怪異探偵 千駄ヶ谷卓郎しか知らない世界   作:哀愁のガムテープ

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am9:30

新宿署に設置された特別捜査本部。轟を迎えたのは、焦燥とエリート意識が混ざり合ったどす黒い拒絶の視線だった。

「戸塚の余所者が、何の用だ」

指揮官の声を背中に受けながら、轟は地図を指し示す。

「赤マントの最初の事件から追ってんだよ!ここと。ここ。三件目が目白坂。情報を共有して…」

だが、指揮官である警部補は手元のタブレットから目を上げようともしなかった。

「管轄外だな。それに、本庁からは新宿の電波ジャックの初動捜査を優先するよう厳命が出ている。所轄の、それも[はぐれ者]の不確定要素で、貴重な捜査リソースを分散させるわけにはいかんよ。轟さん」

「ぬるい事言ってんじゃーよ!トーシローが!メンツや手順より、今そこにある命だろっ!」

「大きい声を出さないでくれ。聴こえてる。組織というのは、秩序で動く。独断専行も結構だが、あんたの身勝手な考えで部下を危険に晒して何かあったら責任取れるのか?」

周囲の刑事たちが、隠そうともせず嘲笑を漏らす。本庁キャリアの顔色を窺い。縄張りを守り、不祥事の火種を遠ざける。目の前の救えるはずの命よりも、組織内の立ち回りを優先する。これこそが、警察という巨大組織の裏側に巣食う悪しき風習だった。
その時、轟のスマホに旧知の検視官山城から着信が入る。

「…俺だ」

〈萬さん、出たよ。一件目から三件目まで、仏さんの胃の内容物と血液から検出された成分だ。驚くぞ…。一般の薬局どころか、普通の病院でもまずお目にかかれない特注の睡眠薬だ〉

「特注だと?」

〈ああ。バルビツール酸系の誘導体に、独自の精神安定剤を配合してやがる〉

「もっと分かりやすく言ってくれ!」

〈つまりだ。被害者の骨格筋のみを完全に弛緩させ、意識と痛覚だけを鮮明に残した状態で加工を始める。奴は、逃げ出すことも叫ぶこともできない絶望をスパイスにしてるってことだ。効果は絶大だが、配合が難しくてな。重度の精神疾患患者向けに、医師が自ら臨床調合するレベルの代物だよ〉

轟の目が鋭く細まる。
犯人は、単に狂気を孕んだバケモノではない。医学の知識を持ち、合法的に薬物を扱える立場にある人間…。

「山さん。その薬を扱える心療内科か、精神科を絞り込め。文京区と新宿の管轄境界付近、個人経営のクリニックだ」

〈もうやってるよ。被害者たちの通院履歴を追跡したら全員が御茶ノ水にある高級心療内科を受診していた。犯人の表の顔は、そこを開業医としている精神科医だ。あの医療街なら、これだけの特殊な薬品や医療器具を横流ししていても怪しまれない。しかもだ!過去に厚生労働省から麻薬取締法関連で厳重注意(・・・・)を受けてる風変わりな医者が一人いた。こいつが、赤マントの可能性が極めて高い。住所を言うぞ御茶ノ水◯△-□◯△〉

山城の、冷徹ながらも震える声が耳元で響いた。

「見つけたぞ。クソ野郎…」

轟は捜査本部の人間に目を合わせる事もなく背を向け、足早に御茶ノ水へ急ぐ。




解き放たれた闇

 

 

同時刻 文京区・目白坂。

 

亜子は低級怪異の首根っこを掴み、ひび割れた石壁に叩きつけていた。

 

「おい、とぼけんな。テメー!さっきからここら辺で、変な臭いが漂ってんだよ。知ってる事吐けよ。さもねえと…」

 

亜子の周囲に、空間を歪ませるほどの圧力が膨れ上がる。

 

「お前のその薄っぺらい体、雑巾みたいに絞り上げてやろうか?」

 

「ひ、ひぃぃっ!いてーよ。お嬢!そ、そう言えば、そこの製本所…あそこから、聞いたこともねえ叫び声が時々聴こえるんだよ…」

 

そこへ、テツオの仲間ミケ猫のケンオウが駆け寄る。

 

「亜子さん間違いねー! あそこの地下、死臭が壁を突き抜けて外まで漏れ出してやがる」

 

「よしっ!ケンオウはここにいな。鬼混じりがいたら、うちがボコボコにしてやっからな」

 

亜子は言うやいなや、小走りで製本所の裏口に向かうと躊躇いなく扉を蹴破り、地下室へと突入した。

そこは本来なら物語を生む場所のはずだが、赤マントの手によって肉の無常な物語を縫い合わせる地獄へと塗り替えられた空間だった。

鼻をつく古紙の埃と、強烈な糊の甘い臭い。

そして、腐敗した肉の臭気。

壁際の棚には本ではなく、背表紙に被害者の皮が貼られた人間という名の書物が静かに並んでいた。

それは赤マントにとって患者の内面を曝け出し、その人生を強制的に終わらせ記録した究極のカルテだった。

鼻腔の奥を激しく突く死の臭いが亜子に襲いかかってくる。とっさに腕で鼻と口を押さえながら辺りを見回すと、視界に飛び込んできたのは想像を遥かに超えるものだった。

 

そこにあったのは、人間の部位で作られた家具類の数々。

大腿骨を脚にし、複数の皮を継ぎ合わせた椅子。

血管の透ける顔皮のランプ。多数の皮膚を繋げて作ったであろう生々しいマネキン。首元には、眼球を特殊な樹脂で固め数珠状に細工されたネックレス。

 

「何人殺しゃこんなもんが作れんだよ…」

 

だが、一番奥の光景はさらに異常だった。

皮を剥がれ、赤剥けになった数体の遺体が医療用のスタンドに吊るされた血液(・・)を輸血されている。

 

「なんだよ…こりゃ…。人間を剥製にするだけじゃ、飽き足らねえのか…」

 

亜子が絶句した瞬間。輸血されていた遺体たちが、ピクリと指を動かした。ゴボリと喉を鳴らし、皮膚のない肉塊がゆっくりと立ち上がる。

それは赤マントの血を媒介に操る肉の傀儡へと成り果てた犠牲者たちだった。

 

「お前ら…」

 

亜子の拳が悲しみと怒りに打ち震えていた。

 

その頃。新宿では、自らの胸の奥底で暴れ狂う〈得体の知れないナニカ〉を抑え込もうと、血の涙を流しながら理性の綱を握りしめている千駄ヶ谷の姿があった…。予兆は、あの異様な鬼の気配と狂気が入り混じった気配を探ろうとした時だ…。

 

〘ずいぶんと…。苦しそうだなぁ…〙

 

内なる底から、聞き覚えのある声がする

 

〔なんだ…お前は…〕

 

〘俺は…お前だよ…。内なる俺だ…。いいから代われ。俺が見つけてやるよ…ククッ、あの鬼混じりだろ?俺もずっと感じてた…コイツを取り込めば、さぞかし美味いだろう。お前だって、あの濃密な血の匂いに、魂が昂ぶって止らないんだろ?〙

 

〔黙れ…ッ! 俺は、欲にまみれて喰らうために受け入れるんじゃない!〕

 

内側から溢れ出る圧倒的な殺意と、それに抗おうとする自らの理性の軋轢。胸の骨を内側からへし折らんばかりの蠢きに、千駄ヶ谷は激しく吐血し両手を地面に付き震え始めた。

 

〔くっ…そ…なんだ…これは…〕

 

左の掌から溢れ出した黒い瘴気が、すでに首元まで這い上がり、血管を黒く染め上げている。

ここで理性を放せば、自分は怪異を赦す探偵ではなく、ただ標的を捕食するだけの怪物に成り下がる。

その恐怖と結との約束だけが、今の彼を辛うじて人間にとどめていた。

 

〔俺は…絶対に…!お前とは、代わらない!!〕

 

歯を食いしばり、両の脚に渾身の力を込めて立ち上がる。

魂を削るようにして内なる闇(・・・・)を押し込めようとした、その時。

脳髄の最深部から、それまでの狂気や殺意とは打って変わったひどく退屈そうな、そして絶対的な【自分の声】が響いた。

 

〘あー、ごちゃごちゃうるせーよ〙

 

すとん…と胸の奥の暴動が静まる。

次の瞬間、内なる怪物は冷ややかに告げた。

 

【ちょっと寝とけや】

 

「…っ?!」

 

抗うための(いかり)さえ掴ませない、圧倒的な力技。

千駄ヶ谷の思考が強制的に遮断され、視界が急速に狭まっていく。

自分の肉体でありながら、指先一つ瞼一つ動かす権利すらも裏側のナニカ(・・・)に強奪されていく感覚。

必死に保っていた理性の灯火が、冷たい泥をぶっかけられたように、一瞬でそして無残に吹き消された。

 

ゆ…い…。…

 

千駄ヶ谷卓郎の意識は、そこで完全に途切れた。

ガクリ、と力を無くした首が折れるようにうつむく。

だが、その肉体が地面に倒れ伏すことはなかった。

数秒の沈黙の後。ゆっくりと持ち上がったその顔には、先ほどまでの苦悶は微塵もない。

 

『ハァーーーー。いい気分だ』

 

片方の瞳をどす黒く染め上げたソレ(・・)は、喉の奥からケタケタと不気味な笑いを漏らし、迫り来る赤マントの異様な視えない触手を見据えて、首を左右に曲げゴキゴキと骨を鳴らしながら歪んだ笑みを浮かべた。

 

『さぁ。狩りの時間だ』

 

組織の壁を破り御茶ノ水へ急ぐ轟。

地獄の製本所で肉の傀儡に囲まれる亜子。

そして、内なる闇の檻(・・・・・・)を開けてしまった千駄ヶ谷。

 

物語は、クライマックスへと加速していく。

 




「あーあー。言わんこっちゃないで。だから言うたんや。背負いきれる訳ないって。まー。これは、これでおもろい事になりそうやけどな。さぁ。探偵さん。見せてもらうで。裏返った(・・・・)あんたの底知れん力を」

滅三川は、変わり果てた千駄ヶ谷の背中を物陰から見つめ不気味に微笑んでいた。

異なる狂気をはらむ男が、欲望を隠し動き始める。
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