、設置しましたわん」
「……そういうこと」
「……はい。しとろん様の気持ちを、無視したわけではないのでございます。でも——それより安全を優先した。それは事実でございますわん」
「……私の気持ちより、安全の方が大事なんだ」
「……今のしとろん様には、そうせざるを得ないのでございます」
「……今の私、か。今の私は——気持ちより、安全を優先される存在なんだね。……違う?」
ペストーニャは——少し間を置いた。
「……今は——そうかもしれません」
正直に言った。
「……そっか」
「……でも——ずっとではないと、思っていますわん」
「……今は、そうなんだね」
「……はい」
しとろんは——床に座ったまま、天井を見た。
装置があった。
「……ここも、見られてる。どこにも、行けない。自分だけの場所が一つもなくなった。それが——今の私なんだね」
「……今は、そうかもしれません」
「……そっか」
七.帰り際
しばらくして、しとろんが立ち上がった。
「……帰る。ペストーニャ。……また来ていいの? ここ」
「……もちろんでございます。いつでもよいですわん」
「……装置があっても?」
「……はい。装置があってもここはしとろん様のための場所でございます。それは変わりませんわん」
「……装置があっても、ここに来る意味があるの?」
「……あります」
「……なんで」
「……私がいるから、でございますわん」
しとろんは少し間を置いた。
「……装置があっても、ペストーニャはここにいる。場所じゃなくて、ペストーニャがいること、か」
「……はい。ずっと、ここにいますわん」
しとろんは——少し、俯いた。
「……そっか」
それだけ言って、扉を開けた。
振り返らなかった。
廊下に出た。
アウラとフェンが待っていた。
しとろんはアウラを見た。
「……アウラ。ペストーニャの部屋にも、装置があった」
「……はい」
「知ってたんだ」
「……はい。言えなくて、ごめんなさい」
しとろんは少し間を置いた。
「……私の場所、どこにもなくなった。それが、今の私なんだって——ペストーニャが言ってた」
「……はい」
「……そっか」
しとろんはそれ以上、何も言わなかった。
ただ歩き出した。
アウラとフェンが、後ろについた。
廊下に監視の目があった。
部屋に帰っても——監視の目がある。
トイレにも。
ペストーニャの部屋にも。
どこにも自分だけの場所がなかった。
その事実が、胸の中に——重く、沈んでいた。