オーバーロード 希死念慮を持つ御方 作:0806
一.アルベドへ
セバスがアルベドを呼んだのは、しとろんが眠りについてからだった。
部屋の外の廊下で、二人は向き合った。
セバスは短く、要点だけを告げた。
アルベドは聞いている間、表情を変えなかった。
変えなかったが——手が、小さく震えていた。
「……そう」
「はい」
「今は」
「眠っておられます。アウラが傍におります」
アルベドは少し俯いた。
それから顔を上げた。守護者統括の顔で。
「モモンガ様に、報告します。今夜中に」
「……よろしいのですか。しとろん様は——」
「このまま黙っていることは、できません」
セバスは頷いた。
「セバス」
「はい」
「……報告する前に、一つだけ教えて」
「何でしょう」
「しとろん様は今——安全?」
セバスは間を置かずに答えた。
「アウラが傍におります。フォスも。フェンも」
アルベドは目を閉じた。
「……そう。よかった」
それだけ言って、歩き出した。
モモンガの執務室へ向かって。
二.モモンガへ
深夜の執務室で、モモンガはアルベドの報告を聞いた。
最初から最後まで、黙って聞いた。
アルベドが話し終えた時——モモンガは、何も言わなかった。
長い沈黙だった。
アンデッドの体は表情を持たない。感情を自動的に抑制する。
それでも。
アルベドには——わかった。
「……モモンガ様」
「しとろんさんの部屋へ行く」
「今はお休みになっておられます。アウラが——」
「わかっている」
モモンガは立ち上がった。
「起こさない。ただ——行く」
アルベドは何も言わなかった。
ただ、一歩横に引いた。
しとろんの部屋の前で、モモンガは立ち止まった。
扉越しに、気配を感じた。アウラ。フェン。フォス。
そして——小さな、穏やかな気配。
眠っている。
モモンガはしばらく、扉の前に立っていた。
何をするわけでもなかった。入るわけでもなかった。
ただ——立っていた。
(気づかなかった)
その言葉が、頭の中に落ちた。
ユグドラシルの仲間。ナザリックに共に来た、数少ない存在の一人。
それが、これほどまでに追い詰められていたことに——気づかなかった。
モモンガは拳を、静かに握った。
「……必ず、話す」
誰にも聞こえないくらいの声で言った。
それから、その場を離れた。
三.守護者たちへ
翌朝、モモンガはナザリックのアウラ以外の守護者全員を第九階層に集めた。
アルベド、デミウルゴス、コキュートス、シャルティア、マーレ。
全員が揃ったところで、モモンガは口を開いた。
「昨夜、しとろんさんに関して重大なことがあった。アルベドから報告を受けた。皆にも伝える」
守護者たちが、静かに聞いた。
モモンガは短く、事実だけを告げた。
言葉が終わった瞬間——
シャルティアが、小さく息を呑んだ。
マーレが俯いた。
コキュートスが、低く唸った。
デミウルゴスは表情を変えなかった。でも、眼鏡の奥の目が——細くなった。
「……知っていた者は、いるか」
モモンガが静かに聞いた。
アルベドが顔を上げた。
「……私は、以前から気づいておりました」
「そうか」
「申し訳ございません。報告せず——」
「責めていない」
モモンガの声は、静かだった。
「しとろんさんの意思を尊重したのだろう。……セバスも、アウラも、同じだったはずだ」
誰も否定しなかった。
「全員が、それぞれの形でしとろんさんの傍にいようとしていた。それは——間違いではなかった」
デミウルゴスが口を開いた。
「では、モモンガ様は今後どうされるおつもりですか」
「しとろんさんと、話す」
「内容は」
「それは——しとろんさんとの間のことだ」
デミウルゴスは静かに頷いた。
シャルティアが、珍しく静かな声で言った。
「……わたしたちに、できることはありんすか」
モモンガは少し間を置いた。
「今まで通りにしてくれ」
「今まで通り、とは」
「傍にいる。気にかける。無理に何かをしようとしない」
コキュートスが言った。
「ソレダケデ、ヨイノデスカ」
「それだけで——十分だ」
モモンガの声に、珍しく力がなかった。
「私も含めて、誰も——完璧な答えは持っていない。ただ傍にいることしか、今はできない」
マーレが、小さな声で言った。
「……しとろん様は、今どこに」
「部屋にいる。アウラが傍にいる」
「あの……お見舞いに、行っても、いいですか」
モモンガは少し考えた。
「しとろんさんが望まれるなら。無理強いはしなくていい」
「は、はい……」
マーレは俯いた。
それから、顔を上げた。
「しとろん様に——伝えてもらえますか。いなくなってほしくない、って」
誰も笑わなかった。
モモンガは静かに頷いた。
「……伝える」
四.モモンガとしとろん
夕方になって、モモンガはしとろんの部屋を訪れた。
扉をノックすると、少し間があって——しとろんの声がした。
「どうぞ」
扉を開けると、しとろんは窓際の椅子に座っていた。昨日と同じ場所。
モモンガを見て、少し目を丸くした。
「モモンガが来るとは思ってなかった」
「……来てはいけませんか」
「そんなことない」
しとろんは視線を落とした。
「……聞いたんだ」
「はい」
「怒ってる?」
モモンガは椅子に座った。しとろんと向き合う形で。
「怒ってないです」
「なんで」
「あなたが——そこまで追い詰められていたことに、気づかなかった。それが悔しい」
しとろんは少し間を置いた。
「……悔しいの」
「はい」
「私のことで?」
「当たり前です」
しとろんは俯いた。
「……気づかれないようにしてたから。私が」
「知っています」
「モモンガのせいじゃない」
「それでも——悔しい」
沈黙が落ちた。
モモンガは続けた。
「しとろんさん。一つだけ、聞いていいですか」
「なに」
「今——消えたいと思いますか」
しとろんは少し間を置いた。
正直に答えた。
「……まだ、少し。あるよ」
「そうですか」
「ごめん」
「謝らなくていいです」
「でも」
「謝らなくていい」
モモンガの声は、静かだった。責めていなかった。
「消えたい気持ちが、まだあっていいです。ただ——一人でいないでください」
「……一人じゃない方が、いいの」
「はい」
「なんで」
モモンガは少し間を置いた。
「昨夜、あなたの部屋の前に立ちました。中に入らなかった。ただ——立っていました」
「知らなかった」
「知らなくていいです。ただ——私がそこにいたということは、本当です」
しとろんは黙っていた。
「守護者たちにも、今日全員に伝えました。全員が——同じことを言っていました」
「同じこと?」
「いなくなってほしくない、と」
しとろんの手が、膝の上で小さく動いた。
「……全員が?」
「全員です。マーレが、特に強く言っていました」
しとろんは少し、目元を押さえた。
泣くつもりはなかったのかもしれない。でも——目が、赤くなった。
「……知らなかった。そんなに、思われてたなんて」
「あなたが思っている以上に——ナザリックの誰もが、あなたのことを大切にしています」
「なんで」
「しとろんさんだから、です」
しとろんは俯いたまま、しばらく黙っていた。
やがて、小さく言った。
「……もう少し、いてもいい? ここに」
「いてください」
「消えたい気持ちが、なくなるかどうか——まだわからないけど」
「わからなくていいです。今日いればいい」
「今日だけ?」
「今日と、明日と——その次も」
しとろんは顔を上げた。
目が赤かった。でも——少しだけ、違う顔だった。
「……しつこいね」
「はい」
「アウラと同じこと言う」
「同じ気持ちだからでしょう」
しとろんは小さく笑った。
泣き顔のまま、笑った。
「……ありがとう、モモンガ」
モモンガは何も言わなかった。
ただ——その言葉を、静かに受け取った。