異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです   作:鳥獣跋扈

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第19話 おっさん、血の雨を降らす

 低く潜り込んでくる影と、頭上から振り下ろされる鉄の棒――。

 

(やべっ)

 

 虎太郎は反射的に体を横に倒して、腹を狙ってきた男の肩口に蹴りを叩きつけた。

 鈍い手応え。男の体が後ろに弾かれ、そのまま机に背中から突っ込んで崩れ落ちる。

 

 だが、間髪入れずに上からパイプが唸りを上げて降ってきた。

 

「っ!」

 

 頭を守るように肩をすぼめて身をひねる。無理な姿勢からだったが、何とか体を制御する。

 パイプの先が耳のすぐ横を掠め、カイン! と床を叩く音が響く。

 

 そのまま返す様に振り払われた先端が頬を掠め、熱い線を一筋走らせる。

 じわり、と血がにじむのを感じて、虎太郎は舌打ちした。

 

(クソ……マジで殺す気じゃねぇか)

 

 振り払われた隙を逃さず、態勢を整えられる前に膝に足刀を蹴りこむ。

 バギっと嫌な音と共に関節が逆に曲がり、男が悲鳴をあげて膝をつく。

 

 追い打ちとばかりに、下がったそのこめかみに迷いなく膝蹴りを叩き込む。

 

「ぐぼっ……!」

 

 白目を剥いた男が床に横倒しに転がる。

 

 息を吸い込み、吐く。胸が焼けるように痛い。一瞬の攻防。結果だけ見れば大した傷も負わずに仕留められたが、運の要素が大きかった。

 足元には二人。どちらも、少なくとも当分は起き上がれないだろう。

 

「……へっ、どーしたよ。二人がかりでコレか」

 

 わざと軽口を叩いてみせると、少しだけ震えを誤魔化せたと思った。

 

(――ちょい、ヤベぇな)

 

 だが、心の中では違う言葉が浮かんでいる。

 

(そこらのチンピラとやり合ってたのとわけが違う……動きと“殺す気”が、街のケンカのソレじゃねぇ)

 

 額に浮いた汗を手の甲で雑に拭う。

 

「おーおー。やるなぁ、坊主」

 

 入口側で腕を組んで見物していた男が楽しそうに口笛を鳴らした。

 仲間が二人、瞬殺と言っていい速度でやられたにもかかわらず、余裕の表情を崩さない。

 

「おい、出番だぞ」

 

 ニヤリと嗤いながら、後ろに向かって声をかける。

 すると、扉の影からゆっくりと“それ”が現れた。

 

「……っ」

 

 虎太郎は、思わず目を細めた。

 

 ドア枠をぎりぎり通るほどのでかい体。

 肩幅は虎太郎の倍はありそうだ。

 分厚い胸板に丸太のような腕。首が太すぎて頭がめり込んでいるように見える。

 

(なんだこの……ダンプカーみてぇな)

 

 内心でうめきつつも、顔には出さないよう努める。

 呼ばれて出てきた巨躯の男はにやりと口角を上げた。

 

「どうだ、でけぇだろ?」

 

 リーダー格の男が巨体の横で肩をすくめて笑った。

 

「プロレス崩れだがよ、辞めた理由がまた笑えるんだ。門下生半殺しにしちまったんだとよ。なぁ、おい?」

 

 からかうように肘で突かれても、巨漢はただ鼻を鳴らすだけだ。

 

「っへ。木偶の坊じゃねーのかよ」

 

 虎太郎は、わざと笑ってみせた。自分でも、声が少し上ずっているのが分かる。

 

「やっちまえ」

 

 そんな虎太郎の強がりを無視し、短く告げられた合図に巨漢が滑るように踏み出してきた。

 その動きは――見た目に反して速かった。

 

「っ——」

 

 正面からのタックル。受ける前に横にステップを切ろうとした瞬間にはすでに懐に潜り込まれていた。

 分厚い腕が虎太郎の胴に回り込み、そのまま床から持ち上げられる。

 

「うぐっ……!」

 

 背中が浮いた。

 肋骨のあたりが圧搾機に挟まれたみたいにきしむ。

 

 壁に背中から叩きつけられる。

 世界がぐらりと揺れた。

 

「はっは! どうしたどうした!」

 

 リーダー格の笑い声が遠くで響くように聞こえた。

 

 巨漢の両腕がさらに虎太郎の胴を締め上げる。

 骨と筋肉が押し潰されそうな圧力。

 

「ぐ……ぎ、ぎぎ……!」

 

 息が、肺に入っていかない。

 肋骨一本一本が、軋みながら悲鳴をあげる感覚が頭に響いてくる。

 

「そのまま背骨折っちまえ!」

 

 男の声が聞こえた。

 巨漢の腕にさらに力がこもる。

 

 視界の端が暗く侵食されていく。ミシミシと嫌な音だけが響く。

 

(……くそ)

 

 意識が遠のく中で、虎太郎の脳裏に川辺の朝の光景がよぎる。

 

 腹の奥に、暖かい塊を感じろ。

 それをぐるっと回して、全身に広げろ。

 

 バルドの声が耳の奥で蘇る。

 

(腹の……中……)

 

 自分の内側を、掴むように意識を向ける。

 ぎちぎちと締められる痛みの向こう――どろりとした圧力の塊が、そこにある気がした。

 

(これ……だろ)

 

 それを無理やりかき混ぜるように動かす。

 ぐるり、と腹の奥がひっくり返るような感覚。そこから、ぬるい熱が四肢へと流れ出していく。

 

 巨漢の腕の内側で、虎太郎の“輪郭”がわずかに膨らんだ。

 

「……ん?」

 

 巨漢が僅かに眉をひそめる。

 締め付けているはずなのに――その圧が押し返される感覚。

 

(もっとだ)

 

 虎太郎は、歯を食いしばって叫ぶ代わりに腹の熱を更にかき立てた。

 熱と圧力が、皮膚の下に張り付くように全身を巡る。

 

 おかしな話だが、さっきまで鉄の輪で締め付けられているようだった圧力が――今は麻縄を引きちぎるような感触に変わっていく。

 

「な……!?」

 

 巨漢の腕がじわりと外側へ押し広げられた。

 

「っ……」

 

 虎太郎は全身をばねみたいにして一気にこじ開ける。

 

「なっ……!?」

 

 ずるり、と両腕がほどけ、虎太郎の体が床に落ちた。

 ガクリと膝をつきながらもすぐに立ち上がる。

 

 巨漢は、信じられないものを見る目で虎太郎を見つめていた。

 

「どうした! なんで離した!」

 

 リーダー格が怒鳴るが、巨漢は答えない。ただ、目の前の虎太郎が先ほどまでとは違うと、理解していたのかもしれない。

 

 虎太郎は、自分の中でまだ渦巻いている熱を確認した。

 時間は長く持たない。体のどこかがすでに警鐘を鳴らしている。

 

「……っへ」

 

 口の端を無理やりつり上げる。

 

「ちょいと時間くっちまったがよ。残り時間も少ねぇし――さっさと片付けさせてもらうぜ」

 

 一歩、踏み出す。

 足が、空気を裂いた。

 

 巨漢の視界から虎太郎の姿がふっと消える。

 

「っ――」

 

 次に見えたときには、もう目の前にいた。

 

 懐のど真ん中。

 虎太郎の右拳が、腹――へそ下あたりに深々とめり込んでいた。

 

「ぐ、はっ……」

 

 分厚い腹筋が一瞬で内側から沈む。

 空気と胃の中身が同時に喉から吐き出される奇妙な音。

 

 巨漢の目が、ゆっくりと白く反転した。

 巨体が崩れるときの音は家具がまとめて倒れたみたいに重かった。

 

 床が揺れる。

 

「なっ……!」

 

 リーダー格の男が顔色を変えて腰のナイフを引き抜いた。

 

「このガキが――!」

 

 叫びながら振りかぶる。

 だが、その軌道は虎太郎の目にはあまりにも遅く見えた。

 

(ああ――遅えなぁ)

 

 ほんの一瞬、バルドの体を包んでいた異様な圧力を思い出す。

 

 なぞるように一歩踏み込み、ナイフを握る手首を掴んでひねる。

 骨が、節くれ立った枝を折るみたいな音を立てて折れた。

 

「ぎゃああああッ!」

 

 悲鳴を上げた腹に、今度は抑え気味の拳をめり込ませる。

 空気が抜けるような呻き声を残し、男はその場に崩れ落ちた。

 

 事務所には、急に、静けさが戻ってきた。

 虎太郎は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 その静けさの中で、先ほどまで体の中を暴れ回っていた熱が急速に引いていくのが分かる。

 膝から力が抜けて、どさりと尻もちをついた。

 

「……あー、しんど」

 

 天井を見上げて、息を荒げながら笑う。

 そのとき、事務所の奥から恐る恐るといった様子で声がかかる。

 

「……だ、大丈夫? お兄ちゃん」

 

 ひよりが顔だけ出してこちらの様子を伺っていた。

 虎太郎は、頬の汗を手の甲で拭いながら軽く手を振った。

 

「おう。ちょっとはやられたけどな。大丈夫、大丈夫」

 

 そう言って笑って見せると、ひよりが慌てて駆け寄ってくる。

 

「ちっと血が出てるだけだって。ほら、ちょっと擦りむいただけだろ」

「“ちょっと”じゃないよ……!」

 

 半泣きになりながらも、必死にポケットティッシュを取り出してくる妹を見て虎太郎は少しだけ肩の力を抜いた。

 

(……やりましたよ)

 

 心の中でバルドの姿を思い浮かべながら、勝利の余韻に浸っていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 一方そのころ――。

 

 都心から少し外れた、人気の少ない雑居ビルの最上階。

 薄暗いフロアの中央で、バルドは十数挺の銃口に囲まれていた。

 

 安い蛍光灯が天井でちらつき、タバコの煙が白く淀んでいる。

 壁には英字ロゴのポスターと女の笑顔のカレンダー。場違いな明るさが今の空気を却って不気味にしていた。

 

 足元には、さっきまで踏み倒してきた階の血が靴底から薄く伸びている。

 だが、バルドの呼吸は一変も乱れていなかった。

 

 自然体で立ち、ただ周囲を眺めている。

 

 部屋の一番奥。革張りのソファに足を組んで座っている男がいた。

 

 口元だけ笑っている、嫌な笑い方をする顔。

 頬に刻まれた傷が、ギラギラとしたシルバーアクセサリーと奇妙な調和を見せている。

 

「……だいぶ暴れてくれたみたいだなぁ? ええ、おい」

 

 男は、わざとらしく溜め息をついてみせた。

 バルドは、目だけを向ける。

 

(声に、聞き覚えがある)

 廃倉庫で、ひよりを“攫う”と嬉々として語っていた声。

 

「そうか。お前が――ひよりを攫うと笑っていた男だな」

 

 静かに言うと、男が一瞬だけ怪訝そうに眉をひそめ、それから腹を抱えて笑い出した。

 

「はっはっはっ! 何だよ、お前」

 

 笑い声につられて、銃を構えている連中も肩を揺らす。

 

「女一人のために、わざわざこんな真似したってのか? いかれてやがるな。外人は分かんねぇわ」

 

 バルドは特に何も言わない。

 

「どうやったか知らねぇがよ、いくらテメェが強えって言っても――」

 

 男は、手に持った拳銃をこれ見よがしに揺らした。

 

「こいつには敵わねぇだろ?」

 

 銃口が、狙いを定めるようにバルドの胸元へ向けられる。

 それに合わせるように、周囲の男たちも一斉に照準を合わせた。

 

 バルドは、一拍置いてから口を開いた。

 

「……救えん屑だな」

「あぁ?」

 

 男の眉が苛立たしげに歪む。

 

「屑だ、と言ったんだ」

 

 バルドの声は、感情を含んでいない。ただ事実を告げるだけの調子だった。

 

「お前のような連中は、生かしておいても何一つ良いことを生まない」

「っへ。何湧いたこと言ってんだか」

 

 男は舌打ちをし、片手で合図を送る。

 

「――やれ」

 

 引き金が、一斉に引かれた。

 

 閃光。破裂音。空気を切り裂く鉛の塊。

 

 狭い室内に何発もの銃声が重なって響き渡る。

 壁の時計のガラスが割れ蛍光灯にひびが入る。

 

 男たちは確信していた。

 あれだけの銃弾を、至近距離から浴びて無事な人間などいるはずがない。

 

「へへ……」

 

 男が口の端を吊り上げる。

 

「だからよ――」

 

 勝利の台詞を捻り出そうとした、そのときだった。

 

「……こんなものか?」

 

 何でもない声が、煙の中から降ってきた。

 弾き飛ばされた硝煙がゆっくりと晴れていく。

 

 そこには――先ほどと変わらず、同じ場所にバルドが立っていた。

 

 黒いスーツにはところどころ穴が空き、生地が焦げている。

 だが、肌に傷はない。

 額にも、胸にも、血の一滴すら浮かんでいない。

 

「なっ……」

「は、はぁ!?」

 

 銃を構えている男たちの顔から一斉に血の気が引いていく。

 

 床には、潰れて歪んだ弾丸がいくつも転がっていた。

 彼の足元に転がってきた一つを、バルドはつま先でころりと転がす。

 

「少なすぎるな。死出の土産にしては」

 

 ぽつりと言って、彼はゆっくりと目を閉じた。

 

 腹の底――世界と異世界の境が、ひずむような感覚がある。

 魔力が、うねりを上げて立ち上がる。

 

 気配だけで部屋の空気が重くなる。

 熱が、床からではなくバルドの身体から立ち上っていく。

 

 皮膚の下を巡っていた魔力を、さらに、さらに、強く回す。

 筋肉の一本一本に、骨の髄にまで、濃い圧力を浸透させる。

 

 体の輪郭が、ゆらりと揺らいだ。

 まるで夏の地平線の蜃気楼のように。

 

 スーツの生地が、内側から押し広げられて軋む。

 汗でもない、水でもない。肌から淡い蒸気のようなものが立ちのぼる。

 

「な、なんだ……?」

「こ、こいつ――」

 

 誰かがうわずった声で呟いた瞬間。

 バルドの姿が、掻き消えた。

 

「っ――!」

 

 銃を構えていた男の一人が、視界の端で“何か”を捉えるより早く――肩から先が消えた。

 

 比喩ではなく、本当に“肩から先”が忽然と消えた。

 何が起きたのか認識する前に、激痛とともに血が噴き出す。

 

「ぎゃああああああッ!!」

 

 悲鳴と同時に、赤い雨が周囲に飛び散る。

 肉片が、白い壁にべちゃりと貼り付いた。

 

 別の男が振り向こうとした瞬間には、膝から下が消えていた。

 支えを失った身体が、血の中に崩れ落ちる。

 

 その間――バルドの姿はどこにも“留まって”いない。

 

 一瞬、視界の端。

 次の瞬間には、天井近く。

 視線が追いつく前に、彼はすでに別の位置へ移っている。

 

 動くというより、“位置が飛ぶ”。

 その通り道にいる者たちの手足が、次々と千切れ飛んでいく。

 

 力を込めて振るったわけではない。

 バルドとしてはほんの軽く払っただけだ。

 だが、今の彼の身体にまとわりついている魔力は、それだけで肉を砕き、骨を断つには十分すぎるほど強大だった。

 

「いやだ、いやだ、やめ――!」

 

 誰かが、銃を取り落として背を向けた。

 次の瞬間、腰から二つに折れて床に転がった。

 

 部屋の中は、一瞬で地獄絵図になった。

 

 血が、床を真っ赤に染めていく。

 壁にかけられていたカレンダーにまで赤い飛沫が散った。

 銃弾の穴と、肉片と、靴の跡が、雑多に重なり合っていく。

 

 悲鳴は長く続かなかった。

 声の元が、一人、また一人と沈黙していくからだ。

 

 やがて――。

 

 部屋に残ったのは、軽く息を吐くバルドと、奥にへたり込んだ男、二人だけになった。

 

 男は――さっきまでの余裕など跡形もない。

 腰を抜かし、尻で床をずるずると後退りしながら、ありえないものを見る目でバルドを見上げていた。

 

「ひ、ひ、ひっ……!」

 

 喉の奥からは壊れたような声しか出てこない。

 床には、自分の部下たちが――ほとんど原形を留めないまま転がっている。

 

「近づくな……近づくなっ……!」

 

 情けない声で叫びながらも、足は動かない。

 体が恐怖で固まっている。

 

 バルドは、ゆっくりと歩み寄っていく。

 

 もう、魔力の圧は限界まで高めていたときより少し下がっている。

 だが、それでも、男の目には人の姿をした“災厄”にしか見えなかった。

 

「た、助けてくれ……!」

 

 男は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら両手を合わせてみせる。

 

「何でもする……! 金も出す! 女だって――!」

 

 バルドは、その言葉を遮るように口を開いた。

 

「お前は」

 

 淡々とした声だった。

 

「今まで、そうやって救いを求めた者に――答えたか?」

 

 男の顔がぎくりと引きつる。

 

 男の頭の中にいくつもの“顔”がよぎる。

 泣き叫ぶ女。

 殴られ、蹴られ、引きずられていくガキ。

 金がないと泣いて土下座した男の首を、笑って踏みつけた自分自身。

 

 ――だが、言葉にはならない。

 

 バルドは、一歩だけ間合いを詰めた。

 

 腕を振るう。

 さっきまでのように全力ではない。

 ほんの、軽く。

 

 それでも――。

 

 乾いた音とともに、男の頭蓋が弾け飛んだ。

 

 一瞬、顔の形を保っていたものが、次の瞬間には紅い霧と破片になって空中に舞う。

 首から上を失った身体が、ひと呼吸置いてからゆっくりと後ろに倒れた。

 

 どさり、と鈍い音が床に落ちる。

 

 部屋の中は、完全な静寂に包まれた。

 

 魔力の渦が少しずつ収まっていく。

 熱も、圧も、潮が引くようにバルドの身体から抜けていく。

 

(……やれやれ)

 

 軽く、首を回す。

 スーツの内の肩がぱきりと音を立てる。

 

 床に広がる血溜まりを一瞥してから、彼は踵を返した。

 

 後には、凄惨たる現場だけが残った。

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