怪異探偵 千駄ヶ谷卓郎しか知らない世界 作:哀愁のガムテープ
千駄ヶ谷卓郎が、鹿児島の【巨頭村事件】に向かう少し前…
四月末日
都会の喧騒が届かない、歪んだ空間の奥底。
酒呑童子は、巨大な朱塗りの盃を傾け、濁った神酒を喉に流し込んでいた。その双眸は、明け方の空よりも暗い。
「お呼びでしょうか…酒呑王…」
現れたのは鬼の王が率いる軍勢の四天王が一角、酒呑童子が全幅の信頼を置いている右腕的存在、茨城童子であった。
透き通るような白い肌に、切れ上がった涼やかな目元。
男とも女ともつかぬ中性的な美貌は、見る者を一瞬で魅了し、次の瞬間には「生存本能としての恐怖」を抱かせる。
酒呑童子は、王に相応しいそそり立つ巨躯と、鋼を編み込んだかのような筋靭な肉体。燃え盛る篝火のような金色の瞳は、視線を向けられた者の魂を直接焼き焦がすほどの獰猛な覇気を放ちながら、巨大な盃に注がれた神酒を一口飲み干すと、不快そうに舌を鳴らした。
「…茨木。あの狐の半妖が、またコソコソと蛆のように動き回っているようだな…気に食わん…少しばかり知恵が回るほどの小物が…」
傍らに控える茨木童子が、静かに首を垂れる。
「王…。あの滅三川、なにやら日本各地の
「……ケッ、反吐が出るわ。そんな小癪な
あのような半妖を六道堕に迎え入れたばかりか、脈動の地図まで持たせたと聞く…。骸ならばいざ知らず…。あのような口先だけの半端者を御前が目にかける理由が分からぬわ…
盤面で駒を一つずつ動かすような策略など、この酒呑には不要なのだっ!!!
百鬼夜行遂行は、言うなれば我ら鬼の為に行ってこそ価値があるっ!!
異界に控えておる鬼の軍勢を現世に解き放ち、力だけの世界にしてこそ意義がある。力こそが唯一の真理。支配とは、我が物顔で生きる人間に本当の恐怖を与え魂を根こそぎ毟り取り、その屍に唾をかけ絶望を味あわせることのみ!!!」
「左様。なればこそ滅三川への牽制も兼ねて、現代の澱みが生んだ最高の『素材』を王に献上いたしましょう」
「素材だと…?説明してみろ…」
茨木童子は優雅に微笑むと、愉悦に満ちた声で語り継ぐ。
「人の世には稀に、
人の皮を被りながら、その内側には我ら鬼に近い純粋な狂気を飼っているのです」
茨木は一歩踏み出し、酒呑童子の圧倒的な圧力を浴びながらも、うっとりと目を細めた。
「この外道に、我らの血を混ぜ合わせるのです。鬼にあって鬼にあらず、人にあって人にあらず。 ――ただの狂人を、真の狂気と鬼畜さを兼ね備えた『
酒呑童子は、喉の奥から獣のような咆哮を上げた。
「グハハハハ! 面白い! 狂った人間に、我が暴力の神髄を叩き込むか。…良かろう、茨木! その狂鬼人とやらが集めた魂を御前への献上とし、半妖如きに出来ぬ鬼の真髄を見せつけてやろうではないかっ!!!そのひと雫で、この退屈な時を赫く染め上げてみせよ!」
酒呑童子が拳を床に叩きつけると、衝撃波が空間を揺らし時空が激しくねじ曲がる。
「チマチマと盤面を睨み、駒の配置に時間をかけるなど愚の骨頂!そんなもの非力な者の遊びだ!。因果も、理も、あの半妖の存在すらも!すべてこの圧倒的な力で叩き潰し、平らげてやるわ! 茨木、その狂った人間の真の魂を呼び起こして来い!!!!」
「――御意。すべては、王の望むままに…」
暴力の真理 赤への覚醒
5月初旬 深夜一時。
文京区、某所 地下室。
湿ったコンクリートの匂いと、死体の腐敗臭が混ざり合う密室。そこは、法も秩序も届かない一人のサイコパスが築き上げた聖域があった。
床に転がる「素材」を無造作に解体していた男の前に、茨木童子は音もなく降り立つ。月光を凍らせたような白銀の髪に、透き通る白いの肌。
その中性的な美貌は地獄のようなこの部屋において、あまりに異質で、あまりに不気味だった。
男は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
普通の人間なら、茨木から放たれる圧倒的な人外の気配に、魂が凍りつくはずだ。だが、この男の瞳に宿るのは、底なしの、冷徹な探求心だけ。
「…こんばんわ。随分と見たことのない造りをしてるな。その肌…、どう剥げば、きめ細やかの残る白さを保てるだろうか?」
男は、血に濡れたメスを手の中で弄び、茨木を命ある存在としてではなく、これから解体する希少な部品として、無遠慮に品定めする。
茨木童子の唇が、冷ややかに、そして優雅に弧を描いた。
「ふふっ…。実に愉快だ。鬼を前にしてまず剥ぎ方を考えるとは…。人間という下等生物の分際で、その身に飼っている狂気だけは、なかなかに見事なものだな」
茨木の声は、澄んでいるが、その温度は絶対零度に近い。
「道徳も、因果すらもお前の頭にはない。ただ殺戮という稚拙な美学に殉じている。素晴らしい…。その欠落、その醜悪なまでの純粋さ…嫌いではない…」
「喋るな…。その喉が剥いでる間、どう鳴るか試したくなった」
男の瞳が、殺戮の悦びにぎらりと輝く。
次の瞬間、男は床を蹴り、異様なまでの無駄のない動きで茨木童子の喉元へメスを突き出した。一分の迷いもない、純粋な殺意の閃光。
カァンッ!
「なに…?」
鋭い金属音が地下室に響く。茨木は指一本動かさない。男のメスは茨木の首筋に触れた。間違いなく。
しかし…
煌めく銀の刃の先が、1ミリも純白の肌に
「…威勢がいいな。だが…弁えろ。貴様が今、刃を向けたのは
茨木は冷徹な眼差しのまま、メスを固執する男の腕を、華奢な指先で掴んだ。指が触れた瞬間、男の腕からミシリッと骨の軋む音が漏れる。
「ああ…。認めよう。その身の丈に合わぬ傲慢さ、そして鬼の威圧を撥ね退けるその精神。貴様は…ただのゴミとしてこのまま朽ちるには、あまりに惜しい
茨木は懐から怪しい邪気を纏う短刀を取り出し、躊躇なく自らの左腕を深く切り裂いた。
ポタリ。
傷口から溢れるのは漆黒の、ドロリとした闇の雫。
鬼が持つ特有の純粋なる暴力の精髄。その一雫が床に落ちた瞬間、コンクリートが激しく溶け、悍ましい邪悪な臭気が地下室に広がる。
「飲めっ。亡骸を分解し続けても満足出来ぬものが、渇望しても手に入らぬものがあるだろう…。くれてやる。我が血を飲み貴様が本当に創りたいものを創れる体にしてやる…。鬼の力という名の呪いを、受け入れろ!!!!」
茨木は黒い雫に染まる自身の腕を、掴んだままの男の口元へと近づける。無理矢理ではなく、男の最後の意思を確かめるかのように。
男は、自らの攻撃が無効化された驚きよりも、その漆黒の雫から放たれる理解を超えた死の気配に、サイコパスとしての脳が激しく歓喜していた。
「なんだ…この黒い血は…綺麗だ…この血を…」
男は拒否することなく、その漆黒の雫を口に含み貪るように飲み込んだ。
「がっ!!!!がっぁああああああああああッ!!!!」
男の体の中で、鬼の血が爆発した。
骨が鈍い音を上げ組み変わり、皮膚の内側から鋭い棘が突き出す。人間の限界を超えた変貌。だが、男は激痛に悶えながらも狂ったような愉悦の笑みを浮かべ、魂の色彩に満ち溢れている光景をみた。
「ハァ…ハッ…ハ、ハハ…ッ! 視える…これが、本当の…真実の『赤』かっ…!」
男は這いつくばったまま笑い、作業台の上の被害者の皮膚へと手を伸ばした。それを自らの肩へ、新しい服のように優雅に纏う。
鬼の霊力が流れ込み、そのまま意思を持つように男の肩へと吸い付いた。蠢き…繋がり…血のような光沢を放つ【紅いマント】へと変貌していく。
最後に、男は剥ぎ取っていた被害者の顔を、フェイスマスクのように当てがった。
「いい気分だ…さあ、展示会を始めよう。まずは、小石川辺りがいいかな…真の私となった
「ここへ来る前少し調べてみたが…貴様。崇拝しているものがいるそうじゃないか…」
「俺の幼少期に実在した…日本の殺人鬼さ…恐れ慄き震え上がったよ。でも…次の瞬間には、この人になりたいと心の底から思った…」
狂鬼人となった男は、そのまま遺体を解体していた作業机の引き出しから、スクラッチした色褪せた古新聞の切り抜きを茨城に差し出した。印刷した日付けの部分はほぼ読み取れないが、年号は[昭和]となっている。
「
「ほう…では。これからは憧れを超えうる存在へ成ってゆくがよい」
茨城童子はそう呟くと、惨劇の地下室から姿を消すのだった