異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
しずくとは、黒岩邸からの帰り道の途中で別れた。
「私は、ちょっと寄るところがあるから」
そう言って事務所の前で踵を返す。
「付いていくか?」
一応、とは思いつつ声をかけたがしずくは露骨に眉をひそめた。
「いらない。大丈夫」
「そうか」
バルドは、それ以上は追わなかった。
ただ、彼女の背中が角を曲がる瞬間、ごく短い詠唱を口端で転がす。
――保護の呪い。
目に見える印は残さず、危険が迫った時に自分の方へと“ざわめき”が返ってくる簡易の術だ。
こちらに来てから強まった魔力ならば、細い一本くらいの“糸”は常に繋いでおける。
(何も起こらなければ、それでいい)
そう結論づけて事務所への階段を上がる。
「……ふむ」
人がいなくなった事務所は、昼間より広く感じられた。
デスクと椅子、ソファ。壁際の段ボールには、まだ開けていない備品が少し詰まっている。
その一角に、金属片の詰まった箱があった。ガラクタかと思いきや、カズが「いつか使うかもしれないっす」と言って捨てずにいたものらしい。
バルドはしゃがみ込み、その中から銅色の金具と鉄のプレートを一枚ずつつまみ出す。
(ちょうどいい)
机の引き出しを探ると、小さな金槌と金属用のヤスリが出てきた。
元は何かの修理用だろう。それらをテーブルの上に並べる。
照明の白い光の下、金属片を金槌で叩き角を落とし、指先で撫でて形を確かめる。
力を込めすぎると簡単に歪みすぎるのが難点だが、それでも、手の中で少しずつ形が変わっていくソレを整える。バルドが良く知る物へと。
(まだ仮のものだが……)
虎太郎の顔が浮かぶ。
まだ見知って間もないが、筋は悪くない少年。
“冒険者”と呼ぶ以上、何かしら“証”は持たせてやりたい。
カン、カン、と金属を叩く音が静かな事務所に小さく響いた。
* * *
何の知らせもないまま、夜は過ぎた。
保護の呪いは静かなまま――しずくの周囲で、少なくとも命に関わるようなことは起きていないということだろう。
翌朝。
壁にかかる古い時計の短い針と長い針は、六時半を指している。
寝床代わりに使っていた長椅子から身を起こすと、背中のあたりの筋が軽く軋んだ。
身体をひと伸ばししてから、バルドは階段を下りて玄関へ向かう。
ドアを開けると、朝の冷たい空気が流れ込んだ。
その向こうで、コンビニの袋をぶら下げた虎太郎が落ち着きなく足踏みをしている。
「おはようございます!」
こちらに気が付くと声を張り上げる。
「うむ」
バルドは短く頷いた。
昨日のうちに、今日明日は虎太郎の時間が空いていると聞いていた。
ならば、と決めたのだ。
まずどれだけ動けるかを実際に見て、ついでに“冒険者として戦えるか”を見極めようと。
「行くぞ」
「うっす!」
虎太郎はコンビニ袋をがさつかせながら、バルドの後ろにぴたりと付いた。
向かった先は、先日も体を慣らしに来た川辺だ。
朝の川は、陽の光を受けて細かく瞬いている。
相変わらず、この時間帯にここまで来る物好きは少ないのか周囲に人影は見当たらない。
「まずは基礎能力の確認だ」
バルドは、川辺の平らな場所に立ち軽く首を回した。
「実戦訓練だ。俺を倒すつもりで来い」
「え、いきなり、っすか」
虎太郎は目を丸くする。
昨日、倉庫で見たバルドの戦いぶりが脳裏をよぎったのだろう。
自分がどれだけもがいても、到底届かない――そんな予感が顔に出ている。
「遠慮はいらん。型だの何だのは実戦では役に立たん。まったく、とは言わんがな」
「……分かりました」
虎太郎は一度息を吐き、構えを取った。
「行きます!」
地面を蹴る音。
少年にしては悪くない踏み込み。拳も迷いなく突き出されている。
(やはり)
バルドは、一歩目の体重の乗せ方を見ただけで、おおよその筋の良さを判断していた。
だが――拳はあっさりと空を切る。
バルドの体が、半歩だけ滑るように横へずれる。
「ぐっ……!」
続けざまに放たれる蹴り。
虎太郎は決して遅くない。街の不良ども相手なら、これだけで十分“強い”と呼べるだろう。
だが、バルドにはそのすべてが見えていた。
腰の捻り、肩の入れ方、視線の動き――次にどちらの手足がどう動くか先に分かってしまう。
軽く手首を弾き、肩を押し、足を払う。
気づけば虎太郎は地面に転がされており、数秒後にはまた立ち上がって向かってくる。
その繰り返し。
拳が頬をかすめそうになった瞬間には、ほんの僅かに評価を上げた。
(間合いの取り方は悪くない。あとは――躊躇だな)
何度目かの組み手のあと、虎太郎は肩で息をしていた。
「ぜー……っ、はー……っ!」
膝に手をつき、汗をぼたぼたと地面に落とす。
「うむ」
バルドは腕を組んで頷いた。
「やはり、思った通り筋は良いな」
「そ、そうっすか……?」
ぐらつく足でなんとか立ち上がりながら、虎太郎が顔を上げる。
「よし、次だ」
息が少し整ったのを見計らってバルドは言った。
「立て」
「え、まだ……何を?」
虎太郎が目を瞬かせる間に、バルドは歩み寄る。
その掌を、少年のへその少し下――丹田のあたりにそっと当てた。
「うおっ!?」
反射的に仰け反ろうとした体を、バルドの手が押さえ込む。
「じっとしていろ」
何かを言うより先に、魔力を流し込んだ。
バルドの中で練り上げられた魔力が、虎太郎の体へと注ぎ込まれていく。
冷水でも熱湯でもない、“異物”の感触が、少年の内側をぐるぐると渦を巻く。
「う、うぇ……なんか、気持ち悪……」
虎太郎は眉をしかめ、腹を押さえた。
しばらくすると、注ぎ込まれた魔力は霧散するように虎太郎の身体から抜けていった。
残るのは、ごく僅かな“痕跡”――それは、彼自身の魔力の芽でもある。
「どうだ」
「ど、どうだも何も……なんか、変な感じが体ん中ぐるぐるして、それがスーッて抜けてった感じで……」
「“変な感じ”は、まだ体に残っているように感じるか?」
虎太郎が目をしばたたく。
「感じるなら、それに意識を向けてみろ」
「うーん……」
虎太郎は目を閉じ、眉間に皺を寄せる。
バルドには先に分かった。
腹の奥で、ごく小さなうねりが生まれたからだ。
(できた、か)
「……あれ?」
虎太郎が小さく声を上げる。
「なんか、ここに――変な圧みたいなのが」
自分の中を、今まで知らなかった“何か”が押している。
そんな戸惑いが声に混じっている。
「それだ」
バルドは頷いた。
「それを、腹の中でぐるぐると回せるか。やってみろ」
「えっと……やってみます」
ぎこちなく、しかし真面目に虎太郎は意識を向ける。
腹の奥で、小さな光の粒――バルドにはそう見えたものが、ゆっくりと円を描き始めた。
まだ量は少ないが、その輪は崩れずに形を保っている。
「で、できてます?」
「ああ」
バルドは、満足げに頷いた。
「量は少ないが、動かす才はありそうだ」
続けて告げる。
「次は、それを体全体に広げてみろ」
「えぇ……っと」
虎太郎が戸惑いながらも、腹から胸、腕、足へと意識を伸ばすと――
薄く、だが確かに、虎太郎の全身を一枚の“膜”のような魔力が覆った。
(見えているわけではないだろうが……)
虎太郎は、あたたかな霧に全身を包まれたような感覚を覚えているはずだ。
「なんか……あったかいっすね」
自分の腕を触りながら、虎太郎が不思議そうに言う。
「よし。初手でこれだけ出来れば上出来だ」
バルドは頷いた。
「これって?」
「魔力感知と、身体強化の術式だ」
バルドは淡々と答える。
「と言っても、簡易的なものでしかないがな。自分の魔力だけを使って、純粋に上乗せしている。一番単純な術だが、才のない者は一生かかっても出来ん」
「へぇ……」
虎太郎は、自分の手をぐっぱと開閉しながら、実感があるのかないのか分からない相槌を打った。
「言うより、やってみた方が早い」
バルドは、ふと足元に転がっていた握りこぶし大の石を拾い上げる。
それをぽん、と軽く虎太郎の胸元へ投げた。
「おっとと!」
慌てて両手で受け止める虎太郎。
「これ、っすか?」
「そうだ。そのまま――思い切り握ってみろ」
「分かりました」
虎太郎は、石を片手で包み込むように握り、ぐっと力を込めた。
最初は、しっかりした抵抗が手のひらを押し返してくる。
それが――次の瞬間、バキッ、と乾いた音を立てて崩れた。
「うおっ!?」
指の間から、砕けた石の破片がさらさらと地面に落ちていく。
「……マジかよ」
虎太郎は、自分の手のひらと地面の石片を交互に見つめた。
感覚としては、薄い木の球を握りつぶした程度。
だが、目の前で粉々になっているのは、紛れもなく石だ。
「すげえ……!」
目を輝かせかけた次の瞬間――
「あれ?」
虎太郎の顔色がさっと悪くなる。
「う、お……?」
膝が笑い、身体が傾く。
慌ててその場に片膝をついた。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
動悸が急に激しくなり、息が乱れる。
バルドは歩み寄ると、虎太郎の肩に手を置いた。
「魔力の消費のせいだ」
「ま、魔力……」
「まだ体が慣れていないからな。無駄な漏れが多い。総量も、今のところはそう多くはなさそうだが……」
それでも、とバルドは続けた。
「数戦程度は持つくらいには育てられるだろう」
虎太郎は肩で息をしながらも、今しがた握りつぶした石の残骸を見てじわじわと笑みを浮かべた。
「……こんな力、マジで眠ってたんすね」
まだ実感と驚きが入り混じった声だ。
「うむ、うむ」
バルドは満足げに頷いた。
「よし。とりあえず“最低限の戦力”にはなりそうだ」
「最低限っすか……」
虎太郎が苦笑する。
「目標は、まず――鉄の礫を食らっても平気なくらいだな」
「え?」
虎太郎の顔から血の気が引いた。
「あの、鉄の礫って、銃弾のことですよね……?」
「ああ」
バルドは当然のように言う。
「あれくらい防げないことには、話にならん」
「そ、そうっすか……」
虎太郎は、乾いた笑いを漏らした。
こちらの者は、銃弾を“絶対の死”として見ている。
だが、バルドにとってはそんなことはない。あんなものは初級も初級。
駆け出しでもなんとか防げる程度のモノでしたかない。“冒険者としての基準”がそれだけ高いというだけの話だった。
「おっと、そうだ」
ふと思い出したように、バルドは自身のポケットを探る。
「これを渡すのを忘れるところだった」
取り出したのは、革紐で括られた小さな板状の何かだった。
昨日、事務所で叩き出した銅と鉄の札だ。ややいびつな楕円形に整えられているが、手触りは悪くない。
「それは?」
虎太郎が覗き込む。
「冒険者の証のようなものだ」
バルドは、それを軽く放って寄越した。
「本来は、組合から正式に発行されるのだがな。仮で済まんが、用立てた」
「あ、ありがとうございます……?」
慌てて受け取り光にかざす。
銅と鉄が重ねられ、簡単な刻印が施されている。
裏には、虎太郎の名の頭文字と思しき文字と、粗いが力強い線で描かれた紋のようなもの。
「こうやって首から下げておくのが普通だ」
バルドは、自分の胸元から同じような札を引き出した。
ただし、それは鈍い金色に輝いていて、刻まれた紋もずっと複雑だ。
「それが……」
「俺の、冒険者としての証だ」
金色の札を指先で弾く。
虎太郎はしばし見とれ、それから自分の札に視線を戻した。
革紐を首に回し、少し冷たい感触が胸元に落ちるのを感じる。
「……なんか」
思わず笑みがこぼれた。
「ホントに、“冒険者”になったみたいっすね、俺」
バルドは頷き返す。
「実際になったんだ」
川面を渡る朝の風が、二人の髪を揺らした。
この世界での“冒険”は、まだ始まったばかりだ。