異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
虎太郎とひよりは、カズの運転する車で自宅へと送られていった。
車の窓越しに、ひよりが何度もこちらへ頭を下げているのが見える。
虎太郎は、助手席でぎこちなく手を挙げていた。
車が角を曲がって消えると、ひゅうと風が一陣吹いた。
「……行きましょうか」
しずくが、肩掛けの小さなバッグを取り上げながら言った。
「黒岩組長のところか」
「ええ。父さん抜きで話を進めたら後で面倒くさいからね」
バルドは頷き、事務所の入ったビルをもう一度振り返る。
今日だけでずいぶん“ここでやること”は決まった気がした。
(あとは――組長の許可か)
そう思いながら、しずくの後をついて歩き出した。
* * *
黒岩邸――黒岩組の本拠地は、街の住宅地から少し外れた場所にある。
古びた木の門。苔の浮いた石畳。
手入れは行き届いているが、建物自体はそれなりの年月を重ねているのが分かる。
通りからもその広さが分かる庭には、低く刈り込まれた植え込みの向こうに池と石灯籠。
ただ、その一角は砕けた木片とブルーシートが痛々しく残っている。
バルドは、ほんの少しだけ視線を逸らした。
二階建ての母屋は、黒い瓦と白壁のコントラストが強い。
さらさらと木々の葉が揺れる音が耳に残る。
「お疲れ様です、お嬢さん」
「おう、客人」
門をくぐると、先日の騒ぎで顔を見た組員たちが次々と頭を下げてくる。
その表情は、警戒よりも“味方の強い男を見る目”に近い。
しずくはそれを軽く受け流しながら、慣れた足取りで玄関へと進んだ。
バルドも靴を脱ぎ廊下を歩く。
「父さんにはもう、電話で行くって伝えてあるから」
そう言いながら着いたのは、応接用の和室だった。
座卓と座布団。その向こうの壁には、墨絵の掛け軸。
そして、庭に面した大きな障子が柔らかい光を室内に落としている。
しばらく、湯呑みの湯気を眺めながら待っていると――
「おう、おう」
障子がガラリと開き、黒岩が現れた。
浴衣に羽織を引っかけただけのような簡素な格好。
だが、しゅんとした立ち姿は依然と変わらず、年を感じさせない威厳を纏っているようだった。
「どうした、改まって」
黒岩は座卓の向こうにどかりと腰を下ろし、二人を見渡した。
「探偵事務所の方は、どうだ?」
「そのことで、話があるのよ」
しずくが、湯呑みに手を伸ばしながら言った。
「ん?」
黒岩が訝しげに眉をひそめる。
「何か問題でもあったか?」
「問題は、これから起こす予定」
「物騒なこと言うなや」
黒岩は小さく笑ったがその目は笑っていない。
しずくは一度息を整え、バルドへ視線を送る。
「……バルドがね」
そこから先の説明は、彼女が引き受けた。
――法で裁けない連中を、事務所として“引き受ける”こと。
――虎太郎とひよりの件。
――そして、その延長線上にいる半グレ連中のこと。
バルドは、基本的に口を挟まず、必要なところだけ頷いて補足した。
黒岩は、腕を組んだまま黙って聞いていたが、やがて「ふむ」と唸る。
「そりゃあ、筋としては分かりやすいがな」
重たい視線が、しずくに向く。
「……それは、しずく。お前の“私情”が入ってやしねぇか?」
「私情?」
バルドがわずかに片眉を上げる。
黒岩は、ふぅと長い溜息を吐いた。
「お前、こいつにまだ話してねぇな」
「……別に、黙ってるつもりはなかったけど」
しずくは湯呑みに視線を落とし、指で縁をなぞった。
「私ね」
静かに口を開く。
「今でこそ、引きこもりみたいな生活してるけど――高校までは、そんなことなかったの」
障子の外、庭の緑に視線をさまよわせながら続ける。
「普通の高校生だったわよ。部活して、放課後に友達とファミレス行って、テスト前に一緒に徹夜して」
唇が、少しだけ歪んだ。
「まあ、“実家がやくざ”ってのはあったけどね」
苦笑いのような、皮肉のような。
「あれは、私が高校二年の時」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
「親友がいたの。何でも言い合える、本当に、大事な子」
しずくは一度、まぶたを閉じた。
「その子が――襲われて、死んだ」
障子の外で、下校途中か子供たちの無邪気な声が聞こえる。
「県会議員の息子たちが容疑者だった。でも、圧力がかかって、捜査は“形だけ”になって……」
警察が見せた“やっているふり”を、彼女は間近で見てしまった。
「テレビでは“悲しみの事故”みたいな扱いにされて。学校の中じゃ、“あの子はやくざの娘と付き合いがあったから”“自業自得だ”とか、好き勝手言われた」
指先が、湯呑みの縁をぎゅっと掴む。
「稼業は嫌い。でも、組の人間は嫌いじゃない。父さんも、私を守ろうとしてくれてた」
視線が一瞬だけ黒岩の方へ向く。
親子の間に、短い沈黙が落ちる。
「でも、どうしたらいいか分からなくなったの。怒っていいのかも、悲しんでいいのかも分からなくなって……」
そして、気がつけば。
「ズルズルと、家の中に閉じこもるようになった」
しずくは、それだけを言い切ると湯呑みから指を離した。
バルドは、静かに彼女を見ていた。
「……なるほどな」
ぽつりと呟く。
黒岩が、ふんと鼻を鳴らした。
「なぁ、しずく」
親父としてではなく、ひとりの古い男としての声音だった。
「テメェの恨みつらみで、やろうとしてんじゃねぇのか?」
「そうよ」
しずくは即答した。
「恨んで、何が悪いの?」
静かな怒気が言葉の奥に潜んでいた。いや、潜ませようともしていなかった。
「のうのうと生きてるヤツを憎いと思って、何が悪いの?」
黒岩は「しかしよ」と、眉間に深い皺を刻んだ。
「オヤジとしてはよ、お前にこれ以上――」
「俺からも、いいか」
バルドが口を挟んだ。
黒岩の黒い瞳がバルドを向く。
「俺のいたところの話だ」
バルドは、言葉を探すように、一拍置いた。
「そこでは、街の外に“魔物”がいた」
「魔物、ねぇ」
黒岩の口元がわずかに歪む。
「人を喰い、町を焼き、子どもをさらう。だが、それだけじゃない」
バルドは続ける。
「城の中にも、魔物と変わらん連中がいた」
貴族。領主。金と力を握った者たち。
「法はあった。だが、それは主に“貴族と大商人を守るための法”だ。平民が理不尽に殺されても、ろくに捜査もされん」
しずくの肩がわずかに揺れた。
「だからこそ、“冒険者”がいた」
バルドの声は淡々としている。
「魔物退治だけじゃない。闇深い仕事もする。悪行を重ねた領主の屋敷に忍び込み、証拠を集め、時には――首を落とす」
黒岩がふっと目を細める。
「それで、国は持ったのかい」
「持った」
バルドは即答した。
「貴族の腐敗はなくならん。だが、やり過ぎた者は“いつかどこかで裁かれる”という恐れを持つようになる。平民は、自分達で依頼を出し、金を集め、誰かに剣を託す」
しずくが、じっとバルドを見つめていた。
「もちろん、冒険者も英雄じゃない。金目当ての奴もいれば、ただ戦いたいだけの奴もいる」
それは事実だ。
だが――
「それでも、“法が届かない場所”に、刃を持ち込む役目は必要だと、俺は思ってる」
庭の緑が障子越しに揺れる。
黒岩は、無言で湯呑みを手に取り、一口だけ啜った。
「ここも、似たようなものだろう」
バルドは静かに続ける。
「法があっても、全部は救えん。“被害者の怒り”を受け止めきれず、行き場を失っている」
しずくと虎太郎。ひより。
彼らの顔が、頭の中に浮かぶ。
「俺は冒険者だ。やることは変わらん。場所が変わっただけだ」
黒岩は、しばらく黙っていた。
「……ううむ」
太い指が、膝の上で組まれる。
しずくは、一歩も引く気配を見せない。
真正面から父を見据え、その視線を受け止めている。
やがて、黒岩は、大きく息を吐いて頭を掻いた。
「しかたねぇな」
そう言って、しぶしぶといった風に口を開く。
「条件を出す」
「聞こう」
バルドは頷いて、身を乗り出した。
「一つ。表の一般人は、絶対に巻き込むな。狙うのは、明確に“線を越えた”連中だけだ」
「ああ」
「二つ。デカい動きをする時は、必ず一度、俺に話を通せ。勝手に組の名前を使うな」
「了解した」
「三つ。しずく」
「なに」
「テメェも現場に出る気、満々だろうが――最前線は避けろ」
しずくが、むっと眉をひそめる。
「書類と金の管理、情報集め。そっちで頭を使え。危ねぇところに首突っ込んだら、流石に俺も止める」
「……分かってるわよ」
完全には納得していない顔だったが、しずくは頷いた。
「四つ」
黒岩は、バルドに視線を戻す。
「ウチの名前を借りる以上、こっちのシマで妙な揉め事は起こすな。必要以上に血を流すなってことだ」
「必要な分だけで済ませる」
「口で言うのは簡単なんだがな」
黒岩は苦笑し肩をすくめた。
「まぁ……それくらいだ」
「十分だ」
バルドは素直に頷いた。
「約束しよう」
「おう」
黒岩は鼻を鳴らした。
「で――こんな話をわざわざしに来たってことは、すでに何かあんだろ?」
バルドは、虎太郎とひよりの一件を、端的に説明した。
半グレ集団。都心のギャング。妹に目を付けた幹部。
黒岩は無言で聞きながら、時折、指先で畳をとん、と叩いた。
「……そうか」
話が終わると、低く呟く。
「そんな奴らが、この辺りで幅利かせ始めてやがるか」
しばらく黙考したあと、黒岩は視線を上げた。
「ウチから、そのひよりって娘を――陰から見ておいてやる」
「え」
しずくが目を瞬かせる。
「いいの?」
「ああ」
黒岩は、当然だと言わんばかりに答えた。
「うちらのシマでよ、好き勝手やられちゃ面目が立たねぇ。それに、そいつらが暴れりゃこっちにも火の粉が飛んでくる」
口元に、わずかに笑みが浮かぶ。
「勝手だが、シマの秩序ってもんは守っときてぇんだよ」
「……ありがとう」
しずくは、かすかな声で礼を言った。
「へん」
黒岩は、照れ隠しのようにそっぽを向く。
「娘の友達だか、その妹だか知らねぇが――泣かれたら寝覚めが悪ぃからな」
それは、照れくさいほど真っ直ぐな“親父の論理”だった。
「あと一つ」
バルドが、そこで口を挟む。
「虎太郎を雇う件も、話しておきたい」
「ああ、そうだったわね」
しずくが思い出したように頷く。
「南條虎太郎ね。バルドの“弟子”って扱いで、事務所でバイトさせようと思ってる」
「まぁ、いいんじゃねぇか?」
黒岩はあっさりと言った。
「いいのね」
「カズだけだと大変かと思ってよ、こっちからも誰か出そうとしてたところだ」
黒岩は、口の端を持ち上げる。
「その虎太郎ってガキを雇うってんなら、それで処理しとけ。しずく、お前の方で手続き頼むわ」
「分かったわ」
しずくが頷くと、話は一段落した。
* * *
黒岩邸を出る頃には、大分陽が傾きかけていた。
庭の影が長く伸び、壊れた塀の向こうで、犬が一匹うとうとと寝転がっている。
門を出るとき、しずくは一度だけ振り返った。
母屋の二階には、彼女の部屋がある。カーテンが薄く揺れているのが見えた。
「戻るぞ」
バルドが言うと、しずくは「ええ」と頷いて隣に並んだ。
それから――なぜか、そのまま事務所と同じ方向に歩き出す。
「……そのまま家にいないのか」
バルドが、不思議そうに尋ねた。
「さっきの話、覚えてる?」
しずくは前を向いたまま言った。
「俺のところの話か?」
「違うわよ。私の話」
しずくの足取りは、決して早くはないが、迷いはなかった。
「お前の友人が死んだ、という――あれか」
「ええ」
しずくは、少しだけ口元を引き結んだ。
「アイツらを、私は許せない」
その声には、数年分の想いが込められているようだった。
「のうのうと生きてる。のほほんとテレビを見て、笑って、今も、あんな事なんて無かったみたいに……」
拳を握る音が、すぐ隣で聞こえた。
「私が何しても、どうにもならないって分かってた。父さんだって、表立って動けば組が潰れる。だから、諦めるしかなかった」
しずくは歩みを止める。
夕方の光が、彼女の横顔を照らしていた。
「でもね」
ゆっくりとバルドの方へ向き直る。
「あなたが“裁く”って言ってくれるなら――」
暗い瞳の奥に、燃えるような光が宿る。
「私も、あなたに依頼する」
言葉を選ぶように、ひとつひとつ。
「やってくれる? 冒険者さん」
しずくの声は静かだが、その奥には熱い炎が見えるようだった。
バルドは、少しだけ口元を吊り上げた。
それは、こちらに来てから何度か見せた“獲物を見つけた時”とはまた違う笑みだった。
「――いいとも」
獰猛というより、どこか誇らしげに。
「それが、俺の仕事だ」
夕暮れの路地に、二人の影が並んで伸びた。
こうして、“黒岩調査・探偵事務所”は――
法の外側で怒りを抱えた者たちの、“冒険者ギルド”としての一歩を踏み出したのだった。