オーバーロード 希死念慮を持つ御方   作:0806

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小さな瓶の、話


一.見つかる前

 

 しとろんの部屋に、小さな瓶が二つあった。

 一つは白い錠剤。落ち着かない時、不安が波のように来る時に飲むもの。

 もう一つは薄いピンクの錠剤。毎朝飲むもの。気持ちの波を、少しだけ穏やかにしてくれるもの。

 ペストーニャに処方してもらったものだった。カウンセリングだけでは追いつかない時のために、と。

 しとろんは最初、飲むことに抵抗があった。

 薬を飲まないといけないほど、自分はおかしいのか、と思った。

 でもペストーニャが言った。

 

「眼鏡が見えにくい目を助けるように——この薬は、しとろん様の心を助けるものでございます。おかしいことは、何もないのですわん」

 

 それから、飲むようになった。

 

 再び塞ぎ込んだある夜、しとろんは白い瓶を取り出した。

 落ち着かなかった。

 消えたい気持ちが、また近くに来ていた。

 錠剤を一つ手のひらに出した。

 小さかった。こんな小さいものが、何かを変えてくれるのか、と思った。

 でも——飲んだ。

 水で流し込んだ。

 しばらく、ベッドに横になった。

 すぐには何も変わらない。でも——少し経つと、波が少しだけ遠くなる気がした。

 輪郭が、戻ってくる感じがした。

 


二.フォスが来た

 

 翌朝、フォスが部屋に来た。

 掃除をしながら、テーブルの上の小さな瓶に気づいた。

 二つ並んでいた。白い瓶とピンクの瓶。

 

「……しとろん様、これは」

 

「薬。ペストーニャに処方してもらった」

 

「そうでしたか」

 

 フォスは瓶をじっと見た。

 

「毎日飲んでいらっしゃるのですか」

 

「白い方はいつもじゃない。辛い時に。ピンクの方は毎朝」

 

「……飲み忘れることは、ありますか」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……たまに」

 

「そうですか」

 

 フォスは少し考えてから、言った。

 

「わたしが、毎朝お茶をお持ちする時に——確認してもいいですか。飲めたかどうか」

 

 しとろんは少し目を丸くした。

 

「フォスが管理するの?」

 

「管理というより——一緒に確かめたいんです」

 

 しとろんはしばらく考えた。

 

「……お願いしていいの? そんなこと」

 

「お願いされたいです」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……じゃあ、お願いする」

 

「はい」

 

 フォスは小さく頷いた。

 


三.朝のルーティン

 

 それから、朝のルーティンが変わった。

 フォスがお茶を持ってくる。

 しとろんが薬を飲む。

 フォスがそれを見届ける。

 ただ、それだけだった。

 でも——毎朝、誰かが見ていてくれることが、しとろんには思った以上に大きかった。

 飲まないといけない、ではなく。

 飲んだことを、知っている人がいる。

 それだけで——少し、続けられた。

 

 ある朝、しとろんがピンクの錠剤を手に取りながら、ぽつりと言った。

 

「フォス、これって——飲み続けないといけないのかな」

 

「ペストーニャ様に聞いてみましたか」

 

「まだ。なんか、聞きにくくて」

 

「なんで聞きにくいんですか?」

 

「ずっと飲まないといけないのかと思うと——なんか、嫌になる。自分がずっとおかしいままみたいで」

 

 フォスは少し考えてから言った。

 

「眼鏡をかけている人って、間違っているのですか?」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……ペストーニャと同じこと言う」

 

「同じことを言う人が二人いるということは——本当のことなんだと思います」

 

 しとろんは錠剤を口に入れた。お茶で飲み込んだ。

 

「……そうかもね」

 

「ペストーニャ様に、今度聞いてみてください。きっとちゃんと答えてくれます」

 

「うん」

 

 しとろんは空になった手のひらを見た。

 

「……飲んだ」

 

「はい、見届けました」

 

「ありがとう、フォス」

 

「いつでも」

 


四.ペストーニャの部屋で

 

 その日の午後、しとろんはペストーニャの部屋を訪れた。

 

「薬のこと、聞きたいんだけど」

 

「はい、何でもお聞きくださいわん」

 

「ずっと飲み続けないといけないの?」

 

 ペストーニャは静かに答えた。

 

「それは——しとろん様の状態によって変わります。今すぐ止める必要はありませんし、止めていけないわけでもありませんわん」

 

「じゃあ、いつか飲まなくてよくなる?」

 

「可能性はございます。でも焦らなくていいのでございますわん」

 

「なんで」

 

「薬を飲んでいる今も——しとろん様はちゃんと、毎日を生きていますからわん」

 

 しとろんは少し間を置いた。

 

「……薬があるから、生きていられる感じがする時もある」

 

「それで、よいのでございますわん」

 

「恥ずかしくない?」

 

「全く、でございます」

 

 ペストーニャは真っ直ぐにしとろんを見た。

 

「助けを借りて生きることは——恥ずかしいことではございません。むしろ——それだけ、生きようとしていらっしゃることでございますわん」

 

 しとろんは俯いた。

 少し間があって。

 

「……今を、生きようとしてるのかな、私」

 

「はい」

 

「自信ないけど」

 

「自信がなくても——今日ここに来てくださいました。それが、答えでございますわん」

 


五.夜

 

 夜、しとろんは白い瓶とピンクの瓶をテーブルに並べて見た。

 小さな瓶だった。

 でも——これがある日と、ない日は違う。

 波が来た時、少し遠くなる。輪郭が戻ってくる。

 全部を解決してくれるわけじゃない。

 でも——今夜をやり過ごすのを、少し助けてくれる。

 右手が、左腕に伸びかけた。

 でも——白い瓶が目に入った。

 手を伸ばして、錠剤を一つ出した。

 水で飲んだ。

 ベッドに横になった。

 扉の外に、アウラとフェンの気配があった。

 薬が、少しずつ効いてくる。

 波が、少し遠くなる。

 目を閉じた。

 今夜は——これでいい。

 明日の朝、フォスが来る。

 それだけ、わかっていれば十分だった。

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