異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
静寂。
誰かが唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。
周囲にいた連中は、互いに顔を見合わせ、じりじりと後ずさっていく。
さっきまでの威勢はどこにもない。
バルドが視線を向けると、そいつらは悲鳴を上げながら散り散りに逃げて行った。
呻くことしかできない、もしくは気絶している連中はそのままだ。
バルドは、その様子を横目に見ながら、隣で尻もちをついている虎太郎に視線を向けた。
「……アイツらは下っ端か?」
「あ?」
虎太郎はまだ頭が追いついていない、といった顔でバルドを見上げる。
「こいつと話をつける、というので問題ないか」
バルドは、失禁して気絶している“仕切っていた男”を顎で指し示した。
「……ああ。多分な」
虎太郎は唇を噛みしめながら言う。
「一応、ココの頭だからな……とはいえ……」
言葉の端々に、不安が滲んでいる。
「ふむ。さっき、こいつが言っていた“上の連中”か」
バルドが呟くと、虎太郎は舌打ちをひとつ。
「ああ。妹のことも、もう向こうに話通ってるみてぇだしな……くそっ」
拳を握るが、どうにもならない苛立ちだけが残る。
「――まあ、とりあえずこいつを起こすか」
バルド周囲を見回すと、近くに転がっていた金属バケツを拾い上げ虎太郎に放る。
「水を汲んできてくれ」
「あ、ああ」
反射的に受け取った虎太郎は、壁際の蛇口へ走っていく。
バケツに水が当たる音が、ジャバジャバと響いた。
その間に、バルドは床に転がった拳銃を拾い上げる。
重さを確かめるように手のひらで一度転がし、武器の構造を推し測る。
(なるほど。ココの握りを引くと礫が出るのか)
特別な感慨はない。
ただ、力を持たないものが持つ分には使いやすそうだとだけ思った。
「……さて」
気絶している男の襟首を、片手でつかむ。
抵抗のない体重が、ずるりと床を引きずられていく。
そのまま、近くにあったボロいソファの前まで行き、放り投げるように男を座らせた。
がくん、と首が後ろに倒れる。
「持ってきたぞ!」
虎太郎が、なみなみと水を張ったバケツを抱えて戻ってきた。
「貸せ」
バルドが受け取り、ためらいもなく、中身を男の頭からぶちまける。
ばしゃっ、と鈍い音。
水が床に飛び散り、ソファの布が一気に色を変えた。
「ぶはっ!? げほっ、ごほっ!?」
男がむせ返りながら飛び起きるように目を見開く。
濡れた髪が額に張り付き、水滴が顎先から落ちた。
そして、真正面に立つバルドと目が合う。
「あ、あ……」
さっき、確かに自分が放った銃弾が――その記憶と、目の前の現実が結びついた瞬間。
「ば、化け物!!」
絶叫に近い声が倉庫内に反響する。
「失礼だな」
バルドは、ごく平板に言った。
「人間だぞ」
声に感情はほとんど乗っていない。
だからこそ、逆に恐ろしかった。
男は、濡れたソファにしがみつくように座り込んだまま、歯を鳴らして震えている。
「さて」
バルドは銃をくるりと指先で回しながら、男を見下ろした。
「お前にいくつか確認と、聞きたいことがある。……正直に話せ」
男は、ぎゅっと口を閉ざす。
虚勢を張っているのか、まだ“この状況がどうにかなる”と考えているのか。
「……」
返事はない。
バルドは、小さく息を吐くと、銃を持ち替えた。
パン。
乾いた破裂音が、間近で弾ける。
ソファの背もたれ――男の顔のすぐ横の布地が、弾丸で派手に弾け飛んだ。
「ひいいい!!」
男が情けない悲鳴を上げる。
濡れた背中をさらにびくびくと震わせ、ソファに食い込むように縮こまった。
「お、おい!」
すぐ隣で見ていた虎太郎も、思わず声を荒げる。
「危ねぇだろ、今のは!」
「ただのおもちゃだ、こんなものは」
ぐっとソファの男に顔を近づけた。
至近距離で見下ろす琥珀色の瞳に、男は目を逸らせなくなる。
「俺の方が――もっと、怖いだろう?」
低く押し殺した声。
男は、人形のようにこくこくと首を縦に振った。
もはや虚勢を張る余裕もない。ただ、生存本能だけで動いている。
「よし」
バルドは、わずかに頷いた。
「まずひとつ目だ」
銃をくるりと回しテーブルの上に置いた。
「ここにいる南條虎太郎」
隣で立ち尽くしている青年を顎で示す。
「こいつは、もうここから抜ける。それでいいな」
「あ、ああ……」
素直に頷く声は、ほとんど悲鳴と変わらない。
「今後――」
バルドは言葉を区切り、男の額に人差し指をそっと当てた。
その仕草は、軽くつつくようにも見えたが、指先にはかすかな魔力が集まっている。
「もし虎太郎や、その周囲の人間が襲われるようなことがあれば――」
声の調子は変わらない。
ただ、その一言だけを、はっきりと区切って告げる。
「お前を殺す。いいな」
低く、冷たい言葉。
指先から、魔力がにじむように染み込んでいく。
額に触れた場所が、わずかに熱を帯びる。
(縛りの印……)
バルドの故郷でも、初歩的な呪術は広く使われていた。
精密なことはできないが、“ある方向へ思考を誘導する”程度なら造作もない。
“裏切ったら死ぬ”――そう信じ込むように、ほんの少しだけ。
「ひ、ひいっ……!」
男は顔を引きつらせながらも、さっきよりも激しく首を振った。
その様子を見て、バルドは指を離した。
「よし。次だ」
今度は、静かに目を細める。
「さっき、お前は虎太郎の妹に害をなすような話をしていたな。……詳しく話せ」
もう抗う気力が尽きたのか、男は諦めたように肩を落とした。
「お、俺たちは……」
途切れ途切れに、言葉が零れる。
「都心の方にあるデカいグループの、下部っていうか……その……」
男の説明を、バルドは淡々と聞いた。
都会に巣食う“大きな集団”。
バルドの感覚で言うなら、荒くれ者の群れ。
そこが、地方にまで手を伸ばし、こうした若いチームを片っ端から取り込んでいる。
虎太郎たちのチームも、その一つに過ぎない。
「もう、じきに完全に“傘下”みてぇな扱いになるはずで……。んで、その……」
男は視線を泳がせながら続ける。
「この前、俺……うちのチームで揉めてるヤツ――虎太郎のことを、上に相談して……」
虎太郎の頬がピクリと動いた。
「そしたら、“妹がいるなら使え”って言われて……。上玉なら楽しんで、その後どっかに流せって……」
その言葉に、虎太郎のこぶしが震えた。
今にも殴りかかりそうな気配を感じ、バルドが横目で一度だけ彼を制する。
「もう、妹の件は向こうに伝えちまったから……お、俺だけじゃ、もうどうしようもねぇんだよ……!」
男の声は、言い訳とも懺悔ともつかない響きを帯びていた。
「……ふざけんなよ」
虎太郎が、低く唸る。
「ふざけんなよテメェ……!」
怒りに任せて殴りかかりたい。
だが、殴ったところで状況が変わらないことも、薄々分かっている。
(なるほど)
バルドは小さく息を吐いた。
「依頼主の身に危険が迫っている、というわけだな」
小声で呟く。
* * *
「……よし」
バルドは男を見下ろし、短く言った。
「そいつに、もう一度連絡しろ」
「え?」
「念のためだ。“妹の件は必要なくなった。手出し無用”――そう伝えろ」
男の手が震えながらも、ポケットへ伸びる。
スマホを取り出し、慣れた様子で番号を押した。
「まて」
虎太郎が口を挟む。
「スピーカーにしろ。こっちにも聞こえるようにな」
(スピーカー……? 声を広げる魔道具か何かの名か?)
バルドは内心、首をかしげたが、特に口を出しはしなかった。
男が慌てて画面を操作し、スマホをテーブルの上に置く。
コール音が、倉庫内に小さく響く。
『……おう』
やがて、受信音と共に、野太い声がスピーカーから流れた。
『どうした』
低く、ドスの効いた声。
歳は、ある程度いっているだろう。
それだけで、この場にいない“上”の存在感が伝わる。
「お、お疲れ様です!」
男が慌てて腰を折りかける。相手には見えないのに、身体は自然とそう動いていた。
「あ、あの、こないだ連絡した女の件なんですが……」
『女ぁ?』
間を置いて、不機嫌そうな声。
『どの女だ』
「ええと、その……ウチのチームで揉めてるヤツの、妹ってやつなんですが……」
『おお。ああ、あれか』
途端に声色が変わる。
思い出した、とでも言うように、どこか楽しげだ。
『上玉見つけてきたじゃねぇか。幹部連中でも話題に上がってよ。へへ、近々攫いに行く予定だって話してたところだ』
その一言で、虎太郎の体から熱が噴き上がるように感じられた。
「テメ――」
怒声が飛び出す寸前、バルドがわずかに手を挙げて制した。
虎太郎が思わずバルドを睨むが、どうにかして言葉を飲み込む。
バルドは顎をしゃくり、男に続きを促す。
「あ、あのう! それなんですが!」
男は喉を鳴らし、必死に言葉を絞り出す。
「例の男の方は、問題なくなったので……その、妹の方も――」
『ああん?』
低い唸り声が、スピーカー越しに響いた。
『ふざけんなよ』
空気が一気に冷える。
『テメェのケツ拭きを頼んでおいて、やっぱり止めます、だぁ?』
「す、すみません! 本当にすみません!」
男はスマホに向かって頭を下げ続ける。
声だけが、情けなく床に叩きつけられた。
『てめぇが何と言おうと、こいつは攫う。もう話は通ってんだよ』
その声音には、ためらいも迷いもない。
決定事項を告げているだけだ。
『分かったら、二度とくだらねぇことで電話してくんな。次やったら、ただじゃ置かねぇ』
一方的に吐き捨てるように言うと、通話はぷつりと切れた。
しばし、沈黙。
「……っざけんなよ!」
虎太郎が弾かれたように動いた。
「ふざけんなよテメェ!!」
男の胸ぐらを掴み上げ、そのままソファに押し付ける。
情けない悲鳴が、口からこぼれた。
「ひ、ひいっ!」
「落ち着け」
バルドは短く言って、虎太郎の肩に手を置く。
虎太郎の手は震えている。
怒りだけではない。無力感と恐怖も混じっていた。
「お前らの、詳しい人数。本拠地。構成を教えろ」
バルドは、掴まれている男の背中を見下ろしながら問いかける。
「わ、わかった……!」
男は、絞り出すようにしゃべり始めた。
東京を中心に活動している若い連中の集まり。
だが、単なるチームではなく、明確に“武力”を持った組織的な集団。
幹部には、元やくざや、もともと裏稼業の人間だった者が混じっている。
正式な組ではないが、下手なやくざより質が悪い。
海外のマフィアとも繋がりがあり、薬物や人身売買にも手を染めている――
男の知っている限りをつなげても、全体の一部に過ぎないが、それでも十分にデカい。
「……マジかよ」
虎太郎が、慄いたように舌打ちした。
「そんな連中が、うちの街で好き勝手やってて……その上、妹まで……!」
悔しさで、唇が震える。
(法をすり抜けるやり方に、慣れている連中か)
バルドは、ぼんやりとした輪郭を頭の中で形にしていった。
自分のいた世界で言えば――領主や貴族に裏で金を流しながら、街道を荒らす盗賊団に近い。
「そこまでしている連中なら――」
バルドは、ふと単純な疑問を口にした。
「警邏で、どうにかならんのか」
男が、苦い笑いを漏らす。
「……無理だ」
もうこちらに逆らう気はないのか、意気消沈した様子で視線を逸らしながら答える。
「表向きは、ちゃんと“線”を守ってるんだよ。仮に捕まっても、もっと下の奴とか別の名義に押し付けて……。証拠も残さねぇし、捕まっても、俺らみたいな末端ばっかりだ」
言葉を探しながら続ける。
「それに、捕まっても初犯だなんだって、たいして長くは入らねぇし、サツにもこっちの息がかかったのがいるらしいからな。どうとでもなるさ」
バルドは、静かに目を細めた。
「……法が、被害者の怒りを受け止めきれん、というわけか」
自分のところにも“法”はあった。
だがそれは、主に貴族や大商人のためのものだった。
平民同士の争いは、結局のところ“自己裁判”――自分たちの手で決着をつけるのが常だった。
だからこそ、冒険者がいた。
悪行を働いた者がいれば、依頼を受け、その素行を調べ、必要とあらば――殺す。
それが、日常だった。
ここでは、それができない。
現に虎太郎のように、怒りを抱えながらも、何もできない者がいる。
(なら――)
バルドは、ほんの少しだけ口元を歪めた。
(俺がやろう)
思考は、驚くほど自然にその結論に至った。
――自分は冒険者だ。
どこにいようと、その役目は変わらない、そう思っている。
「……なんだ」
虎太郎がバルドを見上げる。
バルドは、彼に視線を向け、淡々と心の中で言い直す。
(やることは同じだ。場所が変わっただけだ)
冒険者として、依頼を受ける。
悪行を積み重ねた連中を探り出し、裁く。
この世界の“法”がすくい上げきれない怒りを、自分のやり方で受け止める。
やるべきことが、はっきりした。
「俺は、俺のやり方でやることにした」
小さく、しかし揺るぎない声音で呟き、バルドは己の体が喜びに震えていることに気が付いた。